
新田晃也が喜寿に羽ばたく! 55周年記念コンサートで「ここから俺は勝負だから」
新田晃也が2年ぶりとなる待望のコンサートを開催した。10月11日、東京・練馬区の練馬文化センターつつじホールで、「~歌手活動55周年記念~喜寿に羽ばたけ! 新田晃也コンサート」を行い、「ここまでこぎ着けることができた」とファンに感謝した。新田は昨年5月、55周年記念曲・第1弾「越中衆」をリリースし、同会場で55周年記念コンサートの開催を予定していたが、コロナ禍で延期となっていた。この日は再延期を経てのステージだった。
和太鼓 大元組の稲垣優と佐々木彬による太鼓が打ち鳴らされると、「越中衆」の壮大なスケールのイントロが流れる。作詞家・石原信一が北前船を取り上げたNHKの番組『新日本紀行』を観て感動し書き下ろした詞に、新田が曲をつけた。北前船とは江戸から明治にかけて日本海を往来していた商船。冬は荒海となる日本海を行く北前船では遭難事故も少なくなかった。55周年記念曲「越中衆」では北前船に乗る越中の出稼ぎ漁師の心意気を歌っている。
福島県出身の新田は中学を卒業すると、集団就職で東京へ出てきた。集団就職が当たり前の時代。貧しい農村では農閑期に東京へ出稼ぎに出る大人も多かった。そんな時代を経験している新田には、石原が書いた「越中衆」が心に深くしみた。
「越中衆」のカップリング曲「泣き時雨」へと歌い継ぐと、新田は2019年にリリースした「もの忘れ」、50周年記念曲「母のサクラ」、2017年の「野アザミの咲く頃」を聴かせた。この3曲も石原の作詞作品だった。
「憎らしい歌詞だね(笑)」
2010年、石原とのコンビで「振り向けばおまえ」をリリースするまで、新田はシンガーソングライターとして自身が作詞・作曲した作品を多く歌ってきた。しかし、石原との出会いが大きな転機となった。同郷ということもあり、自然と気が合った石原とはなんの気負いもなく“名コンビ”となれたのだ。そして、石原の作品を歌うことで、新田は聴く人の心を響かせる歌を届けたいという思いをより強くした。

ゲスト歌手としてステージに上がった春奈かおり。1996年、「墨絵海峡」でデビュー(当時は杉森かおり)した。大衆演劇の役者だった母親の影響で、3歳の時に初舞台を踏む。役者をやりながら歌のレッスンを続け、20歳の時に本格的に歌の道へ。デビューシングルの制作をきっかけに、新田晃也を師事するようになる。2作目の「里あかり」(1999年)からは新田作品をリリースしている。

客席に母が見守る中、2007年の作品「会津望郷歌」を聴かせると、今年1月、14年ぶりにリリースした「さとごころ」を歌う春奈かおり。

春奈かおりが役者だった経験を生かし、最後に全身で表現しながら歌謡浪曲「一本刀土俵入り」を披露すると、「よかったでしょ? 春奈かおり。お母さんの芝居を子どもの頃から見て育って、自分も携わっていたから。うまいよね。俺にはできない」と新田。
秘蔵っ子として面倒を見ている春奈かおりによるゲストコーナーを経て、再びステージに戻ってきた新田は、石原が作詞し、自身が作曲した「寒がり」「振り向けばおまえ」を披露すると、「石原先生との出会いによって素晴らしい作品に巡り合った」と、しみじみと語っていた。
第一部の最後は10月6日に発売したばかりの新曲「雨の宿」と「忘れじの恋」。「雨の宿」は雨が降りしきる宿を舞台に、切ない女心を歌った作品で、55周年記念曲・第2弾として発表した。約13年ぶりに新田が作詞と作曲の両方を手がけたシングルだったが、「石原先生に今回は自分の作詞で行きたいと話しましたら、ニコニコしながら『ダメ』って言われました」と新田。
第二部のステージは「無法松の一生」から開けた。新田らしい力強さで同曲を歌うと、2年ぶりとなる客席ラウンドを行った。ファンと握手はできなかったが、客席を回りながら、歌手活動55周年を記念したメドレーを届けた。
1959年、集団就職で上京し、東京・阿佐ヶ谷のパン屋に勤めた新田は、店番をしながらいつも耳にしていた曲があった。水原弘の「黒い花びら」だった。同曲を歌いながら客席に登場すると、スクリーンに新田のヒストリーと当時の世相が映し出される中、思い出の曲たちを歌って行く。
東京・新宿のジャズ喫茶「ラ・セーヌ」でボーイとして働き始めた1961年にリバイバルヒットとなった「君恋し」(フランク永井)、「雨に咲く花」(井上ひろし)、純喫茶のバーテンとなり、歌を志すようになった1962年の「赤いハンカチ」(石原裕次郎)、ハーブ佐竹の付き人となった1964年に、佐竹が歌った「女心の唄」、新宿のサパークラブで弾き語りを始めた1966年に流行し、当時自分でもよく歌っていた黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」など全9曲のメドレーだった。
ステージの戻った新田は気持ちを調え、「こんな名も無い 三流歌手の 何がおまえを 熱くする」とギターの弾き語りで歌い始める。55周年記念曲「越中衆」のカップリングとして収録した「友情」だ。同曲は2005年、新田が故郷・福島にいる小・中学校の同級生への思いを、そしてファンへの思いを歌にした作品だった。(シングル「越中衆」に収録されているのは、2016年のアルバム『唄人』に収録したアルバムバージョン)
「初めての故郷でのコンサートでは同級生が中心となり、1500人の観客を集めてくれました。今も忘れません」
新田のコンサートでは定番となっている歌謡浪曲「俵星玄番」をじっくり聴かせると、コンサートの締めくくりとして新田が選んだのは父と母への思いを綴った2曲だった。
石原信一が作詞し、自身が作曲した「昭和生まれの俺らしく」(2016年)と、新田が作詞・作曲した「母を想えば」だった。前者は「親父の年を 七つ過ぎて わかったことは なにもない」という歌詞で始まる。新田は「厳しい言葉だね。誰が書いたんだか(笑)。俺も、喜寿でしょ。親父の年を九つ過ぎたけど、何もまだわかってないね。味のあるいい歌詞ですよ」と観客に語りかけていた。
「母を想えば」は「友情」(2005年)のカップリングとして収録された作品だが、母に感謝しつつも、母に故郷を感じる主人公の気持ちを歌っている。人は何歳になっても、母に心の故郷を感じ、自身の原点に戻れる。「ありがとう ありがとう」と新田は歌い上げた。
閉まる緞帳と、アンコールを求める観客の拍手。
左右のスポットライトだけに照らされた新田がステージに現れる。歌うのは「イヨマンテの夜」だった。今回のコンサートでは当初、同曲を歌う予定がなかったが、ファンからの要望が多く、歌うことにしたという。作曲家・古関裕而の作品で、1950年に伊藤久男が歌ったが、これまで多くの歌手がカバーしている。新田は2009年にリリースし、歌手協会最優秀歌唱賞を受賞している。
2時間半を優に超えた「~歌手活動55周年記念~喜寿に羽ばたけ! 新田晃也コンサート」。55周年の思いが詰め込まれたが、新田は未来に目を向けている。「ここから俺は勝負だから」。新田はもう一度、新曲「雨の宿」を聴かせてステージを終えた。
2021年10月6日発売
歌手活動55周年記念曲・第2弾
新田晃也「雨の宿」

「雨の宿」
作詞・作曲/新田晃也 編曲/竹内弘一
「忘れじの恋」
作詞・作曲/新田晃也 編曲/竹内弘一
c/w「ひとりの街で」
作詞・作曲/新田晃也 編曲/藤井弘文
徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-91368 ¥1,350(税込)
2021年1月27日発売
新田晃也プロデュース
春奈かおり「さとごころ」

「さとごころ」
作詩・作曲/新田晃也 編曲/藤井弘文
「初島哀歌」
作詩/横田弘 作曲/新田晃也 編曲/藤井弘文
c/w「愛でも恋でも」※デュエット新田晃也
作詩・作曲/新田晃也 編曲/藤井弘文
春奈かおり待望の新曲「さとごころ」。今作も新田晃也がプロデュースした。「さとごころ」はふるさとの家族への感謝を歌った望郷演歌で、“母さん涙をこらえて握る あの手の温もり” “離れて気になる弟よ” “父さん笑顔で残してくれた 形見の言葉”など、思わずホロリとなる作品。カップリングの「初島哀歌」は静岡県の初島に伝わる伝説をモチーフにしたラブソング。「愛でも恋でも」は新田とのデュエットソングとなっている。