多田周子が恒例のヤマハホールでコンサート。新曲「風がはじまる場所」では観客も大合唱
多田周子が12月13日、東京・中央区の銀座ヤマハホールで恒例のコンサートを開催。アンコールでは新曲「風がはじまる場所」をピアノの弾き語りで披露し、サビでは満席の観客が“La La La La La~”と大合唱した。
多田周子は童謡「赤とんぼ」の作詩者、三木露風の出身地・兵庫県たつの市で生まれ、京都芸術大学音楽学部声楽科を卒業後、オーストリアに音楽留学。童謡をライフワークとして歌い続けながら、自らのオリジナル曲を世に送り届ける活動を続けている。
「多田周子コンサート~風がはじまる場所~」は、「なつかしゃや」から幕開けした。多田が奄美大島を訪れた際に地元の人のおもてなしに感動してつくった歌。“ただいま” “おかえり~”という多田と観客との掛け合いも楽しい作品だ。
「会場いっぱいのお客様、こんばんは。本当に今年もいろんなことがありましたが、無事に12月を迎えることができました。未知のコロナを乗り越え、猛暑を生き延びて、皆さんがこの場所に来てくださいました。本当にありがとうございます」
多田にとってヤマハホールは特別な場所だった。2013年のリサイタルを皮切りに、今回で7回目となるが、2015年にこの会場で歌っていた際にスカウトされ、日本クラウンから「風の中のクロニクル」でメジャーデビューすることになったのだ。
「“風”という文字が入っていますが、私にとってはこのヤマハホールが、風がはじまる場所だったのかな」
多田は作詞・門谷憲二氏と作曲・花岡優平氏による「風の中のクロニクル」を2曲目に披露すると、今回のコンサートのテーマとした「出会い」「ふるさと」「感謝」の作品を届けていく。
瀬戸内海の穏やかだけどキラキラと光る海と、点在する島々の美しさに感化されてつくった「万葉夢物語」や、高校時代の甘酸っぱい思い出を歌にした「君といたふるさと」、故郷の龍野城へと続く道を“城路”と名づけた「城路」など。「城路」は若くして両親と兄を亡くし、将来が不安だった彼女がよく歩いていた道だったそうで、「その路を歩いていると、『大丈夫』だと思えました。今、大人になって歩いても家族と会えそうな気持ちになります」と明かした。
一曲一曲を丁寧に歌っていく多田は、「21世紀になっても人類は戦争をしています。とても怖いことです。一日も早く平和な日が来ますように」と、中盤には「アヴェ・マリア」、争いのない世界を願った「愛の鐘」、そして松田聖子の「瑠璃色の地球」をカバーすると、ライフワークとなっている童謡を披露していく。
「童謡、どうよ!?」
クスッとした笑いで観客を和ませると、多田はなぜ、童謡・叙情詩をライフワークとして歌い継いでいるかを話した。
海外へ音楽留学しているときだった。17人いるクラスで多田一人、卒業証書がもらえない事態に。
「あなたは声も綺麗。音程も合っている。言葉も間違えていない。でも、ドイツ人のハートを歌っていないわ。だから卒業証書は出せないわ」
クラスの全員が参加する公開レッスンで指導教官にそう告げられた。多田はいてもたってもいられなくなり帰ろうとしたという。そのとき、ピアノを演奏していた先生が助け船を出してくれた。「周子、あなたの故郷の歌を歌いなさい」と。
♪夕焼け小焼けの 赤とんぼ~
故郷・たつの市では、地元出身の三木露風が作詞した「赤とんぼ」が朝昼晩と流れており、日常の中に「赤とんぼ」があった。多田が「赤とんぼ」を歌うと、多田を除く16人の生徒全員が拍手してくれた。「卒業証書をあげるわ」。指導教官も多田の歌に卒業を許した。
「帰国したら日本の歌を勉強し、歌おうと思いました」
多田が「浜辺の歌」「朧月夜」「赤とんぼ」など誰もが知る童謡を歌うと、観客は静かに聴き入っていた。
○
多田周子は従来の歌手の範疇に留まらない活動をしている。「なつかしゃや」に関しては、毎年3校の小学校を訪問し、曲中の「ただいま! おかえり!」を生徒たちと大合唱するまでになっている。そして、日々の新しい出会いから作品へのインスピレーションを得ている。
「たった一つの出会いによって人は変わる。諦めていた夢も、また輝く」
そんな思いを伝えたいと思ってつくったのが、新曲「風がはじまる場所」だった。多田はカップリング曲「雨上がりの午後」を披露すると、続けて新曲を届ける。
「“風”っていい言葉ですよね」
サビの“La La La La La~”では観客に「皆さんの声をください」と呼びかけ大合唱。優しく、温かく、しなやかに人々の心に寄り添う多田は、アンコールでもピアノの弾き語りで「風がはじまる場所」を歌唱。もちろん大合唱を楽しんでいた。