俺たちダニーボーイズ! 湯原昌幸&南部なおとが新ユニット。「涙のサイドウォーク」で蘇れ青春!!
トランジスタラジオのボリュームを上げ、流れる音楽に酔いしれる。世の中が生き生きと、ワクワク感にあふれた1960~70年代の華やかな洋楽のメロディーを、“ちょい悪おやじ”の2人がコンビを組んで再現する。ビートルズやザ・ベンチャーズといった懐かしのオールディーズが蘇ってきたような楽曲は、当時をよく知る音楽ファンの心をわしづかみにしそうだ。
黄金ユニットの名は「ダニーボーイズ」。コンビを組んだのは、御年74歳の湯原昌幸と、70歳の南部なおと。結成のきっかけは、「雨のバラード」などのヒット曲を持ち、マルチな活動で知られる湯原が、かつてのジャズ喫茶のような場所でライブを開きたいと考え、そのパートナーとしてギタリストで作曲なども手がける南部に声をかけたのが始まりだ。今から10年ほど前、ソロ歌手として「盛春歌」(2007年)を歌っていた南部と何度か共演する機会があり、この人ならと白羽の矢を立てたという。
思いがけない誘いだったが、二つ返事で快諾した南部。やがてオリジナルの楽曲づくりが始まり、丸1年の制作期間を経て2021年6月16日、ファーストシングル「涙のサイドウォーク」をリリースした。
キャッチコピーは「メインステージはこれからだ! ハッピーアワーミュージック、俺たちダニーボーイズ!」。人生、これからが本番! 歌謡界にどんなウェーブを起こしてくれるのか、大いに楽しみだ。
文=藤井利香
僕らの音楽の原点に立ち返った
湯原 南(なん)ちゃんはジャズギタリストでもある。プライベートでの付き合はそれまでほとんどなかったけど、ライブハウス(でライブ)をやる目的だったから、パートナーにぴったりだと思ったよ。
南部 僕は無名なのに、大スターに声をかけてもらってうれしかったです。
湯原 な~にを言うの(笑)。洋楽、邦楽ともに似た世界観を持つから、最初にどんな曲を僕らのレパートリーにしようか、かつての曲を出し合いながら話す過程がまず楽しかったね。でもそのうち何だかそれだけじゃ物足りなくなって、オリジナル曲を作ろう、ついにはCDにしようという話になった。今回のリリースは、僕らの音楽の原点に立ち返るというのが一つの方向性だったので、その発想で作ったオリジナル曲は10曲ほど。そのうちの1曲が、「涙のサイドウォーク」。折しもコロナ禍で、ライブハウスのほうが進まなくなってしまったけど、逆にこの期間を利用してじっくりと曲作りができました。
南部 曲づくりは去年の今頃から。僕らの音楽の原点というとシックスティーンズ。1960年代前後の洋楽は体に染み込んでいるから、ポンと叩けばすぐに出てくる。次々沸いてきて、それを隠しきれなかったという感じかな。
湯原 ワクワクしながらの作業だったね。
南部 歌い手のイメージに合わせるとか、そういった決められた枠がなくて自由に作れたのがよかった。レコ―ディグも楽しかったね。ギターの出入り一つでサウンドも変わるから、ビートルズのイメージにしようだとか、ああやろう、こうやろうとかなり凝った。おかげでレコーディングのやり直しも幾度かやった。
湯原 金、大丈夫かって言いながらね(笑)。練習場所の多くは南ちゃんの自宅で、要するに酒を飲みながら盛り上がっていったんだけど(笑)、2人がアイデアを出し合いミックスジュースとなって曲ができあがりました。
南部 ジャズギタリストとして理論的にはこうした方がいいというのがあるんだけど、それではつまらない。2+2=4とそこに落ち着いてしまうのではなく、突然こっちのコードに行っちゃう! といったコード進行もどんどんやって、聴いて面白い楽曲にしました。僕がギターを担当しているけど、間奏のフレーズなんか1回できあがったものをチャラにしたしね。なるべく“おりこうさん”にならないように、冒険しようという発想だった。きれいな音だけではつまらない。わざとワイルドな“ガギグギ”というような音色にしたり。
湯原 耳障りでいい、ってね。それにしても、コロナ禍でもしこれがなかったらメンタルやれていたかも。CDにしたいというのは夢だったけど、本当に実現するとは思わなかったからね。自粛生活という苦しい時を逆手に取って活動できたことは幸せでした。
華やかで世の中に音楽があふれていた
湯原 1960年~70年代というと、音楽にとにかく活気があった。日本のアイドルにしても、カミさん(タレントの荒木由美子)なんかは(当時)月に1度のペースで曲を出していて、それだけ音楽に対するニーズがあったんだよね。雑巾をこれでもかというくらい絞り、曲があふれている時代。それは、洋楽を咀嚼する力が日本にあったからだと思う。華やかな洋楽が原液で、日本人ならではの感性で薄めて歌謡曲にして。わさわさと、もっともカオスを感じさせる時代だった。
南部 青春そのものだったね。エレキブームが来て、その後グループサウンズとかたくさん出て新鮮だった。
湯原 ところが今の若い世代はちょっと違う。うちの息子はラップをやっていて、「メロディーのない音楽は音楽じゃないぞ」って言っているんだけど、彼らにとってメロディーはむしろ邪魔なんだって。それが今のニーズなんだと。音楽の世界もここまで時が流れたんだよね。でも、じゃあここで50~60年前にバックすれば、それがむしろ新しいものになるかもしれない。そういう思いも、今回の作品には含まれている。
南部 「涙のサイドウォーク」は、オールディーズの名曲を基にした日本語版ポップス。僕らのようなかつてを知る人たちには単純に懐かしい、心地いいと思って楽しんでもらいたいし、この時代を知らない若い人には、古いけど新しい。そんな感覚で聴いてもらえたらいいんじゃないかな。
「一昨年のことです。横浜のニューグランドホテルで、湯原さんと南部さんのクリスマスショーを見させてもらいました。このショーが素晴らしくて、“これは!”と。ぜひ、プロデュースをしたいと思いました。僕と湯原さんは同い年で、南部さんは70歳。同年代の3人で何をやろうかと考えた時に、自分たちの青春時代に影響を受けた歌、それも60年代から70年代のあの洋楽が残った。しかも日本で流行った洋楽が僕らの頭の中にいっぱい残っていました。最初はカバーをやろうということで、何十曲も用意していたんですが、こういう曲を俺たちで作れたらいいね、と盛り上がって、カラーの違う3曲ができあがりました。『涙のサイドウォーク』は、松井五郎さんに詞をつけてもらって、我々の青春時代、50年前の青春時代を彷彿とさせる楽曲ができあがりました」
湯原、南部の合作による「涙のサイドウォーク」。詞は、ヒット曲を多く手がける松井五郎氏が担当した。当時の世界観を熟知しているという理由から、お願いしたという。「Lonely my heart~」という歌詞で始まるムード満点の曲は、甘く切ない若いあの日に聴き手を引き戻してくれる。アレンジは、南部のジャムセッション仲間でもあるギタリストの塩塚博氏。当時のサウンドが見事に蘇り、余韻を残して終わるフェイドアウトも懐かしさを感じさせる。
カップリングには、湯原が作詞・作曲した「トワイライトLOVE」と「別れのジルバ」。この3曲ともに、当時流行った洋楽のイントロがさり気なく生かされており、わかる人にはわかる! かつての時代に一気に戻ることができ、それを踏まえて耳を傾けるとより曲を楽しむことができるだろう。
作品づくりは凝りに凝った
湯原 「涙のサイドウォーク」は、失恋のラブソング。リアルな言葉は出てこない、イメージの世界で展開されていて、聴く人それぞれに思いを馳せてほしいと思っています。そして、「これ、なんだっけ。聴いたことある」というイントロの仕掛けにも注目。かつて流行った洋楽のイントロが踏み絵になっています。さて、何の曲のコピーでしょうか(笑)。
南部 イントロや間奏での僕のギターも聴いてほしいね。12弦サウンドが必要なので12弦エレキをわざわざ購入し、オクターブの上と下の両方を使いながら音づくりにこだわりました。一番の聴きどころです!
湯原 ジャズギタリストの本領発揮だね。よりバンドテイストが強調されたと思う。
南部 「トワイライトLOVE」はとくにディレイ 効果を効かせるなど、奥行きのあるギターの音色を使った。大人っぽい雰囲気で、チークダンスを踊りたくなるような感じ(笑)。
湯原 この曲もラブソングで、夕暮れに男と女が別れ話をしているシーン。で、結局は「君が大事だったんだ・・・」と、主人公の男が女々しく悔いる。「別れのジルバ」も好きな人が別の男と結婚してしまい、やけくそでジルバを踊るという、何ともみじめな男のストーリー。こういう心情って歌にしやすいんだけど、切ない歌詞を並べたらかみさんに「あんたはこんなこと言わないでしょ」って言われちゃった(笑)。男の哀愁がカッコよく音楽に昇華できたらいいなと思っています。
南部 これも、曲のイントロが面白い。
湯原 そう、聴いてハッとする人が多いよ、きっと。トム・ジョーンズの「ラブ・ミー・トゥナイト」のイントロを逆さにしたような曲調。知らない人は、それはそれで面白がってくれるのでは。ギギギって、ラジオから流れてくるレコードの雑音からリアルなステレオ音になっていく効果音も凝っている。今回の3曲を通して、若い頃の甘酸っぱい青春を思い出してもらえたらと思います。
南部 僕はジャズコーラスグループでも活動していた時期があり、コーラスの楽しさも知っている。だから、カラオケでは僕らのようにハモリを楽しんでもらってもいいし、またソロの歌と考えてもらってもいいと思う。ノリノリで、自由に歌ってほしいね。
懐かしさ満載のジャケット写真
南部 ジャケット写真にも凝ったね。僕の愛車、モーガン。100年以上前からずっと同じ形で作っていて、今も愛好家の間で人気です。25歳くらいの時に初めて買って、今4台目。モーガンはハンドメイドという伝統的な車づくりを続けるイギリスのスポーツカーメーカーで、スタイルはずっと変わっていないんだけど、古さを感じさせない魅力がある。この車を横浜・本牧のダンスホール「ゴールデンカップ」に連れて行って、ジャケット写真を撮影しました。プロモーションビデオ(PV)にも登場します。
湯原 PVは一度雨天で変更になってね。雨が降ると、(オープンカーの)モーガンに雨が入って潜水艦になっちゃうから(笑)。
南部 CDジャケットは、かつてのレコード盤のような雰囲気をとことん出したもの。懐かしいと思う人がたくさんいるでしょう。
湯原 あの「ミノルフォン」(徳間ジャパンの前身)の古いマークが入っている。当時のEP盤(ドーナツ盤)のイメージを出そうと、字体やデザインにもこだわっています。モノクロかセピアにしようかなんてアイデアもあったけどね。まぁこんなことを、70歳を過ぎてオヤジ2人がやれる、それが何よりうれしい。
南部 そうそう。若者についていけないとか、周りのことを気にする必要はない。自分は自分のスタイルで楽しむことが一番! オリンピック選手の活躍を見て刺激をもらうように、僕らの活動でたくさんの人に自分もやるぞと思ってもらえたらいいと思う。そういう輝く人間、輝くグループがダニーボーイズ!
湯原 うまい! 僕は基本的に7掛けで生きているから、70歳×0.7でまだ49歳の気分(笑)。まだまだ元気。だから「ダニーボーイズ」としてセカンドシングルも出す計画だし、ダンパ(ダンスパーティー)のできるライブハウス(での演奏)もそのうちきっと実現させたい。そんな僕らが、団塊世代のフラッグシップになれたら最高だね。
「ダニーボーイズはエルダー層(50歳以上)を狙っていこうと結成されたデュエットです。今年の4月頃、『涙のサイドウォーク』をヒットさせようと、関係者が集まって決起集会を行いました。その時にキャッチコピーを作ろうという話になり、それが『メインステージはこれからだ! ハッピーアワーミュージック、俺たちダニーボーイズ!』です。カッコいいでしょう。大ベテランのお二人ですが、本番はこれからだと。ハッピーアワーは、居酒屋の早割ではなくて、幸せな音楽の時間という意味です。彼らのこの曲を聴いていただいて、元気になってもらいたいと思っています」
2021年6月16日発売
時代を超えた“エイジフリー・サウンド”
湯原昌幸&南部なおとによる黄金ユニット
ダニーボーイズ「涙のサイドウォーク」
○
Profile
ダニーボーイズ
湯原昌幸と南部なおとによるユニット。2019年に、湯原が南部に「ライブを一緒にしませんか」と声をかけ、ユニット「The M.J(Musica Jack ~音楽泥棒~)」を結成。同年10月に結成記念ライブを開催。2021年6月16日、「ダニーボーイズ」として「涙のサイドウォーク」でデビュー。ダニーボーイズというユニット名は、懐かしさを象徴するネーミングをと、知人のアイデアを含む複数のアイデアからチョイスした。キャッチコピーは「メインステージはこれからだ! ハッピーアワーミュージック、俺たちダニーボーイズ!」。
「南部さんも僕も同じB型なのか、気が合います。音楽的な差はあるけど、底辺ではつながっている。『涙のサイドウォーク』はCDで聴いていただくのもいいんですが、やっぱり生音・生声で聴いていただきたい。皆さんとやりとりができる中で歌うほうがこの歌が生きるんじゃないかな。コロナが収束したら、ダンパ(ダンスパーティー)をやってみたい。世の中には親父バンドも多いので、この楽曲をコピーしてもらって、大いに歌って、踊っていただきたいと思います」(湯原)。
湯原昌幸(ゆはら・まさゆき)写真右
1947年3月5日、茨城県生まれ。1964年、日本テレビ系列のTV番組『ホイホイ・ミュージックスクール』への出演をきっかけに芸能界へ。1969年、名門バンドの「スウィング・ウエスト」に入団。グループサウンズ・ブームの中、司会とボーカルを担当し、現在の活動の基礎を築く。1970年、「見知らぬ世界」でソロデビュー。1971年、スウィング・ウエスト時代の「雨のバラード」をリリースし、ミリオンヒットに。歌手という枠にとらわれず、司会・コメディアン・俳優・作詞/作曲家としてマルチに活躍。2008年、作曲家でもある杉本眞人(歌手活動時は「すぎもとまさと」)と、親父パワーを売りにした「ルービー・ブラザーズ」を結成。2010年、湯原昌幸&The Swing Westとして「Love comedyららばい」をリリース。2019年、“星になるまでがむしゃらに生きてゆこう”と、大人の覚悟を歌った「星になるまで」を発売。1983年に結婚したタレントの荒木由美子夫人とのおしどり夫婦ぶりは広く知られている。
南部なおと(なんぶ・なおと)写真左
1950年9月7日、福井県生まれ。7歳の時からバイオリンを習う。1965年にベンチャーズが来日し、若者を中心にエレキブームが起こると、ギターに転向。その後、ジャズの魅力にはまり、プロのギタリストを目指して上京。20歳の時にプロバンドに参加し、下積み生活を経て基礎を磨く。1976年、7人編成のムードコーラスグループ「南部真人とラブロマンス」として「あなた横浜私は神戸」でメジャーデビュー。1982年、ジャズコーラスグループ「トワイライトゾーン」を結成。2007年、ソロシンガーとして、団塊の世代の応援歌「盛春歌」をリリース(当時は南部直登)。2017年、紫吹淳とのデュエット曲「この愛よ、いつまでも」を発売。
湯原昌幸 公式HP
湯原昌幸 公式ブログ
南部なおと 公式HP
南部なおと 公式ブログ
湯原昌幸公式YouTubeチャンネル「湯原昌幸spec yokohama studio」では、湯原がソロで「涙のサイドウォーク」を披露する動画も。