市川由紀乃が歌う「石狩ルーラン十六番地」~暗闇のなかに一筋の光が射すように~
「年に2作は久しぶりです」と、新曲「石狩ルーラン十六番地」のリリースについて語る市川由紀乃。同曲は実在した人物をモチーフにした、悲しくも美しいドラマ性のある楽曲となっている。間もなく記念すべきデビュー30周年を迎え、これからの1年をよりよいものにするためにも「心を込めて歌っていきたい」と意欲的だ。
タイトルだけ知らされていた新曲「石狩ルーラン十六番地」
じつは作詞を担当した吉田旺氏が、今年2月に発売した前作「都わすれ」の詩を提供する際に、市川由紀乃にぜひ歌ってほしいともう一作品持参したのが、今回の新曲「石狩ルーラン十六番地」だという。市川はこのとき新曲を準備しているという話は聞かされたが、師匠である作曲の幸耕平氏から、内容は後日ということでタイトルだけ知らされていた。
「本当に詩は教えてもらえなかったんですが、そのときタイトルを聞いただけで『この曲、絶対歌いたい!』って思ったんです。まず、自分の過去の楽曲に地名の入った作品はなかったということ。そして、自分のステージで曲紹介をするときに、『ではお聞きください。石狩ルーラン十六番地』って言いたいなと、それを強く思ったんです。どんな曲だろうと想像を掻き立てられるようなタイトルで、だから詩も早く見せてもらいたいとずっと思っていました」
明らかに、今までの市川の作品にないタイトル。自分にないもの、宝物を増やしたいという気持ちで受け止めたという。ようやく詩を見せてもらえたときは、「やはり、吉田先生だなと。吉田先生は美術関係のお仕事をされていたこともあり、詩のモチーフとなった画家であるご夫婦の作品に触れたとき、強く感じるものがあったのだと思います。先生は、“泣く”を“啼く”とするなど言葉にこだわりを持って詩を書かれていますが、それもあって目の前に美しい情景が自然と広がり、主人公である奥様の思いが深く伝わってきます」
人間模様が隠された「石狩ルーラン十六番地」とは?
今回の曲、歌う前に、例えばテレビの場合であれば限られた時間で視聴者にどのように紹介するか。コンパクトにまとめて言い表せればいいが、それが決して容易ではないほど、曲の背景には深い人間模様が隠されている。
タイトルにある「ルーラン」はアイヌ語で「崖」を意味する。丘と崖と入江が見事な景観をつくり出す北海道・石狩の壮大な自然を背景に、まず伝えたいのが、夫を早くに失った妻の情愛と悲しみを描いた作品であるということだ。
この夫とは、31歳という若さで亡くなった洋画家・三岸好太郎。妻とは、やはり洋画家だった節子。好太郎は早世だったが繊細なタッチで多数の作品を残し、札幌の「北海道立三岸好太郎美術館」へ行けばそれらに出会うことができる。
また節子の作品は、愛知県一宮市にある「三岸節子記念美術館」で多くを見ることができ、この両者の作品に触れた作詞の吉田氏が、家族を遺して逝ってしまった最愛の夫を思う妻の気持ちを代弁するように詩を綴ったものである。
「私も節子さんの記念館へ行き、作品を拝見してきました。ちょうど好太郎さんの作品も一緒に展示されており、合同の作品展は久しぶりだったようです。好太郎さんの作品は人物画が多く、奥様を描かれているなというものもありました。また奥様の節子さんの作風は、柔らかな水色を多用したものが印象的で、海外の影響を強く受けたであろうものも多数ありましたね。ご主人を亡くされたあとは作風が少し変わり、何としても生き抜こうという強さを感じさせ、心の揺れ動き、葛藤を感じないではいられませんでした」
複雑な生い立ち、そして想像は無限大
ではなぜ、この夫婦の背景にある地が石狩のルーランなのか。好太郎の母が若き頃過ごしたのが旧厚田村で、現在の石狩市になる。好太郎自身は石狩で過ごしたことはないが、母の出生の場所として聞かされ、思いを馳せていたのではないだろうか。実際、自身の年譜に、出生地を「石狩ルーラン十六番地」と直筆で書き入れたという。この地名は本来なく、実在したのは「厚田村十六番地」。架空の地名というのが、興味を一層深くする。
「好太郎さんはルーランという言葉の響きがとてもお好きで、故郷は? と聞かれたときに、石狩ルーランと答えたかったのだと美術館の館長さんから伺いました。吉田先生がそのあたりの心情に強く惹かれ、架空の住所をタイトルにしたのだろうと思うと、私自身も心が揺さぶられる思いです」
今回の新曲「石狩ルーラン十六番地」には、想像を無限大に広げられる要素がたくさんつまっている。筆者独自にその背景を探ると、好太郎の母親は駆け落ちして厚田村から札幌へやってきた。しかも、断腸の思いで生まれたばかりの子を置いての移住。その後、好太郎を授かるのだが、置いてきた我が子が梅谷松太郎(作家の子母澤寛)というから驚きである。
要するに好太郎と子母澤寛は、異母兄弟になるのだ。そんな複雑な生い立ちを背負いながら、好太郎が30年余りの生涯のなかでどんな思いで筆をとっていたのか。そして、その様子を見守り続けた妻・節子の思いはどんなだったのか。実在した人物の心情を想像しながら、市川の歌を聴くとより味わいが深まるだろう。
暗闇のなかに一筋の光が射すように
歌詞に秘められた背景はこれくらいにして、歌のなかで特徴的なのが、“あなたどうして”を2度繰り返すサビのところだ。しかも繰り返しでは、“あなたどうして”をセリフのように語る。作詞の吉田氏のこだわりが感じられ、市川自身もこの部分の表現方法にかなり神経を使ったという。
「幸先生によると、最初からここはしゃべるようにセリフでと、吉田先生からの指示があったそうです。どういう感じに仕上げようかと悩まれ、幸先生自身、最近で一番制作に苦労したとおっしゃっていました。幸先生、吉田先生、そしてアレンジの坂本昌之先生と、今回の作品はそれぞれの先生の個性がすごく出ていると感じています。坂本先生も幸先生と何度もやり取りして、楽器の音が前面に出ない、あえて歌が生きるようなアレンジをしてくださいました。イントロが流れた瞬間からこの歌の世界観に入っていけて、暗闇のなかで一筋の光がさ~っと差し込み道が開けていくような、そんなイメージで歌うことができます」
人生を届けるように歌いたい
ところで、ミュージックビデオの撮影場所として使われたのが、節子夫人が2つ目のアトリエとして使っていた、「三岸アトリエ」と呼ばれる邸宅である。東京・鷺宮にあり、国の登録有形文化財にも指定されている建築物だ。好太郎は竣工を待たずして亡くなったそうだが、現在は二人のお孫さんにあたる方が管理し、貸しスタジオやイベント会場として一般の人が利用することもできるという。
「東京都内にあるというのが驚きでしたが、周辺は昔から大きくは変わっていないそうです。そして、『石狩十六番地という地名はないのよね』と、お孫さんもおっしゃっていましたね。こうして節子夫人の思いを感じ取りながら、次はぜひ、札幌の好太郎さんの美術館へ行ってみたいなと思っています。今回の歌は実在した人物ゆえに表現方法に難しさもありますが、代わりにお二人の人生を届けさせてもらいますという気持ちで、大切に歌っていきたいです」
カップリングでは可愛らしい女性像を演じる
カップリングには、「泣き虫ワルツ」。作曲、編曲者は同じだが、作詞は石原信一氏という作品だ。優しく心を和ませるイントロ。そして、実らない愛の形を歌った内容ながら、「ワルツ」の名のとおり、市川が健気に明るく歌い上げている。
「石原先生に久しぶりに詩をいただきました。『石狩ルーラン十六番地』とは逆で、曲が先につくられ、そこに詩がついた作品です。今までにないタイプの歌なので、肩の力を抜いて聴いていただけると思います。もちろん、カラオケも同様。ワルツのメロディーに体を合わせ、揺らせば歌いやすいですし、どこか微笑んだ感じで歌えば、可愛らしい女性像を演じられるのではないかなと(笑)。
また、『石狩ルーラン十六番地』のほうは、その世界に入り込んでいただきながらも、決して力まずに。むしろ抑えながら歌うと、より主人公の悲しみが伝わるのではないかと思います」
祝! デビュー30周年!「ソノサキノユキノ」
100曲のコンプリート・ベストBOX
市川由紀乃が新曲「石狩ルーラン十六番地」を初披露する舞台は、デビュー30周年の集大成として9月7日に開催される「リサイタル2022 ソオサキノユキノ」となる。場所は東京・渋谷のLINE CUBE SHIBUYA。また、10月26日には、デビュー30周年を記念し、これまで発表した市川の全曲を収録した『市川由紀乃コンプリート・ベストBOX』を発売する予定だ。曲数は100曲にもおよび、デビュー当時の懐かしい歌声から最近の曲までを一気に堪能できる仕様となっている。
「コンプリートボックスを発売できるなんて、本当に幸せです。現在はキングレコード所属ですが、以前のテイチク時代のものもレコード会社の壁を越えて収録できることになり、多くの方の協力を得ての制作です。100という数字がまたいいですし、私自身もこうして100曲並んだ歌のタイトルを見ながらいろいろなことを感じています。中にはお客様の前で歌う機会がほとんどなかった作品もあり、このコンプリートボックスを通じて改めて聴いていただけたらうれしいですね。30年という月日の集大成でもありますから、私、自分でも買おうと思います(笑)」
モットーは思い立ったら即、行動!
そんな市川に、最近のニュースを聞いてみた。吉本新喜劇が大好きで、前作「都わすれ」のカップリング曲「運命と呼ばせて」では座長の川畑泰史とデュエット。2月に大阪・新歌舞伎座での自身の劇場公演「市川由紀乃特別公演」でも共演している。そんなことからコミュニケーションアプリ「LINE」で情報交換する間柄の団員もでき、刺激をもらっているという。
「朝まで稽古がんばる、というLINEをもらってすごいなと。数時間後にお迎えするお客様のために、そこまで努力していると思うと頭が下がります。で、7月の話ですが、ちょっと心が悶々としていたので、思い切って新幹線に飛び乗って京都まで吉本新喜劇を見に行って、思い切り笑って、夕方にはまた東京に戻ってきました。それを母に事後報告したら、そんなことを今までしたことなかったので、びっくりされるというよりはワハハと大笑いされちゃって。思い立って行動したことですが、家のな」かが明るくなって気持ちもスッキリ」
「だから、今の私のモットーは、思い立ったら即、行動! 自分が明日どうなっているかはわからないのだから、後悔しないように覚悟をもって生きよう。そして、できるだけありのままの自分でいたいなと思うようになっています。ちょっと真面目で羽目を外せないイメージの私ですが、そんなことはありません。こういう部分もじつは私なんですよって、素直に出して生きられたら最高だなって思っています!」
30周年というアニバーサリーイヤーに市川由紀乃の公式インスタグラムも開設され、これからどんな発信がされるのか、注目が集まっている。
(文=藤井梨香)
2022年8月24日発売
デビュー30周年記念曲
市川由紀乃「石狩ルーラン十六番地」
2022年10月26日発売
『市川由紀乃コンプリート・ベストBOX』
デビュー曲「おんなの祭り」から最新シングル「石狩ルーラン十六番地」まで、シングル、カップリング、アルバム収録オリジナル曲を含む全100曲を収録。テイチクレコード在籍時代の貴重な音源も含む完全版で、CD 7枚とミュージックビデオを収録したDVD 1枚が収納された計8枚組BOXとなる。
【収録内容】
CD1【シングルコレクションⅠ&ベストアルバム「花」より】
1.おんなの祭り
2.幸福日和
3.娘道成寺
4.寿祝い唄
5.越後絶唱
6.千姫
7.牡丹雪
8.花乱舞
9.ねね太閤記
10.さくら恋景色
11.男命
12.淀君
13.こころ傘
CD2【シングルコレクションⅡ】
1.一度でいいから
2.おんなの純情
3.海峡氷雨
4.絆坂
5.さいはて海峡
6.海峡出船
7.能登絶唱
8.浮世草
9.横笛物語
10.花の咲く日まで
11.海峡の夜が明ける
12.女の潮路
13.桟橋時雨
14.風の海峡
15.流氷波止場
CD3【シングルコレクションⅢ】
1.海峡岬
2.命咲かせて
3.心かさねて
4.はぐれ花
5.うたかたの女
6.雪恋華
7.懐かしいマッチの炎
8.蝉しぐれ
9.年の瀬あじさい心中
10.なごり歌
11.秘桜(ひざくら)
12.都わすれ
13.石狩ルーラン十六番地
CD4【オリジナルコレクション】
1.あばれ船
2.越前恋吹雪
3.花鼓
4.おんな北港
5.度胸花
6.男人生待ったなし
7.名月浅太郎
8.男一代
9.東海渡り鳥
10.北列車
11.忘れ雪
12.三陸宮古音頭
13.宮古魚介づくし
14.織田信長
15.濃姫
16.細川ガラシャ
CD5【カップリングコレクション】
1.夢椿
2.雪国帰行
3.お七物語
4.リラ咲く町よさようなら
5.母娘夢
6.お市の方
7.旅情
8.母娘三人
9.こころ花
10.湖畔にひとり
11.片恋しぐれ
12.隠れ咲き
13.昭和生まれの渡り鳥
14.積み木坂
15.高原旅愁
16.国定忠治
CD6【カップリングコレクション】
1.月の渡り鳥
2.こころ川
3.小桜おせん
4.満ちては欠ける月
5.母の手
6.ふるさとへ
7.命炎(いのちび)
8.女いちりん
9.由紀乃太鼓
10.あなたの港
11.心かさねて(ギター・バージョン)
12.情小路のなさけ雨
13.雨と涙に濡れて
14.雨に濡れて二人
(市川由紀乃&横山剣(クレイジーケンバンド))
15.鴨川の月
CD7 【カップリング&オリジナルコレクション】
1.ひだまり(市川由紀乃withいちむじん)
2.逢いたいなぁ
3.珊瑚抄
4.最愛のひと(デュエット:五木ひろし)
5.めばり川
6.なごり歌(ピアノ・バージョン)
7.めばり川(ギター・バージョン)
8.港町哀歌
9.je t’aime~もっともっと
10.かげろう橋
11.運命と呼ばせて(市川由紀乃・川畑泰史(吉本新喜劇))
12.泣き虫ワルツ
13.あなたがそばに(シングルバージョン)
【DVD】
ミュージックビデオ集 ベスト29
【収録内容】
1.おんなの祭り(本人カラオケ映像)
2.おんなの純情
3.海峡氷雨
4.絆坂
5.さいはて海峡
6.海峡出船
7.能登絶唱
8.浮世草
9.横笛物語
10.花の咲く日まで
11.海峡の夜が明ける
12.女の潮路
13.桟橋時雨
14.風の海峡
15.流氷波止場
16.海峡岬
17.命咲かせて
18.心かさねて
19.心かさねて(ギター・バージョン)用 別バージョン
20.はぐれ花
21.うたかたの女
22.雨に濡れて二人
23.雪恋華
24.懐かしいマッチの炎
25.なごり歌
26.なごり歌(秋のエール盤)用 別バージョン
27.秘桜(ひざくら)
28.都わすれ
29.石狩ルーラン十六番地
※曲順・収録内容は変更になる場合がある。
Profile
市川由紀乃(いちかわ・ゆきの)
1976年1月8日、埼玉県生まれ。1993年「おんなの祭り」でデビューし、2016年に「心かさねて」で『NHK 紅白歌合戦』に初出場を果たす。2019年には、『輝く!日本レコード大賞』最優秀歌唱賞を受賞。彩り豊かな七色の歌声が評価された。2020年は「なごり歌」で切ない愛の歌の世界を表現し、年末の『第53回 日本作詩大賞』に輝いた。2022年は2月に「都わすれ」、8月に「石狩ルーラン十六番地」をリリース。10月にはメーカーの枠を超えたアンソロジーベストとなる『市川由紀乃コンプリート・ベストBOX』を発売する。
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