情熱と愛ーー「燃えつきて」 吉永加世子の❝熱情❞が溢れだす

8月22日、東京・港区のライブハウス「六本木バードランド」のステージに立った吉永加世子は新曲「燃えつきて」をパワフルに歌い切った。新曲リリース&ファンクラブ発足記念として開催した「吉永加世子アニバーサリー・スペシャル・ライブ」。そのオープニング曲だった。

 

 

「よし、今日からお前は吉ファミリーだ」

両親の影響で歌が好きになり、3歳から歌っていたという少女は、幼稚園の時、歌手になると決めた。小学校の卒業文集には「絶対、プロの歌手になってデビューする」と書いた。中学2年生になると、そろそろ進路のことを考えないといけない。少女は思った。「高校へ行かないで、歌手になるために修行をしよう」。

縁あって、作曲家・弦哲也氏のもとで歌の勉強ができることになった。初めて会った時、「あ、『天城越え』の先生だ!!」。

弦氏は、そのうちにやめるだろうと思い、紹介者の顔を立てて預かることにした。

少女はやめなかった。高校へは進学したが、雨が降ろうが雷が鳴ろうが、事務所へ通ってお茶くみなどの雑用をこなした。レッスンはいつもしてもらえるわけではなかった。少女はスケジュールが記されたホワイトボードを見て、来客がない日は、呼ばれてもいないのに事務所に顔を出した。それでもレッスンをしてもらえるわけではなかった。「もしかしたら、先生は私のことが好きじゃないのかな?」。

だが、弦氏は少女のことをずっと見ていた。高校を卒業し19歳になった時、「20歳になる前にデビューしよう」と、“小林加代子”という芸名を授けてくれた。1994年、「涙の浜千鳥/女の花道」でデビューし、幼稚園からの夢を叶えた。

ちょうど留学先から帰国した兄が、妹のデビューと同時にマネージャーについてくれ支えてくれた。「全国を回ったよな」と兄。だが、売れなかった。

24歳頃だったか。吉 幾三とCMで共演した。朝4時集合。CMソングを一緒に歌いながら早朝の市場を練り歩くという仕事だった。昼過ぎに撮影が終わり、吉が打ち上げに誘ってくれた。バンバン酒を飲む吉の横で、ガンガン酒を飲んだ。

「お前、歌やっているのか。今度、聴かせてくれ」

それから何カ月か過ぎた頃、吉の地元、青森県金木町で行われた夏の野外コンサートに誘ってもらい、1万人の観客の前で1曲歌ったところ、吉から声がかかった。「よし、今日からお前は吉ファミリーだ」。

「あの頃のお前は可愛かったなあ(笑)」と吉。

2008年、吉のプロデュースにより、「吉永加世子」となった。吉と同じ徳間ジャパンコミュニケーションズに移籍し、シングル「永遠に愛して/ひとり…湘南で」をリリースした。じつは2005年には「奈々世里奈」に改名し再出発していたため、再々デビューだったが……。

そこからが、また長かった。

『加世子にいいと思うんだけど、どうかな』

「新曲『燃えつきて』を、師匠である吉 幾三先生の作詞・作曲、プロデュースで発売させていただきました。11年ぶりの新曲になります。うれしすぎて涙が出そうです」

ライブが開幕すると、師匠の吉は客席でもう泣いていた。

吉永が歌手デビューして25周年を迎えた頃だった。吉が「この曲どうかな。アレンジを変えたら加世子に合うだろうし、結構、かっこいい楽曲になるんじゃないか」と聴かせてくれた。

「先生が時々、『お前はどういう歌を歌いたいんだ?』とか聞いてくださるので、演歌というよりは歌謡曲、できればバラードみたいなのが歌いたいですと、お話ししていました。門倉有希さんの『ノラ』や、高橋真梨子さんの『for you…』、岩崎宏美さんの曲が好きなんですね。『加世子は、そういうのが歌いたいのか』と、いろいろ聴かせていただきました。先生はいつもギターをもって作曲されているので、iPodの中にたくさんの曲が入っているんです。どれも素敵な曲でした。でも、先生が歌えばかっこいいかもしれませんが、私のイメージとは違うな、という印象でした。その後も何度か、曲を聴かせていただくなかで、先生の方から『加世子にいいと思うんだけど、どうかな』と提案してくださったのが、『燃えつきて』でした」

燃えて… Ah 燃えて…
燃えて… 今夜も 眠れない
(「燃えつきて」歌詞より)

星になってしまったあの人に、もう一度、逢いたいと歌う。バラード調ではなく、ラテンのサウンドが身もだえするような切なさを吹き飛ばす一曲だった。

吉幾三が段取りを無視してステージへ

吉 幾三が段取りを無視してステージへ。「ソーシャルダンスだっけ? 間を開けなさい」。お呼びでないとわかると、「間違って来ちゃった」とステージを降りていく吉。

「燃えつきて」に続き、新曲のカップリング曲「すべてがパリ」を歌うと、お兄ちゃんがステージにやってきた。正確に言うと、吉がステージに飛び入りで登壇し、お兄ちゃんの出番をグダグダにしてしまったのだが……。

お兄ちゃんは、“ゆうたろう”と言った。石原裕次郎のモノマネで人気のタレントとして活躍しており、ミュージシャンとしても活動するアーティストだった。

「加世子がデビューしたのは26年前ですが、大変そうな妹を見て、なんとか妹のためになりたいと、デビューと同時にマネージャーにつきまして各地を回りました。ですが、なかなかうまくいきません。そんななか、縁あって私はお笑いの世界へ行かせていただき、とんとん拍子にお仕事をいただけるようになりましたが、その分、妹のことがいつも心残りでした」

デュエット曲「明日にワインを」を歌う吉永とゆうたろう。コロナ禍が収束したら、「全国で歌いたいね」。

新曲は両A面になっており、もう一曲の「明日にワインを」は、ゆうたろうとのデュエット曲だった。いつか兄妹でデュエット曲が出せたらいいね。そんな話を時々するようになっていた、と吉永が明かす。

「デビュー25周年のライブに、先生がサプライズで来てくださいました。ライブには兄も参加して歌ってくれたのですが、打ち上げの席で、先生が『お前ら兄妹に歌をプレゼントしてあげるから。ゆうちゃん、お前も妹のために歌ったらどうだ?』って言ってくださったんです。兄は『作ってくださるなら喜んで歌います』って答えて、先生が『本当に歌うか?』って。兄は『歌います、歌います』って。まったく調子がいい(笑)」

「明日にワインを」は結婚式を前にした妹に、後のことは心配しなくていいから、“今夜は祝おう”と祝福する兄妹愛を歌った作品だ。

ステージで披露する吉永とゆうたろう。

歌いながら涙を見せた兄は、「お前が先に泣いたんだからな」と、妹のせいにした。

ゆうたろうと吉永加世子

妹のためにマネージャーとして支えていたこともある兄。兄妹によるデュエット曲「明日にワインを」は、吉幾三が石原裕次郎のモノマネをするゆうたろうをイメージした。

 

ゆうたろうが「ブランデーグラス」と「北の旅人」を歌う

妹の衣装替えの間は、ゆうたろうがステージを預かった。石原裕次郎のモノマネで、「ブランデーグラス」と、弦哲也氏が北海道を旅しながら小樽で作曲した「北の旅人」を歌った。

吉幾三と吉永加世子

泣いている師匠を見た吉永は、涙を抑えることができなかった。2008年に再々デビューしたが、2作目までがまた長かった。

「燃えつきて」「明日にワインを」「すべてがパリ」。3種3曲の歌声

大好きな色である、白と黒の組み合わせの衣装に着替えて再登場した吉永が、「吉先生と出会って22年、新曲を出すまでに11年。最近は先生のコンサートや劇場公演に出させていただき、いろいろ勉強させていただいています。ありがとうございます」と話し始めると、吉が「湿っぽいのはダメだよ。ずっと泣きっぱなしだよ。赤ちゃんじゃないんだから」とステージへ。吉はハンカチがなく、キッチンペーパーで何度も涙をふいていたという。

「歌謡界には様々なジャンルがありますが、いろんなジャンルの歌を歌える子でございます。そこは成長したと思います」

新曲に収録された「燃えつきて」「明日にワインを」「すべてがパリ」の3曲は、曲調もイメージも違う作品群。吉永は3種3曲を「できるかぎり歌い方というか、音色というか、声質を変えて歌った」と語る。

「今回、新曲を出させていただくにあたり、いっぱい欲をかいて詰め込みすぎるのはどうかと思ったんですが、一曲一曲に思い入れがありますし、いい加減に歌うわけじゃありません。大事に歌っていきたい曲でした。なので、『マキシシングル的な感じで出したんですが』とお願いたところOKが出て。おかげさまでテンポもイメージも違う、カラーの違う3曲を出すことができました」



ライブでも、師匠である吉の「雪國」、ラテンのメドレーで「ベサメ・ムーチョ」から「キエン・セラ」、「TAXI」(鈴木聖美)、「恋しくて」(BEGIN)、「愛のままで…」(秋元順子)、「時の流れに身をまかせ」(テレサ・テン)をカバー。多彩な音色を聴かせた。

吉が吉永にお願いをする。

「あなたがヒット曲を出してくれたら、買ってもらいたいのはマッサージチェアかなあ。(家にあるのは)音を立ててうるさいんだよ。壊れちゃってる」

ヒットさせなくちゃ。バンドのメンバーに、ゆうたろうがトランペットで加わり、最後にもう一度、「燃えつきて」を歌った。

燃えて… Ah 燃えて…
燃えて… 今夜も 眠れない
(「燃えつきて」歌詞より)

ラテンのリズムが心地よく、勝手に体がメロディーを覚えてしまった。

 

エピローグ 太陽のカードが出た!

「『燃えつきて』を占ってみたんだよ」と、兄・ゆうたろうが語ると、妹・吉永は驚いた表情を見せた。じつは、小さい時から霊感体質だった兄は、不思議とちょっと先の未来がわかる時があったという。17歳からはタロット占いを始め、よく当たると評判に。今ではTV、ラジオ、雑誌などで占い師としても注目を集め大躍進中なのだ。そんな兄の占い。妹は結果が怖かったのだろう。

ゆうたろうと吉永加世子

兄が新曲「燃えつきて」を占ったと告げると、妹は目を見開いて驚いた。大丈夫かな? 兄の占いはよく当たる……。

「未完成だった……。でも、太陽が出たので、ホッとしたよ。あたなが活躍してくれるのが、家族の思いだから。頑張って」

タロット占いの太陽のカードはエネルギーの象徴。成功や物事の完成が目前にあることを示している。だが、成功に向かっているだけ。その過程が大切だと教えてくれている。

本当? と、安堵と喜びの表情を見せる吉永。「大好きな曲をいただきました。先生の思いに応えたいと思います。今日はありがとうございました!」。

トランペットを吹くゆうたろう

トランペットの演奏で、「燃えつきて」を盛り上げるゆうたろう。
「兄は、結構多才で、いろんな楽器ができるんです。父の影響でドラムが好きで、中学校の時に貯めたお年玉でドラムセットを買ったり、中学校に吹奏楽部がなかったので、先生に直談判して作ったり。今では県でも有名な吹奏楽部に育っています。まるで、映画のよう(笑)」(吉永)

外部リンク
徳間ジャパンコミュニケーションズ公式YouTube
吉永加世子「新曲リリース&ファンクラブ発足記念 無観客ライブ」六本木バードランド


2020年8月19日発売
吉幾三プロデュース
吉永加世子 両A面シングル
「燃えつきて/明日にワインを」

「燃えつきて」
作詞・作曲/吉 幾三 編曲/武井正信
「明日にワインを」
(デュエット:ゆうたろう)
作詞・作曲/吉 幾三 編曲/武井正信
c/w「すべてがパリ」
作詞・作曲/吉 幾三 編曲/武井正信

右から吉幾三、吉永加世子、ゆうたろう。吉は、愛弟子の新曲リリースに尽力し、吉永とゆうたろうの兄妹愛を作品に結び付けた。


初めての懇願。「私に歌わせてください」

「燃えつきて」は吉幾三が旅先で思い浮かんだラテンサウンドの曲。星になった愛する人に向けて、吉永が情熱的に歌っている。

「明日(あした)にワインを」はほのぼのとした兄妹愛の歌。実兄のゆうたろうとのデュエット曲。「どうしても兄弟の雰囲気が出てしまいますね。でも、それはたぶんいいことで、妹っぽい歌い方になっています」(吉永)。

カップリング曲「すべてがパリ」は、吉がパリで出会った日本人女性の実話をもとにした歌。ご主人を亡くして一人ぼっちとなったが、あなたと暮らしたこのパリで、思い出がたくさん詰まったこの街で生きていくと決めた女性のことを歌っている。

「食事に呼んでいただいた時に、iPodに入ったこの曲をイヤホンで聴かせていただきました。素敵な曲だったので、先生に『この曲を歌う人はもう決まったんですか?』」とお聞きしました」

「いや、決まってないよ。だから俺が歌ってるんだよ」と、吉。

「私に歌わせてください」

「シャンソンの歌だし、難しいぞ」

「自己流のシャンソンの歌になっちゃうかもしれませんが、ぜひ、歌いたいです」

「じゃあ、加世子に取っておくな」

吉永が師匠に、自分から歌いたいと懇願したのは初めてのことだった。

楽曲誕生の秘話が明かされる!!
吉幾三登場! 吉永加世子・ゆうたろう「燃えつきて/明日にワインを」座談会!

 

 


吉永加世子profile
吉永加世子(よしなが・かよこ)
1月9日、千葉県生まれ。幼少の頃から両親の影響で歌が好きになり、将来は歌手になりたいと思うようになる。1989年、作曲家・弦哲也氏に師事し、中学2年から高校卒業までの5年間、弦氏のもとで修業。1994年、“小林加代子”として「涙の浜千鳥/女の花道」でデビュー。2005年に「奈々世里奈」と改名。さらに2008年、吉幾三プロデュースにより2度目の改名。“吉永加世子”となり、徳間ジャパンコミュニケーションズより「永遠に愛して/ひとり…湘南で」をリリース。2020年8月、「燃えつきて/明日にワインを」を発売。タレントのゆうたろうは実兄。

 


吉永加世子 FAN∞CLUB

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吉永加世子 FAN∞CLUB公式ホームページ

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