野村美菜の魅力がギュッとつまった「野村美菜オリジナルベスト2020」
歌手人生の生き様を感じるようなアルバムに出合うと、とてもうれしくなる。野村美菜がリリースした「野村美菜オリジナルベスト2020」は、まさにそんな一枚だった。
野村美菜は17歳の時に、歌手を志して宮城県から上京した。アルバイトをしながらレッスン生活を続けたが、そう簡単に歌手になれるわけはない。愛情の裏返しだろうが、父は「お前が歌手デビューできたら逆立ちをして、国分町(地元)を歩いてやる」と言った。
しかし2002年、野村は作曲家の水森英夫氏に見い出されて弟子入りする。レッスンは厳しかったが、水森氏は「他のレッスン生は弱音を吐いたり、文句を言ったりすることもあったが、野村は愚痴ひとつ言わなかった」と回想する。
2004年6月23日、野村は三代目コロムビア・ローズとして、コロムビアミュージックエンタテイメント(現・日本コロムビア)からデビューした。昭和の大スターの冠を背負ったことは大きなプレッシャーだったが、初代と二代目が10年を前に引退していたことから、「10年は歌い続ける」と決意していたという。
2015年、野村は日本クラウンに移籍し、“野村未奈(2017年1月から本名の野村美菜)”となった。“コロンビア・ローズ”という、昭和の大きな看板を外して歌っていくことを決めた。
そして、歌手デビューから丸15年。野村は、看板を外した三代目コロムビア・ローズ時代の歌を含めた、すべてのオリジナル曲と向かい合い、ベストアルバムをリリースした。「野村美菜オリジナルベスト2020」は、野村の15年を凝縮した作品となった。
――ベストアルバムを出すことになった経緯を教えてください。
野村 日本クラウンに移籍してからはベストアルバムを出していなかったのですが、ファンの方から、三代目コロムビア・ローズ時代の曲から集めたベストアルバムがほしい、という声がたくさんありました。15周年が過ぎたこのタイミングで、集大成となるアルバムを出そうという話が出たのですが、本当にありがたかったですし、ファンの方にお届けできことがうれしいですね。やったー! って(笑)。
――収録曲は全16曲ですが、選曲に苦労されたのでは?
野村 とくに思い入れのある曲や、お世話になっている事務所の地元(東京・江東区)を舞台にした「深川ブルース」や「雨の辰巳新道」は入れたいなとか、10周年の記念作品で、それまでの私の作品の世界観にはない、スケールの大きな曲となった「かがり火恋歌」は外したくないしとか。スタッフの方とも相談し、厳選に厳選した16曲になりました。
1.「千曲川哀歌」
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/前田俊明
初出:2015年10月7日
――今回は全16曲を振り返っていただきたいのですが、まず、アルバムの1曲目は「千曲川哀歌(エレジー)」です。日本クラウンへの移籍第1弾の曲になりました。
野村 信州・上田を舞台にした「城下町ブルース」をリリースしたご縁で、2009年から長野県上田市の観光大使“信州上田~歌と愛を紬(つむぐ)大使~”を務めさていただいていますが、移籍第1弾という節目に、新たにまた、上田を舞台にした作品をいただきました。上田から別所温泉まで出ているローカル線「別所線」など、森田いづみ先生がすごく思い入れのある場所を歌詞の中にたくさん入れてくださいました。
――曲が完成した時の気持ちはいかがでしたか?
野村 曲の出だしのトランペットの音色がよくて、オケ録(伴奏録音)の時に、「わーっ、すごくかっこいい」って。鳥肌が立ちました。お亡くなりになった前田先生が精魂込めて編曲してくださったのだと思います。移籍第1弾にふさわしい曲で、カラオケでもたくさん歌っていただきました。YouTubeで公開されたミュージックビデオへのアクセスもすごく多かった曲です。
2.「出港五分前」
作詞/松井由利夫 作曲/水森英夫
初出:2004年6月23日
――2曲目はデビュー曲「出港五分前」です。港に切なく響く霧笛の音をメロディーに乗せて、「‥‥霧笛がボゥ」と歌うラストが印象的です。
野村 最初は、「‥‥霧笛がボゥ」の後に、「もひとつボゥ」という歌詞がついていたんですよ。「出港五分前」はすごく切ない歌詞で、曲調もマイナーな王道の演歌でした。生意気にも「もひとつボゥ」ってどうなんだろう(笑)、と思っていました。でも、デビュー前だったので先生にも言えず‥‥。
――最終的には、「もひとつボゥ」はなくなった。
野村 レコーディングの時かな。入れるか入れないかを、松井先生とディレクターさんが協議されていて、どうなるのかなと、聞き耳を立てていました(笑)。
――入れないと決まった時には、良かった~!! みたいな?
野村 はい(笑)。でも、のちに松井先生が「入れていても良かったじゃないか」とおっしゃっていました。松井先生はとても優しいお方です。師匠の水森先生は歌には厳しかったので、初めてのレコーディングは緊張しました。しかも、美空ひばりさんがレコーディングされていたのと同じスタジオだったので、なおさらでした。そんな現場で、松井先生が「がんばってね」と、優しく励ましてくださったのが、今でもすごく印象に残っています。詞の内容についても、「ローズちゃんには少し大人っぽい曲かな」とおっしゃっていましたが、「出港五分前」というタイトルは、これからデビューする私の心境を表してくださったものです。がんばろう! 行くぞ! と。
――新録ということで、今回、歌ってみていかがでしたか?
野村 当時はどう歌ったらいいのかわからなかったですし、今聴くと、声が固いし、聴くのがちょっと恥ずかしかったですね。ですので、あの時より成長した歌い方でお届けしたい、という気持ちで歌いました。
――逆に、当時の自分もがんばっていたな、と思う部分はありましたか?
野村 自分の持っている力を最大限に出しているので、力強さや、パンチ力はもしかしたらデビュー時の方があるかもしれないですね
3.「北上川」
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/京 建輔
初出:2017年1月11日
――「北上川」はデビュー13年目の曲です。名前を現在の野村美菜に改名された最初の曲です。
野村 カップリング曲は、「美菜の平泉音頭」で、それがご縁で平泉市の観光大使をさせていただきました。「北上川」は“川”シリーズの第3弾として出させていただいた曲です。舞台となる北上川は、私の故郷である東北を流れる一番の大河です。2017年1月発売だったので、前年の10月か11月に北上川沿いでプロモーションビデオの撮影を行ったのですが、すごく寒い時期で、肩を出したドレスで凍えながら撮影したのを覚えています。カメラが止まった瞬間に、スタッフの方がコートをかけてくださって。思い出深いプロモーションビデオになりました。
――曲についての思い出はありますか?
野村 父の影響から、ずっと吉幾三さんの歌が大好きでした。「海峡」などが好きで、ああいうアレンジが好きなんです、という話をディレクターさんとさせていただく機会があったんですが、それが生かされた、すごくかっこういいアレンジの曲が上がってきました。「海峡」の京先生のアレンジでした。スケール感のある三連メロディーの曲で、水森先生からは「リズムに忠実に歌うんだよ」とアドバイスをいただきました。切ない女性像の歌ですが、三連のリズムの曲ということもあり、男性からの支持が多かった曲ですね。
4.夢のバスガール
作詞/秋元 康 作曲/水森英夫
初出:2006年6月21日
――「夢のバスガール」は、はとバスバスガイドの応援ソングにもなりました。
野村 昭和の時代に大ヒットした初代ローズさんの「東京のバスガール」にあやかって、平成のバスガールをテーマにした歌を出そうということで、秋元先生が書いてくださった曲です。実際に、はとバスにお邪魔して研修も受けたんですよ。私がはとバスに乗って、マスコミの方をご案内するというイベントもやりました。
――右手に見えますのは‥‥。
野村 333メートルの東京タワーです、とか(笑)。
――実際にお客様の前で歌ってみての反響はいかがでしたか?
野村 私の声は低めで、少し太いので、こういった爽やかな曲は初めてでした。でも、こういう曲が一曲あると、ステージでも明るくお手拍子して楽しんでいただけますし、聴いているだけでも、みなさんが東京観光している気分になっていただけます。「夢のバスガール」はコンサートでも欠かせない歌になりました。
――アルバムに収録するにあたり、新録されました。
野村 難しいことを考えずに、音楽に乗って楽しく歌う、という曲調なので、楽しんで歌いました。
――当時を思い出しながら?
野村 そうですね、真黄色の帽子をかぶって、同じ真黄色のドレスを着てたなとか(笑)。当時、歌番組や歌唱ショーなどで、ステージに歌手が並ぶ時に、私だけ黄色の衣装で、ちょっと異色でした(笑)。
5.伊良湖水道
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/前田俊明
初出:2017年9月27日
――「伊良湖水道」は代表曲のひとつになりました。別れた男を慕い続ける切ない女性の気持ちを歌ったムーディーな歌謡曲です。
野村 石川さゆりさんの「能登半島」のように、畳みかける曲です。愛知県と三重県の間を結ぶ伊良湖水道が舞台で、女性が情熱的に男性を追いかけます。伊良湖には何度もお邪魔しましたし、この曲がご縁で、(伊良湖岬がある)田原市のPRサポーターにも認定していただきました。遠州灘が見える景色など、すごくきれいなんですよ。たぶん、この曲がなかったら渥美半島へ行く機会はなかったかもしれません。曲のおかげで日本にもこんなに素晴らしいところがあるんだと気づかされ、すごく感動しました。
――曲についてはいかがですか?
野村 「北上川」もそうですが、スケールの大きな歌で、ドラマのエンディングに合うような壮大さがあります。ドラマチックな曲調なので、若い方がカラオケで挑戦してくださったり、普段、あまり演歌を聴かない方が、「この歌、好きです」と言ってくださったり。私も歌っていて気持ちよく、歌の世界に入っていける歌です。
6.ほほえみ列車
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/伊戸のりお
初出:2016年8月3日
――「ほほえみ列車」は現職の上田市長・母袋創一氏(当時)とのデュエット曲でした。
野村 上田市を舞台にした曲ですが、この曲の1年ほど前に、音楽レクリエーション専門員という介護福祉の資格を取得したんです。そんなこともあり、健康体操用の振付をつけた曲を作ろうという話が持ち上がりました。上田市のある長野県は長寿の国と言われていて、上田市も健康や福祉にすごく力を入れています。市長が元々、歌がお上手で、私の「千曲川哀歌(エレジー)」やカップリング曲の「くれない船」をよく歌ってくださっていました。そんなこともあり、オファーをさせていただいたら、「一緒にやりましょう」と快く引き受けてくださいました。今でも上田市では、朝のラジオ体操の代わりに、「ほほえみ列車」の健康体操をみんなでしてくださっています。
――市長とのレコーディングはいかがでしたか? いつもは厳しい先生も優しかったですか?
野村 あ、そうですね(笑)。細かいことまでは言えないですしね。雰囲気はすごく良かったですよ。市長もレコーディングは初挑戦だったと思うのですが、とても爽やかで、お声もすごく良くて。今は、市長を退任されていますが、昨年の15周年記念コンサートではゲストとしてご登場いただいて、一緒に「ほほえみ列車」を歌いました。
7.最終便
作詞/仁井谷俊也 作曲/水森英夫
2007年9月19日
――「最終便」は、「出航五分前」でデビューされた野村さんが「蒼いバラの伝説」「異国の華~お春物語~」「夢のバスガール」と歌い継いでこられて、5作目の作品です。過去4作品とは雰囲気が変わりました。
野村 とくに「夢のバスガール」のあとですからね。バラードというか、いわゆる歌謡曲です。ディレクターや水森先生が、ローズには次はどんな曲が合うか、と考えてくださったのだと思いますが、こういった作品を歌いたかったので、いただいた時はすごくうれしかったですね。歌詞の中に「羽田発 21:00 最終便」というフレーズがあるのですが、実際に羽田から北海道の千歳に飛ぶ21時発の最終便があったんですよ。新たに挑戦した曲だったのですが、イメージしやすかったですね。
――当時の思い出はありますか?
野村 愛することに疲れた主人公が最終便で旅に出るという、空港を舞台にした曲だったので、飛行機を使って全国各地をまわろうということになり、“飛びます・飛びますキャンペーン”というのをやりました(笑)。デビューの時もバーっていろんなところへ行きましたが、「最終便」でももう1回やろうとなって、全国各地へ飛びました。
――観光する余裕もなく?
野村 ですね(笑)。デビューしてすぐのキャンペーンを思い出しました。当時は、本当に何もかもわからなくて、名古屋まわって、大阪行って、そのあと福岡行って、そのまま北海道へ行って、東北まわって、東京へ帰るみたいなスケジュールでした。20日以上、自宅へ帰れませんでした。福岡でのキャンペーンが終わって、北海道に飛んだ時に、途中で眼下に東京が見えるじゃないですか。「降ろして!」みたいな(笑)。
――デビューしてみて、本当に大変な世界だなと思われた?
野村 すごく大変でした。毎日、違うところへお邪魔して、たくさんの方にお会いするので、お名前を覚えるのも大変で。いつもメモ帳に、お顔とお名前と会社名、特徴を全部書いていました。すべてが初めてのことでした。飛行機も、デビューする前に一度乗ったことがあった程度でした。その時は、水森先生が沖縄へ連れていってくださったんです。弟子のみんなで沖縄へ行こう、という話になって。でも、それまで飛行機に乗ったことがなかったので、先生に「パスポートっているんですか」って(笑)。それぐらい世間知らずでした。
8.くれないの船
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/前田俊明
初出:2015年10月7日
――「くれないの船」は、日本クラウンへの移籍第1弾となった「千曲川哀歌(エレジー)」のカップリング曲で、上田市をテーマに“真田幸村”を描いた楽曲です。
野村 2009年に上田市の観光大使になった時、上田市長が真田幸村を題材にしたNHK大河ドラマを作ってほしいと、署名活動をされていました。私もこの活動に賛同して、ファンの方に署名をお願いするなど、活動のお手伝いをさせていただきました。
――そうした署名活動がNHK大河ドラマ「真田丸」(2016年放送)の制作につながったんですね。
野村 念願かなって大河ドラマが始まるという時期と、私の日本クラウンへの移籍が重なって、森田先生が真田幸村の生き様を詞に書いてくださいました。私にとって初めての男唄でしたね。
――歌い方で悩みはありましたか?
野村 ありました。歌詞も硬派ですし、スケール感も出さないといけないし。水森先生にも、「どう歌ったらいいでしょうか?」とお聞きしました。「生き様をとにかく大きく、たっぷりと歌え」というふうに教えていただいて、壮大な感じで歌いました。
――上田市での反響はいかがでしたか?
野村 上田は真田幸村をすごく讃えているので、反響が大きかったですね。私は5歳から日本舞踊を習っていますが、「くれないの船」では日舞を披露させていただくなどしています。今でも上田へお邪魔すると、「この歌を歌って」という声が多いですね。人気の歌です。
9.夢路の宿
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/前田俊明
初出:2019年2月6日
――「夢路の宿」は15周年記念曲の第1弾です。
野村 ブルース調の曲です。ちょっと懐かしさも感じられるけれど、決して古くなくて、アレンジがとてもおしゃれです。私の作品では、カラオケで一番歌われている曲です。歌ってくださっている方が若かった頃を思い出して、「あっ、こういう歌あったよな」みたいな雰囲気を「夢路の宿」に持ってくださっているのだと思います。
――歌っていて、気持ちいいんでしょうね。
野村 カラオケ喫茶さんのキャンペーンもたくさん行きました。キャンペーン内容は、私が「夢路の宿」の歌唱指導をさせていただいて、そのあと3人の方に歌っていただくというもので、それを1日に3回(9人が歌唱)やるのですが、9人じゃ終わらないというか。キャンペーンにお邪魔したら、もう歌ってくださっていることもあり(笑)、こんなにも浸透しているんだなと、こちらが驚かされました。私が歌わなくても、みなさん、ずっとリピートして歌っていました。
――そんな人気曲の歌唱指導をお願いできますか?
野村 ブルースなので、「母音を大事にしなさい」と、水森先生に指導を受けました。ですので、母音にすごく気をつけて歌っています。母音とリズムが大切です。母音だけに気を取られると、リズムが遅れちゃったりするので、リズムに乗り遅れずに母音をしっかり前に出す、というのを心掛けて歌ってください。
10.深川ブルース
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫
初出:2012年6月20日
――ブルースが続きます。「深川ブルース」の舞台は所属事務所の地元ですね?
野村 はい。この曲がご縁で、東京・深川にある富岡八幡宮の例大祭には毎年出させていただいています。江戸三大祭のひとつで、三年に一度行われる本祭りは本当に盛大です。深川の方に、とくに応援していただいている曲です。
――今回、新録されましたが、8年前と比べて修正されたところなどはありますか?
野村 「夢路の宿」で、先生に「母音に気をつけろ」と教えていただいたので、同じブルースということで応用させていただきました。当時の歌い方よりも母音に気をつけながら歌いました。ファンクラブ・イベントなどで、私の作品で好きな曲をリクエストしてもらうと、この「深川ブルース」が1位なんですよ。
11.博多の夜
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/前田俊明
初出:2019年2月6日
――「博多の夜」のリズムがいいですよね。福岡・博多のネオン街で愛しい人を思い続ける女性を、GSサウンドをイメージしたアレンジで歌っています。
野村 すごくノリノリで歌える曲です。お客様も一緒に参加していただける、掛け合いのコーラス部分があります。コンサートでは、コーラス部分をお客様に手伝ってもらって、みんなで盛り上がれる楽しい曲です。お客様と一体になれるので、好きな曲です。
――ご当地ソングでもあります。
野村 博多どんたくに出させてもらったり、中洲で歌ったり。福岡の方はすごく明るくて、ノリもいいですね。
12.雨の辰巳新道
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫
初出:2011年6月22日
――この曲も所属事務所の地元が舞台ですね。
野村 カップリング曲でも人気の曲がありますが、そんな一曲です。「いつかその気になったら」のカップリングだったのですが、お客様からすごく人気があって、「深川ブルース」(2012年6月20日)をリリースする時に、もう一度、カップリングに入れようということになりました。「雨の辰巳新道」は、森田先生の作詞家のとしてのデビュー曲なんです。
――2度もカップリング曲として収録された曲は、選曲から外せないですね。
野村 不動の1曲ですね。
――“辰巳新道”は50メートルほどの通りに、昭和の香りが漂う居酒屋などが連なる繁華街ですが、全国的にはあまり知られていない、まさに地元の人しか知らない場所ですね。
野村 たぶん門仲(門前仲町)は知っていても、辰巳新道はなかなか見つけられないというか。「辰巳新道ってどこにあるんですか?」ってよく聞かれます。地元の人にとっては有名な場所なんですけどね。
――辰巳新道にはよく行かれますか?
野村 事務所の会長にとって辰巳新道は自分の庭みたいなものなので、何度も連れて行っていただきました。まさか自分が辰巳新道を舞台にした歌を歌うことになるとは思っていませんでしたが、風情のある場所で、まさに歌の世界そのものです。
――小さなスナックを営む女性が主人公の歌ですね。
野村 この曲を出してからは、辰巳新道のママさんや、お店の常連さんにもすごく応援してもらって、コンサートやイベントにも足を運んでくださっています。本当に辰巳新道の方たちには感謝しています。
13.伊良湖水道 めぐり逢い
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/南郷達也
歌/鳥羽一郎&野村美菜
初出:2018年5月23日
――この曲は「伊良湖水道」のその後を歌っています。新装盤「伊良湖水道【再会編】」のカップリングに収録されました。愛する人を追いかけ水道を渡った主人公が、鳥羽で再会を果たします。鳥羽一郎さんとのデュエット作品になりました。
野村 鳥羽さんが一緒に歌ってくださったのですが、声がすごく色っぽくて、素敵でした。何もかも引っ張ってくださるような感じで、ダンディーで、聴き惚れてしまいます。
――鳥羽さんとのデュエットはどのような経緯で決まったのですか?
野村 愛知と三重の間にあるのが伊良湖水道で、伊良湖港から出航したフェリーが到着するのが鳥羽です。鳥羽といえば、鳥羽一郎さんだったので、同じ日本クラウンの所属ということもあってお願いしたところ、快く受けてくださいました。
――レコーディングはどんな雰囲気でしたか?
野村 鳥羽さんが本番で歌われたのは2回か3回だったと思います。ディレクターさんもすぐにOKを出されて、私が言うのもおこがましいですが、さすがだなと思いました。
――同録ではなかったのですか?
野村 はい、別々です。でも、オケ録の時に、仮歌を横で一緒に歌わせていただきました。「兄弟船」を歌われる(男らしい)鳥羽さんとはイメージが違って、甘い感じでした。歌の世界観に合わせてくださったのだと思いますが、惚れ惚れ。大先輩ですが、ますます尊敬しました。
――ステージで一緒に「伊良湖水道 めぐり逢い」を歌われたことは?
野村 残念ながらないんです。お忙しい方なので、お会いするのも年に数回しかないぐらいですから。でも、収録現場でお会いさせていただくと、「歌ってくれているんだな。ありがとう」って声をかけてくださいます。たぶん、地元に帰られた時に、私がこの歌をキャンペーンかなにかで歌っていたよ、という話を耳にされたのだと思います。私のCDに収録された曲なのに、そうしてお声をかけていただくと感動しますね。ですから、一緒に歌えなかったのが‥‥。
――心残りですか?
野村 実現したかったですね。
――でも、チャンスがなくなったわけではない。
野村 はい。再会できるかも。めぐり逢えるかも(笑)。
14.矢作川
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫
初出:2014年4月23日
――愛知県を流れる矢作川が舞台の「矢作川」は、コロムビア時代の最後の作品ですね。
野村 10周年記念曲の第2弾として出させていただきました。愛知県でラジオのレギュラー番組を持っていたので、東海エリアにお住まいのファンが多くて、愛知県を舞台にした曲を作ることになりました。「矢作川」がご縁となって、愛知の歌をたくさん歌うようになりました。「伊良湖水道」や、「伊良湖水道 めぐり逢い」のほか、「名古屋哀歌(エレジー)」という曲もありました。
――東海地方で歌う機会も増えましたか?
野村 お邪魔させていただく機会は増えました。ほんとに故郷がもうひとつできたような気持ちでした。向こうへ行くと、「愛知出身なの?」って聞かれることも多かったですね。
――矢作川には行かれましたか?
野村 豊田や岡崎、碧南を通って三河湾に流れる大きな川です。長野県からも流れてくるのかな(中央アルプス南端が源流)。歌詞の中に、挙母(ころも)の里って出てきます。豊田地方のことを昔は挙母と呼んでいたそうですが、その上流の矢作川の景観はすごく美しいんですよ。
――“川”シリーズの第1弾になった曲です。
野村 演歌って、海のイメージがすごく強いじゃないですか? 荒れる波とか。私の中の演歌の勝手なイメージだったのですが、川をテーマにした歌詞ができあがってきた時、作詞家の先生のすごさを感じました。矢作川を題材にした歌詞をリクエストされて、ポンってできちゃったから。
15.天文館の夜
作詞/森田いづみ 作曲/水森英夫 編曲/伊戸のりお
初出:2019年10月2日
――「天文館の夜」は野村さんにとっての最新曲になります。15周年記念曲・第2弾として昨年10月にリリースされました。
野村 九州・鹿児島を舞台にした曲です。私の歌の中では、もっとも最南端です。これまた、この曲がご縁で何度も足を運ばせていただきました。私は東北出身ですが、鹿児島の雰囲気はまったく違いました。南国なので、生えている木も違います。桜島を見た時も、こんなに近くで噴火していて大丈夫なのだろうかと心配になるほどでしたが、ちょこちょこ噴火しているので、地元のみなさんにとっては日常で(笑)。
――まさに異国の地に来たような?
野村 はい、違う国に来たような感じでした。天文館(鹿児島一の繁華街・歓楽街)のアーケードもステンドグラスがはめてあり、とてもおしゃれでした。どの曲もそうですが、曲のおかげで、地元の人と触れ合うことができるのがいいですね。おいしいお店をご紹介いただけたり。あんなにおいしい、きみなごをいただいたのは初めてでした。
16.かがり火恋歌
作詞/かず翼 作曲/水森英夫
初出:2013年6月19日
――アルバムの最後は「かがり火恋歌」となりました。闇夜の海に、男が燃やすかがり火だけを頼りに舟を漕ぎだす女性の情念を歌いました。
野村 「かがり火恋歌」は、すごく情熱的な曲。かず翼先生が書いてくださったんですけど、強い女性の歌です。「逢いに来るなら 死ぬ気で来い」、「二度とおまえを 離しはせぬと」という歌詞がありますが、これまで歌ってきた歌とは、ガラッと雰囲気が変わっていて、自分の中ではちょっとステップアップができたかな、と思える曲に巡り合えました。ですから、大事な時には必ず、この「かがり火恋歌」を歌いますね。
――「かがり火恋歌」はデビュー10周年の記念曲でした。
野村 初代と二代目の(コロムビア・)ローズさんって、10年やらずに芸能界から退かれていました。ですので、絶対に10年やる、というのが目標だったんです。がんばって10年歌い続けたいと。自分だけが歌いたいと思っても、歌い続けられるものではないので、デビュー当時から目標のひとつとしてありました。それで10年やって来れたというのは、すごく大きな自信になりました。
――10周年を迎えられた時のご家族の反応は? とくに「歌手デビューできたら地元を逆立ちして歩いてやる」とおっしゃっていたお父さんは?
野村 よく歌わせてもらっているな、という感じでした(笑)。でも、周りの人に感謝しなさいとは、今も常々言われます。
――あらためて完成したベストアルバム「野村美菜オリジナルベスト2020」についていかがですか? 自分でも聴かれましたか?
野村 他の先輩の曲や自分の好きな曲はいろいろ聴いても、普段は、自分の曲ってあまり聴かないじゃないですか。でも、こういうアルバムを聴くと、原点に帰るじゃないですけど、当時を思い出します。自分の世界に入りたい時に、ずっと聴いています。聴くと「ここはもうちょっとこうしたいな」とかいろいろ出てくるんですけどね。
――三代目コロムビア・ローズ時代の曲も一緒に収録されているので、15周年の集大成アルバムのような感じですか?
野村 15年がぎゅっとつまった一枚です。ファンの方も、こういうアルバムを待っていてくださった方が多かったんです。ベストアルバムは、レコード会社を移籍してすぐに出せるものではないですから、「待ってたよ」というお声が、すごくうれしかったですね。
野村美菜はデビュー6年目にして、初めて「オリジナル・ベスト~城下町ブルース~」を出している。
「たくさんの先輩が毎年、アルバムを出されているのを見ていたので、6年間歌ってきて、やっと一枚のアルバムが出せた時はうれしかったですね」
以来、野村はベストアルバムや全曲集をリリースして来たが、この「野村美菜オリジナルベスト2020」は、唯一無二の作品集となった。途切れることなくシングルを出して来たからこそであり、野村美菜の歌手人生、成長が感じられるアルバムとなった。
「今年はデビューして16年目になりますが、こうしてコンスタントにシングル作品を出せる環境にいさせてもらえたということが本当にありがたいですね」
※このインタビューは2020年7月に行われたものです。
2020年6月3日
野村美菜、唯一無二のベストアルバム
「オリジナルベスト2020」
【収録曲】千曲川哀歌(エレジー)/出港五分前/北上川/夢のバスガール*/伊良湖水道/ほほえみ列車/最終便*/くれないの船/夢路の宿/深川ブルース*/博多の夜/雨の辰巳新道*/伊良湖水道 めぐり逢い(鳥羽一郎&野村美菜)/矢作川*/天文館の夜/かがり火恋歌*
*新録音
野村美菜は2004年6月、“三代目コロムビア・ローズ”としてコロムビアミュージックエンタテインメント(現・日本 コロムビア)からデビューし、日本クラウンへの移籍を経て16年目を迎えた。デビュー曲「出港五分前」から最新作「天文館の夜」まで、両社からリリースされた代表作を収録した唯一無二のアルバムであり、今、聴くべき野村美菜の最強アルバムと言える。
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