50周年記念 五木ひろしがオーケストラと“日本のこころ”を紡ぎ出す

五木ひろしが50周年記念シンフォニックコンサートで歌う

©堀田力丸

「この日をずっと待ち望んでいました。感動でいっぱいです」

 

五木ひろしが8月20日、すみだトリフォニーホール(東京・墨田区)で、新日本フィルハーモニー交響楽団 特別公演「五木ひろし 50周年記念シンフォニックコンサート」を行い、半年ぶりにステージに立った。同コンサートは3月に予定されていたが、コロナ禍により延期されていたもの。五木が最後にコンサートを行ったのは2月半ばで、以来、一日でも早く、ステージに立ち、観客の前で歌うことを願ってきた。

ファンもその思いは同じだった。感染防止対策のために観客の数は半分に制限されたが、ステージに現れた五木に大きな拍手を送っていた。

五木ひろしが50周年記念シンフォニックコンサートで歌う

マイクを使いこなして、声という音を調整しながら歌う五木。©堀田力丸

©堀田力丸

2部構成のコンサートは、昭和と平成の時代に歌った五木のオリジナル曲をオーケストラの演奏で歌うという試み。オーケストラと“日本のこころ”を紡ぎ出した。

オープニング曲は阿久悠氏が作詞、五木が作曲した昭和52年(1977年)のヒット曲「契り」を歌った。

昭和39年(1964年)、東京オリンピックが開催された年に、五木は“松山まさる”の芸名でデビューしたが、売れない時代が続いた。新人歌手10人が集められ、その一人として出演したコンサートでは、2000人収容の会場に8人しか観客がいなかったこともあったと明かす。

“五木ひろし”となって今年50年目を迎えた。その間、頑張って歌ってきたが、作家であり、作詞家の山口洋子氏との出会いがなければ、今の五木はなかった。

「私を見い出してくださったのは山口先生です。売れなかった私を“五木ひろし”として送り出してくれました。先生との出会いによって人生が変わりました。やっとつかんだチャンス。頑張っていこうと思いました」

“五木ひろし”としてのデビュー曲であり、山口氏が作詞した「よこはま・たそがれ」、その山口氏が、五木に提供した作品の中で「もっとも好きだった」と、生前語っていたという「千曲川」を、心を込めて歌う。

幸せ演歌・3部作の1曲から「倖せさがして」、五木が歌う艶歌という柱をつくった「細雪」「長良川艶歌」を歌い、第1部の最後は昭和62年(1987年)の「追憶」で締めた。

五木にとって昭和は輝いていた時代だった。たくさんのいい曲が生まれ、歌と大衆がつながっていた。都会に憧れた人、ふるさとを懐かしむ人。戦争というつらい出来事もあったが、そこから復興し、多くの人が希望を持っていた。

あゝ帰らない はるかな遠い日を
あゝ今日もまた 夢見て眠るか
(「追憶」の歌詞)

「追憶」を歌う五木は、昭和の時代を懐かしむように、遠くを見つめていた。

五木ひろしが50周年記念シンフォニックコンサートで歌う

©堀田力丸

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