水森かおりがファンの前で2年ぶりにメモリアルコンサートを開催。圧巻の全シングル曲メドレー。そしてハプニングも!?
「亡き父もどこかで見ていてくれる」
「とてもドキドキしています。昨日まで『本当に明日はできるのかな』と、不安な気持ちが消えませんでした。でも、こうして2年ぶりに中野サンプラザのステージに立たせていただいて胸がいっぱいですし、コロナ禍の前は当たり前のように(デビュー日は)中野サンプラザで過ごさせていただいていたのですが、それが当たり前じゃないんだなと・・・。今日は、いままでの感謝の気持ちを歌に込めて、去年の分まで精いっぱい歌おうと思っています。去年は私の父が亡くなり、この場所に連れてきてあげることができなかったのですが、きっと今日もどこかで見てくれていると信じて、最後まで一生懸命歌わせていただきます」
水森かおりがデビュー記念日である9月25日、東京・中野区の中野サンプラザホールで「水森かおりメモリアルコンサート~歌謡紀行~」を開催した。毎年の恒例行事だったが、昨年はコロナ禍により有観客でのコンサートが中止となった。そのため2年ぶりの中野サンプラザの舞台だった。冒頭の言葉は、開演直前の水森の気持ちだ。
「どんな時も真剣な気持ちで歌いなさい」。そう言って娘を支えてくれた父の教えを胸に、水森は開演を迎えた。
前人未踏の挑戦。全シングル曲をメドレー
開演のずい分前から、ホール入口には水森カラーであるオレンジの法被を着たファンをはじめ大勢の観客が集まっていた。コロナ禍による開催のため感染症対策による規制を受けながらも、水森に会えるうれしさが抑えられないようだった。
それは水森も同じだった。オープニングで今年の勝負曲「鳴子峡」を歌うと、「感謝の気持ちを込めて一曲一曲歌わせていただきます。皆さんの思いも伝わってきます」と興奮気味に語りはじめ、自己紹介を失念。観客に笑われながら、「あ、私、名前を言うのを忘れていました。水森かおりです!」と、挨拶し直す場面も。
コロナ禍以前は、日本全国をツアーで回り、中野サンプラザでのメモリアルコンサートはゴールであり、新たな一年に向けたスタートの日でもあり、場所だった。水森は2年分の思いをこのコンサートにかけていた。だからこの日、水森は大きな挑戦を行った。
なんと1995年のデビュー曲「おしろい花」から昨年の「瀬戸内 小豆島」までシングル曲・全28曲をノンストップで歌ったのだ。水森の決意だった。
「ワンコーラスではあるんですけど、皆さんに聴いていただこうと自分で考えまして。28曲をやろうと決めました。去年は配信コンサートとなり、中野サンプラザではできなかったので、25周年の感謝の気持ちを直接伝えられなかったという悔しさが残っていました。2年ぶりの中野サンプラザのステージでしっかりと歌に込めて伝えたいと思っています。ファンの皆さんの愛に時間は関係ありません。あの曲で“水森かおり”を知ったなあとか思い出してほしいですね」
「こんなに歌うことが楽しいなんて」
「おしろい花」「よりそい花」「北夜行」とデビュー曲から歌い紡いでいく水森。初めてのご当地ソングとなった「竜飛岬」、歌手人生の転機となった「東尋坊」、NHK紅白歌合戦への初出場を叶えた「鳥取砂丘」、その紅白で10年連続出場を達成し、巨大衣裳に初挑戦した「ひとり長良川」など、1時間近く歌い続けた水森に、一際大きな拍手が送られた。
「最高! こんなに歌うことが楽しくて、うれしいなんて。いい27年目を迎えられました!」
今では大きな会場でコンサートを行っている水森だが、キャンペーンで行った北海道では観客が3名しかいなかったこともある。1日に7軒もカラオケ店を回ったこともある。たくさんのヒット曲に恵まれたが、うれしいことばかりではなく、苦労もあった。水森もまた歌いながらその当時を思い出していた。
声援はなくとも、ファンとひとつに
衣裳でも水森は魅せていた。「カナブンのような」と本人がいう肩を大きく出した緑のドレスは、光沢のある生地でできており、照明によって衣裳の色が変化した。そしてコンサート後半は白いウエディングドレス風の衣裳を披露した。どちらも新作で、桂由美が制作したものだった。会場には桂由美も姿を見せており、「先生にはいつか本物のウエディングドレスを作るからねって言われているんですが、先生、ごめんなさい、まだ予定がないんです」と笑わせた。
9月に発売した自身初のポップスシングル「笑顔でいようね」や同カップリング曲「ひとりじゃないわ」を披露すると、水森は”ウエディングドレス”の衣裳に着替え、自身のヒット曲の中から、歌手・水森かおりにとって転機となった弦哲也氏の作品などを歌って行く。
「昨年末のNHK紅白歌合戦もそうでしたが、最近は歌番組でも無観客です。お客様が目の前にいないことがこんなにも不思議なのかと思います。空気感や、お客様が発するエネルギー、パワーをたくさんいただきながら生かされてきたんだなと思います。“かおり~ッ”とか“かおりちゃ~ん”といった掛け声は掛けていただくことができませんが、声が出せない分、体を前後左右に動かしたり、拍手の大きさだったり。体と音で表現してくださるファンの皆さんの思いを感じます。すごく一体感を感じます」
ハプニングは突然に。「ごめんなさいよ~♪」
開幕直前、ファンの前で歌えることを喜んでいた水森だったが、全28曲シングルメドレーのチャレンジの成功でホッとしたのか、後半では2度歌詞を間違えるハプニングも。2度目は弦哲也作品を歌っている時だった。
「島根恋歌」から始まり「釧路湿原」、「五能線」、「鳥取砂丘」と熱唱し、「東尋坊」を歌っている時だった。同曲は通算10枚のシングルとなった曲。弦哲也氏から、「この曲が歌えなければ歌手として後がないよ」と言われ、がむしゃらに歌った。そしてこの曲が転機となり、「鳥取砂丘」の大ヒットへとつながった。メモリアルコンサートでは大切な場面で歌ってきた曲だった。
1番のサビの歌詞は「行きは貴方が 道連れだけど」だったが、水森は3番の歌詞を歌い出してしまったのだ。
「襟を・・・間違えた~♪、貴方が~ごめんなさいよ~♪」
歌いながら詫びる水森。2度目の間違いということ。会場には弦哲也氏も見に来てくれていたこと。しかも9月25日は弦氏の誕生日でもあったこともあり、水森は「ダメだ~」とステージに倒れ込む。
慌ててステージに飛び出してきた司会の西寄ひがしから「そんなこともありますよ」と慰められても、「これダメ~」と落ち込む水森。だが、観客は大喜びだ。
「弦哲也先生もお越しいただいていて、ああ、この曲から始まったなって思ったら・・・」
歌詞を間違ってしまった理由を話す水森に、「いいんですよ、間違っても。弦哲也先生も見ていらっしゃる。(亡くなった作詞家の)木下龍太郎先生も、お父様も見ていてくださる。しかも、弦哲也先生のお誕生日! 水森かおりに大人の悲恋の歌を歌わせたいと作ってくださった」と、西寄が畳みかけるように語りかけると、観客は大きな拍手で水森を応援する。
メモリアルコンサートの模様は後日、映像作品として発売されることから、このあとしっかりと歌い直した水森は、「泣きそう! うれしい!!」と笑顔を見せていた。
フィナーレは巨大衣裳で。年末に向け精進
28曲もノンストップでシングルメドレーを行った緊張の前半、水森の素顔が垣間見られた温かいステージの後半を経て、コンサートはいよいよフィナーレへと向かう。
39曲目となる最後の曲は「瀬戸内 小豆島」。昨年の紅白でも話題になった篠原ともえデザインの巨大ドレスのメモリアルコンサートバージョン版を披露しての歌唱だ。歌の舞台である瀬戸内海をイメージした青の巨大ドレスは、紅白史上最大と言われた大きさだった。
「今日は皆さん、大変な状況の中、全国各地からお運びいただきまして本当にありがとうございます。あらためて歌うことの素晴らしさを心から実感しました。毎年、デビューの日に大きな舞台に立たせていただいき、歌わせていただいています。ここからまた一年が始まるという日ですが、去年の分も、本当に150パーセントの、それ以上の力で皆様にお届けしたつもりです。皆さんに、長く長くずっと応援していただけるように頑張っていきます。水森かおりの歌が皆さんの生活の一部になって、前を向いて歩いていけるような、そんな歌手を目指していきます。今日はありがとうございました」
2003年の出場から18年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場している水森は、「瀬戸内 小豆島」を歌い上げ、「今年も年末に向かって日々精進していきたい」と意欲を見せていた。おわり~ッ。
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2021年9月8日発売
ポップス歌謡で新たな魅力を
水森かおり「笑顔でいようね」
タイプA
タイプB
コロナ禍でのYouTubeチャンネルの開設など新たな活動が新しい縁を生んだ。若手作家陣による楽曲が完成した。「幅広い世代の方に聴いていただける作品です。最初に『笑顔でいようね』の詩を見て、メロディーを聴いた時、コロナ禍で自分自身がこれからどうなっていくのかという不安や、自分がどういう立ち位置で頑張っていけばいいのかという迷いとかが、この詩を読んですっとなくなりました。この歌をたくさんの皆さんの心に届けながらホッとしていただけるような楽曲になればいいなと思って歌っています」(水森)。新曲「笑顔でいようね」はボーナストラック違いで2タイプあり、タイプAでは松田聖子の「瑠璃色の地球」を、タイプBでは森昌子の「おかあさん」をカバーしている。