細川たかしと吉幾三が激怒!? 山本譲二、新沼謙治、中村美律子、香西かおりが四人衆を結成。初コンサートでは3000人が駆けつける注目度。目指すは国立競技場だ!
山本譲二、新沼謙治、中村美律子、香西かおりの4人が“衆活”を宣言し、コンサートを開催した。
7月2日、神奈川・相模原市の相模女子大学グリーンホールにて「四人衆コンサート~お客様の笑顔と拍手に支えられて~」が開催され、昼夜二公演で3000人が駆けつけると、平均年齢69歳のベテラン演歌歌手4人がギラギラと熱く燃え盛り、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。だが、四人衆コンサートの発案者である山本は、「細川たかしと吉幾三が怒るんじゃないか」と危惧していた。
「宣誓 我々四人の演歌歌手は、今ここに“衆活”を始めることを宣言します」
”衆活”とは近年の若手歌手の輝きに後押しされた山本譲二、新沼謙治、中村美律子、香西かおりの四人衆が「若手に負けていられない」と奮起。これまで支えてくれたファンへの恩返しの意味も込めてステージを作り上げる。
山本譲二は今回の四人衆結成について、「気心の知れた4人ですが、だからといって油断するんじゃなくてね」と、しっかりと歌を届けていきたいと話す。
山本の飲み仲間、ポン友といえるのが、細川たかしと吉幾三だ。吉は山本が7月24日に発売するデビュー50周年記念曲「妻よ・・・ありがとう」を提供している。
「この4人で四人衆って言っちゃうと、細川たかしも吉幾三も怒りそうな気がする(苦笑)。『4人でやるのか!』って」(山本)
だが、新沼は「この4人でコンサートを回るうちに、我々の絆もより深まっていくんじゃないかと思う。そういうところがもっともっと皆さんに伝わるように一生懸命歌っていきたい」と強調した。
香西も「こうして4人が集まる場所が持てることによって、『頑張らなきゃ』という気持ちになります」と気を引き締めていた。
四人衆による初のコンサートは、落語家の三遊亭遊子を司会に進行され、オープニングは4人で北島三郎の「まつり」を歌って登場した。ステージではなく客席からの登場に観客は驚き、歓声が上がっていた。
ステージに4人が集合すると、香西は「この会館のステージに立つのは久しぶりです。一生懸命歌わせていただきます」とあいさつ。大阪在住の中村は「昨日からこちらに来させていただきましたが、夕方に隣の公園を散歩したら人が全然いないくて。大丈夫だろうかと思っていましたが、こんなにもたくさんの方に来ていただきました。ありがとうございます」と感動していた。
新沼はここ数日、広島や岩手での仕事に忙殺されていたが、「今日のことばかり考えていました」と観客を喜ばせると、山本は「暑中お見舞い申し上げます」と規則正しい挨拶で、逆に笑いを誘っていた。
「たくさんのお客様がいらしているのを見て、『どこから来たんだろうか』と かおりちゃんに聞いたら『それは家からでしょ』と言われてしまいました」
1974年デビューの山本譲二、1976年デビューの新沼謙治、1986年デビューの中村美津子、1988年デビューの香西かおり。長年、同じ歌の道を歩み、気心が知れた4人の掛け合いも楽しかったコンサート。司会の三遊亭から「ちゃちゃを入れないでください」とたしなめられるほど、新沼は饒舌にしゃべり会話を盛り上げていた。山本が歌う際には、「ジョージ! ジョージ!」と声援を送り、あまりのしつこさに今度は中村が制するほどだったが、そのやり取りが笑い誘っていた。
メインとなる歌は、ヒットパレードとしてそれぞれのヒット曲を惜しげもなく披露。山本は「みちのくひとり旅」などを、新沼は「嫁に来ないか」などを、中村は「河内おとこ節」などを、そして香西は「無言坂」などを聴かせた。
また、それぞれが歌手になるきっかけとなる作品や大切な歌を歌唱。歌唱順に中村が都はるみの「大阪しぐれ」、山本が北島三郎の「北の漁場」、香西がちあきなおみの「冬隣」を届け、新沼は千昌夫の「夕焼け雲」を聴かせた。
新沼は「同じ岩手出身の千さんは、僕が小さい時は地元のスーパースターでした。そんな千さんがいたから俺が歌手になったわけじゃなく、いなかっても歌手になっていましたが」と、コーナーの趣旨を台無しにする発言で観客を笑わせていたが、歌い終わりで、千の真似をして「サンキュー・ベロマッチ」と叫ぶと、「やりすぎました。コンサートのあとはファンの方から手紙をもらいます。あれはよかった。あれはやりすぎだったと。今回も言われるかも。でも、反省はしません。後悔はします」とマイペースぶりをみせた。
デュエットコーナーでは山本と中村、新沼と香西がペアを組み、歌唱曲をじゃんけんで取り合う展開に。チームを代表して山本と新沼が対決し、チョキを出した山本が勝つと、「居酒屋」を選択。負けた新沼は「よかったあ。『別れても好きな人』を歌いたかったんだ」とへこたれない強さをみせていた。
新曲からは香西が「そぞろ雨」、中村が「人それぞれに」を披露。山本は発売前の「妻よ・・・ありがとう」といち早く届けた。
「7月に50周年を迎えるから、お前につくってほしい。俺もお前も女房がいてくれたから今がある」
山本が吉に相談し、できあがった妻への感謝を歌う作品だった。山本は7歳になる孫の話なども披露しながら歌い上げていた。
新沼はやはりこの歌を届けたいと、「ふるさとは今も変わらず」を歌った。2011年は新沼にとって悲しい年となった。故郷・岩手が東日本大震災で被災し、愛する妻を病気で失っていた。2つの大きな悲しみに打ちのめされたが、同曲は震災からの復興を願って新沼自身が作詩作曲し、2012年に発表した曲だった。
エンディングは全員で「上を向いて歩こう」。観客も一緒に歌って盛り上がった。
コンサート後、4人は和気あいあいと取材に応じた。アイドルグループが仲たがいによって離脱や解散をすることもあるが、新沼が「私も元アイドルです」と”アイドル”に反応すると、山本も「昔は大変でした。謙ちゃんと新幹線で一緒になったときは(人が集まって)1000人ぐらいいからワーキャー言われました。あの頃はどこへ行ってしまったんでしょう?」と懐かしがっていた。
そんな2人に香西も負けじと、「私もデビューした頃は”おじさんたちのアイドル”でした」とアピール。中村も「それは私も同じ!」とライバル心を燃やしていた。
大盛況だったコンサートには、山本が「いちばんうれしかったのは、これだけたくさんの方が見てくださったこと」と感想を述べ、中村も「すごかった。緞帳が開いた時の感動はなんとも形用しがたかった」とうれしそうだった。
香西は「この4人で一緒に上がっていきたい」と、このコンサートが話題になるよう願い、新沼は「皆さんに来ていただいて元気を与えられるように頑張りたい。皆さんが明るい顔になって音楽を楽しんでいただきたいと思います」と締めた。
ただ、満杯の観客に「あまりにもうれしくて、思ったことの半分もしゃべれなかった」と告白すると、他の3人から呆れられていた。「新沼さんて、そんなにおしゃべりな方だとは知りませんでした(笑)」(中村)。
「四人衆コンサート」はこの日をスタートに、今後は全国各地で開催していく意向だ。夢は大きく、目指すは国立競技場でのコンサート開催だ。
新沼が「我々はいつでも準備OKなので、どんどん呼んでください」と言えば、山本は「連絡お待ちしています」と呼びかけていた。中村も「死ぬまで歌っていきたい。頑張らせてください!」と応じると、香西は頼もしい(張り切りすぎる?)先輩に控えめな笑顔をみせていた!
宣誓 我々四人の演歌歌手は、今ここに“衆活”を始めることを宣言します。
平均年齢69歳、全員デビュー35周年超え! 師匠に怒られた夜、結果が出ず歯を食いしばった日々、コロナによる未曾有の危機、大切な人との別れ・・・困難への直面は幾度となくございました。
その分得たものは多く、様々な方々との出会い、作品が完成された時の喜び、お客様の笑顔・・・数え出したらきりがないですが、ここまで沢山の経験が今の私たちを作り上げてくれました。
今 若手演歌歌手が頑張っています。分かります。かっこいいです。綺麗で可愛いです。しかし、見てください。
私たちだってまだまだ頑張れます! 次世代を担う若手演歌歌手の輝かしい頑張りに後押しされ、私たち4人は今ここに“衆活”と題して「もういっちょ頑張ってみよ!」と立ち上がり、共にコンサートを開催することをここに宣言します。
山本譲二・新沼謙治・中村美律子・香西かおり
2024年7月24日発売
デビュー50周年記念曲第一弾
山本譲二「妻よ・・・ありがとう」
▲「言論の自由」のテザー動画。ボーナストラックには山本譲二初のヘビメタル楽曲「言論の自由」が収録される。ユニット名「J&J」として吉幾三とシャウトしている。「歌い終わったあとは、はあ、はあ」と肩で息をしていたそうだ。しかし、50周年を迎えても新たな挑戦ができることに感謝していた。
2022年6月22日発売
新沼謙治「もう君はいないのか」
2024年5月22日発売
中村美律子「人それぞれに」
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