北川大介と北原ミレイ

【大介兄貴が逢いたい‼】北川大介×北原ミレイ(第1回)



「ざんげの値打ちもない」という局で衝撃的なデビューを果たした北原ミレイさん。以来、50年間歌い続けています。大介兄貴が「色気があり、おしゃれだ」だという北原さんに全4回にわたって話をうかがいます。 

文=川原田剛

◎歌手活動50年、嫌なことをたくさん乗り越えてきましたよ(笑)。・・・北原ミレイ

北川 今日はお忙しいところ、ありがとうございます。先輩はいつお会いしても本当に年齢を感じさせません。色気がありますし、本当におしゃれです。今日のファッションも、レザーのパンツにブーツ、ジャケットにはさりげなくアクセサリーをつけて、カッコいいですね。

北原 このアクセサリーは自分でつくったのよ。裁縫は習ったことがないけど、自分で切ったり、付けたり、貼ったりして形をつくっていくのが好きなんです。昨年はマスクを100枚ぐらいつくりましたよ。つくっては、いろんな石をつけて“デコる”んです(笑)。完成したマスクは皆さんにお配りしました。

北川 歌手デビュー50周年を迎えられたんですよ。本当にすごいことです。

北原 50年もよく歌ってきたなあと、あらためて思っています。とくに、ここ1年間ぐらいは新型コロナの影響で自宅にいることが多かったじゃない? 自分を振り返る時間がたくさんあり50年も歌ってきて、自分に偉いねと思ったり(笑)。

北川 先輩は歌が好きで、人生をかけてここまで歩いて来られたと思います。50年の間には「ざんげの値打ちもない」や「石狩挽歌」などのヒット曲もありますが、やっぱりつらいこともありましたか?

北原 嫌なことをたくさん乗り越えてきましたよ(笑)。大ちゃんもそうでしょう?

北川 そうですね。でも先輩からは苦労のあとが感じません。毎日を前向きに生きて、いろんなことに挑戦し、気がついたら50年。まだまだ行くぞ、という感じじゃないですか?

北原 そうね。もっと行かなきゃと思っていますし、ここ何年間は本当に楽しい。苦しかったのはデビュー当時かな。イメージの中にいなければならない自分がすごく苦しくて、1年間ぐらいお休みしたこともあったのよ。

北川 そんな時期もあったんですか!? そんなミレイさんの姿は想像がつかないです。

北原 「ざんげの値打ちもない」でデビューする時に、作詞を担当した阿久(悠)先生に「笑うな、しゃべるな、うつむいて歌え」と言われてね。歌が好きで歌手になりたかったのに「続けていくのは無理だ」と思うほど悩んだ。

北川 本当のミレイさんと真逆ですね(笑)

北原 そうでしょう(笑)。お洋服も黒い詰襟で、髪型も黒でボブ。そのイメージに縛られている自分が嫌で、不貞腐れて歌うんです。すると、「それがいい!」って(笑)。でも、もともと楽しいことが大好きな性格だから、それで押しつぶされてしまった。声が出なくなってしまったこともあったのよ。

北原ミレイ

北川 ミレイさんはもともとテニスで奨学生になっていたぐらいですから、スポーツ少女だったんですよね。そんな元気いっぱいの少女が、いきなり刑務所から出てくるような女性の曲を歌うようになったんですから、戸惑いますよね。

北原 当時の私のことをよく知っているわね(笑)。だから当時は悩みに悩んだ。もっとロマンチックな曲を歌いたいって。

北川 でも先輩は、演歌、歌謡曲、ポップス、ジャズにカンツォーネと何でも歌えるじゃないですか。

北原 それは愛知から東京に出てきて、プロの歌手になるためにクラブシンガーになったことが大きかったわね。クラブでは、お客さんからリクエストをもらわないとダメでしょう。だから流行歌、ジャズ、それこそ民謡まで何でも歌わなくてはなかったのよ。おかげで幅広い曲を歌えるようになった。そういう意味ではクラブシンガーだったことがすごく良かったです。

北川 そこから、どうやってデビューすることになったのですか?

北原 銀座でクラブシンガーをしながら、いろんなところにレッスンに通っていたのね。まずはハマクラ(浜口庫之助)先生にところに行って、その後はボイストレーナーの大本恭敬(きょうけい)さん、ジャズのヘンリー倉田さんについたりました。ハマクラ先生の所にいて何が良かったかといえば、にしきのあきらさん、辺見マリさん、ビリーバンバンさんなど、いろんなプロの歌い手の方もレッスンに来ていたことです。先生は広い場所にみんなを一堂に集めて、そこで発声の練習をするのね。それで競争心が生まれたのが良かった。

北川 すごいメンバーがそろっていたんですね。

北原 その中からまず辺見マリさんがデビューして、にしきのさんが続きました。「ああ、もうダメだ」と焦っていたら、ビリーバンバンさんもデビューすることになった。その時は、さすがに落ち込んだわね。それでもレッスンが終わると銀座のクラブに行かなければならないじゃない。どうすればいいんだろうと悩んでいたら、ある日、歌手の水原弘さんが飲みに来ていて、「お前、ちょっと来い」と声をかけられました。「ああ、水原弘さんだ」と思いながら側に行くと、「お前、歌がうまいな」と言われたんです。「私はプロの歌手になりたいんです」と言ったら、「わかった。俺に任せろ」と。そして次の日に、水原さんは芸能事務所とレコード会社の方を連れて来てくれて、とんとん拍子にデビューが決まりました。

第2回につづく

更新スケジュール
第2回 2021年3月22日(月)
第3回 2021年3月22日(月)
第4回 2021年3月29日(月)

北川大介公式YouTubeチャンネル「元気がでる だいちゃんねる」で、取材時の様子が紹介されています。

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2021年1月20日発売
デビュー50周年記念曲第2弾
北原ミレイ「人生の贈りもの」

「人生の贈りもの」
作詞/たきのえいじ 作曲/弦哲也 編曲/猪股義周
c/w「愛を紡いで」
作詞/たきのえいじ 作曲/弦哲也 編曲/猪股義周
徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-91250 ¥1,227+税

【新曲紹介】
「人生の贈りもの」~北原ミレイが50周年に歌いたかった人生の歌~

profile
北原ミレイ
(きたらは・みれい)
1948年7月18日、愛知県生まれ。高校時代はテニスの特待生奨学生だったほどのスポーツ少女だったが、美空ひばりに憧れ、16歳の頃より浜松市の佐伯一郎に師事する。高校卒業後に上京し、銀座でクラブシンガーをしながら、数々の名曲を手がけた浜口庫之助氏や、ボイストレーナーの大本恭敬氏などに師事。1970年、デビュー曲の「ざんげの値打ちもない」がヒットし、1975年には「石狩挽歌」も大ヒット。シンガーとしての確固たる地位を確立する。シャンソンから演歌まで幅広いジャンルを歌いこなす実力派。2021年1月、歌手生活50周年記念曲の第2弾シングル「人生の贈りもの」をリリース。

北原ミレイ 公式HP
北原ミレイ 公式ブログ
徳間ジャパン 北原ミレイ ページ


2020年10月7日発売
北川大介「星空のツイスト」

「星空のツイスト」
作詞/岡田冨美子 作曲/叶 弦大 編曲/馬飼野俊一
c/w「泣くんじゃないよ」
作詞/鈴木紀代 作曲/叶 弦大 編曲/馬飼野俊一
日本クラウン CRCN-8346 ¥1,227+税

北川大介が60’sロカビリー歌謡に初挑戦! これまでのムード歌謡調のソフトな歌謡曲とは打って変わって、60’sを思い出させるツイスト調のライブ感覚のあふれる作品で新たな一面を魅せる。

 

10月7日発売 北川大介 新曲「星空のツイスト」のジャケット撮影シーンを大公開!

10月7日発売の新曲「星空のツイスト」レコーディング現場に潜入しました【 昭和 の 演歌 歌手 北川大介 の だいちゃんねる 】

 


2020年9月2日発売
「北川大介全曲集~倖せの隠れ場所・菜七子~」

【収録曲】倖せの隠れ場所/アカシアの女/おまえだけなのさ/前橋ブルース※/男と女/横濱のブルース/水芭蕉/おまえを連れて/横濱の踊り子/横浜ルージュ/菜七子/心の真んなか母がいる/君の住む町で/本当のしあわせ/噂の湘南漁師町/愛をありがとう
(全16曲) ※は新録

 


profile
北川大介(きたがわ・だいすけ)
1970年9月8日、神奈川県生まれ。1999年、「前橋ブルース」でデビュー。昨年は五木ひろし氏が作曲した「倖せの隠れ場所」をヒットさせた。2020年はYouTubeデビューし、「元気がでる だいちゃんねる」を開設。トークあり、歌唱あり、料理コーナーありと盛りだくさんの内容。また、10月7日に新曲「星空のツイスト」をリリース予定。北川自身、初挑戦となるテイストの作品で、“胸キュン”など、懐かしい流行語が歌詞に散りばめられている。

北川大介 公式HP
北川大介 公式インスタグラム
日本クラウン 北川大介ページ