本格演歌で拓く、五条哲也の新境地
聴く者の心をとらえて離さないワイルドなハスキーボイスが魅力の五条哲也。10月7日、2年ぶりにリリースする新曲「まよい川」は、大きな成長と気付きを与えてくれたひとつの転機となったと話す意欲作だ。「この曲でもうひと皮むけたい」。デビュー13年目を迎え、さらなる飛躍を誓う五条に音楽との出合いから現在の心境までじっくりと聞いた。
目の当たりにした奇跡
歌手・五条哲也の原点
――五条さんが音楽を好きになられた最初のきっかけは覚えていますか。
五条 僕の祖母が歌好きでね。僕はおばあちゃん子だったのでずっと一緒にいたもんですから、祖母が歌っていた鼻歌を聴いたり、家の中では常に演歌がかかっていました。その影響ですかね。
――子どもって、自然と覚えちゃいますよね(笑)。
五条 そうそう。だから初めは演歌とはわからずに歌ったりしていて(笑)、体に染みついたというか。そこからずっと歌は好きですし、歌手になりたいと思っていました。
――演歌歌手にですか?
五条 小さい頃は演歌ばかり聴いていましたけど、少し大きくなると尾崎豊さんとかね。バンドブームの頃はロックとかポップス。そういうバンドとかシンガーソングライターに憧れていました。
――ジャンルは変わっても、夢はずっと歌手一本で……。
五条 いや、10代の時は体育会系でラグビーをやっていたので、「スクール☆ウォーズ(※1)」に感化されまして……。ラグビーでがんばって、学校の先生になるっていうね。そんな夢を持ったこともありました(笑)。でも、やっぱりずっと歌が好きで、結局、上京して歌の専門学校に入学して、その時少しバンド活動をしていました。
※1)「スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争~」は、京都市立伏見工業高等学校ラグビー部の監督で元日本代表フランカーの山口良治氏の人生を描いたノンフィクション小説『落ちこぼれ軍団の奇跡』(作=馬場信浩)に基づいて作られ、1984年にTBS系にて放映されたドラマ。主演は山下真司が務め、ラグビーを通じて荒廃した高校生たちを更生させようと奮闘する熱血教師と、ラグビーに目覚め立ち直っていく高校生たちが、7年後に全国優勝を果たすまでの軌跡を描いて人気を博した。
――ロックバンドですか?
五条 そうですね。その頃は、自分の音楽活動としてはもうポップスやロック系でいくと思い込んでました。
――演歌はいったんどこかに……(笑)。
五条 その時も別に演歌が嫌いだったわけではないんですよ(笑)。聴いてはいましたし、スナックとかでバイトしていたところで歌っていたりね。
――そこから、演歌歌手としてデビューすることになるきっかけは何だったんですか?
五条 なんでしょうね、自然に……というか、やっぱり出会いかな。今もお世話になっている事務所の社長と縁があって、事務所がもう30年も毎年やっている「カラオケ王座決定戦」というイベントに出させてもらったりしたんですよ。まだデビューする前に。そこでまた演歌を歌うようになって、20代の半ばぐらいにバンドは辞めて、歌手・コメディアンで日本屈指のエンターテイナーのおひとりである団 しん也さんの付き人をやらせていただきました。その時に経験した、演歌や歌謡曲のステージで腹が決まりましたね。
――当時の五条さんにとって、一番の演歌・歌謡曲の魅力ってなんだったんでしょう。
五条 ポップスの歌も好きだけど、知れば知るほど演歌・歌謡曲の方がおもしろくなった、というのがまず単純にあったのと、その頃病院や老人ホームなどで結構ボランティア活動をしてたんですよね。小林 旭さんの歌をものまねで歌ってみたりとか、おばあちゃんに教えてもらった懐メロを歌ったり。ある日、僕が昔の昭和歌謡を歌った時に、ある認知症のおばあちゃんにその歌がハマったんでしょうね。それまで全然反応されなかったのに、急に一緒に歌われ始めたんですよ。スタッフの人も家族の人も泣いて感動されてね。
――薄れゆく昔の記憶の中に、その曲が残っていたんですね。
五条 結構あるらしいですね。かなり強い認知症の方でも歌の記憶だけは残っていることが。そういう奇跡のような光景を目の当たりにして、人の記憶に残る演歌・歌謡曲のすごさというか魅力というのか、俺はこれを中心にやっていきたいと強く思ったんですよね。
――五条さんが演歌歌手を本気で目指すことになった原点とも言える体験ですね。
五条 まさにそうです。その時の感動は今も忘れられないし、「初心忘れるべからず」の気持ちを忘れないようにいつも心に留めています。