特集「橋 幸夫」夢を届けましょう(2)

橋 幸夫・・・死ぬまで夢を追い続けたい。

新しい発見

歌手生活60年間の中で一番感じることは時代の変化です。社会はもちろんですが、僕らの音楽環境もずい分変わりましたね。まずは録音方式がモノラルから始まり、ステレオになり、さらにアナログからデジタルへとなっていきました。音楽媒体もレコードからカセットテープやCD、音楽配信へと移り変わってきました。
その流れの中で僕はずっと活動してきたので、いろんな体験が入っています。ただ僕のファンの多くは70代や80代です。ストリーミングやダウンロードというカタカナ英語は知らないだろうし、最新のプレイヤーもないので音楽を聴く機会が減ってきたと感じていました。

そこに今、スマートフォンを使って動画共有サイトYouTubeで気軽に音楽を聴いたり、動画を観たりするという時代が来ています。今では小さな子どもがスマホを使っています。

そんな時代に橋 幸夫はどんな曲を歌っていけばいいのか。今回の新曲「恋せよカトリーヌ」を全面プロデュースしてくれたテリー(伊藤)さんは、橋幸夫は股旅演歌だけじゃない。恋の素晴らしさを伝える伝道師だと思ってくださっているんです。

だから77歳になった今でも、ラブソングを歌ってほしいという気持ちがあったんでしょう。

「なるほどなあ、見る人が見ると、橋 幸夫の中にはそういう一面があるんだ」と、あらためて気づかされました。それは僕にとって新しい発見でしたね。


橋 幸夫は恋の伝道師だ!!・・・テリー伊藤

橋幸夫の新曲「恋せよカトリーヌ」を作詞・作曲したのは、なんと、あのテリー伊藤氏だ。レコーディングでは、橋の魅力をどんどん引き出していったという。

「橋 幸夫の魅力は何か。その答えは簡単です」と、テリー伊藤氏。「彼の歌を聴くと恋をしたくなる。気持ちがウキウキしてくる。どんなに人生が大変でも、橋 幸夫の歌声が聴こえると楽しくなってくる」と言う。
「『雨の中の二人』『恋をするなら』『恋と涙の太陽』『おけさ唄えば』『すずらん娘』『いつでも夢を』などなど。どれだけ人生を豊かにしてくれたか。夢見たか。デビュー以来、それは何ひとつ変わらない。今回幸運にも、橋さんの新曲の作詞作曲をさせていただくことになった。最初に思ったのは、『そうだ、橋 幸夫は恋の伝道師なんだ! いくつになってもファンに恋する素晴らしさを伝える人なんだ!』。そんな思いで『恋せよカトリーヌ』を作りました。この曲で、ファンの皆様が夢見る少女になることを願って」


新しい扉を開きたい

6月から始めたYouTubeの公式チャンネル「橋幸夫ちゃん!ネル」も僕にとって新しい発見であり、挑戦です。これもテリーさんがアドバイザーになってくれているのですが、どんどん新しいアイデアが出てきて、楽しみながら撮影をしています。でも驚かされることも多いです。

これまでの芸能生活の中では、歌だけでなく芝居もやり、映画には34本出演しています。歌も映像もつくり上げていくことだと思ってきました。でもYouTubeではまったく違うんですよね。カメラは一台きりで、音声や照明のスタッフはいません。カメラについた小さなマイクにしゃべり、失敗したところも全部見せて、素の姿を楽しむ。それが現代のスタイルです

僕自身、パソコンは20年ほど前から触っていましたが、スマホはまったくやっていませんでした。でも今回を機に、僕も勉強しながらスマホやYouTubeに取り組んでいます。芸能界の最年長ユーチューバーと言われるかもしれませんが(笑)、僕は子どもの頃から好奇心旺盛で、そういう果敢な挑戦は好きなんです。

人生は考えようでは面白くもなるし、ダメにもなる。それが生きるということだと思っています。今、年配の皆さんがスマホの画面をポンッと押すだけで気軽に音楽が楽しめるという時代が来ています。僕のファンの中には、ガラケーしか使わない、そもそも携帯電話なんて嫌だよ、という方が少なからずいます。

でも皆さんといっしょに学んで、新しい世界を開拓していきたい! それが僕の夢なんです。僕の公式チャンネルではスマホの使い方やYouTubeの楽しみ方を、本当にわかりやすく教えています。ぜひ番組を観てほしいと思っています。

まだまだ現役でがんばる

僕はこれからもたくさんの夢を持って、いろんなことに挑戦していきたい。じゃあ夢は何かといえば、まずは体力維持ですよね。還暦を超えたあたりから、体重が増え、内臓や腸にかかわる持病も出てきました。それでも自分で節制し、鍛えて、悪いところは全部、治してきまた。

この年齢になると、生きているだけで大変です。現役でやっていくには、これまで以上に自己管理をちゃんとしないといけません。体力や声のコンディションを維持していくのはつらいですが、プロとしてやっている以上はカッコ悪い姿をファンの皆さんには見せらせませんから。

ただ、老いというのはなかなか手ごわい。今、熱海に住んでいるのでほぼ毎日1時間ぐらいウォーキングをしています。途中でバテたりすることはありませんが、足首などが局部的に痛くなったりします。これも年齢との戦いだと思いますが、挑戦でもあるんです。

声に関してはここ数年、ある先生のボイストレーニングをしっかりと受けてきました。その先生からは、大事なのは喉ではなく、呼吸法だというのを教わりました。

もちろん心肺機能が丈夫というのが基本なのですが、腹式の呼吸を意識する特別なノウハウがあって、それを毎日寝る前と朝起きた時にやっています。1回はほんの3分ぐらいの簡単なトレーニングなのですが、それだけで全然違います。発声練習をしなくても声が出ます。

このままトレーニングを続けていれば、80歳、90歳でも声が出ると言われています(笑)。まだまだ現役でやっていけるのかなと思っています。

運と縁に恵まれて

僕の子どもの頃の夢は建築家。もともと歌い手になろうとはまったく思っていませんでしたが、母の勧めで13歳から遠藤実先生の歌謡教室に入りました。それからは家族ぐるみで僕を応援してくれ、歌手デビュー60周年を迎えることができました。信じられない思いです。

しかもありがたいことに、遠藤先生と𠮷田正先生という、ともに国民栄誉賞を贈られたお二人に師事し、さまざまなことを教えていただきました。そして映画の世界では、大スターの市川雷蔵さんが僕の兄貴分として可愛がってくださいました。運と縁に恵まれ、本当に幸せな芸能生活を送ることができていると感じています。

時代が移り変わる中、いろんな人生がありましたが、僕はいつも皆さんに夢を届けられる存在でありたい。夢は果てしなくという言葉がありますが、死ぬまで夢を追い続けたいと思っています。

(文=川原田 剛 写真=安岡 嘉)

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2020年7月1日発売
橋 幸夫 歌手デビュー60周年記念曲
「恋せよカトリーヌ」

「恋せよカトリーヌ」
作詞・作曲/テリー伊藤 編曲/萩田光雄
c/w「この世のおまけ」
作詞/荒木とよひさ 作曲/橋 幸夫 編曲/矢田部 正
「60周年ご挨拶」(橋 幸夫からのメッセージ)
(BGM「潮来笠」 作詞/佐伯孝夫 作曲・編曲:𠮷田 正)
ビクターエンタテインメント VICL-37651 ¥1,364+税

いつまでも恋をしよう! と情熱的に、そして艶っぽく歌う「恋せよカトリーヌ」。「もう一度、Loveしよう 星が消える前に」という歌詞を77歳の橋がさらりと表現している。カップリング曲「この世のおまけ」は表題曲とは対照的な世界観の歌。橋が作曲を担当し、今に感謝して、あるがままに生きようと訴えている。


2020年05月29日発売
歌手デビュー60周年記念企画
橋幸夫 出演映画、初DVD化!

『潮来笠』(1961年作品)

KADOKAWA DABA- 5697 ¥2,500+税
出演/小林勝彦、近藤美恵子、小桜純子、丹羽又三郎、藤原礼子、橋幸夫

橋幸夫のヒット曲「潮来笠」のメロディーに乗って描かれる股旅映画。風光明媚な潮来の町々を舞台の中心に、白いきまたに三度笠、長ドス片手に斬りまくる男一匹旅がらすの伊太郎による恋と度胸と心意気の物語 橋の初出演作品。
【橋 幸夫コメント】
「潮来笠」は昭和35年(1960年)の私のデビュー曲であり、私がその年に大映の専属になって第1作目の映画が『潮来笠』です。当時の私は演技もわからない、時代劇にも出たことがないという環境での初出演でした。主役の潮来の伊太郎役は小林勝彦さんが演じていて、痛快ないいドラマでしたね。私は潮来笠を歌いながら通り抜けていく役での出演でした。

『悲恋の若武者』(1962年作品)

出演/橋幸夫、三条江梨子、姿美千子、天知茂、中村豊
KADOKAWA DABA-5696 ¥2,500+税

橋 幸夫の初出演映画。西郷隆盛の教えを奉ずる青雲塾で心身を鍛錬する天野駿太郎(橋)と、塾長の娘・志保とはいつしか愛し合うようになったが、西南戦争によって残酷な運命がふたりに襲い掛かる。美少年と美少女の悲しい恋が描かれた作品。
【橋幸夫コメント】
『悲恋の若武者』は私の初の主演映画です。当時は滋賀県の饗庭野にある自衛隊の演習場でロケを行いました。乗馬のシーンはアップが多かったのですが、休憩時間に初めて乗馬した時、馬が暴走し1キロぐらい走ったあと、急に直角に曲がったため、武具の扮装のまま5メートルほど投げ出されたことがありました。私は傷だらけになり、その日のロケは中止になってしまったという痛い思い出があります。


Profile

橋 幸夫(はし・ゆきお)
1943年5月3日、東京生まれ。呉服屋の9人兄弟の末っ子として生を受け、中学時代から作曲家・遠藤実氏に師事。高校1年生の時、ビクターエンタテインメントのオーディションに合格し、作曲家・𠮷田正氏の薫陶を受け、1960年に「潮来笠」でデビュー。日本レコード大賞新人賞の第1回受賞者となる。その後、女優の吉永小百合とのデュエット「いつでも夢を」をはじめ、「霧氷」「子連れ狼」「恋のメキシカン・ロック」など演歌からポップスまで幅広い楽曲をヒットさせた。また歌の世界だけでなく、映画、テレビ、講演会など、77歳になった現在もさまざまな世界で精力的に活動中。

 

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