特集「橋 幸夫」夢を届けましょう(1)
1960年、「潮来笠」でデビューした橋 幸夫が60周年を記念して、自身182作品目となるシングル「恋せよカトリーヌ」をリリースした。橋でなければ歌えない歌だ。橋は、これまでさまざまなジャンルの歌を歌いこなしてきたが、そこにはつねに挑戦があった。77歳になった橋が“恋の伝道師”として恋の素晴らしさを歌う。これも挑戦であり、それは表現者としての橋の夢だった。
歌手デビュー60周年を迎えた橋幸夫は、これまで演歌からポップスまで幅広いジャンルの楽曲を歌い、数々のヒットを生み出してきた。そんな彼でさえ、かねてから橋の大ファンだったという演出家のテリー伊藤氏が手がけたデビュー60周年記念曲「恋せよカトリーヌ」を聴いた時、戸惑ったという。
「いきなりフランス語でボンジュール、ハイ、ハイ♪ですからね(笑)。歌詞の内容を見ても、すごく若い。恋した男の触りたい、甘えたいという純粋な気持ちが率直に書いてあります。77歳の僕がこれを歌うのかよ! と最初は照れもありました。でも、テリーさんに『橋さんは恋の伝道師なんだから、大丈夫です!』と言われてからは、もう伝道師になりきって歌っています」
そう笑いながら語る橋は、とにかく若々しい。デビュー当時からキーが変わっていないという艶のある歌声はもちろんだが、今でもスリムな体形をキープしている。そして何よりも、チャレンジしてやろうという若いエネルギーが今も内面から滲み出ている。
「サブちゃん(北島三郎)はキャリア的には2年後輩ですが、歌の世界で僕よりも年齢的に先輩なのは(最前線では)もうサブちゃんしかいません。この年齢になると、体力やコンディションを維持するだけでも大変です。でも、橋幸夫は元気なだけではしょうがない。現役でやっている限りはカッコ悪い姿は見せたくないし、歌で楽しい恋の世界をしっかりと表現したい。それが77歳になった僕の夢であり、挑戦ですね」
カトリーヌ! カトリーヌ!
踊りに行こう もう一度恋しよう
新曲の「恋せよカトリーヌ」でも橋は、テリー氏がプロデュースする派手なコスチュームを着て、振付にもチャレンジしている。
「青と白のボーダー柄のTシャツの上にブルーのベストを着て、首には赤いハンカチを巻いて白いパンツ。テリーさんには『若い頃にはずい分、女の子を泣かせたんでしょう。もっと情熱的に!』などと言われながら、振付もがんばっています(笑)。最初は恥ずかしかったですが、何度もやっているうちに気持ちが若くなって、歌や踊りを楽しみにしている自分がいました。僕の年齢になると、どうしても人生を振り返るような曲が多くなってきます。それも素晴らしいけど、それだけじゃないんだって。きっと僕と同年代のファンの方も同じだと思っています。それをテリーさんからあらためて教わっています」
カップリング曲は、橋と同世代の盟友・荒木とよひさ氏が歌詞を担当した「この世のおまけ」。こちらは77歳になった等身大の橋をテーマにした曲と言っていいだろう。ふたりは事前に曲のテーマは「人生観になるのかな」と話し合い、できあがってきたのが「生きていることはこの世のおまけ」という荒木の印象的な歌詞だった。
「素直にいいねと共感しました。それに僕が曲をつけて、『恋せよカトリーヌ』とは対照的な歌ができました。カラオケで歌いやすい楽曲になったと思います。『恋せよカトリーヌ』はリズミカルで、歌詞に男女の言葉が入り混じり、デュエットで歌ってもいい。両極端な世界ですが、二曲あわせて橋幸夫だと思っています」
(文=川原田 剛 写真=安岡 嘉)
2020年7月1日発売
橋 幸夫 歌手デビュー60周年記念曲
「恋せよカトリーヌ」
いつまでも恋をしよう! と情熱的に、そして艶っぽく歌う「恋せよカトリーヌ」。「もう一度、Loveしよう 星が消える前に」という歌詞を77歳の橋がさらりと表現している。カップリング曲「この世のおまけ」は表題曲とは対照的な世界観の歌。橋が作曲を担当し、今に感謝して、あるがままに生きようと訴えている。
profile
橋 幸夫(はし・ゆきお)
1943年5月3日、東京生まれ。呉服屋の9人兄弟の末っ子として生を受け、中学時代から作曲家・遠藤実氏に師事。高校1年生の時、ビクターエンタテインメントのオーディションに合格し、作曲家・𠮷田正氏の薫陶を受け、1960年に「潮来笠」でデビュー。日本レコード大賞新人賞の第1回受賞者となる。その後、女優の吉永小百合とのデュエット「いつでも夢を」をはじめ、「霧氷」「子連れ狼」「恋のメキシカン・ロック」など演歌からポップスまで幅広い楽曲をヒットさせた。また歌の世界だけでなく、映画、テレビ、講演会など、77歳になった現在もさまざまな世界で精力的に活動中。