佳山明生、ギターが光る「霧笛が泣いて…横浜」

佳山明生   “全部、愛”

デビュー曲「氷雨」の大ヒットで知られる佳山明生。代名詞のように「氷雨」のヒットが語られるが、佳山の魅力はステージだ。歌を届けるための語りや、間合いが絶妙で、ゲストとして登場したステージでも一気に観客の心を惹きつけてしまい、佳山自身が主役へステージを返すほどなのだ。その心を佳山に問うと、愛だという答えが返ってきた。

 

――何度も佳山さんのステージを観させていただいていますが、佳山さんのステージでは、なぜ、あんなにも簡単に観客が引き込まれてしまうんでしょうか?

佳山 一瞬にして僕の世界にしてしまうでしょ(笑)。不思議ですけど、生まれ持ったものがあると思いますね。おふくろ、おやじ、先祖に感謝ですね。それと、僕に勉強しようという好奇心があったことも理由のひとつかと思います。「何でだろう? 何でだろう?」ってね。自分が歌手を志した時、たまたま日本一のディレクターに出会ったんですよ。その彼が「落語の“間”が芸の“間”だよ」って教えてくれた。「あの話し方が芸の“間”のすべてだよ」って。あとで知ったんだけど、歌舞伎役者もみんな本気で“間”を勉強しているそうです。それで僕も落語をいっぱい聴きました。あのしゃべりの“間”はね、結局は人間愛なんです。愛なんですよ。“間”は愛。なぜかって言ったら、相手にわかりやすくしてあげようという気持ちが“間”を生むからです。

――“間”とは愛。いい言葉ですね。

佳山 わかってもらおう、わからせてあげようっていう気持ちが“間”を生む。絶対そうなんです。愛がない人はペラペラペラペラしゃべるんですよ。テレビのコメンテーターでも息つく間もなく、やかましいぐらいの声でしゃべる人がいるでしょ? やっぱり“間”なんですよ。話に引き込まれる人のしゃべりには愛があります。相手を考えながらしゃべっている。

――伝えたいことをどんどん伝えるんじゃ、ダメなんですね。
佳山 そうそう。それが僕の言う愛なんですよ。やさしさですね。

――佳山さんがよくおっしゃる「歌い手というのは郵便局員みたいなもの」という言葉も印象的です。

佳山 “歌を届ける”でしょ? 届けるんだけど、本当の目的は僕と触れ合うことなんです。そのための歌。だから歌を届けることは、僕と触れ合うこと。CDを聴いていても、僕の歌が聴く人に届けば、僕と触れ合っているということなんです。ライブはよりそれが当てはまりますね。料理人がいい道具を使って料理するじゃないですか。そのフライパンや包丁が歌なんですよ。材料のにんじん、キャベツ……それが歌なんですよ。それに僕が魂を込めておいしい料理にする。やっぱり愛を持ってつくらないと、絶対においしい料理なんてできませんからね。

――全部、愛だったんですね。
佳山 そう、愛。やさしさですよ。結末みたいなことを言うけれど、やさしさに勝る強さはないんですよね。僕はそう思うなあ。

 


2020年9月16日発売
ギター・サウンドが光る
佳山明生「霧笛が泣いて…横浜」

「霧笛が泣いて…横浜」
作詞/夢 ユメ子 作曲/池 毅 編曲/斉藤 功
c/w「泣きながら夢を見て」(with:有沢美智子)
作詞/ちあき哲也 作曲/杉本眞人 編曲/前田俊明
c/w「想い出たずね人」
作詞/麻 こよみ 作曲/はせゆうすけ 編曲/竜崎孝路
徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-91297 ¥1,227+税

永遠の夫婦愛を歌った「冬茜」。名曲として残る作品との声も多く、大切に2年間歌ってきた。そんな佳山が2年ぶりにリリースした「霧笛が泣いて…横浜」は、運命のいたずらで別れてしまった恋人を、愛おしく思う女性が主人公のラブソング。
カップリング曲の「泣きながら夢を見て」は1987年の作品。これまでにデュエット相手を変えて、何度かリリースしている定番ソングだ。
今回のパートナー、有沢美智子は1981年に「能登の夕陽/夜明け酒」でデビューした富山県・金沢出身の歌手。石川県歌謡文化協会の副理事長も務め、歌唱指導やカラオケ大会の審査員なども務めている。
「想い出たずね人」は2004年に別のレーベルからリリースした作品。佳山は「どうしてもカップリング曲は歌う機会が少なく、いい歌なのに人知れず消えてしまうことがあります」と言う。あえて新曲を準備するのではなく、過去の作品に光を当てたいと、過去の人気曲をカップリングに入れた。

 


profile
佳山明生(かやま・あきお)
1951年9月19日、北海道生まれ。8人兄弟の末っ子。18歳の時に地元の歌謡大会で「長崎は今日も雨だった」を歌い優勝し、歌手になろうと決意。高専を中退し、1970年8月27日、夏休みにアルバイトで貯めた5000円を握りしめて上京した。だが、歌手への道は開けず、アルバイトの日々。3年後には那須高原のホテルで専属歌手となるが、本格デビューを目指し再上京。作曲家・古賀政男氏の門下生となる。1977年12月、「氷雨」でデビュー。全国を回ってヒットにつなげる。1983年に「全日本有線放送大賞グランプリ」、「日本レコード大賞ロングセラー賞」を受賞。芸名の「佳山明生」は美輪明宏(当時は丸山明宏)が名づけてくれた。函館観光大使。

 

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