弦哲也

弦 哲也の旅唄の世界~音楽生活55周年記念ライブ「旅のあとさき」で魅せた音楽への情熱

「コロナとの戦いももう一年半になりますね。そして今、緊急事態宣言下。そんな中、皆さんようこそお越しくださいました。弦哲也です。音楽界も大変苦しい時代になってしまいました。でも、音楽というのはね、人の心に夢とか希望とか勇気を届けられんじゃないかと思って、少しずつ活動を始めることにいたしました。

昨年、わたくしは歌謡界に入って55年目の節目の年でした。今年は56年目になるんですが、昨年その節目を記念してアルバムを出しました。『旅のあとさき』というアルバムです。そのアルバムを皆さんに聴いていただこうと、本当は昨年ライブを企画したのですが、残念ながら延期となってしまいました。今回、皆さんのご協力、ご理解をいただいてこのライブを開くことができました。一年遅れの55周年記念ライブ、どうぞ最後までお付き合いのほどどうぞよろしくお願いいたします」

弦 哲也が6月11日、東京・北区の北とぴあ つつじホールで「音楽生活55周年記念ライブ 旅のあとさき」を開催した。ステージで魅せた果てしない情熱は、音楽家・弦 哲也の音楽の旅そのものだった

弦哲也

音楽の旅は北から始まった

弦 哲也は14歳の時、ギター一本を手に歌手を目指して上京し、作曲家・大沢浄二氏の門下生となった。そして、1965年、”田村進二”の名で「好き好き君が好き」で歌手としてデビューする。しかし芽は出ず、1968年には”弦 哲也”と改名する。

「俺と一緒に旅をしないか?」。1970年、北島三郎の誘いを受け、弦は北島三郎のコンサートに帯同することになる。北島との音楽の旅は5年続いたが、ある時、北島は弦にこう問いかけた。「歌手の夢を追いかけるのも男のロマンだよな。でももう一つの道、作曲家という選択肢もあるぜ。こんな俺でさえも最近歌づくりをしてるんだ」。北島のこの言葉で、弦の人生は大きく変わった。今や作曲家・弦哲也として、日本の音楽界に名を残すひとりとなった。

そんな弦が昨年4月に発売した、音楽生活55周年記念アルバム『旅のあとさき』には、弦が歩いてきた音楽生活の旅が凝縮されていた。弦はこのアルバムのために作った新曲を歌い、自身の珠玉の名曲をセルフカバーした。アルバムには北から南まで、音楽家としての旅を続けてきた弦自身が投影されていた。

「石原裕次郎は、昭和の大きな太陽だった男」

弦の憧れだった石原裕次郎のために作った「北の旅人」から記念ライブは始まった。北海道を舞台にした旅唄を披露すると、”音楽の旅”は南へ。弦と縁の深い陸奥(みちのく)へと向かう。

弦哲也

「まるで故郷のようなそんな気がして」

2曲目は「五能線」。海沿いの美しい景色を堪能できるローカル線で、2005年に”ご当地ソングの女王”水森かおりに提供したヒット曲だ。

「秋田の能代と青森の五所川原を結ぶ『五能線』。日本海に沿って走るこの列車に、私は売れない歌手時代にギターを持って何度も何度も乗った思い出があります」

3曲目は、福島県いわき市を流れる清流「夏井川」(2020年)。『旅のあとさき』のために書き下ろされた同作は、澄んだ清流の情景が目に浮かんでくる抒情的なメロディーが美しい、弦の深い祈りの思いが込められた一曲だ。弦はおよそ30年間、福島のテレビ番組にレギュラー出演していた。しかし、2011年に東日本大震災が起こり、番組が終了することになってしまった。

「東日本大震災があって、福島でのテレビの活動は途絶えてしまいましたが、それ以降も、復興のお手伝いなどで何度か足を運んでいます。福島に行くたびに”弦ちゃん、おかえり!”と声をかけてくれるんです。まるで故郷のようなそんな気がしてね・・・。その縁の深い福島の清流を歌った曲です」

人の喜び 悲しみを
乗せて流れる せせらぎよ
そよぐ川風 故郷の夏井川
(「夏井川」歌詞より)

川中美幸がサプライズで登場

4曲目は青春の街・東京へ。山本譲二に贈った「新宿の月」(2006年)は、エレキギターの音色がどことなく物悲しさを感じさせる作品。「苦い酒を飲んでいた日々」を彷彿とさせる歌声で哀愁たっぷりに歌い上げた。

関西への音楽の旅へと続き、京都から大阪へ。同期であり同じ年齢、そして同じようにまっすぐに音楽の旅を歩んできた盟友である五木ひろしが歌った艶歌「渡月橋」(1999年)、五木と同じく家族ぐるみで親交のある都はるみと弦が作詞し、弦がメロディーをつけた「大阪セレナーデ」(1998年)を披露した。

大阪を後にした我々は、さらに南へ向かい九州は長崎に降り立った。雨の似合う街、長崎を舞台にした、川中美幸の音楽生活35周年の記念曲として作った「長崎の雨」(2011年)をワンコーラスしっとりと歌い上げた弦の前に、下手から川中がマイクを手にステージへ。

▲「しあわせ演歌が得意な川中美幸の涙を見てみたい」。そんな思いから弦が川中に送った「長崎の雨」が披露されると、マイクを持った川中がステージに登場する。

「すみませ~ん、ネグリジェで来ちゃった(笑)。今日はお客さんとして後ろで聴かせていただいていたんですが、元気をもらいました。このところ少し落ち込んでいたので・・・体重が増えたものですから(笑)。いつもありがとうございます。『長崎の雨』と聞こえたのでいても立ってもいられなくなって出てきちゃいました。ありがとうございました!」(川中)

「美幸さんの歌の中には雨の歌が結構多いんですね。歌手というのは明るく元気でみんなで頑張って幸せになろうね、という”しあわせ演歌”と、切ない女心を歌える歌手、なかなかそういないんですよね。川中さんはその両面を歌える貴重な歌手だと思います」

川中の朗らかな笑顔に呼応するように、弦もうれしそうな笑顔を見せた。そして観客も、マスク越しではあるが笑顔の花を咲かせ二人に大きな拍手を送った。

オリジナリティーあふれる旅唄の世界へ

さらにここからは、3曲続けて弦のオリジナリティーあふれる旅唄の世界へ誘う。

まずは、アルバム『旅のあとさき』のために書き下ろした2曲「深谷宿ひとり旅」(2020年)と「湯涌恋灯り」(2020年)。「深谷宿ひとり旅」は、弦が事務所を構え、アンバサダーを務める北区が埼玉県深谷市と友好的都市となっていること、自身も深谷という街と個人的に縁があることから誕生した一曲だ。深谷の風景が浮かび、深谷に住む人々の懐の深ささえも感じられる作品だ。

「湯涌恋灯り」は、石川県の金沢市内を流れる浅野川の上流にある画家・竹久夢二ゆかりの温泉地、湯涌温泉でのひそやかな切ない愛のひと時を描いた作品で、これぞ”弦メロディー”と言える。そして、東京の島のひとつである人口わずか300人の小さな島、御蔵島が舞台の「御蔵島唄」(2005年)。

「日本全国には北から南、たくさんの島があります。その島それぞれに歴史や文化がある。島唄をひとつでも多く作ろうというのが今の私のライフワークなんです」

弦は、島民が助け合いながら守り育んできた自然や文化、その四季折々の美しい彩りを慈しむように歌った。

弦哲也

「これでもか」と押し寄せる、弦メロディーに酔いしれる

ライブも終盤を迎え、衣装チェンジをして弦はステージに再び姿を現した。

1976年、作曲家としてのデビュー曲で棋士・内藤国雄に提供した「おゆき」、自身初のミリオンヒット曲となった川中美幸が歌ったしあわせ演歌「ふたり酒」(1980年)、2003年にロングヒットとなり水森かおりが『NHK 紅白歌合戦』に初出場して歌唱した「鳥取砂丘」、そして2000年に発表された山本譲二の再起をかけた執念の一曲で、大ヒット曲となった「花も嵐も」。ギターを置き、ステージの中央に立ち、代表曲4曲をメドレーで歌い継いだ。

つづけて、昭和の時代を明るく照らした歌謡界の女王、今年33回忌を迎える美空ひばりの不死鳥コンサートのために作ったという名曲「裏窓」(1988年)を披露した。

「懐かしい曲を聴いていただきました。どの曲も思い出深い宝物の曲ばかりです。中でも『花も嵐も』という曲は、私の兄貴が大好きな曲でした。兄貴が旅立って、お墓を建てようという時に遺言がありましてね。”俺が死んだ時は墓はいらない。でも、もし建ててくれるんだったら俺の好きな『花も嵐も』の一節を刻んでくれ”と。そんな兄貴でした。娘たちはその遺言を守って、歌の一句を石に刻みました」

窓をあければ 春告げ鳥が
生きてゆこうと 歌ってる
(「花も嵐も」歌詞より)

アルバム『旅のあとさき』には収録されていない、このライブだけの特別な曲たちを歌う弦。「これでもか」と押し寄せる、弦のメロディーと、歌声に酔いしれた。

弦哲也

弦哲也

歌づくりの情熱がある限り、音楽の旅を

そして、弦哲也の名曲で巡る”音楽の旅”はクライマックスを迎える。

「次の曲はまさに旅から生まれた曲なんです。今は亡き作詞家・吉岡治さんと一緒に、静岡県は天城湯ヶ島に旅をしました。その宿で誕生した歌です」

1986(昭和61)年に石川さゆりが歌い、以来色あせることのない魅力で人々の心をつかみ、長く愛されてきた「天城越え」。激しい愛と情念という鋭い歌詞の世界観を、ダイナミックかつ繊細に奏でるピアノ伴奏で歌い始めた弦の声にも力がこもる。

力強く「天城越え」を歌い終えたところで、弦はこう切り出した。

「今日は本当に大変な時代の中、皆さんに来ていただいて感激です。本当にありがとうございました。おかげさまで、一年遅れの55周年を迎えることができてうれしいです。旅のあとさき。出会いがあれば、別れがある。55年の音楽人生でした。これからも歌づくりの情熱がある限り、もう少し旅をしていたいなと思っています。今日、最後に歌う歌は『演歌(エレジー)』。聴いてください」

音楽に生きる親父の背中を見て育ち、今、同じように音楽を仕事に選んだ愛息・田村武也が作詞を手がけた、父と息子の共作。音楽生活55周年記念アルバム『旅のあとさき』と同じく、最後を飾ったのは「演歌(エレジー)」だった。

「本当にありがとうございました。感謝です!」

鳴り止まない拍手よりも大きな声で、弦が叫んだ。

 

 

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2020年4月29日発売
弦 哲也 音楽生活55周年記念アルバム
『旅のあとさき』

弦哲也

【収録曲】
1.「北の旅人」(石原裕次郎)
作詞/山口洋子 作曲/弦哲也 編曲/南郷達也
2.「大阪セレナーデ」(都はるみ)
作詞/都はるみ・弦哲也 作曲/弦哲也 編曲/田村武也
3.「五能線」(水森かおり)
作詞/木下龍太郎 作曲/弦哲也 編曲/南郷達也
4.「渡月橋」(五木ひろし)
作詞/吉岡治 作曲/弦哲也 編曲/川村栄二
5.「夏井川」(弦哲也)
作詞/麻こよみ 作曲/弦哲也 編曲/田村武也
6.「御蔵島唄」(弦哲也)
作詞/二宮康 作・編曲/弦哲也
7.「長崎の雨」(川中美幸)
作詞/たかたかし 作曲/弦哲也 編曲/南郷達也
8.「新宿の月」(山本譲二)
作詞/城岡れい 作曲/弦哲也 編曲/田村武也
9.「湯涌恋灯り」(弦哲也)※
作詞/中山実 作・編曲/弦哲也
10.「深谷宿ひとり旅」(弦哲也)
作詞/さわだすずこ 作・編曲/弦哲也
11.「天城越え」(石川さゆり)
作詞/吉岡治 作曲/弦哲也 編曲/紅林弥生
12.「演歌(エレジー)」(弦哲也)
作詞/田村武也 作曲/弦哲也 編曲/川村栄二

※は新曲
( )はオリジナル歌手



Profile
弦哲也(げん・てつや)
1947年9月25日、千葉県生まれ。14歳の時に歌手を目指して上京し。作曲家・大沢浄二氏の門下生に。1965年、東芝レコードより”田村進二”の芸名で「好き好き君が好き」で歌手デビュー。1968年、”弦哲也”に改名。その後、北島三郎の公演に同行。日本全国、アメリカへ渡る。1976年に作曲家としてデビューし、棋士・内藤国雄に提供した初の作品「おゆき」が大ヒット。歌手「弦てつや」、作曲家「弦哲也」として活動、二つの道を歩む。1986年、作曲家活動に専念。2017年、公益社団法人「日本作曲家協会」会長に就任。代表曲に、石原裕次郎「北の旅人」、石川さゆり「天城越え」、川中美幸「ふたり酒」「二輪草」、五木ひろし「人生かくれんぼ」、都はるみ「小樽運河」、水森かおり「鳥取砂丘」などがあり、総作曲数は2500曲を超える、日本歌謡界が誇るヒットメーカーである。

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