水雲-MIZMO-

水雲-MIZMO-が最後のライブ。「私たち、伝説のグループ。水雲-MIZMO-は生き続ける」

「水」のように清らかに、「雲」のように自由に

今年9月いっぱいで解散することが決まっている水雲-MIZMO-が7月17日、東京・新宿区のライブハウス・四谷ロータスで「水雲-MIZMO-ワンマンライブNEXT STAGE」を行った。このライブは5月に開催予定だったが、コロナ禍で延期となっていたもの。この間に、水雲-MIZMO-の解散が発表されたため、水雲-MIZMO-としてファンに生歌を聴かせる最後の機会となった。

昨年12月に予定されていたディナーショーも中止となっていたことから、水雲-MIZMO-のNAO、AKANE、NEKOの3人にとっては約1年半ぶりのステージとなった。

期せずして“解散ライブ”となってしまったNEXT STAGEは、三部構成で行われ、一部と二部は有観客として開催、三部は配信ライブとして全国に生配信された(7月23日までアーカイブ配信あり)。コロナ禍での開催となったため一部と二部は各50名ずつの入場制限となったが、水雲-MIZMO-の3人が歌う姿を見たいと、チケットを購入できなかったファンが会場に駆けつけるなどしたという。

水雲-MIZMO- NAO

水雲-MIZMO- NAO

衣裳もゴージャスに。そして個性的に

女性3人によるハーモニーで演歌・歌謡曲を聴かせるという構想は、水雲-MIZMO-の生みの親、水森英夫氏のアイデアだった。今から10年前に水森氏の弟子となったNAOに、水森氏は当初からその考えを話していたという。

インディーズでの活動期間を経て、またその間、メンバーの変更もあったが、水雲-MIZMO-は2017年9月6日、「帯屋町ブルース」でメジャーデビューを果たした。以来、4枚のシングルと4枚のカバーアルバムをリリース。カバーアルバム『歌謡抄』シリーズでは、演歌・歌謡曲にこだわらず、洋楽からアニメソングまで様々なジャンルの歌を水雲-MIZMO-ならではの3声によるハーモニーで聴かせてきた。

そんな水雲-MIZMO-だけに、3回公演のライブではオープニング曲など一部を残してセットリストを変え、時間の許すかぎりたくさんの歌を届けた。

また水雲-MIZMO-と言えば、ハリウッドでも活躍するデザイナー、押元須上子氏が手がける“和テイスト”のゴージャスな衣裳でも楽しませてくれたが、この日はセカンドシングル「みれん節」のために作られた衣裳で登場。テレビ番組で一度着用したことがあるものの、メディアで披露する機会が少なかったという衣裳は、打掛をアレンジしながら3人それぞれの個性を活かした配色やデザインが施されている。それぞれの衣裳には鶴が描かれており、鶴にはクリスタル・ガラスがあしらわれていた。

新型コロナウイルスの蔓延がなければ・・・

最新シングル「松竹梅」とそのカップリング曲「小江戸捕物帖」からステージを始めた水雲-MIZMO-は、アルバム収録曲やテレビ番組の企画などで歌ってきたカバー曲を挟みながら全オリジナル曲を歌った。

第三部となった配信ライブでは、水雲-MIZMO-のYouTubeチャンネルで公開したAdoの「うっせぇわ」をAKANEがアカペラで歌ったり、NEKOがアルバム『歌謡抄~水の巻<二>~』に収録した「男はつらいよ」を初披露したりした。

アルバム『歌謡抄』シリーズの第1弾がリリースされた時には全国をキャンペーンで回ったが、昨年3月にリリースされた第2弾『歌謡抄~水の巻<二>~』『歌謡抄~雲の巻<二>~』ではキャンペーンが中止されてしまった。

「発売した直後に新型コロナウイルスが蔓延してしまって、本当は北海道からのキャンペーンを組んでいたんですが、全部中止になってしまって。『まだ、コートいるかな?』とか3人で相談しながら準備していたんですが。ですから、<二>に収録されている曲は、今日が初披露になります」(NAO)

水雲-MIZMO- AKANE

水雲-MIZMO- AKANE

初披露曲を気持ちよく、楽しく

キャンペーンの中止はを残念だったが、この日、ようやく「男はつらいよ」を初お披露目できたNEKOに、AKANEが「楽しかったね」とひと言。普段はハーモニーを担当しているNEKOが「あまりハモられる側に立っていないから。ホントに美しくハモってくれてありがとう」と返すと、主旋律担当のAKANEが「いえいえ、こちらこそですよ(笑)」と、いつもハモってくれた高音担当のNAOと、低音担当のNEKOに感謝する場面も。

グループでリーダーを務め、コーラスアレンジも担当するNAOも、NEKOの発言を受けて「わかる、わかる」と話し始める。

「いつも私とNEKOちゃんがハーモニーを歌うほうなので、たまに主旋律を歌うと、『あれ?』ってなる。たくさん歌っているカバー曲があるんですが、本当のメロディーがわからなくなって、『兄弟船』とか、ひとりで歌ってくださいって言われても、『あれ?』ってなっちゃうぐらい。それくらい3人で歌い込んできている」と、“水雲-MIZMO-あるある”を披露していた。

また、「解散は決まっていますが、水雲-MIZMO-のCDは皆さん、お手元に持っていてくださると思うので、ずっとずっと大切に聴いていただいたらうれしく思います。私たちも大切に、大切に・・・お家で聴くよね?」とNAO。NEKOが「聴く!」と即答すると、AKANEも「奮い立たせたい時に歌うし、聴くよ!」と、3人で約束し合っていた。

「あの時は喜びで号泣してしまいました」

三部で披露したカバー曲は「ウェディング・ベル」「うっせぇわ」「ボヘミアン」「好きになった人」「おーい中村くん」「妹」の6曲だった。

最後にカバーした南こうせつの「妹」は、水雲-MIZMO-での活動の中で、NAOがいちばん緊張した楽曲だった。自然とのふれあいを大切にする南こうせつがライフワークとして1992年から毎春開催しているグリーンパラダイスのコンサートに、水雲-MIZMO-は2018年5月12日、シークレットゲストとして参加した。この時、歌ったのが「妹」だった。

「会場は日比谷の野外音楽堂(日比谷公園大音楽堂)だったんですが、南こうせつさんのバンマスの方が水雲-MIZMO-のためにだけに、『妹』の前にアカペラの部分を付け足してくださって、その練習が本当に難しいアカペラでした。でも、バンマスの方が出番直前まで指導してくださって、本番、無事に成功することができた時には、できたことの喜びで号泣してしまいました」

NAOはワンマイライブ後、「今思い出すだけでもちょっと震える体験でした」と、カバー曲「妹」について話していた。

水雲-MIZMO- NEKO

ずっと歌っていたい。でも、NEXT STAGEを目指せ!!

「時間はあっという間。もうそんな時間なんですよ」(NAO)。

一部、二部と1時間ずつ、各13曲ずつ歌った。そして三部の配信ライブでもここまで12曲を歌い、残は2曲となっていた。

「早い~。終わってほしくない。本当にあっという間すぎて、ここから3週間ぐらいずっと歌っていたいぐらい」とNEKO。だが、NEXT STAGEに向けて最後の2曲を歌わないわけにはいかない。

NEKO「気持ちをどう伝えればいいかわからないです。でも、このグループの一員として活動できたことは、自分にとっての奇蹟でした。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

AKANE「生まれも育ちも違う3人がグループを組んで、一緒にいたから乗り越えられたこともたくさんありました。これが最後のステージかと思うと、心の中では寂しくなっちゃいますが、皆様に歌を届けることができて本当に幸せだったと思います」

NAO「2人と同じ気持ちです。このような中(コロナ禍)でワンマンライブができたことが本当に奇蹟で、感謝の気持ちでいっぱいです。ずっとずっと応援し続けてくださった皆様にお会いできたことが本当に一生の宝物なりました」

水雲-MIZMO-

水雲-MIZMO-

水雲-MIZMO-ならではの3声によるハーモニーは永遠に

NAO、AKANE、NEKOの3人がその思いを語ったすべては、7月23日まで視聴できるアーカイブ配信で確かめてほしいが、エンディングは鳥羽一郎の「兄弟船」とデビュー曲「帯屋町ブルース」が選ばれた。カバー曲としてもっともたくさん歌ってきた「兄弟船」。2019年には鳥羽と一緒のステージで歌うことが叶ったという。そして・・・。

水雲-MIZMO-の初期からグループを支え、2017年にAKANEとNEKOの3人でメジャーデビューを果たして以降もグループを牽引してきたリーダーのNAO。「やっぱり、この3人が水雲-MIZMO-です。ファンの方もやっぱり、この3人が水雲だよねって言ってくださるのがすごくうれしい」と語るNAO。

NAOが画面の向こうにいるファンに呼びかける。

「それではこれが本当に最後の曲になります。皆様方に本当にたくさん応援していただきました。私たちの大切なデビュー曲です。『帯屋町ブルース』。聴いてください」

4分4秒。水雲-MIZMO-の3人がフルコーラスで「帯屋町ブルース」を歌うと、ステージのライトが徐々に暗転していく。画面の向こうにいるファンに向けて手を振る水雲-MIZMO-。やがて、3人のシルエットのみが見える中、「ありがとうございました!」という彼女たちの声がライブ会場に残響していた。

水雲-MIZMO-

水雲-MIZMO-~ワンマンライブを終えて~

左からNEKO、AKANE、NAO

今、ライブが終わったばかりですが・・・。

NEKO 何を言っていいのかまとまっていない状態ですけど、今日は一、二、三部までステージをやらせていただき、今はすごく感謝の気持ちでいっぱいです。(コロナ禍で)大変な状況でもありますし。1回、延期にもなってしまってもいたので、最後のステージができて、本当によかったなと、心に深く感じています。

活動が終わるということに、まだまだ現実味がないというか・・・。すごく、なんだろう、複雑な心境でもありますけど、ホントに今までの4年間、夢みたいなものだったので、この奇蹟に対して感謝しかないです。

AKANE 昨年のクリスマスディナーショーも中止になってしまい、5月のワンマンライブも延期になっちゃって、今日、やっと開催することができて安心しました。スタッフの方の協力を得て感染対策を万全にして、今日のワンマンライブが開けたことをうれしく思ってます。歌えて幸せでした。そして3人で歌うことの喜びを噛みしめながら歌いました。

配信では画面の向こう側が見えないんですけども、インディーズの頃から応援してくださった方の顔を思い出しながら、有観客ではその方との出会いとかを思い出しながら歌えて、本当に感謝でいっぱいでした。一期一会の出会いを、これからも大切にしながら、また歩んでいきたいなと思います

NEKO こうして(ワンマンライブを)開催していたただいたことが本当に、本当に今日できてよかった。延期になってしまって、このあとどうなるかと思ったんですけども、一部と二部ではずっと応援してくださった方と一年半ぶりに顔を合わせることができました。三部はライブ配信という形にしていただいて、遠方の方にも画面の向こうから最後の水雲-MIZMO-を観ていただくことができました。本当にうれしいです。

一部と二部が終わった時は、なんかもう本当にこれで終わってしまうんだという、つらい気持ちと悲しい気持ちが結構大きかったんですが、ライブ配信まで全部が終わったら、水雲-MIZMO-として歌えたことが本当にうれしくて、その気持ちのほうが大きくなりました。すごくいい時間を与えてもらったなと思います。

一つに絞るのは大変だと思いますが、4年間でいちばんの思い出は?

AKANE いちばんね、う~ん、何だろうな・・・。

NAO いろんなステージに立たせていただいたんですけれども、今までのいちばん緊張したステージでしょうか。緊張で失敗したらどうしようという気持ちが大きかったのが、南こうせつさんのグリーンパラダイスというフェスに出させていただいた時です。会場は日比谷の野外音楽堂だったんですけども、水雲-MIZMO-はシークレットゲストということで、誰も水雲-MIZMO-が出ることを知らない中、この“グリーンフェス”を楽しみにされている南こうせつさんのファンの方たちの前で、先ほども(配信ライブで)歌った「妹」を歌わせていただきました。

あの時は南こうせつさんのバンマスの方が「妹」の前に、水雲-MIZMO-のためだけにアカペラの部分を付け足してくださって、その練習が本当に難しいアカペラでした。でも、バンマスの方が出番直前まで指導してくださって、本番、無事に成功することができた時には、できたことの喜びで号泣してしまいました。今でも思い出すだけでちょっと震える体験でした。

その時のことは覚えていますか?

AKANE NAOさんがすごい緊張していたのを覚えいます。すごく難しい音のパートだったので、ギリギリまでみんなで練習して。でも、こうせつさんのファンの方たちが温かかったのですごく救われました。こんな貴重な経験、一生できないかもしれないなと思いながら歌いました。

水雲-MIZMO-

今日、届けた歌については?

AKANE オリジナル曲はすべて恩師の水森英夫先生が作曲をしてくださっています。先生が水雲-MIZMO-にはこの曲が合うだろうと作ってくださったことに本当に感謝の気持ちを持って歌わせていただきました。またカバー曲も、やっぱり1人で歌うのと3人で歌うのとではハーモニー構成が違います。NAOさんがアレンジも考えてくれているので、やっぱり水雲-MIZMO-ならではの歌になってるというのは、歌いながら実感しました。歌わせてくれてありがとう、という気持ちになりました。

3人にとって水雲-MIZMO-とは?

NEKO 私にとっては奇蹟です。歌手になろうと思ったことはなかったので。今の事務所には別の事務の仕事で内定をいただいていたんですが、本当に偶然、水雲-MIZMO-の低音を募集していた時期で、またままオーティションを受けさせていただきました。自分の中では、水雲-MIZMO-は本当に運命のような存在です。でも、“ここにいるべきでした”っていうことをすごく感じています。この2人は友だち以上、家族以上というか、戦友というか。どう説明していいかわからないぐらいに、大事な大事な2人です。本当に、こういう世界に入らせていただくこと自体が奇蹟です。一生忘れられない経験でしたので、私にとって水雲-MIZMO-は救いでもあります。

AKANE NEKOちゃんが言ったように、“戦う友”と書いて、「戦友」と言うのがいいかなと思います。家族と同じぐらい濃密な時間を過ごしてきたんですが、こういう経験って生きている中でどれくらいできるんだろうって考えた時に、普通に生きていたらきっとないだろうなって。言葉だったり、歌詞だったり。気持ちをつなぎ合わせて一緒に歌う、しかも演歌を歌うグループとして、水雲-MIZMO-は唯一無二だと思います。

「楽しいね」っていうことだけじゃなくて、乗り越えないといけないこともたくさんありましたし、お互いに切磋琢磨していないといけない部分もありました。でも、乗り越えたあとは一緒に、「よかったよね」「頑張って来てよかったね」「やったね」って。そう言い合える仲間って、そうはいないかなと思います。ですから、戦友。水雲-MIZMO-=戦友。友だちであり、同志でした。

NAO 私が水森先生のところに入ってすぐに、先生が3人組で、ということをお話してくださって、それからずっと先生と一緒で。先生が水雲-MIZMO-を作ってくださいました。これまでメンバーチェンジが何回かあったんですが、この3人が水雲-MIZMO-です。今のファンの方も「やっぱり、この3人が水雲-MIZMO-だよね」って言ってくださるのがすごくうれしいし、私もそれしか考えられない。この2人とだからこそ、ここまで活動してくることができたし。

普段の生活の中でも、テレビや街中で音楽を聴くと、この曲、水雲-MIZMO-で歌いたいなとか。いつもそういう考えになってしまっていて、次の日、2人に会うと、「この曲、水雲-MIZMO-に合うよね」って。もう何度も何度もそういう話をしてきて、そういう話ができなくなるというのが考えられません。この先もほかの子たちと、歌うことは考えられないし、解散してもずっと私たちというのは、水雲-MIZMO-は生き続けるし、応援してくださっていた方の心の中でも水雲-MIZMO-がずっと生き続けてほしい。

二部のライブでも少し話したんですが、いつも笑いながら、「私たち、伝説のグループだよね」って。そういうことを言いながら練習してきたので、なんか解散してしまうことに・・・、ファンの方たちもすごく悲しい気持ちになってくってくださっているんですが、悲しんでくれてるってことは水雲-MIZMO-を必要としてくださっていたということなので、解散しても忘れないで記憶の中で、そしてCDの中で残っていけたらなと思います。たまには水雲-MIZMO-を思い出してほしいなと思います。

「本当はすごく悲しい気持ちがあるんですが、せっかくのワンマンライブ、配信ライブなので、涙はしまって歌っていきたいと思います」。ライブの冒頭、そう語っていたNAO。ライブ中は涙を見せなかった水雲-MIZMO-の3人だが、ライブ終わりでポーズを決めつつステージが暗転すると、AKANEは涙を堪えきれなくなっていた。

仕切り直して行われたライブ終了後の会見。最初は気丈に答えてくれていたが、AKANEが目に涙をためながら「水雲-MIZMO-は戦友だ」と答えたあたりから、3人はこれまでのことが走馬燈のように蘇ってきたのだろう。NAOはいかに水雲-MIZMO-の存在が大きかったかを、涙で話せなくのを必死に押さえながら告白してくれた。「9月まで残り少なくなって来ているんですが、精いっぱい頑張ります」(NAO)。「水」のように清らかに、「雲」のように自由に。水雲-MIZMO-は永遠に。NEKO、AKANE、NAOの3人には未来を。

水雲-MIZMO-

 


水雲-MIZMO-ディスコグラフィー
https://www.tkma.co.jp/enka_release/MIZMO.html

 

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