
大川栄策の「北の慕情」~隠れた名曲をふたたび~
1969年のデビュー曲「目ン無い千鳥」からコンスタントに新曲を発表し続けている大川栄策が、通算105枚目となるシングル「北の慕情」をリリースした。星野哲郎が作詞、山口ひろし(中村典正)が作曲し、今から25年前に誕生した隠れた名曲だ。そんな名曲に、“艶歌”の大川がふたたび光を当てる。
自分なりの使命感で歌い継ぐこと。それが自分にできる大切な役割。
Q 「北の慕情」は105枚目となるシングル作品です。歌い続けることを一つのポリシーとされている大川さんですが、“105”という数字についてどんな思いでしょうか?
大川 気がつけば、もうそんなに出していたのかという感じです。1年1年、そして1枚1枚、地道に歌い続けながら、こんなにたくさんリリースできたということを素直にうれしく思います。今回、「北の慕情」を新録再リリースしたのは、当時、さまざまな事情から納得のいくプロモーションができなかったからです。それで、いつかもう一度出して、しっかり曲を届けたいという思いがありました。当時と今と歌い方などに大きな変化はありませんが、より多くの人に聴いてもらいたいという気持ちは強いですね。
Q 「北の慕情」は大川さん独特の“艶歌”で、積丹岬やサロベツ原野、宗谷岬といった北海道最北端の地を舞台に、離れてしまった女性への男の未練を歌っています。情景が浮かぶ歌詞に引き込まれます。星野哲郎先生による作詞ですね。
大川 ええ。冒頭に「にぎりつぶした 別れの手紙」という歌詞がありますが、未練を残しながら、別れの手紙をグッと握りつぶすという光景が浮かび、すごく新しい感じで気に入っています。この独特の世界感は、さすが星野先生だなあと思います。
Q その星野先生、作曲の山口ひろし(中村典正)先生とも、すでにお亡くなりになりましたが、作品は生き続けています。
大川 時の流れを感じないではいられません。初版リリース当時は人気作家のお二人でしたので、残念ながらレコーディングにはお見えになりませんでしたが、著名な先生方の作品を、自分なりの使命感で歌い継ぐ。それが今後自分にできる大切な役割ではないかと思うんです。「さざんかの宿」もそうですが、名曲においては何より、曲を心に刻んでいらっしゃるリスナーの方のためにも歌わなければと思っています。
Q 今回のレコーディングはどのような雰囲気でしたか?
大川 再レコーディングだったので、初めて歌う曲とは違ってリラックスできました。歌ってみて感じたのは、25年経った今でも古さを感じさせないということ。作品の持つ力を改めて感じました。
Q 北の慕情」をカラオケ愛好家の方が歌う際のアドバイス、上手に歌うコツなどあれば教えてください。
大川 この曲は、女性でも歌える音域ながらスケール感をもって歌えるという、とてもお得な曲になっています(笑)。どなたにもチャレンジしてもらえる楽曲ですので、ぜひ歌ってみてください。「北の慕情」はYouTubeで試聴できますので、そちらものぞいてみてほしいですね。
カップリングには大川自身の作詞・作曲による『恋の旅路』が収録される。デビュー30周年を機に筑紫竜平のペンネームで始めた創作活動だが、ここ数年はより精力的に作品づくりに取り組んでいる。『北の慕情』同様、恋に破れた男の切ない心を北の酒場の風景の中に表現している。
Q カップリング曲の「恋の旅路」は素敵なタイトルで、大川さんご自身の作詞・作曲です。作詞にも挑戦されるのは、前作「面影しぐれ/恋の川」からですね。
大川 「北の慕情」と同じく別れの切なさ、未練心がテーマです。こちらは歌詞を先に作りました。作りながら作品の色が少しずつ変わっていくイメージがあり、メロディーをつけていく過程、レコーディングをしている過程で次々と新しい発想が生まれてきたんです。それによって歌詞も変更し、最終的に味わいのある作品に仕上がったと思います。
Q 作品づくりについての今後の抱負など、その思いをお聞かせください。
大川 テーマに関しては、ミクロ的なものではなく、なるべく普遍的な人間の感情を表現できるようなものに設定しています。恋や、人の心の哀愁などが多いかと思います。作品づくりはもともと好きな方なので、これからもその時代に合わせたものを作っていきたいですね。そして、歌を歌う。作品を書く。いずれにおいても、曲を手に取ってくださるユーザーにいかに感動を与えられるかということを常に念頭においています。それについては、以前もこれからも何ら変わりはありません。生まれた曲の最終到着地点は「歌ってもらえること」。それを原則にがんばっていきます。
Q コロナ禍で制約のある歌手活動が続いていますが、長年、エンタメ業界の第一線を走り続けられる立場として、他の歌手の方やエンタメ業界に応援メッセージをいただけますか。
大川 50年以上、歌に携わってきた中で、間違いなく一番の危機に瀕していると思います。自分も含め、思うように活動できない歌手の方がたくさんいるわけですが、このような事態であっても前向きにとらえ、今を振り返ってよかったなと思えるような、実のある充電期間にしてほしいと思います。自分自身はこのような時間を使って曲づくりをしていますが、音楽ファンも含め、皆さんが自分を成長させる時間として使えたら一番いいですよね。
(まとめ=藤井利香)
2021年4月28日発売
大川独自の“艶歌”で涙を誘う男の未練心
大川栄策「北の慕情」

「北の慕情」
作詞/星野哲郎 作曲/山口ひろし 編曲/南郷達也
c/w「恋の旅路」
作詞・作曲/筑紫竜平 編曲/蔦 将包
「北の慕情」は大川栄策が1996年に発売されたシングル作品。25年の時を経て、隠れた名曲を新録し、105枚目のシングルとして再リリースされた。北海道最北端の地を舞台に、男の未練心を歌うが、哀愁を感じる楽曲で歌ってみたくなる作品だ。大川自身、年代を経てもまったく古さを感じない作品だと話す。カップリング曲は大川が筑紫竜平のペンネームで作詞・作曲した「恋の旅路」。具体的な地名は出てこないが、描かれる情景から北の酒場が浮かぶ。表題曲同様、未練心をテーマに大川が艶やかに歌っている。
profile
大川栄策(おおかわ・えいさく)
1948年10月30日、福岡県生まれ。3人兄弟の末っ子として誕生。高校時代は空手、野球、歌謡曲に慣れ親しむ。高校卒業と同時に歌手を目指して上京し、作曲家・古賀政男氏に弟子入り。修行を経て、1969年にTBSのテレビドラマ『新妻鏡』の挿入歌「目ン無い千鳥」でデビュー。レコードは兄弟子であるアントニオ古賀のB面として発売されたが、話題隣、ロングセラーとなる。1982年、33枚目のシングル「さざんかの宿」が大ヒット。同曲は現在でもカラオケで最も歌われる名曲のひとつとして常にランクイン。以降、数々のヒット曲を世に送り出している。2018年、『歌手生活50周年記念 大川栄策CDコレクション』を発売。2021年4月、通算105枚目のシングル「北の慕情」を発売。ペンネーム「筑紫竜平」の名で、作詞・作曲も手がける。名前は九州の筑紫平野と、師匠の古賀が辰年だったことから名付けたという。大川栄策歌謡塾を主宰。音楽の発展にも力を注ぐ。
大川栄策 公式HP
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日本コロムビア 大川栄策ページ