原田悠理

原田悠里が27年の時を超えて熱い思いを注ぐ新曲「港町シネマ」

27年前、アルバムに収録した「港町シネマ」という一曲を、原田悠里はずっと大切に愛し続けてきた。彼女にとって、故郷の景色や思い出、”歌手になりたい”という夢を抱く原点、温かなノスタルジーに包まれる作品だからだ。もう一度、この曲の素晴らしさを世の中に問いたい。27年の時を超えて、原田はかつての自分自身へ挑み、作品へ新たな息吹を吹き込んだ。

 

ノスタルジーやロマン、青春時代を思い出させてくれる曲

Q 今回の新曲といいますか、発売されるシングル「港町シネマ」は、原田さんが1994年に発売されたアルバムに収録されていた曲ですね。

原田 どうして知ってるんですか(笑)?! なんて……そうなんです。27年前に「春しぐれ~女…ひとり歌紀行」というアルバムに収録した12曲の中の1曲なんです。もうずっと私が大好きだった歌で、今回こうして新たにシングルとして出させていただけることになってとてもうれしいです。

Q 次の新曲をどうするか、というお話の中で過去に歌われて大好きだった曲を、もう一度世の中に問いたいというお気持ちをずっと持たれていたんですか?

原田 はい。「私はこの曲を歌ってみたい」ということをずっと前から申し上げていたんです。今回新曲のお話が出た時に私の意向をお伝えしまして、スタッフさんやディレクターさんも色々考えていてくださっていたと思うんですけど、最終的に皆さんも「この曲でいきましょう」と言ってくださいました。

Q 昨年11月のコンサートでも歌われていましたね。

原田 よく知っていらっしゃる! 実は今まで小出しにして歌っていたんですよ(笑)。それだけ好きだったんです。

Q でもなかなかシングルカットに、というのは難しかったんですか?

原田 なかなかね。新曲となれば皆さんも「新しい歌を作ろう」という気概に燃えてね、先生方に発注して作ってくださるので、前の歌をリメイクしようっていうことはあまりしないんですよね。でもこういう時期でしたので、私の中ではこういうのを出させてもらうのはどうかな?って以前から小出しにして(笑)お願いしていたんです。

Q 原田さんの本道の演歌とは少し趣が違う曲ですよね。

原田 そうですね!ちょっとアレンジもジャズっぽい感じがして、私はジャズは歌えないんですけれどいつもの演歌とは違って前後じゃなくて横揺れのリズムでね(笑)、おしゃれに歌っています。私のファンクラブの方の中にも「いい歌だよね〜」っておっしゃってくださるこの曲のファンも結構いらっしゃって、だから私だけじゃないな〜といういい感触はずっと持っていました。

Q 演歌を歌われている時とはまた違う原田さんの魅力があふれる曲ということを感じられているんでしょうね。

原田 そうだったらうれしいですね。あとは、この曲は27年前にできた曲ではありますけれど、皆さんも青春時代だったり胸をキュンとさせた時代であったり、「そういえばそういうこともあったよね」みたいにノスタルジーやロマンを思い出させてくれる曲なんじゃないかな。今こういう世の中の状況だけに、それってひとつの生きる活力だと思うんです。もう今はなかなかキュンとしないのでね……(笑)。

Q 詞の内容は切ない別れの曲ですね。

原田 そうですね。でも涙を絞るほどではないからね(笑)。男性は涙を絞ってるんじゃないかと思ってるわけよ、女性は。でも絞らないってね(笑)! そんなに暗くない曲ですね。

Q そして、「港町シネマ」というタイトルがとても素敵ですよね!

原田 そうなの!でも今の若い子たちは映画のことをシネマって言わないのね。私にとっては、やっぱりシネマなんだよね。「港町シネマ」。この景色すべてが映画のようというか、出そうで出ない美しい言葉ですよね。

原田悠理

「映画、シネマ、港町。私の夢の原点なんです」

Q 原田さんがこの曲を気に入られていたという一番の理由とはどういったところでしょうか?

原田 どうなんだろう……やっぱりね、他の歌とはちょっと違ってるんですよね。私、映画が大好きで、子どもの頃は天草は田舎の街ですが映画館があったんですよ。本当に小さな街なんですけれど、映画って文化のひとつですよね。それを幼い頃に経験できたというのは、私にとってとても大きかった。じつは私が歌手になりたいと思ったきっかけを作ってくれたことでもあるんですよ。

Q ぜひ詳しく聞かせてください!

原田 当時時代劇なんですが、美空ひばりさんの映画が上映されていたんです。夕方になるとひばりさんの歌が流れるんですよ。大きなスピーカーで流れたら街中もれなく聞こえるんですよ、小さな街だから。そうすると仕事をしている人たちが、「あっ、今日は映画があるんだ」って映画を観に行こうとなる。そういう時代でした。娯楽だったんです。私は当時は子どもだったので日曜日とかに連れて行ってもらってね。ひばりさんに憧れて歌手になりたいと思って、私にとっては夢の原点なんです。映画、シネマ、港町。この歌はそういうことを歌っているわけではないけれど、すごく何かを感じるんです。キーワードが散りばめられているというか。だからずっと惹かれていたんですね。それでまたこの曲もとても素晴らしいしね。

Q 今回新曲として発売するにあたって、新たにレコーディングをされたんですか?

原田 はい。もちろん27年前のまま出す、という選択肢もあったんですね。当時の作品を聴いたら、自分で言うのもなんですけれどこれがなかなか綺麗な声でうまいこと歌ってるんですよ(笑)。下手くそだっただろうなと思っていたんですけれど、若い時のこの音色。今の私負けちゃうかもしれない、やばいなと……(笑)。でも27年経って、この時期にこの曲を出すということのひとつの意義もありますから、弦哲也先生とたきのえいじ先生にもう一度あの時と同じように立ち会っていただいて、レコーディングをさせていただきました。今回は27年前の自分の声というオリジナルがあるんですね。27年前の自分に対して、負けられないという思いはありました。声が変わったのは当然なので仕方がないんですけれど、「衰えて声が出なくなっちゃったね」「前のほうがいい」なんて言われたらどうしようと、そこが今までのレコーディングにないプレッシャーで緊張感でした。

Q レコーディングはいかがでしたか?

原田 それが、先生方が来られてブースに入った時はものすごい緊張して、固くなっちゃって声が出なくなっちゃったんです。でも、先生方が「旬の声だね。幅が広がったね」とおっしゃってくださって、今まで頑張ってやらせていただいてきたことが間違ってなかったのかなと、私の今までのことも認めていただいたような気がしてすごくうれしかったです。こんな経験は初めてでした。

Q 原田さんが思ういちばんの聴かせどころを教えてください。

原田 そうですね、今回聴いていただきたいのは、今の私の肉声です。いろいろな経験や思いを重ねてきて、そしてやっぱりこの曲に対する思いの深さというのが27年前の時とはまったく違う。当時は12曲の中の1曲として、もちろん一生懸命に臨んだと思うんですけれど、今回はそこから27年経ってやっぱりこの歌に対する思い、どうしてもこの曲をシングルとして出したいと思った時の自分の気持ち、そういったものを込めることができたかなと思います。

Q 今年の6月で歌手生活丸39年を迎えられます。今のお気持ちをお聞かせください。

原田 歌手として39年間も歌わせていただけるということは大変なこと。デビュー当時の自分を見ると、まぁこんな私がよく40年も歌ってこれたなと思います。それは、前から応援してくださるファンの皆さんをはじめ、後ろから支えてくれるスタッフや関係者の皆さんに長い間守っていただき後押ししていただいたおかげです。皆さんへの感謝の気持ちのひとつがこの「港町シネマ」です。今年はこういう状況の中ですから、来年を40周年の記念年にできたらと思っています。今年はこの曲で頑張りたいですね。私は今ノリノリです(笑)!

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北島ファミリー「ありがとうの空」

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2021年4月21日発売
青春時代に思いを馳せて
原田悠里「港町シネマ」

「港町シネマ」
作詞/たきのえいじ 作曲/弦 哲也 編曲/若草 恵
c/w「ありがとうの空」
作詞/もりちよこ 作曲/原 譲二 編曲/遠山 敦
キングレコード KICM-31017 ¥1,400(税込)

「港町シネマ」は、1994年に発売したアルバム「春しぐれ~女…ひとり歌紀行」に収録された作品。今回、原田自らの熱望に応えシングルカットが実現。冬の港町を舞台に、別れた男性をひとり思う主人公の心情を優しくジャジーなメロディーに乗せて歌う。ジャケット写真では憧れの名女優、オードリー・ヘプバーンをオマージュ。「私は洋画が大好きなので、どうせなら憧れのオードリー・ヘプバーンを真似てみようと。少しでもインパクトを残せるかなって思ったんですよね。シネマつながりで、歌の内容と関係があるかないかって言われるとよくわかりませんけど……(笑)。こんなに綺麗に撮っていただいて、私の宝物になりました」(原田)。ミュージックビデオは、横浜の老舗、Bar Star Dust(バー スターダスト)で撮影。「元宝塚の方に映画のシーンを思い出させるような振りもつけていただいて、レトロな感じにしてスタンドマイクで歌ってみました。私の新たな一面を見ていただけるような作品になったかなと思っています」(原田)

原田悠理Profile
原田悠里(はらだ・ゆり)
12月23日、熊本県生まれ。音楽教師を目指し、鹿児島大学教育学部音楽科を卒業。美空ひばりに憧れ、マリア・カラスに感動、現在の師匠である北島三郎の舞台に感銘を受け、歌手を志すようになる。北島ファミリーの一員として、1982年「俺に咲いた花」でデビュー。旅情演歌を得意とし、歌謡浪曲からオペラまで幅広く歌いこなす。二葉百合子の門下生でもある。来年歌手生活40周年を迎える。

原田悠里オフィシャルサイト
原田悠里オフィシャルブログ

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