鳥羽一郎 ロングインタビュー~故郷、歌、師匠の教え~
歌手としての出発点
――松下幸之助さんや高倉健さん、樹木希林さんの生き方についてのお話がありましたが、鳥羽さん自身は、なぜ歌手になろうと思われたんですか?
鳥羽 よく聞かれるんだけどさ、もちろん「なぜ、歌手に」っていうこともあるけど、なんで船村 徹先生の弟子に入ったかという、まずそこだよね。もちろん船村先生が好きなんだけど、普通、歌い手になろうという人は歌い手さんに憧れるじゃない。自分の場合は、あの船村 徹さんという作家の先生が好きっていうかなあ。歌い手になろうと思った時、なんとかあの先生に曲を書いてもらえないかなみたいな。そんな気持ちがあって、弟子にしてもらったんだけどね。ただ、(なんで船村徹さんの曲が好きだったのかは)俺もわかんない。答えられないっていうか(笑)。なんでだか本当にわかんないんだよね。
――弟子になりたい、と思われたとしても、簡単には弟子にはしていただけないですよね? まずどこへ行けば船村先生に会えるかもわからないと思うのですが。
鳥羽 それは弟(山川 豊)が調べたの、全部。とりあえず、船村先生に会いたい、会ってみたいということで、自宅の場所やスケジュールなど、いろいろ弟に調べてもらって、ここに行けば会えるというのがわかって、会いに行ったの。それが始まりだよね。
――でも、いきなり「弟子にしてください」とお願いして、「そうかそうか」とはなりませんよね。
鳥羽 それがなったのよ(笑)。普通だったらあれだけの偉い先生に会うんだからさ、やっぱり誰かの紹介があって、アポイントがあって会いに行くのが当然だろうけど、そういう段階を踏もうとしたら、会えてなかったと思う。もうおもむろに行って、ダメならダメでしょうがないって。当たって砕けろぐらいの気持ちで行ったのが功を奏したのかね。それがかえってよかったのか。その辺はもうわからないね。先生が亡くなっちゃったから聞くに聞けないけども。
――毎年6月12日は、弟子の皆さんで「演歌巡礼」のコンサートを行っておられます。船村先生は生前、ギター一本で全国各地を回る“演歌巡礼”をされており、多くの方を歌で癒されました。その船村先生の意志を引き継ぐ形でのコンサートですが、今年はコロナ禍により中止になってしまったのが残念でした。
鳥羽 代わりに、今年は先生のご自宅にみんなで集まりました。先生の誕生日でもあるから、みんなで先生の自宅で集まって、仏壇に手を合わせて、軽く一杯飲んで帰ってきました。(コロナ禍で不要不急の外出自粛が言われていた時期なので)本当は何にもしないでおこうかとも思ったんだけど、私の提案でね。先生がまだ健在な頃は、6月12日にはみんなで集まっていたしね。先生の奥様の誕生日も近々あったんで、そのお祝いも兼ねてみんなで集まって、先生の昔話に花を咲かせました。
――先生が遺された言葉で「歌は心で歌いなさい」という有名な言葉があります。
鳥羽 (言葉の意味がわかったのは)つい最近ですよ。先生に言われたことを意識して歌えるようになったのは。言葉を大事にする先生でね。演歌・歌謡曲は詞ありきだと。いい詞があれば、いいメロディーがつくだろうと。日本という国には四季があって、たくさんのいい言葉がいっぱいあるわけでしょ。だから、その一つひとつの言葉を大事にして歌ったほうがいいよ、とよくおっしゃっていました。でも、そう言われても、「ああ、そうか」と思いながらも、これまでは歌うことで精いっぱいでした。だから本当に最近だね。こういう言葉があるから、この言葉をちゃんと伝えないといかんっていう、そういう意識に変わってきた。ただ、昔と今では歌に対する捉えられ方が全然違うけどね。
――作る人も、聴く人も、ですか?
鳥羽 うん。昔は詞があってメロディーがあったけど、今はメロディーが先行しちゃってんじゃないかな。言葉を大事にするためには、聴いている人に言葉を伝えなきゃなんないわけじゃない。言葉は伝わってなんぼだから。でも、今はどうかっていうと、そうでもないような気がするんだなあ。先にメロディーが流れてきて「このメロディーはなんかいいな」「悪いな」とかって。「詞を大事にして歌え」。それは先生から口を酸っぱくして言われたね。「詞をおろそかにするな」ってことはずっと言われてきて、それが30年経ってやっと、ああ、あんなこと先生言っていたけど、やっぱりそうだなって思えるようになったね。
――言葉の真意を理解するのは、簡単ではないということですね。
鳥羽 おもしろい話があってね。聴いてくださるお客さんとキャッチボールをするような感じで、こっちから言葉を投げるでしょ? 投げた言葉に対して、お客様は「何でですか?」って聞いてくると言うんだね。「過去(むかし)の女は捜すもんじゃない」(「戻れないんだよ」歌詞より)って投げかけても、この言葉が届かないと、相手は「何でですか?」って問いかけてこられない。
――お客さんとキャッチボール?
鳥羽 船村先生の出世作「別れの一本杉」にたとえて教えてくださったんですよ。「なあ鳥羽、お客さんとキャッチボールって簡単に言うかもわからないけど、やっぱり問いかけていって、その問いかけがお客さんに伝わらないとダメなんだよ」って。「泣けた泣けた 堪えきれずに泣けたんだよ」ってお客さんに言うわけですよ。そうするとお客さんが「あのさ鳥羽さん、なんで泣けたんですか」って聞いてくるっていうの。「いやあ、実はあの娘と別れた哀しさに、山の掛巣(かけす)も啼いてたんですよー」って言うと、またお客さんが「それはどこなんですか?」って聞いてくる。「いやあ、石の地蔵さんのある村はずれなんだよ」って言うと、あの「別れの一本杉」という歌が聴いているお客さんにすーっと沁みていくって言うのよ。
――歌い語り掛ける、鳥羽さんの実演に参りました。今、すごく言葉が入ってきました。
鳥羽 だから、歌詞の最初の言葉、一行目が相手に伝わらないと、キャッチボールをしようと思ってもできないんだよね。どんな環境であろうが、「歌は心で歌うもの」っていうのはそのとおりですね。音響どうのじゃなくて。船村先生の「演歌巡礼」、ほんとに音響とかマイクとか一切なかったからね。そんなにでかい会場じゃないんだけども、ギター1本で語りかけるように歌ってたね。これが本当の歌なんだと思う。
――歌詞の意味をいちいち説明できないだけに、難しいですね。
鳥羽 うん、難しい。でも、そうかといって、この言葉はこういうことですよって説明しないといけないような歌は悪いけど流行りませんよ。だから詞が大事なんですね。今はそうじゃなくて、メロディーが先行してっていう人も中にはいるだろうけど、俺は詞をおろそかにしないように心がけて歌っていきたいね。
――鳥羽さん自身には船村先生の教えを守る継承者でいていただきたいと思いました。
鳥羽 そうですね。
――鳥羽さんが30年以上歌って来られて、ようやく理解できるようになったいうのは、本当に奥が深くて重い言葉なんですね。
鳥羽 他の弟子たちも先生から同じことを言われているから、弟子たちはみんなわかってると思うよ。