• HOME
  • 全ての記事
  • 話題の人
  • 【特別インタビュー】音楽生活60周年、弦哲也が語る心の歌――北の小樽、南の沖縄、そして息子が描いた父の背中
弦哲也

【特別インタビュー】音楽生活60周年、弦哲也が語る心の歌――北の小樽、南の沖縄、そして息子が描いた父の背中

音楽生活60周年を迎えた作曲家・弦哲也が、記念シングル「小樽北運河」について自ら語る。北海道、沖縄、東京を舞台にした3つの新曲のテーマは「雨」。父子の絆から生まれた北の哀愁歌、ライフワークとして取り組む島唄・南国の悲恋、そして息子が描いた父への賛歌。60年の音楽人生で出会った人々への感謝を胸に、歌への情熱は尽きない。

 

私がこの音楽の世界に足を踏み入れてから、ちょうど60年という大きな節目を迎えました。思えば昭和40年(1975年)、17歳で「田村進二」という名前でデビューしてから、あっという間の歳月でした。歌手としてはなかなか芽が出ず、ギター1本を抱えて全国を旅した日々。北島三郎御大に「作曲家」という道を示していただき、気がつけば3,000曲を超える歌を世に送り出してきました。

作曲家としてたくさんの歌手の皆さんに歌を提供してきましたが、やはり私の原点は「歌い手」です。40周年、50周年と節目の年には、自分の歌を届けてきました。そして60周年となる今年、私自身の想いを込めた3つの歌を、一枚のシングルにして皆さんにお届けすることになりました。

北は北海道の「小樽北運河」、南は沖縄の「今帰仁(なきじん)」、そして東京を舞台にした「涙みたいな雨が降る」。偶然にも、3曲とも“雨”が物語の情景になっています。北の雨、南の雨、都会の雨。それぞれの雨に濡れながら、私の音楽人生で出会ってきた風景や人々への感謝を込めて歌いました。少し長くなりますが、この3つの歌にまつわる私の想いを聞いてください。

弦哲也

なぜ今、再び「小樽」なのか

田村武也氏が作詞した「小樽北運河」は、北の港町・小樽を舞台に、過ぎ去った恋を偲ぶ男の哀愁を描いた王道演歌。失われた愛を“帰らぬあの日に 捨てた夢だけど”としながらも、外国船の灯り、蒸気時計の鐘の音、赤い煉瓦の倉庫街といった具体的な情景と、主人公の心情が巧みに交錯し、未練を断ち切れない男心が歌われる。

今回の記念盤の表題曲は「小樽北運河」です。私にとって北海道、とりわけ小樽という街は、本当に縁の深い特別な場所なんですね。

デビューしたての売れない歌手時代、最初にキャンペーンで訪れたのが、小樽市の「おたる潮まつり」でした。以来、新曲を出すたびに北海道へ足を運び、中でも小樽では、数少ないながらも長く応援してくださる方々との温かい出会いがありました。石原裕次郎さんの遺作となった『北の旅人』でも小樽は描かれていますし、何より忘れられないのが、1990年に都はるみさんが歌われた『小樽運河』です。

はるみさんが「普通のおばさんに戻ります」と一度はマイクを置かれ、再び歌手として復帰される。その大事な一曲を、作詞の吉岡治先生と共に任せていただきました。この曲は、はるみさんご自身の発案でね。「小樽運河でいきたい」と。あのノスタルジックな街の情景と、彼女の圧倒的な歌唱力……、私も全身全霊でメロディーを書きました。今も彼女とは交流があり、「先生のステージでなら歌ってもいいわよ」なんて半分冗談で言ってくれるくらい、信頼し合える仲です。

そんな思い出深い『小樽運河』があるのに、なぜまた小樽の歌なのか。実はこれも、不思議なご縁から生まれた話なんです。

昨年、ニトリの似鳥昭雄会長の歌を作らせていただく機会がありました。そのご縁で会長や小樽の皆さんとお話をする中で、「小樽運河は完成から100年を超え、多くの観光客で賑わっているけれど、その北側にある『北運河』にもっと光を当てたいんだ」という熱い想いを伺いました。皆さんがクルーズ船に乗って楽しむ、観光地として有名な運河とは別に、今も現役の港として船が行き交う、生活の息吹が残る場所。その北運河を歌にしてほしい、と。

ありがたいお話でした。裕次郎さんの歌も、はるみさんの歌もある。私が作曲しただけでも小樽を舞台にした歌は10曲ぐらいなりますから、「また小樽の歌かい」と思われてしまうかもしれませんが、それだけ小樽は魅力的であり、小樽への想いが強いんです。地元の皆さんの声にも心が動かされ、この節目の年に、恩返しの気持ちも込めて自分で歌うために作ろうと思いました。

メロディーを作るにあたって、頭に浮かんだのはやはり裕次郎さんの映画の世界観でした。裕次郎さんがギターをポロンと弾きながら口ずさんでもおかしくないような、ね。ムードとロマン、そして港町の哀愁。編曲をお願いした南郷達也さんには、「裕次郎さんの映画のような、ノスタルジックな雰囲気がほしい。間奏はテナーサックスで泣かせてくれ」と伝えました。イントロの寂しげなギターの音色から、一気にあのレンガ倉庫が並ぶ運河の情景に皆さんを誘えるような、そんな一曲になったんじゃないかと思っています。

弦哲也

ライフワークとしての島唄と、南国の悲恋

「今帰仁(なきじん)」の舞台は、舞台を南国・沖縄。“夕陽背にした白い砂浜” “長い石垣 城跡歩き”など、沖縄本島北部の半島に位置する今帰仁村の美しい情景の中で、許されない恋の思い出が切々と歌い上げられる歌謡曲だ。エキゾチックでありながらも胸を締め付けるような哀愁漂うメロディーは、ゆったりとしたテンポを刻み、登場人物の激しい心の葛藤を描き出す。

2曲目の「今帰仁」は、私のライフワークである「島唄」の一つです。日本にはたくさんの島があって、それぞれに独自の文化や歴史、そして人々の想いがある。日本全国の島の歌をできるだけ多く作ってみたいと思っていますが、作詞家のさわだすずこさんから「沖縄の今帰仁(なきじん)を舞台にした詞が書けました」と連絡をいただいたんです。沖縄の歌も何曲か作ってはきましたが、自分で歌うのは初めて。世界遺産にもなっている今帰仁城跡の長く美しい石垣、冬に咲く寒緋桜(かんひざくら)。詞を読んだだけで、あの独特の空気感が蘇ってきました。

さわださんからは「今帰仁村の、本土の男性と島の娘さんの恋歌です」と、うかがいました。沖縄の人たち、特に島の女性には、本土の人間には計り知れない想いがあるように感じます。「どんなに愛していても、この島を捨てては生きていけない」。そういう宿命のようなものを背負っている。だからこそ、恋物語も本土のそれとは違う、より切実で、情熱的になるんじゃないか。そんなことを考えながらメロディーを紡ぎました。

アレンジには、もちろん三線の音色が不可欠です。それから、間奏では三線と絡み合うように、日本の琴の音色も入れてもらいました。琉球の風と、大和の心が交差するような、そんな音の世界になったと思います。

弦哲也

息子が描いた「父の背中」

「涙みたいな雨が降る」は、都会の片隅で生きる男の人生観を、優しい視点で描いたフォークソング。“昭和がどうとか AIがどうとか”という今風のフレーズを交えながら、不器用に、しかし自分らしく生きようとする男の心情が綴られる。同曲は田村武也氏が作詞・作曲・編曲のすべてを手がけ、アコースティックギターを基調とした温かみのあるサウンドが、70年代のフォークソングを彷彿とさせる。心にじんわりと染み渡る作品だ。

そして3曲目の「涙みたいな雨が降る」は、私にとって何よりも特別な一曲となりました。作詞・作曲・編曲のすべてを手がけたのは、私の息子、田村武也です。

ある日、彼が「親父、これ歌ってくれよ」って、デモテープを持ってきたんですよ。聴いてみると、アコースティックギターの優しい音色に乗せて、都会の片隅で生きる男の哀愁を歌ったフォークソングでした。

レコーディングは本当に苦労しました(笑)。私が歌うと、どうしても演歌の節回しになってしまう。「親父、そこは演歌にしないでくれ!」「こぶしはいらないんだよ!」と、息子から厳しい注文が何度も入りました。60年やってきて、息子に歌のダメ出しをされるとは思いませんでしたね。でも、彼が描きたかったのは、今流のフォークソングで歌う「親父の歌」だったんでしょう。

歌詞を読んだ時は、胸が熱くなりました。

昭和がどうとか AIがどうとか
騒がしいばかりの世の中だけれど
そんな世間の流れに 流されてしまうなら
不器用なままでいいんだろう
(「涙みたいな雨が降る」2番歌詞より)

“泣いて笑って東京で 幸せ探しの歌人生”というフレーズも、まさに、私が歩んできた人生そのものです。かつて、歌手として売れず、結婚してもお金がなくて、生まれたばかりの息子を銚子の両親に預けていた時代がありました。息子はまだ4カ月でした。女房と二人、東京で必死に働きながら、月に一度、息子に会いに行くのがやっと。東京に帰る時には、「どうしてこの子を連れて帰ってあげられないんだ」って、女房と涙したことも一度や二度ではありません。『おゆき』がヒットして、ようやく息子を東京に呼び寄せ、親子3人で暮らせるようになったのは5年後でした。あの時の喜びは、今も忘れられません。

そんな苦労を見てきた息子が60周年の節目に、私の人生を歌にしてくれた。歌手として、父親として、こんなに幸せなことはありません。

弦哲也

弦哲也

60年の“弦点”と、これから

私の原点は、間違いなくあの売れない歌手時代にあります。ギター1本で全国を回り、時には飲み屋で “流し”と間違えられて、リクエストに応えたりしてね(笑)。

当時は辛いことも多かったけれど、あの旅があったからこそ、全国に私を支えてくれる人ができ、その出会いが今の私を作ってくれている。そして、その経験があったからこそ、人の心の機微を描く歌が作れるようになったんだと信じています。

最近、「昭和の歌」が見直されていますが、私が思う「昭和の歌」とは、やはり戦後の復興期、人々が夢や希望を託したあの時代の歌です。美空ひばりさんや三橋美智也さん、春日八郎さんたちの歌には、日本人の魂が宿っていました。

今は時代が変わり、音楽の聴かれ方も多様化しました。もしかしたら、私たちが作る歌は、今の若い人たちには「じいちゃん、ばあちゃんの歌」に聞こえるのかもしれない。でも、それでいいんです。たとえ聴いてくれる人が全国で1%しかいなくても、その人たちのために、私は自分の信じる「心の歌」を作り、歌い続けていきたい。

自分の音楽に対する信念、これだけは譲れないという“弦点”。それがなくなった時が、私がペンを置く時だと思っています。

60年という旅路を支えてくださったすべての皆さんに、心から感謝申し上げます。幸いなことに、まだまだ歌への情熱は尽きません。これからも、日本のどこかの街で、誰かの心に寄り添う一曲が生まれることを信じて、私は歩き続けます。我が人生、未だ旅の途中です。

弦哲也

関連記事
【ライブレポート】音楽生活60周年、弦哲也が紡いだ“縁”と“歌人生”――川中美幸も華を添え、魂のメロディが響いた夜

 


2025年8月20日発売
音楽生活60周年記念曲
弦哲也「小樽北運河」
弦哲也

「小樽北運河」
作詞/田村武也 作曲/弦哲也 編曲/南郷達也
c/w「今帰仁(なきじん)」
作詞/さわだすずこ 作曲/弦哲也 編曲/南郷達也
c/w「涙みたいな雨が降る」
作詞・作曲・編曲/田村武也
STANDARD&Co. YZSTD-0077 ¥1,500(税込)

【Amazon】弦哲也 音楽生活60周年記念曲「小樽北運河」


弦哲也

「作曲家 弦哲也 音楽生活60周年記念コンサート」
2025年12月9日、千葉県香取市の小見川市民センターにて、ゲストに千葉一夫と北川裕二を迎え、「作曲家 弦哲也 音楽生活60周年記念コンサート」が開催される。

日時:2025年12月9日(火)14:30開場/15:00開演
会場:小見川市民センターいぶき館 多目的ホール(MAP)
JR成田線 小見川駅 徒歩10分

ゲスト:千葉一夫、北川裕二
主催:演歌福の会

チケット:SS席8000円、S席7000円、A席6000円
【60周年記念曲「小樽北運河」CD付き】

チケット申込・問い合わせ:演歌福の会事務局
TEL:0479-68-2939(平日13:00~18:00)

関連記事一覧