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一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

一年ぶりの「再会」―― クリアトーンズの岡宏さんを偲ぶ会にデヴィ夫人ら関係者300人。小田純平さんらが歌で追悼

日本有数のビッグバンド「岡宏とクリアトーンズ・オーケストラ」を率いてきたバンドマスターで指揮者、そして作詞・作曲家、歌手としても活躍した岡宏さんを偲ぶ会「一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会」が11月3日、東京・港区の品川プリンスホテルで行われ、関係者300名が故人を偲んだ。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

岡宏さんは1974年にフル編成の楽団として「岡宏とクリアトーンズ・オーケストラ」を結成。各レコード会社での同楽団による録音をはじめ、テレビ、ラジオ等、放送媒体への出演、有名歌手との共演など、半世紀にわたって日本の音楽界の第一線で活躍してきた。

岡宏

半世紀に渡って音楽業界を支えた「岡宏とクリアトーンズ・オーケストラ」

また、音楽プロデューサーや作詞・作曲の分野でも才能を発揮し、なかでも韓国人歌手、キム・ヨンジャさんをプロデュースしてNHK紅白歌合戦に出場するまでのビッグ歌手に育て上げた。

BOSS★岡

岡宏さんは81歳のとき、芸名「BOSS★岡」として歌手デビューを果たした(2023年撮影)

BOSS★岡

デビューコンベンションでデビュー曲「かすり傷」を披露するBOSS★岡さん(2023年撮影)

さらに2023年6月21日は「BOSS★岡」の芸名で、シングル「かすり傷」をリリース。81歳でテイチクエンタテインメントから歌手デビュー。翌2024年10月9日には、第2弾シングル「女好きのエルボラーチョ」とファーストアルバム『Let‘s Singing! BOSS★岡』もリリースし、日本の音楽業界で大きな話題を呼んだが、同年11月8日、急死した。享年83だった。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会、牧野尚之

牧野尚之さん。牧野さんは「一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会」の開催をサポートしたひとり。

「一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会」は、日本司会芸能協会の副会長でもある牧野尚之さんが司会を務め、クリアトーンズの演奏で幕を開けると、代表してデヴィ・スカルノ夫人、日本作曲家協会会・徳久広司会長、延命院(浅草)の住職・中村義英さんが挨拶した。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

デヴィ・スカルノ夫人

デヴィ夫人は、「私と岡宏先生との出逢いは25年ぐらい前でして、最初、クリアトーンズのグレン・ミラーのあの流れるような音楽を聴いて、『ワァーッ、すてき!』と感動を覚えました」と、岡さんとの出会いを明かし、「もっと会話をしたかった」と無念を口にした。

「でも、岡先生がこんなにも立派な方だとは存じ上げていなくて、日本はもとより、韓国、ブラジル、メキシコ、中国、北朝鮮などいろんな国に行き、数々の功労賞をいただき、生きている間に8万枚にもおよぶ楽譜を遺されると聞き、すごい方だなと思いました。また、刑務所の慰問を何十年もやっていらっしゃって、日本の法務大臣からも表彰されたり・・・。そんな方にこんなにもお世話になっていたのだと思うと、先生が生きている間にもっといろんな会話をすればよかったなと後悔しております」

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

徳久広司さん

また、作曲家の徳久さんは「私が岡宏さんと最初に逢ったのは40年ぐらい前でして、一番印象に残っているのはキム・ヨンジャとの出逢いです。当時、キム・ヨンジャの作品をいっぱい書かせてもらい、その作品を通じて岡さんと親しくしてもらってきました。去年、訃報を聞いたときはびっくりし、われわれ作家仲間もみんなびっくりしていました」と話しつつ、「こういう会に参加させていただき、自分の中で一つ踏ん切りがつきました」と、故人に想いを寄せた。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

その後は、クリアトーンズの演奏と、森サカエさんによる「追悼」の歌唱が行われ、同会の主催者でもあり、「クリアトーンズ岡宏ファンクラブ」の保科智恵子さんが「クリアトーンズ・オーケストラの皆さんが素晴らしい演奏をしてくださっていたとき、私にはバンドリーダーの岡宏先生がタクトをとる姿が確かに見えました。大勢の皆さんが岡先生に1年ぶりに逢いにきてくださって、とてもうれしかったです。今日は本当にありがとうございます」と、感謝の言葉を述べた。

また、「癌による余命宣告をされたのは、昨年の夏頃でしたが、年の初めからご自分のその日が来ることをお分かりだったかのようにお忙しい毎日を過ごされていました。『BOSS★岡』としてのアルバムと2枚目のシングルCD制作や、10月14日の京王プラザホテルでのクリアトーンズのコンサート&ディナーの開催は、まるで遺作作り、お別れ会開催準備のようでした。お一人での生活でありながら、11月3日、最初の軽い脳梗塞発作の際には、ご自宅を訪ねてくださったお仕事関係の方に発見されて入院することができました。そして、2度目の発作が起こる7日の夜までは、普段通りの入院生活3日間でした。孤独死にもならず、しかし、どなたの手を煩わせることもなく、眠るがごとく遠くに行ってしまいました。先生らしい最期でした」と、涙ぐみながら岡さんとの別れの様子を明かした。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

偲ぶ会には、岡宏さんとゆかりのある歌手や作詞・作曲家も多数来場していた。

そんな中、シンガーソングライターの小田純平さんが代表してまずはステージに上がると、まだ世間に名が知られていなかった頃の自身のライブを岡さんが観に来てくれた際のエピソードを紹介。ステージで披露していたモノマネを見た岡さんから、「それは絶対にやったほうがいいよ。間違いなくやったほうがいい。掴みは大事だから」と力強く背中を押されたという。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

その時の様子を再現するように、中尾彬さんや田村正和さんのモノマネを交えながら語ると、自身が歌手「BOSS★岡」に提供したデビュー曲「かすり傷」と、作詞家・田久保真見さんが手がけた、女とお酒をこよなく愛する男が主人公の歌詞を、岡さんから「これくらいがいいんだよ」と渡されて作曲したという第2弾シングル「女好きのエルボラーチョ」をカバー熱唱した。

続いて、岡さんから作品提供を受けた歌手がそれぞれの持ち歌をクリアトーンズ・オーケストラの演奏で披露した。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会、まえみつこ

まえみつこさん

夢二チャコ、一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

夢二チャコさん

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

稲葉やすひろさん(右)

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

平島賢治さん

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

沢田知佳さん

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

「大輝と正江」さん

まえみつこさんが「絹の雨」、夢二チャコさんが「勝手な女でごめんなさい」、稲葉やすひろさんが「お茶だお茶だよ茶の香り」、平島賢治さんが「俺の故郷北海道」、沢田知佳さんが「ジャンヌダルクに憧れて」、大輝と正江さんがデュエット曲「男と女のボレロ」を熱唱して、会場のどこかで見守っていただろう故人に届けた。

川奈ルミ、一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

川奈ルミさん

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

三田翔也さん

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

林こずえさん

さらに友情出演の川奈ルミさん、三田翔也さん、林こずえさん、伊藤美子さんが次々と歌声を披露し追悼した。

なかでも、ボイストレーナーとしても活動し、岡さんと40年来の親交があった伊藤美子さんのステージは、ひときわ感動的な場面となった。

伊藤さんは、岡さんがプロデュースを手がけ世に送り出したキム・ヨンジャさんのヒット曲「再会」を披露するにあたり、「主催の保科さんから、ぜひヨンジャさんの歌を、とご指名をいただきました。この歌は岡先生が『みんなで歌ってくださいね』とおっしゃっていたと聞いています」と思いを語った。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

伊藤美子さん

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

左から作曲家・田尾将実さん、伊藤美子さん、朝霧文さん、主催の保科智恵子さん、響子さん

そして、同曲の作曲家・田尾将実さん、主催者の保科智恵子さん、響子さん、朝霧文さんをステージに招き入れた。スクリーンには「再会」の歌詞が映し出され、「皆さんも一緒に歌ってください」と呼びかけた。歌を通じて岡さんとの“再会”を果たす感動的な時間・空間となった。

さらに伊藤さんは、「岡先生に捧げる歌として」と前置きし、キム・ヨンジャさんのコンサートで衣裳替えの際に自身がよく歌っていたという「アヴェ・マリア」を熱唱。その荘厳な歌声で、天国の岡さんへ祈りを捧げた。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

出逢う会の最後は、クリアトーンズ・オーケストラのテーマソングと言ってもいいジャズナンバー「in the mood」が演奏された。演奏の途中ではホーン隊がステージを降り、客席で演奏。ステージ中央のスクリーンに映し出されていた“ボスオカ”岡宏さんは華やかな笑顔で、その光景を見守っていた。

一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会

司会の牧野尚之さんは、「岡宏先生は様々な呼び名で呼ばれた方でした。岡先生、岡ちゃん、リーダー、バンマス。メンバーさんからは『親父』とも呼ばれていました。どうぞ、いつまでも皆様、昭和の歌謡界を牽引し、平成・令和の時代の音楽を支え暮らした岡宏さんを、いつまでも忘れないでいてください」と会場に語りかけると、スクリーンに向かって「岡先生、また逢いましょう。ごきげんよう、さようなら!」とお別れの言葉を贈った。