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鳥羽一郎

「師匠も喜んでくれている」。鳥羽一郎が40周年コンサート。川野夏美らクラウンの歌仲間5人も参加し、“鳥羽祭”の大歌合戦!

鳥羽一郎が10月1日、東京・台東区の浅草公会堂で、「鳥羽一郎 デビュー40周年記念コンサート~クラウンミュージックフェスティバル~」を開催、クラウンミュージック所属の歌仲間と楽しい時間を過ごした。

「あっという間の40年という気がしますが、考えると長いよね。長くて短くて、そして複雑な40周年だったと思います」

鳥羽一郎

鳥羽は1982年8月25日に、師匠・船村徹氏による作曲作品「兄弟船」でデビュー。同曲は大ヒットし、1985年のNHK紅白歌合戦に同曲で初出場を果たした。以来、多くのヒット曲をリリースし、現在ではクラウンミュージックを牽引するベテランとして活躍している。

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40年間、第一線で歌い続けてきた鳥羽に、「もし、船村徹氏がこの場にいらっしゃったら?」と問いかけると、「『よう頑張ったなあ』とか褒めることをしなかった先生だった。でも、喜んでくれていると思います」と、頬を緩ませていた。

浅草公会堂には1000人の観客が詰めかけた。鳥羽は自身の真骨頂である「兄弟船」や「男の港」「南十字星」などの“海艶歌”や、“鳥羽=海”のイメージを払拭した「カサブランカ・グッパイ」「晩秋歌」なども披露した。

鳥羽一郎

左から一条貫太、川野夏美、鳥羽一郎、瀬口侑希、津吹みゆ、木村徹二。

川野夏美「素晴らしいステージに立たせていただいてうれしく思います」
瀬口侑希「デビュー時からかわいがっていただきました。40周年記念コンサートに出させていただいて夢のようです。感無量です」
津吹みゆ「40周年という節目の年に素晴らしいステージに立てて幸せです。昨夜は眠れませんでした」
一条貫太「鳥羽さんにはデビュー前からお世話になって、ご指導いただいてきました。40周年おめでとうございます」
木村徹二「あえて、“オヤジ”と呼ばせていただきますが、オヤジ、40周年おめでとう。デビュー前に一緒のステージに立てるだけで光栄です」

またコンサートには川野夏美、瀬口侑希、津吹みゆ、一条貫太、木村徹二の歌仲間が参加し、“クラウンパレード!”と題して、所属レーベルのヒット曲を届けるなど、鳥羽の40周年を盛り上げた。鳥羽はこのコンサートの見所のひとつだったと言う。

「昔はクラウンレコードと言いましたが、日本クラウンは今年59年です。その間、いろんな先輩方が会社から飛び立つこともありましたが、今も現役で頑張っておられます方は多い。私がデビューする前に聴いていた曲も、この曲もクラウンか、あの曲もクラウンだったのかと気づくことが多い。ですから、今日はクラウンレコードの歴史を振り返るコーナーなども見所のひとつとして考えました。川野にはこんな歌を、瀬口にはあんな歌を歌ってほしいと選ばせていただきました」

鳥羽一郎

川野夏美と瀬口侑希に囲まれ、40周年のポーズをとる鳥羽一郎。手でつくった”40”が客席からみると”04”になってしまったが・・・・。鳥羽は「できるだけ長く歌っていきたい」と抱負を述べていた。

鳥羽一郎

「ポーズは苦手なんだよ」と照れつつ、いろんなポーズをとってくれた鳥羽一郎。サービス精神旺盛で、素敵な笑顔を見せてくれた。

“クラウンパレード!”では、「すごく大好きなグループだったんだよ。大ヒット曲なのでしっかり歌って頂戴よ」と鳥羽にプレッシャーをかけられた川野はロス・プリモスの「ラブユー東京」を、瀬口は鳥羽が「想い出の多い曲です」と選曲した美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」を、「クラウンのヒット曲には名曲がたくさんあるが、津吹にはこの曲が合っている」と託された津吹はイルカの「なごり雪」を、「大変な曲を選んだな。俺が歌いたいぐらいだよ」と言われた一条は北島三郎の「風雪流れ旅」を、そして10月16日に「二代目」という作品で演歌歌手としてデビューする鳥羽の次男・木村は西郷輝彦の「星のフラメンコ」を披露した。

次男には、「まだデビューもしていない一番の新人です」と突き放しつつ、大先輩・西郷輝彦の歌を歌う息子に、「徹っちゃん、大丈夫か?」と声をかける場面も。木村は「徹っちゃんなんで呼んだことないでしょ」と笑いながら返していたが、鳥羽らしい息子へのエールだった。

「次男は子どもの頃からカラオケで歌っても、不思議とコブシが回っていた。コブシは教えても身につかないものだから。持って生まれたものだろうね。しかもそのコブシが心地よかったんだよ」

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コンサートの終盤にはサプライズの演出も。「祝! 後輩からの歌のプレゼント!」と題して、川野らが鳥羽のオリジナル曲からそれぞれ一曲を選んで届けたのだ。曲目をまったく知らされていなかった鳥羽は終始ご機嫌だった。

ラストは40周年の歩みから次なる世界へと、40周年記念ソング「北海の海」や、武田鉄矢が詩を提供した“鳥羽一郎版マイウェイ”とも言える「一本道の唄」などを聴かせた鳥羽は、これからも長く歌っていきたいと語った。

「40周年はひとつの通過点です。これから45周年、50周年・・・と。まあ、どこまでいけるかわかりませんが、できるだけ長く歌って行きたいと思っています。そのためにも体作りをして頑張ります」

なお、デビュー40周年にちなみ、全40曲が届けられた鳥羽一郎デビュー40周年記念コンサートは、後日、DVDとして発売される予定だ。

 

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