新曲「たそがれロマン」発売記念ディナーショー。湯原昌幸と荒木由美子が“新婚”をアピールし、タブレット純が「保存状態がいい」と驚愕
芸能生活60周年の湯原昌幸が東京・渋谷区に代官山 鳳鳴館で、新曲「たそがれロマン」の発売を記念したディナーショーを開催し、妻である女優・歌手の荒木由美子、ゲストのタブレット純と会見に応じた。
湯原昌幸は1964年、音楽バラエティ番組『ホイホイ・ミュージックスクール』への出演をきっかけにGSバンド「スウィング・ウエスト」のボーカルとして参加。1970年には「見知らぬ世界」でソロデビューを果たした。また1983年には13歳年下の荒木由美子と結婚。年の差婚として当時、世間を騒がせた。
湯原の新曲は「たそがれロマン」。“年甲斐もなく ときめいてしまう とびきりの ワインを開けよう”という歌詞で始まる長年連れ添ったパートナーとの“恋” “ときめき”を歌った作品だ。
3月5日に喜寿(77歳)の誕生日を迎えたばかりの湯原は芸能生活60周年、結婚生活40周年という節目の年を迎えている。
「こんなにもラッキーな年はもう二度とないと思います(笑)。最初は女の子にワーキャー言われたくてはじめた程度だったのに、芸能生活を60年もやってこられたのは感謝しかありません。ジェットコースターのような人生ですが、ポップに生きてくることができました。体力気力が続くかぎり歌っていきたい。元気に歌っていられるのは、健康でいられるのは由美子のおかげです」
荒木由美子は1976年に『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』にて審査員特別賞を受賞し、翌年アイドルとしてデビューした。
デビュー前から荒木由美子の人柄に好感をもっていた湯原は、「デビュー前から目をつけていました」と笑わせていたが、「結婚して40年になりますが、明るくてしっかりしていて、元気づけてくれるところに惹かれた」という。
二人は結婚生活40周年となるが、湯原は「20年間は由美子が母親の介護をしてくれましたし、子育てもありましたから。子どもが結婚して独立した今が新婚です」とも。
そんな湯原に荒木も「40年目の新婚気分です」と笑顔をみせる。
「23歳で湯原さんと結婚して、いま64歳。湯原は77歳ですが、お義母さんからお預かりしたときは36歳でしたから、私の方が(湯原の世話をしている時間は)長くなりました。ですから母親のような気持ちもあります。でも、当時は二人で映画に行ったり、食事をしても手もつないでくれませんでした。私のほうから手をつないだぐらいです(笑)。結婚しても“新婚生活”はなかったですが、いろいろな宿題を終えたいまが新婚気分。50歳を過ぎたころからワインを飲むようになったのですが、湯原さんとは毎日、すごくたくさん会話をしています。お酒が大人の時間をつくってくれています」
新曲「たそがれロマン」は湯原・荒木夫妻をモチーフにしたような作品だが、新曲制作にあたって湯原は、何も意見しなかった。
「今までは次はこんな世界の歌を歌いたいなど意見を出させていただきました、今回はディレクターにお任せしました。周年曲になると“マイウェイ”を歌う作品が多いですが、新しい歌謡曲を歌いたいと、ただそれだけを希望しました。さくらちさとさんが作詞してくれ、森正明さんが作曲を担当してくださいました。お二人と組むのは初めてでしたから不安と期待がありました。デモテープが上がってきたのは今年1月頭でした。妻の由美子と一緒に聞きましたが、涙が出てきました。素敵な世界観の作品ができあがりました」
湯原が芸能生活60周年、結婚生活40周年が凝縮された作品だとも湯原は語るシングル「たそがれロマン」には4曲が収録される。カップリング曲は湯原が作詞・作曲した「虹の道」が収められ、ボーナストラックとして大ヒット曲「雨のバラード」を弾き語りで、そして荒木由美子とのデュエット曲「Fu・Ta・Ri」が入る。「Fu・Ta・Ri」は10年ほど前からディナーショーなどで、夫婦で披露してきた人気曲だ。
「『たそがれロマン』は等身大の歌ですが、新しい世界の歌謡曲です。あとは波紋が広がるようにこの作品がヒットにつながるといいなと思っています」
「『たそがれロマン』発売記念ディナーショー』では、「たそがれロマン」をモチーフにした食事が提供され、湯原は新曲をはじめ自身ヒット曲「雨のバラード」「人生半分」やグループサウンズメドレーを含め約20曲を熱唱した。また荒木由美子とはデュエット曲「Fu・Ta・Ri」などを歌った。
そして、ラジオ等で親交がある歌手でお笑い芸人のタブレット純は、湯原がデビュー当時に在籍していたスウィング・ウエストの楽曲「さいはての涙」や自身が在籍していた和田弘とマヒナスターズ「誰よりも君を愛す」などを歌ってディナーショーを盛り上げた。
▲タブレット純は若々しくて、新婚気分満載の湯原昌幸と荒木由美子に対して「保存状態がいい」と驚いていた。昭和歌謡に詳しいタブレットは湯原の懐かしいレコードを持参するほど。「リハーサルで湯原さんが歌っておられるのを聞いて涙が出ました。77歳といえば左卜全さんがお亡くなりになった年です。ところが湯原さんは今もパワフルで、歌声もレコードと変わりません。希望の星です」