古巣テイチクに復帰した美貴じゅん子が25周年記念パーティーで、歌人生を振り返る。「土下座」に始まり「陽は昇る」
1996年5月22日、「ほおずき」でデビューした美貴じゅん子が1月29日、東京・文京区のホテル椿山荘東京 グランドホール椿で25周年記念パーティーを開催。席間を広げるなど新型コロナウイルスの感染防止対策をとりながらも約300名が会場を埋めた。
盛大な鏡割りで始まったステージで、美貴は最新曲「土下座」から披露した。昨年4月、17年ぶりに古巣テイチクレコードへ復帰し、復帰第1作目となった曲だ。タイトルはもとより、“愛した人に 土下座したことがありますか”という歌詞の冒頭からインパクト抜群の作品だが、愛に生きる芯の強い女性を歌っている。作詞は柳田直史、作曲は岡千秋。
「こんなにもたくさんの方においでいただき感無量です。言葉にできないほどです。恩師の先生、歌手の皆様、そしてファンの皆様のお顔を拝見させていただくと胸がいっぱいになります。これまで支えてきてくださった皆様に感謝申し上げます」
「土下座」を歌い終わると、美貴は歌人生を振り返りながら、その時々の思い出となった曲を歌っていく。
1973年生まれの美貴は、「神田川」(かぐや姫)や「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、「異邦人」(久保田早紀/現・久米小百合)の曲を聴いて育った。8歳の時には小林幸子の「おもいで酒」に衝撃を受けた。初めてレコードを買ってもらい、母親に頼んで小林幸子のコンサートにも連れて行ってもらったという。「バラの花を一輪もってコンサートへ行きました」。美貴は歌手になりたいと思った。
1991年、香西かおりが3枚目のシングル「流恋(はぐれ)草」をリリースした。里村龍一が作詞し、作曲は聖川湧だった。この作品を聴き、またまた衝撃を受けた美貴は、聖川先生に逢いたいと思った。美貴は訪ねに訪ね、聖川が主催するレッスン場「演歌道場」にたどり着く。18歳の時だった。
「先生、私を弟子にしてください」
文明堂で買った3000円のお菓子をもって、聖川に直訴したと笑う。
「でも、レッスンは厳しくて、泣きながら帰ったことも思い出します」
デビューのきっかけは、全国から歌自慢が集まる「五木ひろし歌謡コンクール」というオーディションに出演したことだった。
「最後のチャンスだと思って参加したんですが、東京代表に選ばれて、日比谷公会堂での決勝大会に出場しました。その時にテイチクレコードさんにスカウトしていただきました」
▲会場では、美貴じゅん子のデビュー曲「ほおずき」のMVが流された。テイチク復帰後の昨年9月、これまでの作品を集めたアルバム『美貴じゅん子 プレミアムベスト』がリリースされたのにあわせて、当時のMVがYouTubeで公開されている。
夢をつかんだ美貴は、1996年当時、「デビューできれば曲がヒットして、家を建てることができる」と思っていたというが、実際には「家は建ちませんでした(笑)」。
そう、美貴にとっての25年は順風満帆ではなかったのだ。デビュー直後は全国をキャンペーンで回るなど忙しくしたが、思ったように曲がヒットしなかった。
「毎年、新曲を出させていただきましたが、いつ、もう終わりって言われるかと、毎年思っていました。そして、ついに来ました。リストラが(笑)」
当時は多くの所属歌手がいて、契約を更新されないのも仕方がなかった。でも、その“リストラ”があったから今があり、17年ぶりにテイチクレコードへの復帰が叶ったのだと今では理解しているが、2002年を最後に、新曲を出せない日々は続いた。
美貴は東京・銀座の日本料理店で仲居のアルバイトをしながら、復帰の機会を待った。
「最近、テレビで見ないけど、レコード会社辞めちゃったみたいね。銀座でアルバイトしているみたいよ。そんな噂が立たないように、誰かと写真を撮る時はすっ~と隠れていました。銀座の路地裏を歩きました。業界関係者の方や、歌い手さんに会いたくない。そんな思いでいました」
「このままでは終われない」と、恩師・聖川のレッスンにも通い続け、1年が経ち、2年が経ち・・・。
夢を捨てることなく、自主制作で「くもの糸」を発売し、手売りで3000枚を売り切ったこともあったが、復帰へのきっかけにはならなかったという。復帰までに9年の年月を要してしまった。
だから、と美貴は言う。デビュー25周年ではあるが、ずっと歌ってきたわけではない。今日は人生の25年を歌いますと。
客席には多くの歌手仲間が祝福に駆けつけていた。年齢が同じで、デビュー年も近い水森かおりもその一人だった。
「”かおり”って呼ばせていただくほど、仲良くさせていただきました。(テイチクに復帰して)去年、テレビ局で会った時は、『お帰りーっ!』って」
会場のスクリーンに、新人時代の美貴と水森の写真が映し出されると、客席の水森は恥ずかしさからか、思わず「やだっ!」と叫んだ。
「連絡先もわからなくて、復帰するまでは一度も会えなかったんですが、『今、何しているのかな』ってずっと考えていました。歌っている時も、『じゅん子、何してるのかな』『歌やめちゃったのかな』とか。去年、再会できた時は、本当にうれしかった」
水森は美貴のテイチク復帰を喜んでいた。
「今日があるのは、たくさんの先輩方やお仲間や、先生方。なによりも今日お越しくださった皆様のおかげです」
美貴は、自身にとって宝物とも言える1997年のセカンドシングル「潮騒–しおさい-」、2001年に名曲をカバーした6枚目のシングル「バラの香水」を歌うと、ファンに語りかける。
「まだまだ未熟な私です。25周年と言いましても、歌手としてコンスタントに活躍できていた25周年ではありません。人生の25周年の集大成として、今日、この場に立たせていただきました。人生、一からの始まりだと思って、今日を境にまた歩いてまいります。もっともっと精進して、皆様にかわいがっていただけるような歌手を目指していきたいと思います」
デビューして25年、テイチクへの復活という形で、また皆さんに支えていただけるとは思っていませんでした、とも言う美貴は、25周年記念曲「土下座」をもう一度歌うと、最後は「陽は昇る」を熱唱した。
“なんの苦労もないままに 生きてゆけたら いいでしょに”という、作詞家・吉岡治の言葉で始まる「陽は昇る」。キム・ヨンジャが2000年にリリースした作品だ。人の世を恨んではいけない。季節がどんなに変わろうとも信念を持ち続ければ、そして、愛する人がいるかぎり陽は昇ると作品は訴えている。美貴じゅん子の気持ちそのものだった。
2021年4月21日発売
デビュー25周年記念曲
美貴じゅん子「土下座」
2021年9月15日発売
アルバム『美貴じゅん子 プレミアムベスト』
収録曲
1.土下座
2.風にさそわれて ギター・バージョン
3.ほおずき
4.潮騒 –しおさい-(新録)
5.キタノザウルス キ・タ・ノ
6.あなたを待ってていいですか・・・
7.幸福(しあわせ)だより
8.おんなの砂丘(新録)
9.咲いて花になる
10.夢物語
11.バラの香水
12.青い空と私・・・そして潮風
13.姫折鶴
14.篝火(かがりび)挽歌
15.くもの糸
16.土下座 ピアノ・バージョン