清水まり子の優しい気持ち ~父さん、あのね。~

力強い楽曲だった前作「おんな風林火山~ニューバージョン~」とはがらりと異なるイメージの新曲「父さん、あのね。」。清水まり子がこんな時代だからこそ、みんなに優しい気持ちになってもらいたいと送り出した一曲だ。

 
 
デビュー26年目を迎えた清水まり子はコロナ禍の中で、「自分自身と歌にできること」を考えたという。

 

デビューから25年が過ぎた2020年、思いもよらぬコロナ禍、歌うこと、歌との向き合い方、自分にできること、思いを巡らせる時間が訪れた。
コロナ禍……静かな町、家で過ごす時間、世の中が止まってみて思うこと。
コロナ前、私は、人々はどのように生きてきた? 時間に追われ自分だけを見ていなかったか? 家族に仲間に人に、思いやりを持ち、優しく接することができたのか?
コロナ禍における不透明な時代、人々が笑顔で優しい気持ちで過ごしてほしい。
一番近しい人:家族、今もう一度考えて見たこと、両親、兄弟、祖父母と共に過ごした時間、この先共にする幸せで素敵な時間。すべての人々が持つ家族、そしてその関係性やそれぞれの想い。今だからこそ、そんなテーマも歌に込めて表現してみたい。

清水まり子

 

清水がたどり着いた答えは、身近な存在である父のことを歌うことだった。前作「おんな風林火山~ニューバージョン~」とはがらりと雰囲気の異なる曲調に乗せて、「父さん、あのね。」と歌う。
 
――清水さんは昨年、デビュー25周年ライブツアー「てっ!コピっとしろし~!! ~25周年の最後の反省会~」で全国を回られましたが、今年予定されていたファイナル公演はコロナ禍で中止になるなど、ライブ活動が制限されました。そんな中で、次の新曲テーマを考えられたということですが、新曲「父さん、あのね。」を聴かせていただくと、清水さんのお父さんに対する湧き出る感謝の想いとともに、これからも力強く生きていくというメッセージが伝わってきます。

清水「デビュー20周年だった6年前の2014年に、『化粧崩れ』と『あなたへ』という2曲を同時リリースさせていただきましたが、『あなたへ』は他界した母への想いをつづった曲でした。これまでも大切にして歌ってきた曲で、もう1回アレンジし直したいという思いがずっとあった一方で、父にも普段なかなか言えない思いを歌で伝えたいと思っていました。まだ元気でいてくれるうちに、ですね。コロナ禍によって、その思いが強く湧いてきたので、『あなたへ』をつくってくださった青葉紘季さんにお話しして、作品にしていただきました」

清水は高校生の時に最愛の母を乳がんで亡くしている。今のように医学が進歩していない時代だった。

「治療のために湯治に行っても、傷口を見た周りの人が『とんでもない病気を銭湯に持ち込まないで』というね。まるで奇病扱いで、大好きだった銭湯から母が泣きながら出てきたことも」と清水。肉体的にもつらいのに、精神的にもつらい思いを強いられた。そんな母の5年間に渡った闘病中の苦しみを間近に見た清水は、母の年齢までしか自分も生きられないだろうと、勝手に思い込んでしまった。

「グリーフケア(大切な人を失った悲しみから立ち直るためのプロセス)というのが普及していた時代だったら、私たち家族はもっと早く再生できたと思います。でも、愛する母を亡くした過程を刻みすぎてしまったので、長生きしないだろうな、だったら、子どももつくっちゃいけないって」

2014年の「あなたへ」は、45歳で亡くなった母の年齢に自分が近づいてきた時、母の分まで生きるんだという決意と、母への感謝の気持ちを歌いたいとつくってもらった曲だった。詩の原案を清水自身が行い、青葉が作詞・作曲した。

青葉はNHK連続テレビ小説『あさが来た』の主題歌「365日の紙飛行機」(AKB48が歌唱)の共作曲者としても知られるシンガーソングライター。新曲「父さん、あのね。」も「あなたへ」と同様の手順でつくられた。

「箇条書きやら、起承転結のない文章をバーって書いてお渡しして、それを青葉さんが作品に仕上げてくださいました」

加えて清水は言う。

「青葉さんのおかげで母の年齢を乗り越えることができました。青葉心療内科(!)の音楽療法によって救われました。ですから、歌手デビュー26年目を迎えるにあたり、最初は、今の清水まり子が『あなたへ』を歌ってみようと思いました。でも、今を生きていきたいよね、というお話もいただきまして、考えてみたら、生きている父親のケアは何もしてこなかったなって(笑)。本当に……これまでよく頑張ってきたと思います」

 

――新曲を聴かれたお父さんの感想はいかがでしたか?
清水「最初はちょっと傷ついたみたいです。1番目の歌詞に“しかめっ面して 口を開けば 憎まれ口”と出てくるんですが、曲ができたあとにLINEに動画で送って、お父さん、どうだった? って聞いたら、『人を売りやがって』みたいな(笑)。『感謝じゃなく、俺を売ったなって』。だから、私もそんなふうに言われると歌う気がなくなっちゃうよって」

――曲を挟んで親子喧嘩に?
清水「でも、今はうれしそうです。それにこうして歌わせて(新曲をリリースさせて)いただけることを考えたら、親子喧嘩している場合じゃないよね、というのは『父さん、あのね。』で感じました。これまでは感情で、好き嫌いでこの曲は歌いたくないと言うこともありました。我がままでした。でも、『父さん、あのね。』のような歌を歌うことが、私の使命なら、使命を全うさせていただこうと考えを変えました。そうしたら重い鎧を横に置いたように気持ちが軽くなりました。面と向かって口に出せなくても、音符にしたら表現できるので、私は幸せ者だと思います」

――ちなみに、清水さんの父親はどんな方ですか? 実家は山梨県甲府市で110年以上続く稲荷ずし専門店「清水家」ですよね。

清水「ええ、そうです。四方八方3000メートルの高山が取り囲む盆地の寿司屋で、父は4代目ですから、仕事一筋の職人気質です。昔は怖かったですね。私が学校から帰ってきて厨房にいる父に声をかけると、怒られました。店の味を守る意識が強くて仕事中は口も利かない人でした。(2015年に)やまなし大使にならせていただいたことで、地元の経済同交会の方とお話する機会が増えましたが、『あなたの親父さんのような頑固な人は見たことない』ってみんなに言われました(笑)。でも、お互い歳をとったのか、最近は関係が変わってきました。先日も撮影で実家に帰った時に疲れていたようだったので肩を揉んできました(笑)」

「喜ばれたんじゃないですか?」と投げかけると、「いや、いや」と照れたように清水は笑う。「そんな美しいもんじゃないです。はい、はいって、もう適当に(苦笑)」。

仕事一筋で、怖かった父親。そんな父親の側から離れたいという思いが、故郷・山梨を出たいという気持ちに差し変わり、思春期を迎えた清水は「あの山を越えたい(上京したい)」と思っていた。そして、幼い頃から歌が好きで、歌手になりたいと思っていた清水は、母親が亡くなった悲しみを抱えたまま、高校を卒業すると、東京へ旅立っていった。

1994年、清水は念願の歌手としてデビューする。デビュー曲は嫁いでいく娘と、その娘を見送る父親の心情を歌った曲だった。タイトルは「父娘(おやこ)坂」。全国各地をキャンペーンで回り、30万枚を超すヒット曲となり、今でもロングセラーとして、清水も歌い続けている大切な曲だ。

――新曲「父さん、あのね。」の歌の終盤に、“これからも手を取り父娘坂”というフレーズが出てきますね。

清水「初めて歌詞を見た時、グッと来て涙が出ました。今朝も10回以上、新曲を聴きましたが、この部分では噛みしめるような気持ちになります。(デビュー26年目を前に)このフレーズでは、初心に戻ることができて背中を押されます。デビュー曲の“父娘坂”とは違って、新曲の“父娘坂”は、これからもまだまだ人生が続くよ、という感じでつくっていただいています。私はこれまでも卒業式と入学式を何回も繰り返すように変化を求めてきました。緊張感があって変化が好きなんですね。でも、それによって周りにも迷惑もかけてきました。歌の中では一番近い家族に、父親に『ありがとう』って言っていますが、これまで私を支えてくださった皆さんにも『ありがとう。これからもよろしくね』と伝えているつもりです。伝わるといいんですけどね。不器用なのは変わらないので、よろしくお願いしますねって(笑)」
 

(文=高橋真里)

 

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2020年11月18日発売
清水まり子「父さん、あのね。」

「父さん、あのね。」 
詞原案/清水まり子 作詞・作曲/青葉紘季 編曲/青葉紘季・大山聖福 
c/w「あなたへ-2020-」  
詞原案/清水まり子 作詞・作曲/青葉紘季 編曲/山口正美 
c/w「時は過ぎてゆく」 
日本語歌詞/高野圭吾・古賀力 作曲/ジュルジュ・ムスタキ 編曲/森藤昌司  
徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-91308 ¥1,227+税

コロナ禍の中で優しい気持ちになれる歌を歌いたいと、身近な存在である父親のことを歌った「父さん、あのね。」。清水が詞の原案を書き、青葉紘季が作詞・作曲を手がけた。カップリング曲の「あなたへ-2020-」は2014年の作品だが、今の清水が歌うとどうなるか、という思いで再録音。アレンジも変更された。もう一つのカップリング曲「時は過ぎてゆく」は金子由香利の歌唱で有名な曲のカバー。原題はジョルジュ・ムスタキの「IL EST TROP TARD」(1969年)。「20代の時にシャンソンの金子由香利さんのコンサートを観て、いつか歌いたいなと思った曲です。40代に入って、もうそろそろ歌ってもいいかと思って、ライブなどで歌ってきました。まだまだおこがましいですが、今の清水まり子の表現で歌いました」(清水)。

 

▲台風の中、地元・山梨で撮影されたMV。俳優によって親子のシーンが演じられているが、MVの最後に清水の実父が登場する。雨の中、傘をさして店の前に立つ清水。お店から出てきた父が娘の存在に気づき、突然の帰省に驚いたように「まり子か? 珍しいねえ。まあ、中入れや」と声をかける。
 


profile
清水まり子
(しみず・まりこ)
1970年12月5日、山梨県生まれ。幼い頃から歌うことが好きで、中学生の頃から県内の歌唱大会に出場し優秀な成績を収める。その頃、将来はプロの歌手になりたいという信念が芽生える。1989年、5年におよぶ闘病の末、母を亡くす。同年、高校を卒業し、歌手になるため上京。1年後、恩師・三沢あけみに師事する。1994年10月、「父娘(おやこ)坂」でデビュー。2009年、日本歌手協会 歌唱賞を受賞。2014年2月、デビュー20周年を迎え、新生・清水まり子を表現した「化粧崩れ」「あなたへ」の2曲を同時リリース。2015年、やまなし大使に就任。2019年、こうふ開府500年記念曲「おんな風林火山~ニューバージョン~」をリリース。デビュー25周年のライブツアー「てっ!コピっとしろし~!! ~25周年の最後の反省会~」を実施した。

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