村木弾がバースデイライブで、新曲「友情の星」を披露。故郷から両親も駆けつけ、涙ぐむシーンも。
村木弾が1月12日、東京・渋谷区の古賀政男音楽博物館けやきホールで、新曲「友情の星」発売を記念した「村木弾バースデイライブ」を開催した。新曲の作詞家・いではく氏も応援に駆けつける中、トークを交えながら全17曲を披露し、故郷・秋田からは両親も駆けつける温かいライブとなった。
同ライブは、日本コロムビアが毎月開催している「コロムビア マンスリー歌謡ライブ~コロムビア 花のステージ~」の第79回目として開催されたもの。これまでは日本コロムビアに所属する複数名の歌手が参加するジョイントライブとして開催されてきたが、今回は初めての試みとして、村木弾のソロライブとなった。
「こうした新しい試みは、だいたい僕が最初なんです。村木弾が成功すれば、他も大丈夫だろうって。実験台なんです(笑)」
村木のそんな軽口で始まったライブでは、デビュー7年目を迎える2022年の新しいスタートにしたいと、オリジナル曲のほか、ピアノ演奏による師匠・船村徹氏の作品歌唱や、ギターの弾き語り、両親へ捧げる歌を届けた。
オープニングはこの日発売された新曲「友情の星」から披露した。前日の1月11日は、村木の42歳の誕生日であり、誕生日から店頭キャンペーンをスタートさせたという新曲は、作曲家・船村徹氏と作詞家・高野公男氏の友情を描いた泣ける歌だ。
音楽大学で出会った船村と高野は、盟友として共に同じ道を歩み、昭和30年12月、不朽の名作「別れの一本杉」を生み出すことになる。しかし、結核を患っていた高野氏はその翌年、26歳という若さでこの世を去ってしまう。
そんな二人の友情をいではく氏が書き下ろし、船村氏の子息でもある蔦将包氏が作曲・編曲し、村木の元に届けられたのが「友情の星」だった。本来は船村氏が作曲する予定だったが、2017年に船村氏が逝去したことで、歌詞だけが残されていた。いで氏が説明する。
「船村先生まで星になってしまい、実らなかった歌になったなと思っていました。ところが、一昨年、船村先生の奥様から電話をいただきまして、遺品を整理していたら、『この原稿が見つかりました。この歌を船村の最後の弟子である村木弾に歌わせたい』ということでした」
一度は、日の目を見ることもなく消えゆく作品だっただけに、いで氏は、「とっても生命力のある歌です」と話す。
「友情の星」からオリジナル曲「都会のカラス」「親父の手紙」などへと歌い継ぐと、村木はピアノ演奏で船村作品を披露していく。
「別れの一本杉」や「風雪ながれ旅」など、よく知られた船村作品ではなく、普段、あまり耳にする機会が少ないであろう船村作品から、村木は「風待ち食堂」や「故郷の山が見える」「新宿情話」「夕笛」「男の友情」「雨の夜あなたは帰る」を歌う。
一曲一曲、曲への思いやエピソードなど交えて聴かせる村木。「風待ち食堂」はずっと残して起きたい作品だと話し、「夕笛」では、いつかは自分の作品としてカバーしてみたいと吐露。「雨の夜あたなは帰る」では、ギターを弾きながら歌唱した。
ギターの弾き語りでは、緊張から饒舌になっていたが、誰もが知る名曲「なごり雪」や「もしもピアノが弾けたなら」などにも挑戦していた。
ライブの終盤は両親に捧げる2曲を歌った。一曲は鳥羽一郎の作品からギターの弾き語りで「海の匂いのお母さん」。もう一曲はカラオケを使用しての「あぐら酒」だった。
「あぐら酒」を歌っている時だった。村木が思わず涙ぐむ。和田青児が2002年にリリースした「人生列車」のカップリング曲に収録されていた「あぐら酒」。船村徹氏へ弟子入りする前からよく知っていた作品で、久しぶりに故郷へ帰った息子が父と酒を酌み交わす物語が描かれていた。
母親は小言がうるさくて、父親は怖かったと、ステージで話していた村木。コロナ禍でしばらく帰省できていなかったが、久しぶりに見た親父(おやじ)は「ずいぶん、頭が禿げちゃった(笑)」。
照れ隠しから、ステージでは両親を揶揄して笑いを誘っていたが、本心は大切な大切な父と母だった。
なんとか歌い終えた村木は「ダメですね。うまく歌えなくなるから」と、涙をぬぐっていた。
多くを語らず、実直で素朴。朴訥(ぼくとつ)なところが村木の良さでもあった。だからこそ、船村徹氏の未亡人は「この歌を船村の最後の弟子である村木弾に歌わせたい」と思ったのかもしれない。
「皆様にも家族や友人がいますが、大事な方が先に天国へ行ってしまっても、残された人間は、その人のことを思いながらも生活をしていかなければなりません。『友情の星』は師匠と高野公男さんの友情をモデルにした歌ですが、皆さんにとっての大事な人のことを思い浮かべながら聴いていただきたいと思います」
ライブの最後に、村木はもう一度「友情の星」を歌った。
「この歌は、自分にとって非常に大きな作品になると思っています。いろんな人に聴いていただきたい。知っていただきたいと思っています。こんな自分ですが、応援してください」