藤井香愛、成長を信じて! ファーストコンサートで中野より愛を込めて

“令和の歌謡歌姫(ディーヴァ)”藤井香愛が7月3日、東京・中野区の野方区民ホールで「デビュー3周年記念ファーストコンサート~中野より愛を込めて~」を開催。“未来へ向かって歩いて行こう”と、さらなる飛躍を決意した。

一生歌手として生きていく

2018年7月4日に、「東京ルージュ」でデビューした藤井。その前年の8月に徳間ジャパンとラジオ日本によるオーディション「歌姫、歌彦を探せ!!」のファイナリスト(応募2500人から12名)に選ばれたことがきっかけとなり、ソロ歌手としてのデビューが決まった。

小さい時から憧れだった歌手。デビュー前にもユニットでのメインボーカルなど音楽関係の仕事をしていたが、諦めなかったことでつかんだ夢の世界だった。

デビュー前日の7月3日から初めてのキャンペーンを行い、デビュー日に行った東京・錦糸町のCDショップでの店頭キャンペーンには数百人が詰めかける注目度で、2週間で20カ所を回るという精力的なキャンペーン活動の成果もあり、デビュー曲「東京ルージュ」はオリコン演歌歌謡曲部門で初登場7位(7月16日付)を記録した。

藤井はその後も順調に歌手活動を続け、2019年7月にはセカンドシングル「TOKYO迷子」、翌4月にはサードシングル「その気もないくせに」をリリースした。ところがコロナ禍で歌手活動が大きく制限を受けることになる。

店頭キャンペーンができない中、藤井は3回目のデビュー記念日となった昨年の7月4日、ファンクラブ「DIVA CLUB」を発足させ、インターネットサイン会&ファンクラブ発足スペシャル企画を実施。その日のブログにこう書き込んだ。

「私はこの先、一生歌手として生きていきたいです。音楽は人の心をとても豊かにすると思います」

中野サンプラザホールを目指して

“一生歌手宣言”をしてから1年。ファーストコンサートは4年目のスタートを翌日に控えた2021年7月3日に行われた。本番直前、藤井は「感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。

「今日のコンサートは私のわがままから実現しました。ちょうどデビュー3周年が明日4日なので、このタイミングでファーストコンサートができたのは、いつも応援してくださっている皆さんのおかげです」

ファーストコンサートの開催が決まったのは今春だったという。

「事務所の社長はライブハウスでのミニライブを想定してくださっていたと思うんですが、『私はコンサートをやりたいんです!!』と強く言いまして(苦笑)。3年間歌手活動をしてきて、いろんな場所で歌う機会をいただきましたが、ホールでのコンサートを成し遂げたあとには、絶対に一回りも二回りも成長できると信じていました。コロナ禍の大変な時期にコンサートをやること自体がわがままなんですが、野方区民ホールという小さな会場にはもったいないぐらいのバンド編成で、音響や照明にも多くのスタッフさんが関わってくださいました」

東京・中野で生まれ育った藤井にとって、野方区民ホールでのコンサートには大きな意味があった。いつかは多くの有名歌手がコンサートを行う憧れの場所、地元の中野サンプラザホールの大きなステージに立ちたいという目標があったのだ。

「2024年に中野サンプラザが解体予定なんですけど、それまでにそこでソロコンサートをやるのが夢って、ずっと言ってきました。でも、中野サンプラザのステージは、まだ私には大きすぎます。野方区民ホールは中野では一番小規模なんですが、ここからスタートしたいと思いました。3周年記念のコンサートを野方区民ホールで開催できたので、4周年コンサートは次に大きなホールとなる、なかのZEROホールで開催して、5周年は中野サンプラザホールという道筋を自分で思い描いています。実現できるように頑張りたい」

成長した私の歌を聴いてほしい

野方区民ホールには開場前から大勢のファンが詰めかけていた。感染防止のためのソーシャルディスタンスを保つため160席(最大収容人数250名)しか販売されなかったが、早々に完売していた。

「歌を聴いてもらいたい。この3年間で、デビューしてからの3年間で歌が相当変わったと思います。だから、私の歌を聴いてもらいたいというのが一番です」

両A面シングルの新曲「その気もないくせに/鳴かない鳥」から歌い始めた藤井は、ファンを歌声で惹きつけていく。

藤井はソロデビュー前からカラオケのガイドボーカルを100曲以上歌ってきた経験がある。あの曲も聴かせたい。この曲も聴いてもらいたい。セットリストには、藤井の思いが溢れていた。

「東京の出身なので、東京をテーマにした曲をメドレーで入れたのがポイントかな。私は全国のファンから応援していただいていますし、地方から東京に出てきて歌手になられている方も多いと思うんですが、私はずっと東京です。ですから東京のいい歌というのを皆さんにお届けしたくて、歌での東京めぐりを皆さんに楽しんでいただきたいなと思いました」

「東京で見る雪はこれが最後ね」という歌詞が有名な「なごり雪」や、東京の歌メドレーでは「トーキョー・トワイライト」「東京ららばい」「六本木ララバイ」を歌っていた。

後半は「東京音頭」から始まった。夏を感じる歌に続いて、憧れの歌手の曲などに挑戦した。「東京音頭」はプロ野球チーム「東京ヤクルトスワローズ」の応援歌でもあり、かつて藤井は球団公認のパフォーマンスアーティスト「DDS」で活躍していた。

ちあきなおみの「冬隣」、山口百恵の「曼珠沙華」をフルコーラスで聴かせると、ファーストコンサートの最後は、もう一度、「その気もないくせに」をファンに届けて締めた。憧れの歌手・山口百恵の多くの楽曲を作詞したことでも知られる千家和也氏が作詞を手がけた大切な曲。サードシングルとして昨年発表したものの、コロナ禍でファンに直接届ける多くの機会が奪われた曲でもあったが、今年3月に新装盤として再リリースし、オリコン演歌歌謡曲部門で最高3位を獲得した。

藤井香愛、未来へ

「目指せ、中野サンプラザホール」への第一歩を踏み出した藤井にアンコールがかかる。ここまで21曲を熱唱してきた藤井は、ファーストコンサートに合わせて製作した赤の記念Tシャツに黒のパンス姿で再登場し、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」で弾けた! 歌いながら華麗なタップダンスを初披露したのだ。

小学生2年生から中学3年生までタップダンスを習っていた藤井は、ファーストコンサートのためにこの4月からレッスンに励んできたという。

「部屋の掃除をしていたら当時のタップシューズが出てきました。NHKの歌番組用に何かネタがないかと探していた時だったので、タップダンスの写真を提供したら採用されて、テレビで『またやってみようかな』なんて言ってしまったんです。でも、コンサートの開催が決まった頃でもあったので、当時通っていたレッスンスタジオへ通い始めました」

コロナ禍における緊急事態宣言の発令でスタジオが一時閉鎖された時には、自主練を積んできた。20年ぶりのタップダンスだったが、当時を思い出しながらステップを組み合わせて、自ら振り付けまでつけたという。

ポーズを決めて「飾りじゃないのよ涙は」を歌い終えた藤井は、お別れの曲として、kiroroの「未来へ」を選んだ。1997年にインディーズでリリースされていたが、メジャーデビューしたkiroroがセカンドシングルとして1998年に発売し大ヒットした曲だ。“未来に向かってゆっくり歩いて行こう”と訴える「未来へ」は、藤井香愛による自分自身へのメッセージでもあり、コロナ禍で頑張っているすべての人へのエールでもあった。

コンサートを終えた藤井は興奮が冷めない中、「無事に終わりました!!!!!!」とブログに書き込んだ。

「感謝の気持ちと、無事に終わった安心感で胸がいっぱいです。(略)幸せです!!♥」

藤井の言う“わがまま”が周りを動かして実現した初めてのソロコンサートは、この秋、11月3日にDVD映像作品『ファーストコンサート~中野より愛を込めて~』として発売されることが決まった。令和の歌謡ディーヴァ 藤井香愛にとって初の映像作品となる。


INFORMATION
2021年11月3日発売
藤井香愛、初の映像作品
『ファーストコンサート~中野より愛を込めて~』
徳間ジャパンコミュニケーションズ TKBA-1310 ¥4,000(税込)


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2021年3月10日発売
初の両A面シングル!
藤井香愛「その気もないくせに/鳴かない鳥」

「その気もないくせに」
作詞/千家和也 作曲/幸耕平 編曲/萩田光雄
「鳴かない鳥」
作詞/さいとう大三 作曲/幸耕平 編曲/坂本昌之
徳間ジャパンコミュニケーションズ  TKCA-91341 ¥1,350(税込)

藤井香愛初の両A面シングル。「その気もないくせに」は、作曲家の幸耕平氏が預かり温めていた、稀代のヒットメーカー・千家和也氏(2019年没)の遺作。幸氏が書き下ろしたメロディーはノリも良く、キャッチ―なサビが印象的。「千家先生の作品を歌わせていただけると聞いた時はビックリしましたが、大好きな山口百恵さんに少しでも近づけた気がしました。これからも大事に歌っていきたいと思います」(藤井)。「鳴かない鳥」は、愛する気持ちを持ったまま別れも言わずに身を引く主人公を鳴かない鳥にたとえた切ない歌詞が胸に刺さる一曲。「力まずに、それこそ語るようなテンションで歌ってください!」(藤井)

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