野中さおり

新曲「花絆」で初めての「野中さおり」を!~“ひとりで生きてた つもりでも”~

今年でデビュー35周年を迎えた野中さおり。その記念曲として発表したのが“絆”をテーマにした作品「花絆」だ。その制作の裏側には、野中自身も驚く不思議な縁があった。それは偶然か。それとも多くの人から愛される野中だからこそ引き寄せた必然なのか。彼女の魅力が存分に発揮されたこの1枚で、その答えがわかるかもしれない。

文=鳥嶋えみり

身長2メートルの新人が来たぞ!?

――35周年おめでとうございます! 改めてデビュー当時を振り返って、どんなお気持ちですか?

野中 平成元年、16歳の時にテレビ東京のオーディション番組で優勝して、翌年デビューしたんですが、デビューまでがあっという間で。準備期間もほとんどないまま、いきなり大人の世界に入ってしまったので、当時は「この世界で本当に頑張っていけるのかな」っていう、不安な毎日を過ごしていましたね。演歌の世界についても、その頃はまだ華やかな一面しか知らなくて、例えば皆様に知っていただくためのキャンペーンにしても、こういう地道な活動があるんだなっていうことを初めて知りましたし、自分の親ぐらいの年齢の方々と接するなかで、話す内容や言葉遣いひとつとっても、勉強勉強っていう感じでしたね。

――16歳のデビューですから、不安になってしまうことも多々あったと思います。活動を続ける中で、迷いや葛藤もあったのではないでしょうか?

野中 そうですね。今でこそ、しっとりとした女性の曲を歌わせていただくことが多くなりましたが、デビュー曲は、「やらんかい」という、ハッピに袴を履いて歌う威勢のいい男の子がテーマの曲でした。しかも当時はポスターが畳1畳分ぐらいある、すごく大きなポスターを作っていただいてたので、ファンの方にはそれが等身大だと思われたのか、身長が2m近くある、負けん気が強い女の子が来るらしいぞって待たれていることも多かったんですよね(笑)。でも自分自身はそんな性格ではなかったので、どこに行っても「イメージと違うね」と言われるうちに、「私は私でいたらいけないのかな」と、ちょっとしたことでも悩むようになってしまった時期がありました。

周囲のイメージとのギャップに苦しんで

――周りの方がイメージしている「野中彩央里」(2018年に野中さおりに改名)と、本当の「野中彩央里」のギャップに思い悩んでしまったと。

野中 今でこそ、「私は私!」と思えるようになりましたが、当時はそういった声を一つひとつ受け止めては、「私このままずっと続けていけるのかな」なんて悩んでいました。さらに、デビュー5周年を迎えた年に出させていただいた「雪国恋人形」という作品で、今度は男歌から「お人形さん」のようなイメージに一転したんですね。有難いことに、この作品はカラオケファンの方々に受け入れていただき、私の一番の代表曲になったんですが、当時の事務所の方々からは、「お人形さんらしく、あまりしゃべらないでね」とか言われたりして、そこでもまた葛藤がありました。

――ちょっと息が詰まりそうになっちゃいますよね。

野中 そうですね。「野中さんってどういう方ですか?」って聞かれても、自分でもわからないみたいな感じになっている時がしばらくありました。今思うと、「なんでも言われた通りにしなきゃ」と思っていたことで、自分で自分を苦しめていたんでしょうね。でもあの時期はあの時期でとても大切な時期だったなって思いますし、皆様に受け入れていただいて代表曲と言われるようになった「雪国恋人形」という作品が出せたことも、本当にありがたいことだと思うんです。こうして今年35周年迎えさせていただいて、ファンの皆様の応援がこんなにも力になるんだっていうのを、より一層改めて実感しています。

野中さおり

野中さおりと「花絆」の不思議な縁

強くあらねばと生きてきたひとりの女性。しかし、周りには自分を支えてくれていた人がいた。寄り添うように生きる、人と人との絆を、野中さおりが花にたとえて歌う。

――今回、35周年記念曲として発表された「花絆」。これはどういった経緯で制作されたものなんでしょうか?

野中 実はこの作品は、こちらから依頼をして菅麻貴子先生に書いていただいたものではないんです。ある時、担当のディレクターさんから、「35周年の新曲の作業に入りたいんだけど、どういう歌を歌いたいか希望はある?」と聞かれて、「私の中では、人との縁とか絆とか、そういうものを重苦しくなく表現できるような曲。それでいて、どことなく強がりなひとりの女性像が垣間見れるような世界観が歌ってみたいと思っています」という話をしたんです。そうしたら、「実はね、菅先生が野中さんにぜひって言って持ってこられた歌詞があるんだけど」って言って、この「花絆」の歌詞を見せてくれて。もう見た瞬間、「これこれ!私が言ってるのはこの世界なの!」って言っちゃいました。

――3番には“ひとりで生きてきた つもりでも 支えてくれてた ひとがいる”という歌詞がありますが、野中さんの歌手人生の世界観にぴったり合っていたんですね。

野中 そうなんです、もうびっくりしましたよ! まるで私が依頼して書いていただいたような感じで、すぐに「これがいい!」って言って。菅先生とは今まで作品のご縁はまったくなく、この作品のレコーディングで初めてお会いしたのに、不思議ですよね。菅先生ご自身も、「『野中さんに歌ってほしい』という一心で、ディレクターさんにストーカーのようにつきまとって、お渡しさせていただいたんです」なんておっしゃっていました。これも何かのご縁なのかなと感じます。

――とても不思議なお話ですね。作曲の徳久広司先生とは何かお話されましたか?

野中 徳久先生も「変にドロドロした歌でなく、サラッと絆というものが表現されていて綺麗な詩だし、いいと思うよ」と言ってくださいました。先生には、今まで野中さおりの作品を十数年、書いていただいていたんですが、カップリングでは遊んだ雰囲気の作品があっても、表題曲としてはアップテンポな作品はなかったんです。そこで、「せっかくだったら、この詩にアップテンポなメロディーをつけたら、面白いかなと思って書いてみたんだ」と、このメロディーをつけてくださいました。きっと野中さおりの歌として聴かれる方は、イントロを聴いただけでもびっくりするんじゃないかなって思います。

――野中さんのイメージを壊す作品というわけですね。

野中 そうですよね。この曲は、徳久先生がとても楽しみながら作ってくださったっていうのもとてもありがたくて。もう打ち合わせをしてる段階から、先生がイントロをギターで弾きながら、「ここで、野中さおり登場!」って笑わせてくださって(笑)。レコーディングの時も、徳久先生が“過ぎた日々ぃ~”とか歌ったりして、「先生、一番楽しんでますよね?」って。先生はとても盛り上げ上手なんです。「レコーディングは、腕を組んで、眉間に皺を寄せながらやるもんじゃないんだ。楽しい雰囲気だからこそ出るアイディアとか空気感っていうものがあるんだから」って言ってくださいました。

勢いのまま歌えば大丈夫! レコーディングは突然に

――楽しい雰囲気がこちらにも伝わります!

野中 普通はオケ録(伴奏を録音する作業)をしてから、1週間か2週間後くらいに歌入れになるんですけど、今回はオケ録の時に仮歌(伴奏を収録するために仮で歌を当てること)を歌ったら、徳久先生が、「このまま今日歌入れできるな、やっちゃうか」って、急きょそのままレコーディングになっちゃったんですよ。「別に直すところもないから、今日のその勢いのまま歌った方が絶対いいから」って。

――そんな突然に!

野中 私、普段考えすぎるほど考えちゃう癖があるんです。自分なりに緻密に計算をしながら練習していくというか、それこそレコーディング1週間前くらいになると寝られなくなるくらい、根を詰めちゃうんですよね。きっと先生は、私のそんな癖を知ったうえで、今日やった方がいいって言ってくださったのかもしれません。私としては「えー! 今日かぁ…」という感じだったんですけど、「万が一ダメだったら、ちゃんと別にレコーディングの日をとるけど、さおりならできる」って言われて、「はい…」と。

――野中さんが考える前にレコ―ディングしてしまえ!と。

野中 そう。それで「3回歌えば大丈夫だから」ということで、まずマイクテストで1回歌ったら、「もうこれでOKだから。何も言うことないから大丈夫、大丈夫」って。それで、次は本番ということで2回目を歌ったら、「もうこれでOKだけど?って」(笑)。「え!? 本当にいいんですか!?」ってうかがったら、「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ。できてない時はいつもそう言うだろう」って言われて。「まぁ、でも3回歌わせてあげるって約束したから、あと1回歌ってもいいけど? でも俺的にはもう今ので全然OKだから」と言われてしまいました(笑)。

――歌いたかったら歌ってもいいけどみたいな(笑)。

野中 そうです(笑)。一応「じゃあ歌わせていただきます…お約束なので」と、もう1回歌わせていただきましたが(笑)。でも、今まではこうしてああしてと、自分の中で練ったうえでレコーディングに臨んでいたんですが、今回はリズムにしっかり乗ってっていうところを意識しながらも、いい意味でいろいろ考えずに、「気持ちいいー!」と思いながらレコーディングができました。だから皆様にも、そういう気分で聴いたり歌ったりしていただけたらと思います。「なんだか楽しいな」っていう気持ちで歌っていただけたらうれしいですね。

「お、得したな」と思ってもらえる1枚

カップリング曲「恋月」は愛してはいけない男性を思う、女性の心情が胸にせまる作品。“男は誰も解らずや もっと女は解らずや”という歌詞も印象的。二胡の音色が奏でるゆったりとした曲調に、野中さおりの艶のある歌声が光る1曲となった。

――カップリングの「恋月」は、アンニュイな歌声で女心を歌っておられますね。

野中 「花絆」とはまた全然違う女性像ですよね。「花絆」の歌唱テーマは“かっこよさ”と“勢い”だったんですが、こちらの「恋月」は“色気”と“けだるさ”がテーマ。女性らしい歌を歌い始めてから様々な曲を歌ってきましたが、実はこれまでは、どこかかわいらしい女性像が多く、意外とこういった世界観は歌ってなかったんですよ。徳久先生がおっしゃっていたんですが、CDの中には3曲、4曲入ってても高いなと思うものもあれば、2曲しか入ってないけどお得だなって思うものもあるじゃないですか。今回の“野中さおり35周年記念曲”は、皆様が手に取ってくださった時に「お、得したな」って思ってもらえる、そんな作品になったとおっしゃってくださいました。

――“色気”と“けだるさ”を表現するうえでは、どんなふうに歌われたんでしょうか?

野中 声にならないぐらいの吐息で、歌い出すというのをポイントに歌いました。そんな歌い方はこれまであまりなかったから、なかなか慣れなくて少し不安ではあったんですが、やってみたら、意外とそれも心地良い感じで。実はこの「恋月」も、「花絆」と同じ日にレコーディングしているんです。徳久先生が「このまま『恋月』もやっちゃおうか」って(笑)でも、終わったあと、いつもは「お疲れ様です」とそのまま帰られるミュージシャンの方々が、今回は「すごくいいね!」ってわざわざこちらに一言声をかけてくださって。毎日いろいろな曲を初見で演奏されている方々が、あえてこちらに声をかけてくださるっていうのがうれしかったですし、「今回は何か違うぞ!」っていう手ごたえがありました。

皆様が応援してくれるからこそ頑張れる

――今回、「花絆」では人と人との絆をテーマに歌われていますが、コロナ禍などを経て、ファンの方々との絆を考えることもあったんじゃないでしょうか?

野中 そうですね。このコロナ禍で、なかなか皆様と会えなくなってしまった時に、ここで皆様との距離がプツンと切れてしまったら大変だなって思って、Twitterとかを始めたんです。私、いわゆるSNSって少し苦手なんですけど、でも発信していなかったらきっとファンの方は「元気なんだろうか」って心配してくださるし、「私は元気ですよ。皆さんも元気ですか?」みたいなことだけでもつながっていたいなって思ってやり始めたんです。そこで、また皆様との絆もすごく深まったような気がしましたね。「新曲待ってますね」とか、「また会いたいです」とか、そういう言葉をいただけるだけでも頑張れますし、ひとりじゃないっていう気持ちもすごく強くなりました。

――35年歌い続けてこられたのは、やっぱりファンの方との絆が大きかったんですね。

野中 ファンの方がいてくださらなかったら、心が折れてしまったことも何度もあっただろうなと思います。私の歌を聴いて元気になったっていう人がいてくれるって、本当にありがたいことだなって今、改めて思います。もともとは母が歌が大好きで、私が歌手になることを夢見てくれてたことが原点だったけれども、デビューしてからは目の前の人が喜んでくれるならっていう思いがすごく強くなりました。皆様の前で歌わせていただくっていう使命をいただいてるのは、誰かに元気になってもらえたり、そういう思いを共有してもらえるような立場をやらせていただいてるんだって、おこがましいですけどそう思うんです。

――ファンの方との絆が歌手活動を続けられる中で、ものすごく原動力になったんですね。

野中 綺麗ごとでも何でもなく、本当にそうだなってつくづく思いますし、“ひとりで生きてた つもりでも 支えてくれてた ひとがいる”という「花絆」の歌詞の通り、ひとりで頑張っているんじゃなく、皆様が一生懸命応援してくださっているからこそ、頑張れてるんだなって思うんです。この35周年も、皆様のおかげ。この「花絆」が、また新たな代表曲となるように、そして皆様には「野中さおりは自分たちが応援してきたんだ」って自慢していただける歌い手になっていけるように、今まで以上に心を込めて歌わせていただきたいと思っています。

 

野中さおりの撮影秘話

まるで結婚情報誌『ゼクシィ』みたい!? 

ジャケット写真もミュージックビデオも、見ていただいたらわかるように、もう花まみれなんですよ! 花屋さんが経営してるスタジオで撮影したんですが、ミュージックビデオの監督が、「さおりちゃんが幸せになるように」って、白いブーケまで用意してくださって撮影したんですけど、みんなに、結婚情報誌の『ゼクシィ』みたいって言われました(笑)。

監督も「きっと、これを見てくださる世のお父様方も、『娘よ幸せになれ…』みたいな気持ちで見てくれるかもしれないね」とか言って(笑)。今回は笑顔をテーマにした撮影ではあったんですけど、撮影も本当に楽しくて、ミュージックビデオの半分以上はずっと笑ってる映像です。これでまた、笑顔が連鎖で広がっていくといいなって思います。

 


2023年5月31日発売
野中さおり「花絆」
野中さおり

「花絆」
作詞/菅麻貴子 作曲/徳久広司 編曲/南郷達也
c/w「恋月」
作詞/菅麻貴子 作曲/徳久広司 編曲/南郷達也
徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-91507 ¥1,400(税込)

野中さおりデビュー35周年記念曲は、スケール感のある伴走に、野中の艶のある歌声が冴えわたる「花絆」。記念曲にふさわしい、鮮やかで勢いのある一曲だ。カップリング曲は二胡の音色と、アンニュイな歌声が印象的な「恋月」。いなせな女性から、色気のあるどこか気だるげな女性まで、野中の幅広い表現力が存分に楽しめる一枚となっている。「徳久先生いわく、『恋月』のイントロは、時代劇『鬼平犯科帳』のエンディングテーマをイメージしているそうです」(野中)

 


profile
野中さおり
(のなか・さおり)
12月11日、栃木県生まれ。1987年、テレビ東京「スターは君だ! ヤング歌謡大賞」でチャンピオンを獲得。1989年(平成元年)、「やらんかい」でデビュー。1994年、5枚目シングル「雪国恋人形」がカラオケファンに絶大な人気を得て15万枚を超えるヒットとなる。1997年、デビュー10周年記念コンサートを全国60カ所で開催。2018年、30周年を機に、歌手名を「野中彩央里」から「野中さおり」に改名。同年8月、歌手生活30周年記念作品「天の川恋歌」をリリース。2021年8月から、有線放送のお問合せランキングで1位となった谷龍介、黒谷真一朗とのユニット「黒谷兄弟withさおりママ」の“さおりママ”としても活動中。2023年5月、デビュー35周年記念曲「花絆」を発表。趣味はアロマテラピー。ラジオレギュラー番組「野中さおりの歌謡百景」(3局ネット)放送中。

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