【連載】バンマス岡宏のうしろ姿のお・つ・き・あ・い「橋 幸夫」

橋 幸夫

歌謡界のスーパースター

バンドを指揮しておよそ半世紀。客席と歌手に対してつねに背を向けて仕事をするのが、私たちバンマスの稼業です。うしろ姿でおつきあいしてきた歌仲間について、思い出話を語りましょうか。今月は、2020年7月に歌手デビュー60周年を迎えた橋 幸夫さん。老若男女、幅広い世代の支持を得続ける彼の魅力をたっぷりお話しいたしましょう。

 

永遠の青春歌手

昭和の時代に生まれた歌謡界の大スターは、まぎれもなく“橋 幸夫”と“舟木一夫”だろう。令和の現在までその地位を現役歌手として保っている二人は、本当にすごい方たちです。

2020年、橋さんはデビュー60周年を迎えました。昔からのスマートな洋装と、お洒落に着こなす着物姿はずっと変わりません。今でもファンをうっとりさせ、それが60年も続いているのだから、もうすごいとしか言いようがないのです。

“運”の善し悪しがその人生を大きく左右するのはどの世界も同じですが、歌手の場合はとくに天と地の差となります。古さが新鮮に映り、支持されて見直された珍しい現象を巻き起こしたのが橋 幸夫さんです。当時、故・三波春夫さんなど着物姿の大御所がいるなかで、現代風の若者が股旅姿で颯爽と登場するとは、誰も考えもしなかっただろうし、衝撃でした。

 

歌だけに心を入れて

スターは自分ひとりで作れるものではありません。周囲の仲間のなかから生まれるものです。講演やコメディアンのような役者まがいのことに走ったりすることもありますが、歌手は歌が商売。歌だけに心を入れて歌い続けてほしいのです。スーパースターとしてさん然と輝く橋さんを目指している歌謡界の小さな星たちに、希望を与え続けてほしいと思っています。

デビュー当時の橋さんのすごさは、筆舌に尽くしがたいものでした。嘘のような話ですが、楽屋に入ると、色紙が畳から天井に届くほど山積みに。それが毎日だったのです。

また、3000人以上入る旧国際劇場(現在の浅草ビューホテルにありました)が1週間1日2回公演でも入りきらないということもありました。中央列のファンを無視するかのような、上手下手のファンだけに歌うような独特のスタイルに、顔を向けられたファンは一段と嬌声を上げます。その人気は、現在のジャニーズの歌手でも比べものにならなかったと思います。

 

スターは努力の賜物

「岡やん、サックスって難しい?」

「外に楽器を出しておけば、風でもなりますよ」

「そうだよな、岡やんにできるんだからな」

そして、短期間の練習で吹けるようになってしまった。ドラムの時もそうだし、トランペットも。当時流行だったボウリングもゴルフも。「あいつにできるなら俺にできないはずがない」という自信の上から行動し、マスターしてしまう。どこか他人より優れた素質を持っている男でした。

先日、久しぶりに橋さんとお茶を飲む機会がありました。

「なんか今の歌謡界ってもの足りないんだよな。いいアイデアないのかよ」

「もう限界かもしれませんよ。橋さんが長いこと歌っていられるのは、リズム感がいいからかも。これからはリズム感のある歌で勝負しないと駄目になりますよ」

そんな会話があったのも束の間、「恋せよカトリーヌ」という新曲が発表された。テリー伊藤さんと息がぴったり合ったようです。夢のある未来を見据えた作品が出来上がりました。

老いてますます盛んな橋 幸夫さんにこれからも期待しましょう。老いてますます盛んなバンドマスター、岡 宏からのエールです。

 

橋 幸夫(はし・ゆきお)1943年、東京都荒川区で9人兄弟末っ子として誕生。中学2年より歌を作曲家・遠藤 実氏に師事、高校1年生でオーディションに合格し、作曲家・𠮷田 正氏の薫陶を受ける。1960年「潮来笠」でデビューし、日本レコード大賞新人賞の第1回受賞者に。また「いつでも夢を」「霧氷」でレコード大賞を受賞し、舟木一夫氏らとともに「御三家」として人気を集めた。

 
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Profile
岡 宏(おか・ひろし)
東京・浅草生まれ。日本大学芸術学部在学中にビクターオーケストラの専属となり、卒業後、プロの道に入った。その後、9人編成のバンドで活躍。1974年にフル編成の楽団クリアトーンズオーケストラを結成し、その指揮者として活動。世界に活動の場を広げている。21世紀のマルチバンドマスターとして、エッセイスト、レコードプロデュース、ユニークなカラオケドクターとして、歌とステージワークの診断をしている。