山本リンダ

山本リンダが放つ爆発力~新曲「明日への翼」でマグマのような熱い思いを~

15歳で「こまっちゃうナ」でデビューして一躍国民的アイドルになった山本リンダが、今年デビュー55周年を迎えた。当時と変わらぬ若いエネルギーを放ち、みんなを元気にしたいと新曲「明日への翼」をリリースした。コロナ禍で自身が再認識した音楽の力で夢と希望を届けたいと作詞にも参加し、“赤いマグマ”のように熱い思いを歌に込めている。

みんなが元気になれる曲を歌いたい!

――55周年記念曲「明日(あす)への翼」は元気が出る作品ですね。

リンダ バラードやシャンソンが好きなので、55周年には本来はそういう作品を歌いたいなって思っていたのですが、今はそれどころじゃない! 音楽の力でみんなが元気になれる曲を歌いたい!って。そういう思いをお伝えしたら、池毅先生からものすごいエネルギーが感じられる、素晴らしい曲をいただきました。

――歌詞もまたスケールが大きくて、冒頭は“赤いマグマ 宇宙(そら)で爆発(もえ)て・・・”。

リンダ 曲と歌詞がドッキングした時に、エネルギーが沸いてほしいと思ったんです。地球が存在して、動植物がいて、人間が生まれて、今こうしてみんなが出会えたこと。それは奇跡ですよね。そんなことを考えて最初に出てきたイメージが真っ赤なマグマでした。曲の中に入れたいイメージを私が書き出して、みやび恵先生が譜面に合わせて歌詞にしてくださいました。私の思いが本当に凝縮されています。

山本リンダ

――“キラララ” “ゆららら”などの擬態語もリンダさんのアイデア? 今や野球の応援歌としても定番となった大ヒット曲「狙いうち」の“ウララ ウララ”のようなインパクトがあります。

リンダ 最初に“キラララ”という言葉を入れることにしたのですが、“キラララ”は輝くイメージです。その後に続くフレーズでは心安らぐ優しい言葉で続けられないかなって考えて、浮かんだのが“ゆららら”という言葉でした。

――POPでオシャレでリズミカルな作品ですが、主人公はリンダさん自身かなと思いました。歌詞にある「闘うエンジェル」とはリンダさんのこと?

リンダ 「どうにもとまらない」からの一連の作品を書いてくださった阿久悠先生がのちにインタビューでお話しされていたことがあります。この曲をリリースした頃(1972年)は、まだまだ男尊女卑の時代。男性が優位なものが多かった。そんな時代に、阿久先生は「これからは女性が元気なら男性も元気になれる」と、女性上位の曲を書いてくださったそうなんです。私はそんな路線の歌も数多く歌ってきましたし、子供の頃からジャンヌ・ダルクに憧れていました。今の時代に女性がみんなに元気を送るような作品を歌いたいと、みやび先生にお伝えしたら、2番の歌詞に、“見えないデビルと 闘うエンジェル”という言葉を入れてくださったんです。

衣裳へのこだわり

山本リンダ

山本リンダが着る新曲衣裳には本人のこだわりがいっぱい! 歌詞の冒頭に出てくるフレーズ“赤いマグマ”に合わせて赤系のベストを着ているが、あえて真っ赤にはせず、赤味がかったピンクを選んだという。白のシャツはこれも歌詞に出てくる“闘うエンジェル(天使)”のイメージを膨らませた。白いホットパンツに白いブーツを合わせている。ネクタイのブルーは海をイメージしたそうだ。

ドキドキからのコッチンコッチン。“こまっちゃうナ”

――カップリング曲は1966年9月20日のデビュー曲「こまっちゃうナ」のダンスバージョンですね。作詞・作曲は遠藤実先生です。

リンダ 昨年、テレビCMに「こまっちゃうナ」が採用され話題になったことから、アレンジを変えたダンスバージョンとして収録することになりました。アレンジも変わっていますし、私も年齢を重ねていますが、55年前のレコーディングと同じ歌い方と気持ちで歌わせていただきました。

――「こまっちゃうナ」は当初、リンダさんのデビュー曲として準備されたわけではなかったそうですね。別のデビュー曲がすでに決まっており、洋装の演歌歌手としてデビューする予定だったとか?

リンダ 当初は「夢見るわたし」(1966年11月にセカンドシングルとして発売)がデビュー曲で、「ごめんなさいママ」がB面になる予定でした。そして、その2曲のレコーディングも終わっていました。じつは、初めて遠藤先生にお会いした時、先生が目の前に座っていらしたので、ものすごくあがってしまったんですよ。先生が「リンダくんはボーイフレンドはいるの?」って聞いてくださったということなんですけど、私はあまりに緊張していて、先生が私に何を聞いてくださっているのかわからなくて・・・。ドキドキドキドキして頭が真っ白になって、思わず、“こまっちゃうナ”って言ってしまったんです。それが先生の印象に残ったそうで、「家に帰る車の中で詞も曲もできたんだよ」と、のちにおっしゃっていました。

山本リンダ

山本リンダ

――その歌が大ヒット曲「こまっちゃうナ」だった?

リンダ ええ。生まれて初めてのレコーディングはコッチンコッチンでした。そうしたら先生が、「時間がまだ残っているから、あと1曲、練習でレコーディングしよう」って言ってくださったんです。その曲が準備していただいた4曲の中で一番好きだったポップス調の「こまっちゃうナ」だったんです。先の2曲ほど歌い込んでいなかったのですが、練習ということもあって、とても伸び伸びと歌えました。すると、その場で遠藤先生が「この曲にすぐチェンジだ。『こまっちゃうナ』をデビュー曲にしよう」って。スタジオにいた皆さんは驚いていましたが、遠藤先生は「リンダに賭けよう」とおっしゃって、当時のミノルフォンレコード(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)は経営的に潤沢な予算があったわけではなかったんですが、私のためにチラシやポスタ―もたくさん作って宣伝してくださったんです。

永遠のファッションモデル・アイコンとして

――30年ぶりの出演されたテレビドラマ『タベホの女~女3世代満腹日記~』(チャンネルNECO)の中でも、役柄として美貌を全面に押し出して「明日への翼」を歌い踊っているそうですね。リンダさんは、“永遠のファッションモデル・アイコン”として輝き続けていますが、美の秘訣は何ですか?

リンダ 自分で自分を眺めてみると、やっぱり年齢的にしかたがない、受け入れなきゃって思うこともあるんですけど(笑)。お客様はカッコいい女性や飛び跳ねて歌っている山本リンダのイメージを抱いてくださっているんですね。だから、それを壊してはいけないなって思っていて、そう思うことが一番の秘訣かもしれません。夜遅く帰宅して、お腹が空いていても、本当はもっと食べたいところを3分の1で我慢したり、甘いものは自分では買わないようにしたり。本当は大好きなんですけどね。いただいたチョコレートも、1日に2粒までと決めていると、なんとか3粒で我慢できるんです(笑)。

――日々の積み重ねですね。

リンダ 日々、いろんなことに気を使っていますよ。昔、モデル時代に、加山雄三さんのお母様である女優の小桜葉子さんとご一緒した時に、「リンダちゃん、お水を飲むといいわよ」って教えてくださったんです。「私は朝、昼、夜の3回飲んでいるわよ」って。当時の私は14歳か15歳だったと思いますが、それ以来、朝起きたらグラス1杯の水を飲んでいます。お風呂に入る時にも、少しお酢を足した水を大きめのグラスに準備しておいて、少しずつ飲んで汗を出しています。

山本リンダ

――体力作りについてはいかがですか?

リンダ 自転車で走るのが好きですね。電動自転車なんですが、電動を切って、さらにペダルも一番重くしてこいでいます。私がお薦めしたいのはストレッチですね。沢たまきさんにストレッチ機能のついたボードを教えてもらってから続けていますが、すごくいいんです。角度のついたボードに両足を乗せて、前屈したり、伸びをしたりするんですが、背骨がヒューっと真っ直ぐになって、スーッとして気持ちいいんですよ。あとは、エスカレーターや動く歩道があっても、よほど調子が悪い時以外は、使わずに歩きますし、“ながら運動”は好きで習慣にしています。でも、どうしても不健康な面もあって、夜早く休むことができないんですよ。睡眠が一番大事だとわかっているんですが、ついつい家のことをやってしまって、ひとりでニコニコして楽しんでいると、主人が起きてきて、「まだやってるの?」って言われることもあるんですけど(笑)。

声が出るかぎりステージに立つ

――昭和、平成、令和と時代が移り変わる中、第一線で歌い続けられるリンダさんにとって、音楽とは何でしょうか?

リンダ 赤ちゃんの頃から母が音楽を聴かせてくれたので、ずっと自分の中に音楽があるんです。ひとりっ子で、母が働いていたのでひとりでお留守番しなければならないこともあったんですけど、歌があったのでいつも平気でした。歌手デビューしてからは、歌が仕事になりましたが、私自身、歌がなければ生きていけないみたいな。歌があるから元気でいられるみたいなところが今も変わらずあります。世界中、どこへ行っても人間と音楽は切っても切り離せないものだと思います。

山本リンダ

――55周年を迎えられましたが、これからも歌の道ひと筋ですね。

リンダ そうですね。以前、大好きな越路吹雪さん、岸洋子さんの舞台を観させていただいた時にとても感動しました。長く歌える歌手になりたいと深く深く決意しましたが、今日まで歌ってこられたので本当に幸せです。風邪を引いていたことや怪我をしていたこともあって、そんな時は100パーセントの力が出せなくて申し訳ない思いになるんですよね。だから、歌うためには健康でなければいけないと思ってやってきました。その結果として、今、健康でいられるんだなって思っています。

――最後に歌手・山本リンダとしての大きな夢、思いを聞かせてください。

リンダ 声が出るかぎりコンサートを続けることが今の夢のひとつです。シャンソンが好きなので、以前からピアノ1本で歌うコンサートをしてきました。それは山本リンダの第3次ブームと言われた90年代も変わらず続けてきて、今に至っています。お越しくださった方に歌を通して幸せになっていただきたいですね。お客様は時間とお金を使ってわざわざコンサートに来てくださるので、元気になって、幸せな気持ちになってお帰りいただきたいですし、CDを聴いてくださる方にも幸せな気持ちになっていただきたい。歌う以上はその気持ちをなくしたくないですし、その気持ちがなくなってしまったら歌手をやめるつもりです。でも、歌が好きなので、このままずっとやっていけそうです(笑)。

(文=親松尚子)

 

INFORMATION

山本リンダ 30年ぶりのドラマ出演
チャンネルNECOオリジナルドラマ「タベホの女~女3世代満腹日記~」

山本リンダが出演するチャンネルNECOオリジナルドラマ「タベホの女~女3世代満腹日記~」が放送されている。一話完結で、第1、2話の放送が再放送を含め3月22日まで放送されることが決まっている。同番組は、個性豊かな祖母・母・娘の三世代が食べ放題の世界に挑む、新感覚のエンターテイメント・グルメドラマ。実在する食べ放題の名店が続々登場する。山本はセレブな元世界的歌手を演じ、劇中歌として新曲「明日への翼」を歌い踊り、その美貌を振り巻いている。共演は真飛聖、工藤美桜。続編にも期待したい。

放送日時ほか番組紹介はチャンネルNECOホームページへ
▶タベホの女~女3世代満腹日記~

 

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2022年1月26日発売
デビュー55周年記念曲
山本リンダ「明日への翼」
山本リンダ「明日への翼」

「明日への翼」
作詞/山本リンダ、みやび恵 作曲/池毅 編曲/猪股義周
c/w「こまっちゃうナ~ダンスバージョン」
作詞・作曲/遠藤実 編曲/猪股義周

「明日(あす)への翼」は昭和・平成・令和と歌謡曲シーンを駆け抜けてきた山本リンダのデビュー55周年記念曲。リンダらしくオシャレでリズミカルな作品で、作詞にも関わった。カップリングはデビュー曲にして国民的ソングとなっている「こまっちゃうナ」のダンスバージョン。55年ぶりに新録した。


山本リンダ

profile
山本リンダ(やまもと・りんだ)
3月4日、福岡県生まれ。日本人の母親とアメリカ人の父親の間に生まれる。“リンダ”は父親が愛称として呼んでいた。スペイン語で“かわいい” “愛しい”という意味。1962年、12歳の時にファッション雑誌『装苑』の専属モデルに合格し、ファッションモデルとしてデビュー。1966年9月20日、「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。100万枚を超える大ヒットとなる。1967年、ニューヨーク、サンフランシスコなど全米6大年で公演。1968年、ドラマ『てなもんや三度笠』で役者デビュー。1972年、「どうにもとまらない」「狂わせたいの」「じんじんさせて」が大ヒットし、『NHK紅白歌合戦』に初出場。翌1973年も「狙いうち」「燃えつきそう」などを大ヒットさせる。1986年、20周年記念リサイタル『鏡の中の私』を公演(文化庁芸術祭参加)。1995年12月から1998年4月まで、30周年コンサートツアーを全国125カ所で開催。2006年、「歌手生活40周年記念コンサート~愛に生きて」全国ツアーを敢行。2016年、歌手生活50周年記念コンサート「My Life Songs~感謝をこめて」を中野サンプラザホールで開催。1960年代の第一次ブーム、1970年代の第二次ブーム、1980年代後半から90年代の第3次ブームと、時代と共に進化し、つねにオーディエンスに夢を与えてきた。2022年1月、デビュー55周年記念曲「明日への翼」をリリース。

山本リンダ 公式ホームページ
山本リンダ YouTubeチャンネル
徳間ジャパン 山本リンダ ページ

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