大沢桃子の師匠・浅香光代が逝去。大沢がブログで「埋めようのない寂しさでいっぱい」と綴る

女剣劇で一時代を作った俳優の浅香光代が12月13日にすい臓がんのため都内の病院で亡くなったが、踊りの恩師として浅香を尊敬し慕っていた大沢桃子が同月14日、「天国の浅香光代先生へ」と題してブログを更新、「恩師 浅香光代先生が天国に旅立たれました。今はまだ、埋めようのない寂しさでいっぱいです」と、つらい胸の内を明かした。

「浅香先生と最後にお会いしたのは先生のご自宅へ伺った10月8日。今年は、コロナ禍での開催の為、浅草公会堂へ応援に行けなくて悔しいと おっしゃって…。お元気な声と満面の笑顔で『桃ちゃーん、ここから応援してるからね』。そう私を励まして下さいました。2ヶ月前のあの笑顔が浮かんでなりません」

大沢は浅香からの教えを心に刻み、ヒット曲で恩返ししたいとも記し、「不器用な私がこの道で迷わないよう、先生、これからも天国からダメ出ししながら見守っていて下さいね」と綴っている。

全文は大沢桃子公式ブログへ。
「桃子ブログ~大沢桃子オフィシャルブログ~「どんどはれ」

https://ameblo.jp/momoko-osawa/entry-12644056607.html

 

「桃ちゃん、お客様への感謝を忘れずにね」

上の写真は、昨年7月5日、浅草公会堂で行われた「大沢桃子 スーパーピンクパンサー~エレキDE演歌2019コンサート~」の観覧に訪れた浅香光代と内縁の夫である世志凡太、そして大沢桃子。「浅香光代の付属品、6番目の亭主でございます」と観客を笑わせながら、世志が浅香をステージへ誘導すると、マイクを持った浅香は「桃ちゃん、おめでとう」と呼びかけ、7年連続となった浅草公会堂でのコンサートを祝福、花束を贈呈した。そして観客に向かって挨拶した。

「こうやって、皆様の前で『どうもありがとうございました』と言えることが、本当にうれしゅうございます。自分がやっている以上に、ああ、よかったなあ。(大沢に向かって)あんた一人じゃないよ。お客さんがいて初めて、『大沢桃子が一所懸命やってんだな』って。お客さんが一人でも欠けたらなんにもなんにもなんないんだから……。(客席に向かって)かわいがってやってくださいよ。大沢桃子をひとつよろしくお願いします」

残念ながら今年10月10日に行われた「大沢桃子 エレキDE演歌2020 どんどはれコンサート in 浅草公会堂」では、コロナ禍のため浅香は会場へ足を運ぶことはできなかったが、ビデオメッセージを寄せて、次のようにコメントしていた。

「やっぱりね、なんといってもね、“桃子ッ!”“桃ちゃ~ん!!”と言ってもらわないとね。浅香光代でございます。桃ちゃんが大変お世話になっております。(浅草公会堂に)足向けて寝られないんですよ。どうぞ、ひとつね、桃子を、桃ちゃんをかわいがってくださいよ。ただ、かわいがるだけじゃなく、チケットを買ってもらってね、皆さんに来ていただいて、“桃ちゃ~ん!!”って言ってもらいたいね」

 
浅香光代は1928年2月20日、東京・神田に生まれ、9歳の時に浅香新八郎、森静子らの劇団「新生国民座」に入門。1944年、新八郎が公演中の舞台で倒れ急死すると、妻でもあった森は劇団の解散を決意する。その結果、若くして浅香は「浅香光代一座」を旗揚げすることになるが、昭和30年代には女剣劇ブームの立役者として時代を作った。また女優としてテレビや映画にも出演。2009年には顕著な功績を挙げた者に授与される旭日双光章(きょくじつそうこうしょう)を受賞した。2010年にはプロレスのリングへ上がり話題になるなど、バラエティーでも活躍し、いつも時の人であった。

また日本舞踊 花柳流の師範を返上して演劇舞踊浅香流を創流、家元となる。寺内タケシを歌の師匠に持つ大沢は、踊りの師匠として浅香から手ほどきを受けていた。稽古は厳しかったようだが、「桃ちゃん、お客様への感謝のを忘れずにね」が口癖で、日頃の振る舞いや、人に見られる仕事についてのアドバイスなども欠かさなかったという。

大沢は10月21日に発売された『月刊カラオケファン』(2020年12月号)の取材で、デビュー前に踊りの稽古で足繁く通った浅草を訪れ、浅香とひと時を過ごしている。その中で、浅香は大沢のことを「気立てもいいし、誰からも好かれる子」と評している。そして、スターは輝いていなければならないが、「でも、見た目より人柄が一番大事だよ。お客さんは人に付いて来るから。だから、分け隔てなく誰でも同じように接して、感謝の気持ちを忘れないことだね。(中略)誰からも愛される人になりなさい」と人生訓を送っていた。(詳細は月刊カラオケファン12月号をご覧ください)

浅香は10月下旬に体調を崩し入院した際に、すい臓がんのステージ4と診断され、余命3カ月との宣告を受けた。だが、高齢であることもあり、手術や治療をすることができなかったという。次男の北岡昭次氏が出したコメントによると、「浅香光代は病名を知ることなく都内の病院にてすい臓がんのため痛みを感じることなくやすらかに永眠いたしました」とのこと。享年92。

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