美川憲一ワールド全開! B’zの松本孝弘、GLAYのTAKUROによるデビュー60周年記念シングルのリリースを発表。そして、ご意見番も健在!
美川憲一が東京・渋谷区のLINE CUBE SHIBUYAで歌手生活60周年を記念するコンサートを開催し、ステージ上でデビュー60周年記念シングル「これで良しとする」を9月25日にリリースすると発表した。B’zの松本孝弘が作曲し、GLAYのTAKUROが作詞を手がけるというビックプロジェクトとなる。
デビュー60周年。これからもしぶとく
昭和39年(1964年)に大映ニューウェイスに合格し、翌年6月1日に「だけど だけど だけど」で歌手デビューした美川憲一。6月6日の埼玉を皮切りに、神奈川、関西公演(京都・大阪・兵庫)を経て、この日の東京公演を迎えた。
「ライバルを意識しないで、自分は自分のスタンスで粘り強くやってきました。過去は振り返らずに前を向いてやってきたら60年が経ってしまいました。早かったわ、60年が。だって、祖母も祖父も51歳で亡くなったんだから。義父も57歳で亡くなっているのに・・・。歌手として60年も歌っていられる自分の健康に感謝しています。おかげさまでヒット曲にも恵まれ、今もカラオケで歌っていただけることに重みを感じています」
本番前に会見に応じた美川は60周年を噛みしめながらも、78歳となった今もステージに立てることに感謝していた。
美川と言えば、歌手だけではなく、俳優、タレント、ご意見番、YouTuberなど様々な顔を持つが、芸能界に入るきっかけは大映ニューウェイス(新人俳優発掘オーディション)だった。
「役者になりたいと思い芸能学校に入りました。卒業後に大映ニューウェイスに合格しましたが、『歌手にならないか』とスカウトされて一攫千金を狙ったの。イチカバチカよ(笑)。二人の母(生みの母と育ての母)の面倒をみなければならなかったから。最初の1年は売れなかったけど、『柳ヶ瀬ブルース』(1966年)がヒットして、『これで安泰よね。良かったわ』って(笑)」
「柳ヶ瀬ブルース」「新潟ブルース」「釧路の夜」などのご当地ソングのヒットは美川をメジャーに押し上げ、1972年の「さそり座の女」は不動の代表曲となった。
一方、マルチタレントとしてもブームを牽引してきた。なかでも1990年に放送された防虫剤のCMでは、商店街を歩く ちあきなおみに自転車に乗った美川が「もっとはじっこ歩きなさいよ!」と注意する一言が流行語となった。
「最近では、ザ・パーク(駐車場の開発・運営)のCMに出させていただき、栃尾勝代(とちおかつよ=土地活用)を名乗らせていただいていますし、(手延べそうめんが有名な)⻑崎県南島原市ではPR⼤使をさせていただいていますが、地元のCMではそうめんを身にまとっているわ。なんでもやらないと生きていけないのよ」
美川憲一×B’z 松本孝弘×GLAY TAKURO
東京公演で明かされたのが、デビュー60周年記念シングル「これで良しとする」のリリースだった。B’zの松本孝弘(作曲)とGLAYのTAKURO(作詞)が手がける超話題作となる。
「60周年の記念すべきシングルは、特別なものにしたい」との思いがあった美川が、プライベートで親交のある松本孝弘に会食の席上、ダメ元で依頼したところ即答で快諾を得てスタートしたプロジェクトだ。
「松本さんとTAKUROさんにご縁をいただきました。5~6年ほど前に共通の友だちを通じて松本さんをご紹介いただいたんですが、松本さんと海外でお食事をしたときに『今度、60周年を迎えるんだけど曲をつくってほしい』とお話しさせていただいたら、『本当にいいの?』って喜んでくださって。作詞は松本さんからTAKUROさんにつないでくださり、『これで良しとする』ができました」
生きてるだけでいいじゃない
何も持っては行けないし
凛々 命果てるまで 輝かせ歌うだけ
それで良しとする
これで良しとする
(「これで良しとする」より)
美川の生き方とキャラクターそのものにリンクするミディアムテンポの作品。美川は「自分自身に置き換えられる歌詞が身にしみますね」と語っていた。
またカップリング曲「「華散れど月は輝く」も松本とTAKUROが担当。美川は「こちらも私らしい歌詞をつくってくださいました」と話すが、美川の人生を旅するようなイメージのジャジーなナンバーに仕上がっている。発売は9月25日だ。
美川憲一コメント
歌手として歌いつづけたら、あっという間に60年が経ちました。55周年を過ぎたあたりから、「60周年に発売する曲は、特別な曲にしたい」と事務所スタッフと話し合っていました。何度も打ち合わせを行いましたが、これだという決定的な案はでませんでした。そんな折、ロサンゼルスにて松本さんとお食事をした際に、「デビュー60周年記念シングルの曲を書いて頂けないかしら?」とダメ元で聞いてみたんです。そうしたら即答で快諾を頂き、表情には出さなかったけど、非常に驚き喜んだことを今でも覚えています。
その後、松本さんと何度もお電話で話し合いを重ね、とっても気に入った楽曲を2曲も提供して頂いたまでは良かったけど、作詞の事をすっかり忘れていました。
そこで思い切って、松本さんへ「この楽曲に合う作詞をして下さる方はいませんか?」とお尋ねしたところ、数日後にTAKUROくんが作詞をして下さるとお返事を頂き、これで私が思い描いていた、特別な楽曲が完成すると確信致しました。松本さんの曲にTAKUROさんの歌詞が合わさった時、心が震えました。とても素晴らしい曲に仕上がりましたので、老若男女問わず聴いて頂きたいです。
皆様のお陰で、歌手生活60周年を迎えることが出来ました。これからも、しぶとく歌いつづけます。
松本孝弘コメント
今回のお話しを頂いたのは昨年5月、LAのとある中華料理店でした。美川さんのデビュー60周年記念シングルを書かせて頂けるなんて光栄の極みと思い、即答しました。美川さんと僕でどんな音楽が出来るのか、イメージをまとめるのに数ヶ月、10月から実際に楽曲制作をはじめ、それから改良を重ねて完成に至りました。
今までの美川さんとはまた違うサウンドになったと自負しています。TAKURO君の歌詞も素敵です。幅広い層の方に聴いて頂けたらうれしく思います。
TAKUROコメント
このたび美川憲一さんの歌手活動60周年と言う記念すべき年の作品に、作詞家として2曲提供させていただきましたGLAYのギターのTAKUROと申します。以前より美川さんとは親交がありましたが、今回はB’zの松本さんからお誘いがあり楽曲制作チームに参加させていただきました。
「これで良しとする」は美川さんの持っているユーモアや人の世に対する鋭い視線をイメージしながら作詞いたしました。
普段から優しい言葉ながら世の中に対する的確な批評を聞いていたので、スムーズに言葉が浮かんできました。
反対に「華散れど月は輝く」はなかなか難産でした。歌手活動60周年と言う、その偉大な歴史にプレッシャーを感じてなかなか納得していただけるものを作れず、悩んだ末に美川さんからの「TAKUROの思いのままに書けば良いのよ」と言うアドバイスがきっかけで新しい扉が開き、そこからはまるで美川さんのこれまでの人生を旅するような気持ちのまま詞を完成することができました。
大変貴重な機会をいただき感謝しております。勉強になりました。
改めまして60周年おめでとうございます。これからも末永くあの素晴らしい歌声を聞かせてください。
2024年9月25日発売
60周年記念シングル
美川憲一「これで良しとする」
「これで良しとする」
作詩/TAKURO 作曲:松本孝弘 編曲/松本孝弘・徳永暁人
c/w「華散れど月は輝く」
作詩:TAKURO 作曲/松本孝弘 編曲/松本孝弘・徳永暁
日本クラウン CRCN-8694 ¥1,500(税込)
芸能界のご意見番として
美川憲一と言えば、芸能界のご意見番だ。舌鋒鋭く、ときに辛口に批評するため、芸能界や社会で事件が起こると、芸能記者がこぞって美川の元を訪ねてきた。
「当時は新鮮でしたから、言いたいことを言わせていただきましたが、“歩くワイドショー”とか言われましたね」
会見では都知事選挙、トランプ氏銃撃事件、20年ぶりとなる新紙幣発行、大谷翔平選手が活躍するMLBオールスター戦、姉妹漫才トリオ「かしまし娘」の次女、正司照枝さんの逝去について質問が飛んだ。
トランプ氏への銃撃事件では「トランプさんはしぶといわね。転んでもただでは起きない」と、自身の人生と重ねて感想を述べつつ、銃社会への警鐘を鳴らしていた。
また新紙幣については「もう手に入れたわ。でも、ちょっと重みがないわね。印刷技術などは上がっているんでしょうけど、以前のお札のほうが安心感があるわ。新しい1万円札? 20枚ぐらい持っているわ」とコメント。記者からの「いずれ美川さんがお札になることもあるのでは?」との質問には「おだまり!!」と名ゼリフで一蹴していた。
MLBオールスター戦では、試合前に行われた「レッドカーペットショー」での大谷選手と真美子夫人が話題に。「お似合いのご夫婦ですね。奥様のドレスも、大谷さんのスーツもお金かけているわね。でも、よく似合っていましたね」と、ファッションリーダーでもある美川は服装に注目していた。
さらに91歳で亡くなった正司照枝さんについては、「明るくてお話ししやすい方でした。残念でしたが、向こうで(先に亡くなった姉・歌江さんと)漫才でもやっているんじゃないかしら」と哀悼の意を示していた。
ご意見番としてもっとも饒舌だったのは、先に行われた東京都知事選挙についてだった。前安芸高田市長の石丸伸二さんが2位と躍進したことが話題となっているが、美川流のアドバイスと駄目出しも。
「私はやっぱり小池さんだったかな。蓮舫さんも頑張っておられましたが、3位でしたね。石丸さんもいいなとは思っていたけれど、都知事選のあとワイドショーやバラエティーに出ていたでしょ? あれ、出ない方がいいわね。重みがなくなるから。自分を売っていこうという気持ちはわかるんだけど、どんどんどんどんバラエティーの方へいっちゃうと軽くなるから。これからも政治家としてやっていくためには、どうしたらいいかというと、ここが踏ん張りどころ。踏ん張って下地をちゃんとつくって次のステップに行ってほしいわ。石丸さんて見た目に線が細いじゃない。だからバラエティーに行ってしまうと軽さが目立って、迫力がなくなるのよ。だから、がっかりしたわ。私とのトークショー? 歌手というのは政治色をつけないほうがいいから、お話をいただいてもお断りするかもしれませんが、見たいんなら考えておくわ」
歌手生活60周年記念コンサート
6月から始まった美川憲一の歌手生活60周年記念コンサートツアー。埼玉、神奈川、京都、大阪、兵庫と回ってきたが、東京公演のオープニングでは黒柳徹子がビデオメッセージを届けて始まった。
「火の鳥」から歌い始めた美川は「さそり座の女」、「柳ヶ瀬ブルース」「お金をちょうだい」など往年のヒット曲をはじめ、「生きる」「愛の讃歌」、「歌いつづけて」など演歌、ブルース、シャンソンまでを熱唱。60周年メドレー7曲を含めて全25曲を披露した。
また、この日のために新調したという豪華ドレスと、花びらを象った部分にダイヤモンドが散りばめられた指輪も披露し、衰えを知らない歌声を響かせてた美川は1900人満員御礼の観客を楽しませた。
「コンサートツアーはこのあと北海道へ参りますし、来年も続きます。その間にはドラマチックシャンソン、クリスマスディナーショーがあり、休んでいられないの。でも、忙しさが元気につながるのよね。オープニングのビデオでは黒柳徹子さんがメッセージを下さいましたが、我々世代はしぶといわ」
「歌手生活60周年記念 美川憲一コンサート2024」
セットリストプレイリスト公開中
各音楽配信先一覧
https://lnk.to/pl_60anniversary2024