
沖縄に新レーベルが誕生。第1号歌手、“平和の歌姫” 高橋樺子が歌う「さっちゃんの聴診器」で大きな輪を世界に。
“平和の歌姫” 高橋樺子が1月31日、東京・中央区のシャンソンバー ボンボンで新曲発表会を開催し、5年ぶりとなる新曲「さっちゃんの聴診器」をマスコミや関係者にお披露目した。また同曲は、作詞家のもず唱平氏が中心となって沖縄に設立された新しい音楽レーベル「UTADAMA MUSIC」の第1弾シングルとしてリリースされた。
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もず唱平氏の弟子でもある高橋は、2011年6月に東日本大震災の復興を願った「がんばれ援歌」でデビュー。被災地でボランティア活動を続け、「たくさんの歌手の方が応援に来てくれたけど、樺子さんは一緒に生きてくれた」と、地元の人々から感謝された。そんな高橋は1年ほど前から沖縄へ移住し、昨年11月には那覇市民に。UTADAMA MUSICの第1号歌手として1月26日、もず昌平・作詞、矢島敏・作曲の「さっちゃんの聴診器」を発売した。

ラブ&ピースをモットーとする高橋樺子。樺子(はなこ)の”樺”が、白樺の”樺”であることから、愛称はカバコ。和歌山県に生まれ、幼い頃から歌が大好きだった。新曲「さっちゃんの聴診器」のほか、デビュー曲「がんばれ援歌」「四丁目のスナック」などを歌った。
「発売日には大阪でライブを開催させていただき、たくさんのお客様に集まっていただきました。そこで『さっちゃんの聴診器』を歌わせていただきました。それぞれ好きなジャンルの歌があると思いますし、年齢層も広かったのですが、皆さんが『この歌はくちずさみやすいし、いいね』と言ってくださいました。改めてたくさんの人に聴いてもらいたいと思いました」
「さっちゃんの聴診器」は、“西成のマザーテレサ”と呼ばれた女医・矢島祥子(さちこ)さんの実話を元にした作品。群馬県に生まれ、沖縄で研修医として働いていた矢島祥子さんはその後、大阪の病院に勤務しながら、日雇い労働者の町と言われる大阪西成区のあいりん地区(通称・釜ヶ崎)でボランティア活動にも従事し、“さっちゃん先生”として慕われた。だが、2009年に34歳という若さで亡くなってしまった。
1962年に「釜ヶ崎人情」で作詞家デビューしたもず唱平氏は、ある時、“さっちゃん先生”こと矢島祥子さんのことをテレビ番組で知り、「なんとしても歌にして残したいと思った」という。
一方、大阪を拠点に大衆音楽に携わってきたもず唱平氏は現在84歳。「そろそろ卒業のシーズンを迎えた」と感じており、一年と少し前に、以前からよく訪問していた沖縄へ活動の主体を移した。
「かねてから沖縄の音楽シーンに関心がありました。もっか勉強中なのは島唄です。私の生活基盤でもある大衆音楽、演歌系歌謡曲と、島唄とは構造がまったく違いました。大和とウチナンチューのそれぞれの大衆音楽をミックスしたハイブリッドの歌をつくろうと思っています。『さっちゃんの聴診器』はまだ塩をふった程度の味付けですが、その先にはハイブリッド音楽で次世代に種まきをしたいなという思いを持っています」
そんな思いから誕生したのが、UTADAMA MUSICだった。「言葉に魂があるように、歌にも魂があってしかるべき」(もず氏)という信念から命名されたレーベル名だった。

沖縄移住を決めた高橋樺子は、矢島敏に三線を習い始めたと明かし、「十九の春」を三線の弾き語りで歌唱した。沖縄では、いつもどこかから三線の音色が聞こえてくるという。ちなみにこの日の出来は、自己採点で「35点」とのことだった。

「さっちゃんの聴診器」を披露する高橋樺子と、三線の演奏とコーラスで参加する矢島敏氏。
UTADAMA MUSICでは、3カ月毎に1曲をリリースしていくそうだが、その第1弾が「さっちゃんの聴診器」だった。作曲は矢島敏氏。「沖縄」をキーワードに音楽活動を展開するバンド活動や、琉球民謡登川流研究保存会師範として三線を教えたり、三線制作者として神奈川県茅ヶ崎に工房を持つなど、才能豊かな音楽家だ。プロの作曲家としては、「さっちゃんの聴診器」がデビュー作となる。
「もず唱平先生が祥子の曲を書いてくれるとおっしゃってくださったときに、僕のまわりでは、誰が作曲するんだろうと話題にしていました。僕を知ってくれている人は、『敏ちゃんじゃないか』と言ってくる人もいましたが、僕はまったくそんなことは思っていませんでした。最初に詩を見せていただいたときは、詩からメロディが溢れ出てくるようでした。どうやったら作品として形にできるのか。それだけを考えてメロディをつけさせていただきました」
矢島敏氏は思いも寄らぬ形でプロの作曲家となったが、これは必然でもあった。釜ヶ崎で、献身的な医療活動を続けていた“さっちゃん先生”こと矢島祥子さんは、矢島敏氏の妹だった。矢島祥子さんの死には不可解なことも多く、真相解明を臨む声が多い。
もっと生きたかった この町に
もっと生きたかった 誰かの為に
(「さっちゃんの聴診器」の歌詞より)
この歌詞を読んだとき、矢島敏氏は「祥子が夕日を見ながら目を細めている映像が浮かんだ」そうだ。新曲発表会で司会を務めていたフリーアナウンサーの小池可奈が明かした。
「さっちゃんの聴診器」というタイトルだが、歌詞には“さっちゃん”は登場しない。またとくに舞台も設定されていない。ただ、聴診器を通して聞こえてきた、“鳶職で鳴らした権爺(ごんじい)” や “親に背いたフーテン” “昔名のある踊り子” “捨てた我が児を想い出す人”などの心の声が描かれているだけ。すべて実話だった。
竜宮嵐氏による編曲ともマッチし、胸が熱くなるが、“誰かの為に”献身的に生きた主人公を思い浮かべると心が癒やされる作品でもある。高橋も微笑むようにこの歌を歌っていた。

徳間ジャパンコミュニケーションズの北島浩明社長も激励に駆けつけた。高橋樺子は2011年に同社からデビューしている。新レーベル「UTADAMA MUSIC」の音楽CDは徳間ジャパンを通じて全国へ流通される。
もず唱平氏は語る。
「詩を見ていただくと一見、欠陥商品に見えると思うんですね。ひとつは矢島祥子という固有名詞がどこにも登場しないこと。もうひとつは、“この町”というフレーズは出てきますが、町の名前は特定されていないことです。でも、やがてこの歌が人々に愛されるようになれば、『はて? 不思議な歌やな。主人公の実態もわからんし、この町もどこのことなんや』と。そう気づいてもらえるだろうと思います。そのとき、表現者である高橋樺子を通じて、矢島祥子さんのことを伝えることができるでしょう」
もず唱平氏は、かつて大ヒットした「フランシーヌの場合は」(1969年)という作品もヒントになったという。この作品が世の中に喧伝されることによって、主人公の実態がクローズアップされた。

左からもず唱平氏、高橋樺子、矢島敏氏。沖縄からハイブリッドミュージックを!
高橋は最初、「歌で表現して多くの人に矢島祥子さんのことを知っていただくのは大役やな。正直、私でいいのかな」と思ったという。
「でも、矢島祥子さんのことを知れば知るほど憧れる女性でした。皆さんに発信していかないといけない、という気持ちがだんだん強くなっていきました。矢島祥子さんの作品をつくるというお話をうかがったのはコロナ前でした。ずっと温められてきた作品です。この歌を歌うときは、いつも祥子先生が私にエールを送ってくださっていると思って、心強く歌わせていただいています」
デビューして12年。島唄とやまとうたを融合したハイブリッドミュージックを追究するもず唱平氏の下、高橋は新しいスタートを切った。
「歌を届けるだけではなくて、いろんな人と向き合って、輪を大きくしていきたい。“平和の歌姫”と呼ばれるように、この歌を世界に広げたい」
2023年2月19日 13:00~16:30
高橋樺子 新曲発表記念ライブ in 沖縄高橋樺子は2月19日(日)に、「高橋樺子 新曲発表記念ライブ さっちゃんの聴診器」を開催する。場所は沖縄県那覇市のメインストリート「国際通り」にあるスターバックス横の広場。作詞家のもず唱平、”やじびん”としても知られる作曲家の矢島敏、UTADAMA MUSICのディレクター、藤田武浩が出演。ゲストに沖縄民謡の歌手であり、三線奏者の照屋政雄らが参加する。
主催:UTADAMA MUSIC
問い合わせ先(平日10時~16時)
TEL:080-5343-0875
2023年1月26日発売
高橋樺子「さっちゃんの聴診器」

「さっちゃんの聴診器」
作詞/もず唱平 作曲/矢島 敏 編曲/竜宮 嵐
UTADAMA MUSIC YZUD-15001 ¥1,000(税込)
『釜ヶ崎に寄り添った〝さっちゃんの聴診器〟 -医師・矢島祥子-』
さっちゃん先生として慕われた矢島祥子さんの半生を追った作品『釜ヶ崎に寄り添った〝さっちゃんの聴診器〟 -医師・矢島祥子-』(大山勝男=著)が発売されている。もず唱平氏の作詞作品「さっちゃんの聴診器」からタイトルをもらった作品だという。