新曲「望郷ながれ歌/明日咲く」をリリース。松村和子、40年目の原点回帰
40th Anniversary
Kazuko Matsumura
松村和子、40年目の原点回帰
一つひとつの奇跡がつながって、今がある
――ロングヘア―に和洋折衷の衣装。津軽三味線を弾きながら歌う姿が話題となったデビュー曲「帰ってこいよ」(1980年)から40年が経ちました。記念曲として両A面シングル「望郷ながれ歌/明日(あした)咲く」をリリースされましたが、あっという間の40年でしたか?
松村 あっという間だって思っていたんですが、コロナ禍においてお客様の前で歌えない期間が4カ月もありました。この40年の中で、ほとんど休んだことがなかったので、いろんなことを考えざるを得ない状況になりましたね。先のことを考えても何も見えないから、じゃあ今まではどうだったんだろうって振り返りましたね。
――コロナ禍がいつ収束するのか、とくに見えない時期ですね。
松村 ひとりじゃ何もできなかったということを、あらためて思いました。私は神輿に乗って担がれてきただけだなと思う部分が多くて、巡り会う曲もそうですが、条件がすべてそろっていないと、何も動かないことに気づかされました。
――コンサートやイベントが中止や延期になり、歌手としてステージに立てなくなりました。
松村 歌手として、何ひとつできない状態ですよね。この40年の間に、たとえば事務所を変わったり、当時の社長が逃げてしまったり、いろんなことがありましたが、必ず誰かが手を差し伸べてくださって助けてくれました。一つひとつの奇跡がつながって、今があるんだと。そう実感しましたね。
――1980年に「帰ってこいよ」でデビューされ、一躍、人気歌手になられました。奇跡がつながるためには、松村さんご自身の努力もあったのではないかと思いますが。
松村 20年でもなく、30年でもなく、40年という日々の長さを振り返った時には、よく頑張ったなっていう気持ちもあります。生身の人間なので、年齢とともに声が出なくなるかもしれないし、先のことはわからないですが、今でも「帰ってこいよ」を当時と同じキーで歌えます。特別なことは何もしていないけど、すべての行いをいつも歌に向けています。ですから、40年やってきた自分も褒めてあげないといけないっていうのはありますね。
――4カ月間、人前で歌う機会がなかった、ということですが。
松村 私は普段からあまり外へ出歩かないタイプなので、自粛期間は全然、苦じゃなかったんですよ。いつもと同じ生活(笑)。でも、これほど歌えないことはなかったので、やっぱり声がいちばん心配でした。
――お客様の前で歌えないということは、お客様の反応も感じることができないわけですよね。
松村 もちろん、そうですね。三重県の長島温泉 湯あみの島という温泉宿泊施設の歌謡ショーで、4カ月ぶりに歌った時には、初日の幕が上がる瞬間まで、“声、どうしよう”って心配でした。最初、中止になると聞かされていたんですが、直前になって、急きょ、やることになって。えー!? って。声が出づらいし。でも、(感染防止対策をとりながらも)お客さんがいっぱい来てくださり、「和ちゃん、おかえり!」っていう声をいただいた時には、声のことは忘れてしまって普通に歌ってました。お客様の力って、ほんとにすごいんだなって思いました。お客様の拍手、声援、そして目が、私たちのエネルギーになっていることを実感しました。今、歌えているのは奇跡なんだと思い、歌える幸せを感じました。