北山みつきが死の淵を彷徨った過去を告白。北山を救ったのはサンコンさんの笑顔だった!!
メジャーデビュー10周年を迎えた北山みつきが5月18日、東京・丸の内のライブレストラン「コットンクラブ」で記念ライブを開催。本番前に行われた会見では、死を覚悟したことがあること、そのことがきっかけで夫であり、元ギニア共和国外交官のオスマン・サンコンさんと親しくなったと明かした。
神奈川県藤沢市出身の北山は音大在学中の20歳からプロシンガー、世亜美(ぜあみ)としてライブ活動。2013年にメジャーデビューを果たし、2018年にはサンコンさんとの婚約を発表。現在は歌手活動と平行して、サンコンさんの第三夫人としてサンコンさんのアフリカ支援を支えている。
会見には夫であるサンコンさん、北山と同郷で、長年の友人である女優の長谷直美が参加した。長谷は観客としてライブを観る予定だったが、「口べたな彼女に側にいてアシストしてほしいと頼まれました(苦笑)」と同席した。
長谷から「この10年の間に、いろいろショックなことがあったんだよね」と促されると、北山は脳動脈瘤を煩い、その処置トラブルにより死の淵を彷徨ったことがあると明かした。
「メジャーデビューして2年ぐらい経った頃でした。“天国に一番近い島”と言われるニューカレドニアへ向かう飛行機の中で頭が痛くなりました。天国に行くかも、と思うほどの激痛でした。苦痛に耐えながら現地に到着したものの(大きな)病院がないので、即、日本に戻ることになったんですが、その間も痛みがひどくて、病院で診てもらったら脳動脈瘤でした。もし血管が破裂していたらくも膜下出血を起こすところでした」
北山は入院先の病院でカテーテル手術を受けることになったが、なんと手術中に機械が故障してしまったのだという。機械が修理され、手術は無事終わったものの、北山はベッドから起き上がれなくほどの身体的ダメージを負ってしまった。
「愛犬を抱っこしながらベッドで寝ているだけの状態でした。でも、そんな時に脳裏に現れたのが、オスマンの笑顔でした。1、2度しか会ったことはありませんでしたが、フラフラしながら彼に会いに行きました。そうしたら“わ~っ”と元気になったんです」
北山は病気からの復帰ライブにサンコンさんを招待した。
「私の歌を聴いて、彼が泣いていたんです。それで通じるものがあるなと感じました」
大使として来日する前、サンコンさんはフランスの大学で勉強していた。北山が歌うシャンソンに当時の苦労を思い出し、涙が出たという。
そんな経緯を経て、北山はサンコンさんの第3夫人になった。長谷から「ということは、押しかけ女房ってこと?」と聞かれた北山は、「どちらかというとそう」と笑っていた。
約180名の観客が駆けつけたライブでは、世亜美時代の作品から得意とするシャンソンまでシンガーとして歌って来た歴史を振り返った。
サンコンさんは北山が歌う「花火#9」「父ゆずり」「背中から抱きしめて」などが好きだという。「父ゆずり」は実話をもとに北山が作詞した作品で、サンコンさんは「私の亡くなった両親のことを思い出します」と語っていた。
日本ギニア友好協会の会長として、日本とギニアの掛け橋としても活動する北山は、「私には子どもがいません。(年齢的に)今後もオスマンとの間に子どもを授かることもないでしょう。だからアフリカの子どもたちを自分の子どもだと思っています」と、ランドセルや衣料品などの支援物資をこれからも現地に送りたいと意欲をみせていた。10月にはすでに準備済みの3000個のランドセルをギニアに送る予定で、ライブの売上の一部を運搬費用に充てる。
そんな北山にサンコンさんは“歌手・北山みづき”を応援。「紅白に出させてあげたい」と話していた。一方、北山の社会活動に改めて感動した長谷は、「向こうで政治家になったら? すごく合っていると思う」と背中を押していた。