安倍理津子、新曲「願い」で50年目の冒険~”歌”って最高!~

紆余曲折を経験しながらも一途に歌とともに生きてきた安倍理津子は、昨年50周年という大きな節目を迎えた。安倍が50周年記念曲「願い」に込めたのは、今を生き、これからも歌い続ける。シンプルな思いだった。

 

「ヒット曲を出したい」。その思いで50年歌ってきた

 

4月21日に、安倍理津子は新曲「願い」を発表した。2020年3月11日に現在の”安倍理津子”に改名をして初めてとなる作品は、歌手生活50周年を飾る記念曲である。

「皆さん同じことを考えていらっしゃると思いますが、歌手として生きている以上、”ヒット曲を出したい”。その思いで50年やってきました。だから今回もそれを目標に頑張るんですけれど、それよりも今はいただいたこの作品をなんとか皆さんに広く伝えたいという気持ちで歌っています。そうして広がっていってヒットにつながれば、こんないいことはないなと思っています。これからです!」

今回、作詞作曲を手がけたのはいわゆる演歌・歌謡曲を専門にしている作家ではなく、気鋭の若手制作陣だった。作詞は、歌手・シャンソニエとして活躍する三戸亜耶。ピアニストであり、編曲家としても高い評価を受ける大貫祐一郎が作曲を担当した。50年というキャリアの中でもこれまでにない巡り合わせに、安倍も最初は少し戸惑いを隠せなかった。

「ディレクターから『こんなに素晴らしい若手の作家さんたちがいるんだけれども、ちょっと作ってみてもらったらどうですか』とお話があってね。前作が純然たる歌謡曲だったのでその線は崩したくないということはお伝えしました。そうしたら、『理津子さんが歌えば歌謡曲ですから』って返されて、それもそうだなと思って(笑)。自分で言うのもおかしいですけれども、50年てやっぱりすごいと思うんです。今までの50年で培われたものが私の中にあるので、ここで冒険してみたいな、少しだけ弾けてもいいかなと思って皆さんにお任せして挑戦しました」

傷つき苦しんでいる人を抱きしめるよりも、そばに駆けつけるよりも、”あなたに届け”と願いながら歌う。新曲「願い」には、歌手としてひとすじに生きてきた安倍の、等身大の姿と思いが込められている。歌謡曲でもあるようで、また何か違うジャンルの曲でもあるような不思議な曲だ。

「内容的にはもうバッチリでしたね。今の時代にも、50年の今の安倍理津子にもピッタリ!私のマネージャーが常日頃、『歌い手というのは希望とか夢とかを与えるようなメッセージソングを歌うのがいいのでは』と私に言うの。心に伝わるような歌を。だから今は日本中がコロナ禍で大変な思いをしていて歌どころではないかもしれないけれども、ふとした時に私の曲だけではなく色々な音楽を聴いて、少しでも癒やされたり勇気を持っていただけたらいいなと思うんです。やっぱり、私は”歌”って最高!だと思っているから」

 

歌い続けてきた原動力。一番は「母に喜んでもらいたい」

 

昭和を代表する偉大な作曲家のひとり、平尾昌晃氏が地元・札幌の音楽喫茶で歌っていた少女を見初め、声をかけたのは1969(昭和44)年の夏のこと。そして、少女は翌年の1970(昭和45)年3月に上京。8月1日に”安倍律子”(当時)として歌手デビューを果たした。札幌で生まれ育ったひとりっ子の安倍は、祖母と母と三人暮らし。小学生の頃からクラシックバレエを習い、将来はバレエの先生になるのが夢だった。

「トントン拍子に幸運がやってきた感じでした。その後は大変でしたけどね(笑)。東京や芸能界への憧れはまったくなかった。遠い存在でしたから。でも当時の友だちに聞いたりすると、わりと小さい頃から『私歌手になるんだ』って言っていたらしいの。全然覚えていないんだけどね。おばあちゃんは、東京に行くことはとんでもないと絶対に反対でした。母親は、寂しいけれども自分が好きなことをやったほうがいいから、ということで背中を押してくれました」

デビュー曲「愛のきずな」はヒットしたが、作曲は安倍を見出した恩師である平尾氏、ではなかった。当時体調を崩し療養に専念していた平尾氏は、同じく作曲家として活躍していた鈴木淳氏に安倍のデビュー曲を託した。

「平尾先生は曲を作ることが難しくて、鈴木先生に託されました。私にとって平尾先生は産みの親、鈴木先生は育ての親。残念ながら三年前に平尾先生はお亡くなりになってしまいましたが、鈴木先生には『おかげさまで50周年を迎えました』とお電話で感謝をお伝えしました」

「愛のきずな」
作詞/加茂亮二 作曲/鈴木淳 編曲/船木謙一
c/w「誰れかの恋人」
作詞/加茂亮二 作曲/鈴木淳 編曲/船木謙一
キングレコード(1970年8月1日 発売)

「Oh! ビューティフル・タッチ!!」「水着以外の取材はお断り」。

安倍に与えられたキャッチフレーズは、当時かなり斬新で、少し大胆なものだった。しかしそれを嫌がることなく、安倍は水着を着て様々なところへデビュー曲を広めるために出かけていった。
翌年に発売した「愛のおもいで」「お嫁に行くなら」とシングルが次々にヒットを記録したが、その後は苦しい時代が続く。
しかし、それから13年後に大きな転機が訪れた。橋幸夫と歌った「今夜は離さない」が大ヒットとなり、以降も松方弘樹など錚々たる男性を相手にデュエット曲を発表し、”デュエットの女王”として人気を博すことになる。

「しばらくちょっと悶々としましたけれども、大先輩の橋幸夫さんと『今夜は離さない』を歌うことができたことは、本当に幸せでした。色々なことがあった50年ですが、歌い続けられてこられたのは、本当に支えていただき変わらず応援してくださった多くのファンの方のおかげです。そして、一番は母に喜んでもらいたい、恩返し、親孝行がしたい。そんな思いでこれまでやってこられたのかなと思います」

二人三脚で生きてきた母親と、昨年のコロナ禍で一緒に過ごす時間が増えた。「大変なことのほうが多いんですけどね」と、幸せそうに微笑んだ。これからもまだ、これまでと変わらぬ思いを胸に抱きつつ歌い続けていくつもりだ。

「とにかく背伸びもせず等身大で私らしく歌っていきたいの。札幌で歌を始めた時に、人前で初めて歌ったのは、映画『マイ・フェア・レディ』の「踊り明かそう」なんですよ。だけど私英語の歌が苦手で、今は2曲だけ歌えるの。「ホワイトクリスマス」。これは年に一度(笑)。あとは大好きな「テネシーワルツ」。これからは英語の歌にも少しずつ挑戦していくつもりです。レパートリーを増やして、ショーを観に来てくださる皆さんにより楽しんでいただけたらいいなと思っています」

 

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2021年4月21日発売
歌手生活50周年記念曲
安倍理津子「願い」

「願い」
作詞/三戸亜耶 作・編曲/大貫祐一郎
c/w「ヘッドライト・テールライト」
作詞・作曲/中島みゆき 編曲/大貫祐一郎
c/w「接吻〜くちづけ〜」(安倍理津子&鈴木淳)
作詞/荒木とよひさ 作曲/鈴木淳
テイチクエンタテインメント TECA-21014 ¥1,350(税込)

「願い」は、安倍の歌手生活50周年記念シングル。ただのラブソングではなく、壮大なテーマが込められた作品。「もう大胆に大声を出して、元気よく高らかに歌ってもらいたいです」(安倍)。カップリング曲は2曲収録されており、ひとつは中島みゆきの名曲「ヘッドライト・テールライト」をカバー。「40周年の記念コンサートの時に演出家の先生やみんなで選びました。やっぱり中島さんの曲は深いですよね。この曲も自分のオリジナル曲だと思って歌い継いでいこうと思います」(安倍)。もう1曲は、1991年に発売した20周年記念アルバム「里葎子~ひとり、ふたり~」に収録されていた、作曲家・鈴木淳氏とのデュエット曲「接吻〜くちづけ〜」。「このアルバムでは作曲家の先生と作ってくださった曲をデュエットしていただいているんです。今回、鈴木先生の作品を50周年の記念にと入れさせていただきました。バリバリのラブソングです(笑)。聴き返してみると手前味噌ですけれどしっとりとしたなかなか大人のムードある曲になっていると思います。3曲ともぜひたくさんの方に聴いていただきたいですね」(安倍)

Profile
安倍理津子(あべ・りつこ)
1948年10月7日、北海道生まれ。高校卒業後、地元の音楽喫茶で作曲家の平尾昌晃氏にスカウトされ上京。1970年「愛のきずな」で歌手デビュー。『第12回 輝く!日本レコード大賞』新人賞を受賞。1983年、橋幸夫とデュエットした「今夜は離さない」が大ヒット。以降、松方弘樹や林与一などとデュエット曲を発表し、”デュエットの女王”の異名をとる。2017年、テイチクレコードに移籍し第1弾シングル「恋人気分で」を発売。2020年3月11日、安倍理津子に改名。2021年、デビュー50周年記念シングル「願い」を発売。

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