“こぶし”を封印して挑む! 新生・福島はじめの勝負曲

強い決意で反対する両親を説き伏せ、歌手になることを目指し修行を積んだ福島はじめ。その夢をかなえ、前だけを向いて走り出してから、来年はいよいよ25周年を迎える。新曲「北国終列車」は、寒い北の地で愚かな自分を一途に待っていてくれる愛する女性を迎えに行く、男の覚悟と愛を歌う。民謡少年だった福島が得意の”こぶし”を封印して、新たな魅力を拓くこの作品で勝負する。

大きな節目を前に、新たな挑戦

2年前にリリースした「女の時雨」、昨年の「夕霧の宿」と女唄が好評を得た福島はじめの新曲「北国終列車」は、意外にも初めて挑んだ男唄だ。

レコーディング前に行われたオケ録りの時に作曲を手がけた徳久広司氏から、「この歌は“こぶし”抜きでいこう」と言われた。思いもしなかった提案に、福島は少し戸惑いを覚えたという。

「レコーディングまでの間に、“こぶし”を抜くのにはどうしたらいいか考えましたし、いろいろな方々に相談しました。その中で、三橋美智也さんのマネージャーさんだった方から、三橋さんは歌によっては“こぶし”を入れずに地声で勝負していたというお話をうかがったんですね。そこで、僕も地声で歌うことを意識して、2週間ほど練習しました」

こうして臨んだレコーディングは順調に進み、意外にも徳久氏からすんなりOKをもらうことができた。

「北国終列車」レコーディング時に、作曲を手がけてくださった徳久広司先生、作詞家の麻 こよみ先生と記念で撮影させていただきました。

小学校2年生から高校を卒業するまで、生まれ育った福島県南相馬市で民謡教室に通い、小学校4年生からは三味線も習い始めた。福島は、ごくごく自然に“こぶし”を身につけていた。

しかし、少年時代の福島は、とくに歌手を目指していたわけではなかった。

「民謡は、あくまでも趣味として楽しんでいた感じでした。教室にはやはり年配の方が多くいらっしゃって、子どもの僕が行くと皆さんが喜んでくださったのがうれしかったんですよね」

高校は地元の進学校に進み、その中でも選抜クラス入りして大学進学を目指していた。

「父がプラスチック成型の工場を経営していたので、大学で経営学を専攻したいと思っていました」

そんな福島が歌手を目指すきっかけとなったのは、高校3年生の秋にたまたまテレビで観た美空ひばりの特集番組だった。

「演技もできてジャズも歌える美空さんを観て『演歌・歌謡曲の世界ってすごいな、僕も本格的に演歌を歌ってみたい』と思ったんです」

当然のごとく両親は反対した。だが、強い思いを持っていた福島は説得を続け、最終的には父親から「大学に行かせるつもりだった4年間だけがんばってみろ」と許しを得ることができ、歌手の道へと進むことになった。

高校を卒業した後、京都に移り住み京都在住の作詞家・清水峰湧氏の内弟子となった。修行に励む日々を送り3年が経った21歳の時、『高田まさひろ』の名前でデビューを果たした。父親との約束は守られた。

その後、出くわした数々の紆余曲折を乗り越えてきた福島。来年5月で、節目となるデビュー25周年を迎える。

「演歌は奥が深いですね。歌えば歌うほど難しい。これでいい! っていうゴールは、まだまだ遠いところにあります」

これまでの長い歌手活動のなかで、福島にとって大きな転機になった出来事がある。

2011年3月11日に東北地方を中心に発生した東日本大震災で、彼自身が被災しているのだ。生まれ育った故郷の街は破壊され、生家も津波で流されてしまった。幸いにして家族に犠牲者は出なかったが、多くの犠牲を支払わされた故郷の人々を目の当たりにした。

居ても立ってもいられなかった。福島は自身も被災者でありながら、地元の復興を願いボランティア活動を始め、福島県内の各地を慰問活動で訪ねて回った。

その中で、福島は歌の力を再認識することとなる。とある漁師町を訪ね、避難所で歌っていたところ「兄弟船」をリクエストされた。

「津波ですべてを失った方々の前で、いくらなんでもと思ったんですけれど、『俺たちは海で生きてきたんだ。船で生きてきたんだ。だから歌ってくれ』って、おっしゃられたんですよ」

涙を流しながら、福島の歌を喜んでくれた人々の顔は、今でも忘れられないという。

そして、こうした体験などを胸に刻む意味も込め、2011年に「福島はじめ」と二度目の改名をして、もう一度決意を新たに歌手として生きていくことを誓った。

「歌手を続けてきてよかったと思うのは、やっぱり歌を聴いてくださる皆さんが喜んでくださるということですね。今はコロナ禍でまだまだ大変な状況ですので、皆さんの前で歌うことはかないませんが、状況が改善して早く皆さんの前でこの新曲『北国終列車』を披露したいです。この歌は、どこか懐かしさもあり、テンポも良く覚えやすいので多くの人に親しんでいただけると思います」

一日も早い故郷の復興を願いながら、これからも心に届く歌を歌い続けていく。


2020年10月7日発売
福島はじめ「北国終列車」

「北国終列車」  
作詞/麻 こよみ 作曲/徳久広司 編曲/石倉重信  
c/w「塔のへつり」  
作詞/麻 こよみ 作曲/徳久広司 編曲/石倉重信  
日本クラウン CRCN-8358 ¥1,227+税

表題曲「北国終列車」は、オーソドックスな列車ものでありながら、昭和感とフレッシュさを併せ持っている小気味よいテンポが印象的な一曲。「これまでの自分にはないタイプの作品ですが、とても親しみやすく覚えやすい曲なので、皆さんもカラオケでぜひ歌っていただければと思います」(福島)。カップリングの「塔のへつり」は、塔の形をした岩が立ち並ぶ断崖絶壁が絶景の南会津にある景勝地を舞台にして、傷心を抱えた女性を描いた、福島はじめ得意の女唄で勝負する。


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Profile
福島はじめ(ふくしま・はじめ)
1974年7月2日、福島県南相馬市生まれ。本名、高田正裕。小学2年生から高校を卒業するまで民謡教室に通う“民謡少年”だった。高校卒業後、京都へ移り作詞家・清水峰湧氏の内弟子となる。1996年、『高田まさひろ』名義で「女のかさね夢/ひとり旅」をリリースし歌手デビュー。2000年、『椿あきら』へ改名し「海は命さ/福島慕情」をリリース。2011年、東日本大震災で被災。翌年、現在の『福島はじめ』に改名。自身の経験を伝え、地元の復興を願い、ボランティア活動やライブ活動を積極的に進めている。

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