【大介兄貴が逢いたい‼】北川大介×北原ミレイ(第2回)
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デビュー曲がヒットし、いきなり人気歌手となった北原ミレイさんでしたが、自分と歌のイメージとのギャップに悩み、いったん歌手活動を休止します。そんな北原さんは、どういう経緯で、あの大ヒット曲「石狩晩歌」を歌うことになったのでしょうか。
文=川原田剛
◎「ざんげの値打ちもない」で生まれ、「石狩挽歌」に育ててもらいました。・・・北原ミレイ
北川 NHKの『歌謡コンサート』で阿久悠さんの特集をされていて、ミレイさんのデビュー曲の「ざんげの値打ちもない」には幻の4番の歌詞があったというのを見させていただきましたが、いきなりヒットしたんですか?
北原 そうじゃないの。曲ができる前にジャケットを先につくることになり、事務所の社長が「お前の好きな服を買ってきていいよ」と言われたので、銀座ですごく華やかなワンピースを買ってきたのよ。その時はまだ「笑うな、しゃべるな、うつむいて歌え」というイメージが何も決まっていなくて、その派手なワンピース姿のままで撮影して、レコードは発売されたんだけど、まったく売れなかった。
北川 まだイメージ戦略が定まっていなかったんですね。
北原 そうね。売れなかったので、これからどうしようということになり、阿久先生が自分の友人の漫画家、上村一夫さんにポスター用のイラストを描いてもらうことになった。その頃、上村さんの『同棲時代』という漫画がすごく流行っていて、ポスターだけでなく、レコードのジャケットも上村さんのイラストにしたら、途端に売れ始めた。それから目が回ほど忙しくなり、歌謡番組をいくつも掛け持ちして出演するようになったけど、心はどんどん落ちていった。売れたくて歌手になったのに、もう売れたくないって。
北川 そこまで悩み、苦しんだんですね。
北原 でも、売れたことで第二弾の話が出てくるんです。私は何度も「ロマンチックな曲にしてください」とレコード会社の方に頼んで、「わかった」というお返事をもらっていたんだけど、できあがった曲のタイトルは「棄てるものがあるうちはいい」(笑)。もう仕方がない、やるしかないと思ってやっていました。そしたら3曲目を出すことになり、「今度こそ本当にお願いしますね」とレコード会社のスタッフや事務所の社長に念を押しました。「約束を守れないなら、もう実家に帰ります!」とまで言ったんだけど、できあがってきた曲のタイトルは「何も死ぬことはないだろう」だって(笑)。
北川 当時のレコード会社と事務所の戦略だったんですね。
北原 そんなタイトルの曲があるの?って当時は思いましたが、あらためて聴くと、どれも本当に素晴らしい曲なんです。でも、あの頃はイメージに縛られることに悩みに悩んで、結局、歌をお休みすることにしました。
北川 それはいくつぐらいの時だったんですか?
北原 デビューしてから3年間は歌ったので、25歳ぐらいの時かな。お休みしている間に「今度は大好きなロマンチックな歌をやろうよ」と言ってくれる方がいて、事務所とレコード会社も変えて、心機一転、活動を再開しました。
北川 それでミレイさんのイメージソングとなる『石狩挽歌』が生まれるんですね。
北原 新しい曲は、なかにし礼さんが作詞をして、浜圭介さんが作曲をしてくれるというのが決まって、「やったね! これでやっとロマンチックな曲を歌える」と喜んでいたのですが、届いたデモテープを聴くと、浜さんがギターをかきならし「海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると~」だって(笑)。「何これ? 私は歌えない。戻してください」と返事したんです。そしたらディレクターや周りが慌ててしまって、「アレンジができるまで待とうよ」ということになった。その時は「わかりました」と答えたけど、腹の中では「どんなものが来ても絶対にやらない。冗談じゃないわよ」と思っていた(笑)。でもアレンジができてきてイントロを聞いてみたら、「アレっ!? いい曲じゃない」って、もう鳥肌が立ちました。
北川 「石狩挽歌」の誕生には、そんな裏話があったんですね。
北原 その経緯を礼先生は知っているから、会うたびに「お前、最初に断ってきたよね」とおっしゃっていました。ごめんなさいって、いつも謝っています(笑)。本当にこの曲がなければ、50年も歌ってこられなかったと思います。「ざんげの値打ちもない」で生まれて、「石狩挽歌」で育ててもらった50年です。
第3回につづく
北川大介公式YouTubeチャンネル「元気がでる だいちゃんねる」で、取材時の様子が紹介されています。
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2021年1月20日発売
デビュー50周年記念曲第2弾
北原ミレイ「人生の贈りもの」
【新曲紹介】
「人生の贈りもの」~北原ミレイが50周年に歌いたかった人生の歌~
profile
北原ミレイ(きたらは・みれい)
1948年7月18日、愛知県生まれ。高校時代はテニスの特待生奨学生だったほどのスポーツ少女だったが、美空ひばりに憧れ、16歳の頃より浜松市の佐伯一郎に師事する。高校卒業後に上京し、銀座でクラブシンガーをしながら、数々の名曲を手がけた浜口庫之助氏や、ボイストレーナーの大本恭敬氏などに師事。1970年、デビュー曲の「ざんげの値打ちもない」がヒットし、1975年には「石狩挽歌」も大ヒット。シンガーとしての確固たる地位を確立する。シャンソンから演歌まで幅広いジャンルを歌いこなす実力派。2021年1月、歌手生活50周年記念曲の第2弾シングル「人生の贈りもの」をリリース。
北原ミレイ 公式HP
北原ミレイ 公式ブログ
徳間ジャパン 北原ミレイ ページ
2020年10月7日発売
北川大介「星空のツイスト」
北川大介が60’sロカビリー歌謡に初挑戦! これまでのムード歌謡調のソフトな歌謡曲とは打って変わって、60’sを思い出させるツイスト調のライブ感覚のあふれる作品で新たな一面を魅せる。
10月7日発売 北川大介 新曲「星空のツイスト」のジャケット撮影シーンを大公開!
10月7日発売の新曲「星空のツイスト」レコーディング現場に潜入しました【 昭和 の 演歌 歌手 北川大介 の だいちゃんねる 】
2020年9月2日発売
「北川大介全曲集~倖せの隠れ場所・菜七子~」
【収録曲】倖せの隠れ場所/アカシアの女/おまえだけなのさ/前橋ブルース※/男と女/横濱のブルース/水芭蕉/おまえを連れて/横濱の踊り子/横浜ルージュ/菜七子/心の真んなか母がいる/君の住む町で/本当のしあわせ/噂の湘南漁師町/愛をありがとう
(全16曲) ※は新録
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北川大介(きたがわ・だいすけ)
1970年9月8日、神奈川県生まれ。1999年、「前橋ブルース」でデビュー。昨年は五木ひろし氏が作曲した「倖せの隠れ場所」をヒットさせた。2020年はYouTubeデビューし、「元気がでる だいちゃんねる」を開設。トークあり、歌唱あり、料理コーナーありと盛りだくさんの内容。また、10月7日に新曲「星空のツイスト」をリリース予定。北川自身、初挑戦となるテイストの作品で、“胸キュン”など、懐かしい流行語が歌詞に散りばめられている。
北川大介 公式HP
北川大介 公式インスタグラム
日本クラウン 北川大介ページ