菅原洋一の存在意義 ー 歌をやめることは、死ぬこと ー 〜新曲「歌よ…あなたが居たから〜シングルバージョン〜」〜
「生涯現役」をモットーに、88歳となった今でも歌への情熱は消えることなく、その道をただひたすら歩き続けてきた菅原洋一。8月18日に、歌謡界では”最高齢シングル”とされる新曲「歌よ…あなたが居たから〜シングルバージョン〜」を発売した。6年前に歌手仲間でもある吉幾三からプレゼントされた、”菅原洋一”という、ひとりの歌い手の人生の曲だ。
”菅原洋一”という歌い手、人生の一曲
Q 今年8月21日に88歳、米寿を迎えられました。おめでとうございます! 新曲「歌よ…あなたが居たから」はどういう曲でしょうか。
菅原 これは実は6年前に吉幾三さんからいただいた曲なんですが、最初は「あなたがいたから」というタイトルで作ってくれたんです。“周りに支えてくれる人たちがいたから、今の自分があるんだ”と。だけどそれだけではなくて、これまで歌い続けられたのは“歌があるから”だという思いを感じまして、タイトルに「歌よ」をつけてくれと吉くんに頼みました。、
Q 最初はどのような流れで、吉さんから提供されたのですか。
菅原 それが……、不思議なんですよね。とある番組の収録の休憩時間にちょっと吉くんと雑談というか話をしたんです。その中で、たしか「歌い続けてここまでこられたというのはファンや色々な人がいてくれたから……」というようなことを話ししてね。そうしたらその日に、吉さんが「菅原さんできたよ〜。歌って〜」って。
Q その日のうちにですか! すごいですね。
菅原 本当ですよね(笑)。驚きました。そして一度、2015年に発売した僕のアルバムに収録させてもらいましたが、今回新たにまたレコーディングしました。実はまだ吉くんには伝えていないんですよ。だからこのCDを聴いて、どんなふうに感じてくれるか、心配と同時に楽しみです。
Q 拝聴しましたが、とても奥深い作品ですね。
菅原 吉さんのすごいところは、この歌の中で「あなた」と両方に問いかけているんですよね。人と歌と。そして、“人生いいことも悪いこともあるし、楽しいこともある。それを耐えていくことによって素晴らしいことが味わえるんだよ”というメッセージもいっぱい入っている。当初はそんなに深い意味があるとは僕は解釈できなかったんですよ。単に、あなたがいたからここまでこれたという意味合いとしかとれなかった。あぁ、吉さんというのは深い意味のある曲を作ったんだなぁということを改めて感じました。
あなたが居たから…
あなたと居たから…
ここまで来ました 悲しみも 喜びも
振り返りゃ 向う風 振り返りゃ 追う風と
夢追い駆けて来て あなたへの愛はまだ
(「歌よ…あなたが居たから」歌詞より)
Q 歌詞には、「これまでもありがとう これからも」という未来への思いも込められていますよね。
菅原 そうです。短いフレーズの中にこれだけの人生に対する思いが込められた曲というのは、今までにないなと思っています。今回、徳間さんからお話があって、改めてこの曲と向かい合って考えてみると、88年も生きてきて、人との出会い、喜びや悲しみや苦しみがありました。でもそれがあったから喜びが深く感じられる。そういうことを気づかせてくれる歌とまた巡り合えたなというありがたい気持ちですね。
Q 6年前にレコーディングされた時と、今回新録の時のお気持ちの違いや変化というのはいかがでしたか。
菅原 全然違いましたね。6年前にいただいた時は、この歌詞の言葉通りにしか受け取れませんでした。レコーディングまでに練習している間にどんどんと様々な思いが重なってきて……。何回も歌い込んでいるうちに、ただメロディー通りに歌うのではなくて、表現の仕方を工夫したというか、少し僕の思いを込めて歌いました。このレコーディングした思いだけでは伝えられないものがまだありますけどね。これからステージでどう変わってくるか、というのはまた楽しみですよ。
「僕はここにいるよ、と伝えるためには、歌うことしかないのです」
Q これまでずっと音楽や歌とともに生きてこられた中で、音楽を辞めたい、歌いたくないなどと思われたことはありましたか。
菅原 菅原洋一から歌を取ったら存在感がないものですから、それはないです。僕はここにいるよ、と伝えるためには、歌うことしかないのです。歌うことをやめたら死ぬことです。歌とともに。これからも。どれだけ生きれますかね……大変ですよ(笑)。
Q 生涯現役をモットーとされている菅原さん。この曲は、“歌謡界の最高齢シングル?!”とも言われておりますが、いかがですか。
菅原 そうですね。いつの間にかそうなったというか(笑)。年を重ねて現役で歌う、さらにシングルを出すというのは限られた人しかいないでしょうし、できないとは思いますからありがたいですね。命というのは永遠じゃないし、若さも永遠じゃない。やっぱり衰えますもん。当たり前だけど、衰えと同時にそれをそのままにしていくんじゃなくて、衰えた部分をどういうふうに変えていくかということも、僕は大事だと思っています。
Q その情熱や意欲は消えることはないというか、つねに持ち続けられてこられたんですね。
菅原 そうですね。これから先はどうなるかわからないけれど、今ある自分を聴いてもらいたいという思いですね。今までは「いい声だね」って言われて、声もスムーズに出てたのが、歳とともに枯れてくる、衰えてくるわけですよ。足腰も声帯も弱ってくるし。じゃあどうしたらいいか?こうしてみようというチャレンジする気持ちがずっとあったから良かったんでしょうね。今でも口を開けて発声練習したり、腹筋を鍛えながら歩いていますよ。
Q ぜひ他にも菅原さんの健康の秘訣を教えてください!
菅原 食べ物については、あまり気をつけてはいません。ただ、昔から肉が好きです。肉ばかり食べているから、昔「ハンバーグ」というニックネームがありました(笑)。昔はパンパンでした。お酒もずいぶん飲んでましたね。今は好きなもの、食べたいものは食べる。無理はしないこと。そして、疲れたら休む。自然体でいいのではないかと思っています。
Q ありがとうございます。それでは、最後にファンの皆さんやオトカゼの読者にメッセージをいただけますでしょうか。
菅原 僕は別に今も88歳とは思っていません。言われて「そうなんだ」くらいです。とにかく、今の歳の僕の声を聴いてください、聴いていただけますか、という願いと思いを込めて今回この曲を歌いました。僕は自分なりの味の出し方しかできません。だから僕のこの曲を聴いて、「いいな、歌いたいな」と思う方がいらしたら、ぜひ皆さんも自分なりの歌い方で歌っていただきたいと思います。きっと楽しいですよ。
菅原洋一が語る”歌との出合い、音楽との出合い”
僕が、どうして声楽家になったのか。話せば、とても長いことになりますがいいですか……(笑)?
僕が5歳の頃、当時は戦後で食糧難の時代。僕の家は今で言えばスーパーマーケットのような商売をやっていました。子どもが店先をうろちょろするとうるさいじゃないですか。僕はいつも邪魔者扱いをされていたんですが、ある時ね、当時の流行歌を歌ったんです。そうしたら、お客さんや大人たちが「うまいじゃない」と褒めてくれた。それまでは煙たがられても褒められるなんてことがなかったから、存在感を認められたように子ども心に思ったんでしょう。それからしょっちゅう歌っていました。褒められたくて。その体験が、今につながっているのかなと思います。それから高校生になっても音楽教室でコーラスをやったりと、歌うことは続けていました。そして大学を受験する頃、僕は体を壊してしまったんです。休んでいる間の勉強が追いつかなくて、中でも数学が苦手でね。受験科目に数学がない大学を探したのですが、数学のない大学というのは武蔵野音大と国立音大くらいしかなかったのです。父は「音楽なんてダメだ、普通の大学に行け」と。でも行けと言われたって、僕は勉強ができないわけです……(笑)。だから「音楽がやりたい。将来は音楽の先生になるよ。先生をやりながら商売を手伝うから」とうまく説得してね。そうしたら、受かっちゃったんですよ(笑)。運が良かったんですよね。そこから、声楽やクラシックの勉強をしました。
その他にも、僕はタンゴが好きでよく聴いていました。
中学1年生の時に、父から育ててくれている母親と産みの母親が違うという事実を聞いて、頭が真っ白になってしまった。その時に、ラジオでアルゼンチンタンゴを聴いたんです。「黄昏」というタンゴ曲のバイオリンの悲しい音色、バンドネオンの切ない響き、タンゴの刻むリズム……。今の自分の心臓の鼓動のように聴こえて、音楽が自分の気持ちを表現してくれているように思えたんですよね。そこからタンゴが大好きになったんです。大学時代もタンゴを聴いて勉強して、卒業してからは当時あったタンゴ喫茶というところに歌いに行って、そこで歌っているうちに有名なバンドに引き抜かれて。そこからタンゴ歌手としての生活が始まったわけです。それが63年前。歌手になるきっかけになりました。今、この歳になってこうして振り返ってみると、歌や音楽との出合い、色々な人たちとの出会い、その場所というのは運命で決められていたんだと、それがあったから今があるんだとつくづく思います。一つひとつの出逢い、ふれあいが今でもとても大切な思い出ですし、出逢えて良かったなと心から幸せに感じています。
菅原洋一
2021年8月18日発売
菅原洋一「歌よ…あなたが居たから〜シングルバージョン〜」
Profile
菅原洋一(すがわら・よういち)
1933年8月21日、兵庫県生まれ。国立音楽大学声楽専攻科卒