伍代夏子

伍代夏子らしく「人生にありがとう」~一番近い未来を見つめて~

伍代夏子

今年、芸能生活40周年を迎えた伍代夏子が記念曲「人生にありがとう」をリリースした。人生においても60歳の節目を迎えた今、“人生を歌いたい”と切望して生まれた曲だという。そんな伍代にデビューから最新曲までの出会いを語ってもらった。

 

明日という一番近い未来を見つめて

■1982年、20歳の時に“星ひろみ”としてデビューした伍代夏子。3度の改名を経て現在に至るが、トップスターとして第一線で活躍し続けてきた昨年は、喉のジストニアによる発生障害のため歌手活動の休止を余儀なくされる。

歌手にとって歌えない苦しみがどれほど辛いことか想像して余りあるが、その苦難を乗り越えた最初の一曲「人生にありがとう」には、伍代の感謝と愛があふれている。レコーディングも順調で、最近はジストニアのことを忘れて過ごすことも多くなったそうだ。

伍代夏子 40周年の節目の年には記念の曲を一曲作りたいなと思っていたのですが、喉のジストニアを患ってしまい歌えなかったので、昨年は前年の「雪中相合傘」をスタジオワークでアレンジを変えて「歌謡劇 雪中相合傘―科白編―」として発表しました。その後、おかげさまでだんだんに歌えるようになってきて、これなら歌えるというところまで回復しました。

それで、“じゃあ、新譜を作ろうか”っていう話になったのですが、その時に、今回はこれまでシングルとして出してきたレギュラーの演歌ではない曲がほしいと思いました。担当ディレクターに“人生を歌いたい”と歌のイメージを伝えて、あとは委ねたました。そして出来上がってきたのが「人生にありがとう」でした。

■作詞はテレサ・テンの「つぐない」などの作品で知られる荒木とよひさ氏。作曲はJ-POP作品を多く手がける羽場仁志氏。歌詞には“明日はきっと世の中で 一番近い未来だから”と、背中を押してくれながら、“人生にありがとう”と綴られている。

伍代夏子 歌手として歌ってきて40年、生きてきて60年。その間に出会ってきた皆様に支えられて今があるんだと、この作品で改めて実感しました。これまでいろんなことがありました。でも、出会ったすべの人たちがいたから今があるんだという感謝があふれてきました。もちろんいい人ばかりでもなく、時には嫌だなって思う人もいましたが、でもその出会ったすべての人がいたから、今の自分があるんだと思えるんです。

「これから何でもありじゃない?」

■すべてを受け入れて肯定する前向きなパワーを感じるが、荒木氏の歌詞には、受け止め方によっては意味深に思える部分もあり、想像力が刺激され、聴くほどに背景が浮かび上がり世界観も広がっていく。

伍代夏子 そうなんです。荒木先生は意味深にとってもとらなくてもというところを狙ってサラッと書いていらっしゃるんだろうなって。それは荒木先生の技であり、作戦だと思います(笑)。歌っていて素直に詞が入ってくるんです。でも50代の頃だったらわからなかったでしょうね。自分の中で、まだまだ素直になれない何かがあったかもしれない。突っぱねる部分というか。きっと若い頃にはこんな気持ちにはなれなかったでしょうね。煩悩がたくさんあるというか(笑)。

私も60歳を過ぎてからですかね? それまでとは違った意味で楽しくなってきました。この先への期待って言ったらいいかしら。「これから何でもありじゃない?」みたいな開き直りかしら。

そんな心境になったタイミングで、こんなにも素直にすうっと心に入ってくる詞をいただいたので、心地よく感情移入して歌わせていただいています。レコーディングも喉の調子を気にせずに順調に収録できたのですが、最近は喉の調子を気にすること自体、忘れているんですよ。だから、もうだいぶいいかなと思っています。

伍代夏子

模索した病気との共存への道

■ジストニアの症状は不随意運動と言って、自らの意思と無関係にある部位の筋肉が収縮してしまうもので、症状が出る部位は様々だが、伍代の場合は歌手にとって命そのもの喉に不調をきたした。様々な治療を試み、外科手術も検討したそうだが、最後は納得のいかないことはしない、という自分の流儀を見事に貫いて、こうして歌えるまでに回復した。

伍代夏子 ジストニアになったことで診療やカウンセリングを受けたのですが、「身の置き所を違う世界にしなさい」というアドバイスをほとんどの方から受けました。

「今いる場所がストレスならば、いったんすべてをリセットして田舎に住んだら、すぐによくなって戻ってこれますよ」って。どの方もそうおっしゃったんですけれども、私はそう思えなかったんです。

だって40年間、この世界で戦ってきているわけじゃないですか。大好きな仕事であっても苦労も多くて、ストレスも多いということを、私自身が受け入れてちゃんとやってきたわけでしょう? それなのに何でこんな病気になるの? って思いました。そういう年回りなのかなとか筋肉の老化やストレスへの耐性がなくなってきたんじゃいないかとか、いろんなことを言われたんですが、自分では信じられないことばかりでした。

■そんな葛藤の中でも伍代は、信じて生きてきた歌手人生を肯定し、病気と共存していく道を模索したという。その中で、回復のきっかけになったのは、心の中でのジャッジに、“ひとつ付け加える”というものだった。この伍代の経験に、私たちも多くを学ぶことができそうだ。

伍代夏子 それまでの生活を変えずに、病気と共存していこうと決めたんです。もちろん、いいと言われたことはできる限りやりましたけどね。その中でお世話になった医師やカウンセラーの先生に、「ジャッジは誰にもできないもの。それは自分自身に対しても同じ」と言われて、考えさせられました。

「ほとんどの方に、どんなこともこうしなければならないっていうことはありません。それをあなたの場合は自分でこうしなければならないと決めていて、自分で自分の首を絞めています。だからそれを取らないとこのストレスからは逃れられません」と言われました。

私はそう言われる度に、じゃあこんな病気になるのは自分が悪いわけ?って、思ってしまったのですが、そのことを先生に伝えると、「この人の考えが正しく、この人の考えが間違っているというジャッジは誰にもできません。それは自分自身に対してもです。だから、私はこうだけどそうでない人もいる。私はこうだけど、あなたみたいな考えの人もいるんだと他人を受け入れればいいんです」と言われて。そこでも私は、それは嫌だ!と思いながら聞いていたんです(笑)。

でも、病気が治らないんだったら、そうしてみようかなって思うようになりました。それで、自分自身は変わってはいないのですが、イラっとしても、あっ、それ違うって思っても、でもその人はきっとそれがいいんだろうなって、自分の心の中でひとつ付け加えるようにしたんですよ。

いまだに性格は変わらないんです。嫌なものは嫌だし、嫌いなものは嫌い。ただ、違う! と思った時、世の中にはそれが違わない人もいる、と付け加えているだけですが、でも何か回復のきっかけがあるとしたら、きっとそれかなって思いますね。

伍代夏子

私は夏のイメージじゃない!?

■1982年7月21日、20歳の時、“星ひろみ”の歌手名でデビューした彼女。1987年に“伍代夏子”に改名し、デビュー曲「戻り川」がスマッシュヒット。各新人賞を受賞し、3曲目の「忍ぶ雨」でNHK紅白歌合戦への初出場を果たし、歌手としての未来が大きく拓けていった。

伍代夏子 “伍代夏子”は、3回改名し、4つ目の名前です。伍代の“伍”は五木ひろしさん、“代”は八代亜紀さんという大好きなお二人にあやかったものですが、“伍代”という苗字と合わせてプロの先生が考えてくださったのが、“伍代夏子”という歌手名でした。でも、“夏子”は違うなと思いましたね、自分で(笑)。私は夏のイメージじゃないので、全然、合わないなって。でも周囲の人は、私のことを”伍代夏子”だと見てくださっていますから、段々慣れていきましたけど。第一印象を思うと、名前って不思議なものだと思いますが、きっと私に合ってたんでしょうね。

20歳で星ひろみとしてデビューした時はデビューして4カ月で事務所がなくなってしまったんです。それで所属していたセンチュリーレコード預かりで、電話番、お茶くみ、総務の仕事のお手伝いをしながら、レッスンを続けて時期を待っていたところ、昭和60(1985年)年に“加川有希”と名前を変えて、元横浜大洋ホエールズの平松政次さんとのデュエット曲「夜明けまでヨコハマ」を発売することができました。

その後は本名の“中川輝美”で歌っていました。歌謡ポップス路線だったのですが、子供の頃からの着物で演歌を歌いたいという夢があったので、そのことを事務所に申し出たところ、心機一転、名前もレコード会社も変えてやってみようということになって、今のレコード会社に移籍しました。名前を現在の伍代夏子に変えて、昭和62年に「戻り川」でデビューしました。

初期からかわいがってくださったレコード店の方たちが、本名の中川輝美で活動した時も、伍代夏子として歌うようになった時も、「ああ、今度の名前の方がいいね」「今度の曲の方がいいね」と応援してくださいました。うれしかったですね。身内のように応援してくださるファンの方が支えてくださいました。“伍代夏子”になってからもコアなファンの方はそのままに、新しいファンの方も加わって、おかげさまで順風満帆に歌わせていただいています。

だからといって、名前を変えたからよかったとは一概には言えないですね。というのも私は星ひろみの時から常に一生懸命やってきたんですよね。決してサボっていたわけではなかったんです。だから何がどこでどうしてよくなっていくのかは、正直なところいまだに自分でもよくわからないんです。40周年ということでこれまでを振り返ってみると、星ひろみに始まるそれぞれの時代を経て、伍代夏子になるべくしてなったのかなって思うんです。だから過去の3つの名前での活動があったからよかったんだろうなって思います。

持参したレコードがいつも完売

■伍代の言葉に、星ひろみ時代からどれほど誠実に懸命に歌ってきたのかを改めて感じるが、“伍代夏子”としてのデビュー曲「戻り川」には、ヒットを予感するものはあったのだろうか。

伍代夏子 そういう意味では、それ以前の時代にも、曲をいただいた時には常にヒットの予感はあったんです。どんな時もいただいた曲をヒットさせることを信じて頑張っていましたから。

「戻り川」は、作曲の市川昭介先生と、作詞の吉岡治先生に作っていただきましたが、最初は、これを都はるみさんが歌ったら絶対大ヒットすると思っていましたね。

当初この曲には、「ほたるこい」という童歌が“あんこ”として入っていました。私はちょっとそこがしっくり来ていませんでした。でも、いい歌をいただいたから精いっぱい頑張ることにしてレコーディングも終えたのですが、出来上がってみて、改めてスタッフと聴き直していく中で、やはり“あんこ”を取りましょうということになって、それで再度レコーディングをし直しました。その時に少し運が向いてきたなって感じました。よし、後はもう頑張るしかないって。

頑張るといっても、それまでと同じ場所に行って、同じように一生懸命歌うぐらいでした。以前はレコードが50枚ほど入る箱を2箱(100枚)持っていって、80枚くらい持ち帰っていました。中川輝美の「夢きずな」からは半分くらいは売れるようになっていたんですけれども、伍代夏子になって「戻り川」を歌うようになったら、その倍の200枚をトランクに詰めて持っていっても完売するようになったんです。

伍代夏子

伍代夏子「人にありがとう」ミュージックビデオより。「忍ぶ雨」の店頭キャンペーンに大勢にファンが駆けつけている。同MVにはデビュー当時のキャンペーン風景や、コンサート・劇場公演のなどの懐かしい写真が盛り込まれている。

私としては同じ場所に行っているだけなので、最初はお付き合いで買ってくださっているのかと思っていました。でも、立ち見の方や、レコード店の窓の外から見ている人がいるようになって、持っていったレコードはいつも完売。少しずつ手応えを感じるようになりました。

いいんじゃない? と思うようになって、さらに頑張ってキャンペーンを続けていたら、「日本有線大賞の新人賞にノミネートされたよ」と聞かされて、気づいたら最優新人賞まで受賞させていただくことができました。そこからですね。あれよあれよという間に、次の曲もヒットし、3曲目の「忍ぶ雨」でNHK紅白歌合戦に出させていただくことになりました。

“こてこて”は歌手・伍代夏子の芯

■伍代夏子はデビュー曲の「戻り川」から5曲連続で市川昭介作品を歌っているが、その中で“夏子節”を確立し、歌い手としての”芯”になっているという。

伍代夏子 市川先生には「なっちゃん、いつも笑っていなさいね。笑っていないとチャンスも何も来ないから」って言っていただきました。今の私の歌い方の原型は(初期の作品を多く手がけてくださった)市川・吉岡仕込みです。

市川先生はにこやかですが芯は厳しい方でした。ご自身が考えているゴールに到達するまでは絶対に許さない。妥協をするということがない方でした。だからレコーディングの時は、私がゴールに着くのをにこやかにずーっと笑って待っていらっしゃるのですが、その目は全然笑っていません(笑)。いつも、「違う」「違うよ」の連発で、先生の描いているゴールに着くまではOKが出ないんです。そこで確立した歌い方を、私は“こてこて”と言っています(笑)。

他の先生の曲をいただいた時は、その“こてこて”をこの曲では出さないでほしいと言われることもあります。プロですから「はい」と言いますが、でも、ちょっと出しちゃう(笑)。

“こてこて”の歌い方は、私が5作連続で市川作品を歌って、その中で確立した伍代夏子の芯なんですよね。私が初めて体得したもの。それで売れたので、大事にしているんです。

でも、「その“こてこて”が夏子節なんだからそれでいいよ」という先生もいれば、「いやいやそれだけは取ってくれ」という先生も当然いらっしゃいます。

取ってくれという先生には、先生の希望に沿って歌うのが本当はプロ歌手なんですけど、私はどこか1カ所だけとか、ちょっと入れちゃう。わからないようにして(笑)。そういう抵抗はずっとしていますね。だって、私が悩んで、悩んで、やっとの思いで体得したものですし、それでヒットという結果が出たので、伍代夏子には“こてこて”が必要なんだろうなという確信をずっと持っているんです。

プロとしての試練に円形脱毛症を発症

■伍代夏子は次々と大舞台に立ち、歌手としてだけではなく、劇場公演の座長も務めるなど押しも押されもせぬスターになっていくが、そのかげでプロ歌手としての厳しさも味わってきたと振り返る。

伍代夏子 やっぱり人間なので体調がよくない時もあります。頭痛や腹痛、歯痛には鎮痛剤を飲んで乗り切りますけど、それでもお客様の期待に十分には応えられなかった、ということもあります。ヤジを飛ばされることもありました。でも何があっても動揺を見せずに平然として、さらに家に帰っても親にそのことを気づかせない。そういうことができるようになっていることに気づいて、私もずい分精神の鍛錬ができたなって思った時、ああ、プロになったんだなと思いました。もちろん後でひとりになってからや、夜寝る前に爆発して大変ですけどね(笑)。

多くのお客様に応援していだけるようになってからは、生活も激変してプライベートの時間もない多忙な日々になりました。私が望んでいたことでした。実際には仕事以外のことを考える間もなく忙しかったんですが・・・。曲を覚えて、「よかった。やったあ、できた!」と思ったらもう次。次のステップ、次の試練がどんどん来ました。

こんな大舞台は怖くて足が震えて歌えない。そんなステージばかり続いたり、たとえば覚えなくちゃならない曲が20曲もあったりとか。急にコンサートやショーをやらなきゃいけなくなって、無理! と思ってもやらなければいけない。毎晩、お風呂の中でショーのシミュレーションをしていました。

当時はカンペなんて出してもらえなかったので歌詞も全部覚えました。オーバーチェアが鳴るところから、曲はもちろん、セリフも組み立てて澱みなく2時間。それがお風呂の中で完璧にできなければ幕を開けられないですよ。次から次へとそれの繰り返しでしたから、どれだけ髪が抜けたかわかりません。円形脱毛症にもなりました。

それで訓練されて平気になるということはありませんでした。ですが、平気な顔ができるようにはなりました。それがキャリアなんだろうなと思います。それに次から次へと仕事が来ることがありがたいことなんだと夢中でした。「売れてるね」と言ってもらえることもうれしかったですね。

伍代夏子

「人生にありがとう」を感じるままに

■新曲「人生にありがとう」は、人生においても60歳の節目を迎え、ジストニアという難病に見舞われても、決して自分自身を否定せず“夏子流”で乗り越えた今だからこそ、伍代夏子が歌える歌だ。出会ったすべての人はもちろん、ジストニアという病気さえも自身に必要だったと思える心境が込められている。そんな作品を、伍代はどのような気持ちで歌っているのだろうか? また夏子節は入っているのだろうか。

伍代夏子 入っています(笑)。先生方には「この歌はライトな歌い方の方が思いは伝わるよ」とアドバイスをいただいたので、今回はあまりこだわらずに歌っています。私がこだわると、こてこてになってしまいますから(笑)。ですから穏やかには歌っていますが、穏やかなれど、夏子節は入っています。

皆さんには心のまま、感じたままを歌ってほしいと思います。そして、歌詞の中の“ありがとう”という感謝の気持ちを素直に歌うことができたら、きっといい歌になるんじゃないかと思います。普段は照れくさくて言葉に出して言えない感謝の思いを、皆さんの大切な方にこの歌で伝えていただけたらうれしいですね。

■新曲のカップリングには歌手生活25周年記念アルバム『ノスタルジア』(2009年)からシングルカットされた「長崎ランデヴー」と「瀬田の夕暮れ」が収録される。ジャケット写真には、今年4月に桜の名所である栃木県矢板市の長峰公園に咲き誇る満開の桜の下で撮影された伍代が写っている。

またブックレットには伍代本人が撮影した美しい夕景の写真とともに、40周年を迎えた伍代からのメッセージが掲載されている。多彩な趣味で知られる伍代だが、昨年は初の写真展「残像~アフターイメージ~」を開催した。10年ほど前から歌手活動のかたわらカメラを持ち歩き撮りためた作品展だった。伍代は、写真は歌とは異なる表現方法だが、そこから広がる世界があるという。

伍代夏子 写真では私が一方的にその景色を見て感じた思いを表現しているんですよ。「私、この光が好きだったの」「私、この景色が見てほしかったの」と。自分の思いで勝手に撮っているだけなんです。

撮影した写真をインスタ(Instagram)にアップすることをずっと続けていますが、自由に見ていただきたいですね。見た方に、「伍代さんてこんなこと感じてるんだな」とか、「こんな写真が好きなんだな」って感じてもらえたらうれしいですね。インスタへのリアクションに、こんな見方があったんだなと気づかされることもあって、とても楽しんでします。

インタビューの終わりに・・・

■ブックレットに掲載された伍代本人が撮影した夕景には心が洗われる。その光景はまさに今の伍代の境地にも感じられる。夫・杉良太郎のライフワークである福祉活動を支えるなど、その活動は多岐にわたるが、そこにはいつもひまわりのような笑顔の伍代がいる。新曲「人生にありがとう」をリリースし、ジストニアから回復し歌えるようになった伍代に、今後はどんな歌を歌っていきたいのか、最後に聞いてみた。

伍代夏子 私、物語を歌うのが好きなんですね。もちろん今も架空のドラマティックな恋物語が大好きなのですが、これまでそういう世界を主に歌ってきたので、これからは今回の「人生にありがとう」のように、聴いてくださる方に夢や希望を与えられるような歌。聴いていてホッとするような歌や、勇気や元気が出るような歌を歌っていきたいですね。

(文=親松尚子)

 

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伍代夏子
2022年7月20日発売
芸能生活40周年記念曲
伍代夏子「人生にありがとう」
伍代夏子

「人生にありがとう」
作詞/荒木とよひさ 作曲/羽場仁志 編曲/林有三
c/w「長崎ランデヴー」
作詞/荒木とよひさ 作曲/弦哲也 編曲/若草恵
c/w「瀬田の夕暮れ」
作詞/友利歩未 作曲/羽場仁志 編曲/宮崎慎二
ソニー・ミュージックレーベルズ MHCL-2964 ¥1,300(税込)

1982年に“星ひろみ”としてデビューした伍代夏子が一歩ずつ歩んできた歌手としての40年を経て、今、届けたい思いが作品となった。「人生にありがとう」には、いつの日も明日という一番近い未来を見つめながら、夢や希望を抱いて歩み続けてきた足跡が描かれている。伍代が荒木とよひさ氏の作詞作品を歌うのは、1984年に中川輝美名義でリリースした初の演歌作となる「夢きずな」以来、シングルとしては実に34年ぶりとなる。カップリング曲の「長崎ランデヴー」「瀬田の夕暮れ」はオリジナルアルバム『ノスタルジア』からのシングルカット。

「人生にありがとう」
▶楽曲配信サイトはこちらから
https://lgp.lnk.to/5iqLC9
▶CD購入オンラインサイトはこちらから
https://lgp.lnk.to/IRuEKH


profile
伍代夏子(ごだい・なつこ)
1961年12月18日、東京都生まれ。1982年7月、星ひろみとして「恋の家なき子」でデビュー。3度の改名を経て、1987年、伍代夏子として「戻り川」でデビュー。同曲は35万枚を超すヒットとなり、翌1988年に「第21回日本有線大賞」と「第21回全日本有線放送大賞」の最優秀新人賞を受賞。1990年には「忍ぶ雨」で『NHK 紅白歌合戦』に初出場を果たし、以来、通算22回出場。1994年、新宿コマ劇場で初座長公演「歌手生活10周年記念 伍代夏子特別公演」を上演。1999年、初のTVドラマ『霧の橋の決闘!みちのく紅花女と必殺男』に出演。2015年には、歌手活動30周年記念を記念して 自叙伝『人生めぐり愛 ~いまがいちばん幸せ~』を出版。同年、「30周年記念コンサート~心より感謝を込めて~」を渋谷公会堂にて開催する。
プライベートでは1999年に俳優の杉良太郎と結婚。夫のライフワークでもある福祉活動に、夫婦で熱心に取り組んでいる。2012年、厚生労働省より「肝炎対策特別大使」を拝命。C型肝炎を克服した自身の経験をもとに、肝炎の正しい知識と検査受検を広く呼びかけている。 2018年、全国で被害が相次ぐオレオレ詐欺を食い止めるため、オレオレ詐欺予防プロジェクトチーム「ストップ・オレオレ詐欺47~家族の絆作戦〜(略称:SOS47)」を結成。同年、警察庁より「特別防犯支援官」を拝命。2021年3月、喉のジストニア(痙攣性発生障害)であることを公表し、歌手活動を休止するが、2022年7月、新曲「人生にありがとう」を芸能生活40周年記念曲として発表。趣味のカメラでは、“なっちゃん&りく”名のInstagram(@godai725_official)で日々作品を公開している。

伍代夏子公式ホームページ
伍代夏子「人生にありがとう」特設ページ
伍代夏子 YouTubeチャンネル
伍代夏子 公式Instagram
伍代夏子(なっちゃん&りく)Instagram


伍代夏子の健康幸せレシピ

オトカゼで連載された「伍代夏子の❝健康❞幸せレシピ」です。旬の食材を使った料理が紹介されています。ぜひ、一覧からのぞいてみてください。
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