石原詢子

石原詢子の大切なもの~ただそばにいてくれて~

石原詢子

「ピカピカの一年生みたいな感じです。今までの王道とはまったく違う世界へのチャレンジは不安もありましたが、新鮮でした。新入生になった感じです」

石原詢子の通算44枚目のシングル「ただそばにいてくれて」は、J-POPで活躍するシンガーソングライター・古内東子が石原のために書き下ろした作品だ。石原がコロナ禍で感じた思いを、古内が“愛”を伝える作品として作り上げた。これまで演歌を中心に歌ってきたが、シンガーソングライターから書き下ろしで作品の提供を受け、あえてジャンル分けするとすれば、石原がオリジナル曲としてJ-POPを歌うのは初めてだった。

歌手として、新たな旅立ちを決意した石原には2つの物語があった。ひとつは愛猫「だいず」と「きなこ」との物語。もうひとつは一歩踏み出すチャレンジへの物語だ。

石原詢子

石原詢子

コロナ禍の緊急事態宣言による自粛期間中。「もう一週間、誰ともじゃべっていないなあ」と気づいた時、石原は不安と恐怖を覚えた。

「このままいったら心が病んじゃう。もう元気でいられなくなっちゃう。どんどん人間としてダメになる恐怖がありました。今だからこそできることをやろうと、毎日声を出して発生練習をしたり、習い事を始めたりしましたが、どう自分を奮い立たせても、心のよりどころがなくて・・・。そんな時に猫ちゃんたちと出会いました」

兄妹猫「だいず」と「きなこ」との出会いが石原の生活を一変させた。

「(地元岐阜の)同級生とSNSでつながっていて、飼猫が赤ちゃんを身ごもっていることは知っていました。生まれるのを楽しみにしていたのですが、『生まれたよ!』っていう写真を見た時に、“かわいいー”って思って。その気持ちをメールしたら、しょっちゅう写真を送ってくれるようになって。もう自分の子どものようになってしまいました」

石原には愛猫とのつらい経験があった。以前、チャーミーと名付けた猫を飼っていたが、亡くなった時にあまりにも悲しかった。仕事が忙しくて、寂しい思いをさせたな、という後悔もあった。こんなつらい思いをするなら生き物は二度と飼わないと誓った。

「でも、二人(!!)の顔を見たら、もうメロメロに(笑)」

石原詢子

さすけパパとあんずママの間に生まれた兄「だいず」(右)と妹「きなこ」。もうペットは飼わないと決めていた石原だったが、兄妹猫の存在によって、自らが支えられることになる。(C)石原詢子

昨年7月1日、生後2カ月の二匹の子猫が石原の元にやってきた。

「(4月生まれなので)二人はもう一歳になります。すごくやんちゃで、手もかかるんですが、子どもたち中心の生活になってしまいました。一つひとつのしぐさがかわいくて、赤ん坊にしゃべるのと同じように、猫語で『にゃーに?』とか。自分でもたまにあきれる時がありますけど(笑)」

家族が増えたことで、石原は支えてくれる人の大切さ、大切な存在への感謝の気持ちに改めて気づく。

「これまで当たり前のように歌って、当たり前のようにお客様と接してきました。それがコロナ禍でゼロに。だから、久しぶりにお客様の前で歌った時は体が震えました。歌えるということが、どれほど幸せなことか。一曲一曲を大事にしなきゃいけないなと思うようになりました」

そして、「大切なもの」「あなたがいてくれて」「ありがとう」というテーマが浮かんだ。

「人と接することができないという、当たり前だったことができなくなった時に、改めて知る“人の大切さ”を歌いたいと思いました。私の場合は、昨年の7月から猫ちゃんを飼い始めて、この子たちがいてくれたから、人と話せない、お客様の前で歌えないという苦境を乗り越えることができました。あまりに当たり前すぎて、わざわざ『ありがとう』と言うこともなかったけど、『本当に今日は、そばにいてくれてありがとうね』っていう思いを持たれた方はたくさんいらっしゃると思います。歌を通じて、大切な人の存在に、『ありがとう』を伝えたいと思いました」

 

石原詢子

石原詢子

1988年、「ホレました」でデビューし、30年以上歌ってきた石原詢子にあえて冒険は必要なかった。

「演歌が好きで、演歌を歌うことが当たり前でした。でも、25周年を過ぎたあたりから、もっと芸の幅を広げたいと思うようになりました。歌が好きな70代、80代の方に私は支えられていて、同じ時間を共有してきました。一方で、私と同じ年代の方がどんどん音楽から離れていっているんじゃないかという思いがありました。『最近の好きな歌は何ですか?』と聞かれた時に、答えられない人が多いんじゃないかと。私が小・中学生の時には、今のようなジャンル分けがなくて、音楽番組では演歌も歌謡曲もニューミュージックも一緒に流れていました。そんな時代を振り返ると、私ぐらいの年代や、もっと下の世代にも歌を広げていきたいという思いがずっとありました」

とはいえ、今までと同じ時間を過ごしていけば、着物を着て“ザ・演歌”を歌っていれば、歌手活動は安定している。

「私もやっぱり一歩踏み出すのは、すごく不安なところがありましたが、メッセージを伝えるという点では、ジャンルにこだわらず幅広い世代に伝えられる歌を届けたいと思いました」

「だいず」と「きなこ」の存在が教えてくれた『本当に今日は、そばにいてくれてありがとうね』という感謝の気持ちを、みんなに聴いてもらいたい。

「もし何かができるんだったら今がチャンスじゃないかな」

そして、それを実現するには同じ世代の作家に自分の気持ちを伝えたい。石原は以前から好きでよく聴いていた古内東子に視線を送った。

「古内さんはラブソングをたくさん歌っておられます。片思いや失恋、未練が残る歌をたくさん書かれていて、感受性がものすごく豊かな方だろうと、勝手に想像していました。もしかしたら、人と接点を持つのを嫌がる方なのかなというイメージもあって、8割がたお断りされるかなと思っていましたが、お目にかかってみると、竹を割ったような性格の方でした。あんなに切ない歌詞がどうやったら書けるんだろうと、思うほど。ワードの数を計りきれないほどお持ちなんでしょうね。古内さんは私と同じ世代です。見てきたもの、感じてきたものが同じです。だから、私の思いをうまく表現してくださるんじゃないかと思いました」

古内東子

石原詢子の新曲「ただそばにいてくれて」を作詞・作曲した古内東子。1993年のデビュー以来、恋と愛の歌を書き続けてきた。「打ち合わせの日にスタッフのみなさんと談笑する詢子さんを拝見しヒントを得て作りました」。石原がポップスを歌うことについては、自身の公式ブログで「変化の時代に自ら更なる変化を選択する。カッコいいです!」と記している。

石原の思いを聞いた古内は、快く引き受けることにした。演歌歌手に楽曲提供したいという思いを抱いていた古内は、当初、演歌よりの作品を依頼されるかと思ったようだっだ。

「初めての打ち合わせの時、古内さんからは『そっちよりじゃないとダメですか?』と聞かれました。もし、『はい、そうです』とお返事すれば、演歌よりの作品を作ってくださったと思いますが、『いいえ、私のこの見た感じのイメージで、“ザ・古内東子節”をいっぱい出していただいて構いません』とお答えしました」

その時の気持ちを古内は述懐する。

「最初に作曲のお話をいただいた時は、演歌歌手である石原詢子さんに歌っていただける曲を自分が作れるのか? と正直不安もありましたが、詢子さんご本人にお会いすると、そんなモヤモヤしたものはすぐさまどこかへ行ってしまいました。演歌ではなくポップスを歌うというチャレンジと変化を、じつに前向きに果敢に捉えていらっしゃって、飾らない出立ちで颯爽とした詢子さんがそこにいたのです」

 

石原の2つの物語が、“古内東子”というシンガーソングライターを通じて、1つに重なった。

新曲「ただそばにいてくれて」は、「大切なもの」について語る石原の気持ちをヒントに作られた。石原の思いは初対面の古内にも「くっきり見えた。丁寧に織りなされた絆のようなものが見えた」という。

「いろんな人や場所や暮らし、それぞれの大切なものたちと、さらに年月を積み重ねながらつながっていくのだなあと。そんな思いを胸に、家に帰ったのを覚えています。そうしてできあがった石原詢子さんへの曲は、私が作り続けてきた『恋愛』の歌ではありませんが、結果として『愛』でしかない一曲になりました」

古内から届いた作品を聴いた時、石原は「新生・石原詢子」のための第一歩になると思った。

「歌詞と、仮歌が入った音源が届いたのですが、東子さんが歌った方がいいのでは? と思いました。すごく難しい歌だとも。でも、私が伝えたかった思いが詰まっていました。この歌なら私の思いが伝わると思って、すごくうれしかった。『今の私を代弁するような曲を作ってくださってありがとうございます』。そんな気持ちでした」

ありがとう
ただそばにいてくれて
(「ただそばにいてくれて」歌詞より)

心が安まるメロディと、石原の歌声。「ただそばにいてくれて」は聴けば聴くほど優しい気持ちになれる。石原と同じ思いを抱いた人の共感を生むだろう。

「遠回りしてもいい。これからはいろんな形でチャレンジして、自分の歌いたい、伝えたい歌を歌っていきたいなと思っています。それがまた演歌かもしれませんが、聴く人と思いを共感したいですね」


石原詢子石原詢子

Q 石原さんの思いが詰まった新曲「ただそばにいてくれて」は、これまで歌ってきた演歌・歌謡曲とは違うポップスですね。レコーディングはいかがでしたか?

石原 猛練習しました。過去にこんなに練習したことはなかった。これまではレコーディングの少し前に一生懸命譜面を見て、自分の中に入れるという作業でしたが、本当に練習しました。新しいチャレンジなので大変でした。

Q 今までとは勝手が違った?

石原 レコーディングのミュージシャンもこれまでお会いしたことのない方々ばかりでした。レコーディングに取り組むスタンスも初めての経験が多くて、ミュージシャンの方々も「ここはこうしたらいいんじゃない?」ってアイデアを出し合って、一緒に作り上げていくということがとても楽しい経験でした。

Q ディスカッションしながら作り込んでいく?

石原 はい。曲のイメージを壊さないようにしつつも、もっとよくする方向へアイデアを出し合って。スタジオにいるみんなで作り上げていく感じでした。

Q 新鮮でした?

石原 とても新鮮でしたが、戸惑いもありました。周りのスタッフがびっくりするくらい、スタジオではガチガチでした(笑)。でも、今まで感じたことがない空気に、いい意味の緊張感がありました。

Q 完成した曲を聴いた時はいかがでしたか?

石原 これからもっと気持ちを込めて歌っていかないといけないなと、いい意味で更に欲が出ましたね。言ってみれば、今までは教科書がありました。ですから「こんな感じかな」と、ある程度の及第点を自分に与えていたのかもしれません。

Q 予備知識なく「ただそばにいれくれて」を聴かれた方は、石原さんが歌っているとは気がつかないかもしれません。

石原 「私が歌ってる」って言って聴いてもらっても、「詢ちゃんじゃないみたい」っていうふうにも言われますね。

Q それくらいに今回は新しいチャレンジだったんですね。

石原 そうですね。やるなら、思い切ってやりたいな、というのはありました。でも、私は私で変わらず頑張っていきますから、ファンの方にはこれまでと変わらず応援していただきたいと思っています。

Q チャレンジと言えば、ジャケット写真の中の石原さんのイメージも大きく変わりました。髪の毛をショートにされたのもチャレンジ?

石原 いえ、これは学生の時以来ショートにしたことがなくて、ずっとショートにしてみたいと思っていたんですよ。それでコロナ禍でお仕事もないし、ある朝、目覚めた時に思い切って「よし切っちゃえ」って。その日のうちに美容院へ行きました。誰にも相談せずに切ったので、会う人みんなにびっくりされて(笑)。

Q 石原さんのブログには「暴走が止まらない」と書かれていました(笑)。

石原 でも、その時はまだ長いほうだったんですよ。さらにもっと短くして、イメチェンしたんだというのをはっきり打ち出したいと思ったのですが、なんかモンチッチみたいになっちゃって(笑)。

Q すごくポジティブな印象で、ジャケット写真の石原さんの笑顔も素敵です。

石原 ナチュラルな、自然な感じで撮りたいなと思っていました。この写真は「だいず」と「きなこ」の話をして笑っている時のものです。こんなに笑っているのはこの一枚だけなんですが、カメラマンさんが押さえてくださっていました。こんなに笑顔のジャケット写真は初めてですね。

Q 作品が完成した今、達成感はありますか?

石原 じつはまだないですね。まだ少し不安です。でも、「何かをやり始めているな」というのを感じてもらえるんじゃないかと思います。これからテレビやコンサートでこの曲を歌っていきながら、新しい自分をしっかり表現していきたいと思います。

 

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2021年5月19日発売
今、届けたい“ありがとう”
石原詢子「ただそばにいてくれて」
石原詢子

「ただそばにいてくれて」
作詞・作曲/古内東子編曲/河野 伸
c/w「ひと粒」
作詞・作曲/古内東子 編曲/河野 伸
ソニー・ミュージックダイレクト MHCL-2901 ¥1,300(税込)

「ただそばにいてくれて」は、「何かみなさんの心が温まるようなメッセージソングを、そして、つらいこの状況の中で心の支えとなってくれた人たちに“ありがとう”と歌を通じてお届けしたい!」という石原の思いを、シンガーソングライターの古内東子が作品に仕上げた。オリジナル曲として初めてJ-POPを歌う石原にとって新境地となる曲。

一方、カップリング曲の「ひと粒」は切ない恋心が描かれた曲となっている。

古内東子「THEな感じの切ないラブソングを歌っていただこうと、等身大の大人の女性の恋心を描きました。こちらの曲に登場するのは、やっぱりお着物姿の詢子さんもいいな、なんて思ったりもしながら。そんな妄想も楽しかったです」

石原詢子「“THE古内東子節”と言いますか、東子さんの持つ魅力のひとつ“やさしさ” “切なさ” ”いとしさ”が、あらゆるところに散りばめられています。『カップリングに持って来ちゃうのもったいないんじゃない?』っていうぐらい素敵な歌です。「私の話つまらないでしょう」という歌い出しの歌詞がすごくインパクトがあって、べつに悲しくもないし、うれしくもないんだけど、好きになってしまって、何かこう泣きたくなってしまうような。そういう気持ちってありますよね。女性にかぎらず、男性にしても。そんな誰もが経験した恋心を綴った歌になっています」

新曲「ただそばにいてくれて」MVのスピンオフ動画も公開中

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profile
石原詢子(いしはら・じゅんこ)
1968年1月12日、岐阜県生まれ。詩吟揖水流(いすいりゅう)家元の長女として生まれ、4歳から父の意向で詩吟を習い始める。小学生の時、「津軽海峡冬景色」を歌う石川さゆりを見て、歌手への夢を持つ。高校卒業と同時に上京、アルバイトをしながら歌や芝居のレッスンを行い、1988年10月、「ホレました」でデビュー。1994年、「三日月情話」が第27回日本作詩大賞優秀作品賞を受賞し、翌1995年の「夕霧海峡」がヒット。1999年には「みれん酒」がロングヒットし、翌2000年の大みそかに『NHK紅白歌合戦』初出場。2007年、故郷・岐阜県の「飛騨・美濃観光大使」に就任。2011年、シングル「逢いたい、今すぐあなたに・・・。」をリリース。亡き母の旧姓「いとう冨士子」名義で作詞に初挑戦した。2018年、デビュー30周年コンサートを開催。また、詩吟揖水流詢風(じゅんぷう)を発足させ、家元・石原美風(いしはらびふう)として詩吟の普及に務める。2021年5月、「ただそばにいてくれて」をリリース。オリジナルシングルとして、J-POPで活躍するシンガーソングライター・古内東子の作品を歌うのは初めてとなる。プライベートでは2020年7月から兄妹猫の「だいず」と「きなこ」を飼育。石原にとって心の支えとなっているという。

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