伍代健人が人生をかける!~テイチク移籍第1弾「心のままにあれ」でメジャーシーンへ~
伍代健人が12月15日、テイチク移籍第1弾シングル「心のままにあれ」を発売した。伍代自身への、そして聴く人への応援歌となるような作品だ。演歌歌手やものまね芸人として長年活動してきた“吾代健十”が、人気のあった女装をやめ、“伍代健人”に改名。62歳にしてメジャーシーンに躍り出る。どんなときも心のままに生きてきたという伍代が、夢が叶うまでのストーリーと、「心のままにあれ」にかける意気込みを話してくれた。
「私の人生をかけた、最後の勝負です」
「すごく良い歌でしょう。人生をテーマにした歌なので、みなさんがご自分に当てはめて、これまでの人生を思い返しながら聴いてくれたらうれしいです。“心のままにあれ”っていう言葉だけだと、上から目線のように感じられますが、自分に対するエールなので自分自身に向けて言っているんですね。実際に心のままに生きることってなかなか難しくて、みなさん何かを我慢していると思います。でも私はあえてこの年齢になっても、心のままに生きるんだという思いを強く持ち続けていたいんです。11年間女装をしていたこともそうですが、私はこれからもやりたいように、もっともっと本音で生きるつもりです」
長年 演歌歌手やものまね芸人として活動してきた伍代健人が、12月15日発売のシングル「心のままにあれ」で新しいスタートを切った。これまでも定評のあった高い歌唱力を最大限に生かしたロックバラード。伍代の低音の魅力を存分に味わえる、スケールの大きな曲に仕上がっている。大好評だった女装をやめて、芸名も改めた(旧・吾代健十)。62歳を迎えてもなお諦めることのなかった夢、歌に対する情熱はリスナーの心にストレートに届く。
作詞を担当した長岡哲也は、伍代の個人事務所の社長である。自分への応援歌、そして聴く人への応援歌にもなるような曲を歌いたいと思った伍代は、長岡に「恋愛の歌よりも、もっと人生そのものをテーマに『My Way』のような歌を作ってください」と訴えた。作曲家のムロマサノリとは古くからの友人で、こまどり姉妹に師事していた兄弟弟子。伍代の歌声の魅力を熟知しており、低音の響きが生きる曲を書いてくれた。当初はもう一曲の「季節に寄せて・娘へ」を表題曲にする予定で話が進められていたが、カップリング曲のつもりで作られた「心のままにあれ」が、伍代の心にピタリとはまってしまった。
「『勝負曲はこれでお願いします。私にとっては人生最後の勝負です。この曲に命を賭けます』って磯田さん(担当ディレクター磯田繁男氏)に言ったら、その心構えというか真剣さを気に入っていただいて。『わかりました。この曲でやりましょう』ってA面を変更してくださったんです。猪股義周先生のアレンジがまた素晴らしくて。オケ撮りで初めて先生が棒を振ったときに、イントロがバーンと流れた瞬間は本当に感動的でした。私は思わず涙が出て来て、恥ずかしいからこっそり涙を拭きながら聴いていましたね。詞も、曲もアレンジも、全部希望通りに叶いました」
きっかけは20年以上前の曲「季節に寄せて・娘へ」
「心のままにあれ」が誕生するきっかけとなった伍代と長岡哲也との出会いは、昨年の10月までさかのぼる。その日、ものまねと歌を聴かせるイベントに出演していた伍代は、アンコールでいつもあまり歌う機会のない「季節に寄せて・娘へ」を歌った。
「ものまねショーでは、最後に自分の持ち歌を何曲か歌うんですけど、この日はアンコールがやまなくて。お客様がすごく良くて、私もノッちゃったんですね。1時間のものまねショーに40分のアンコールですよ。用意していた曲が尽きて、いつもは歌わない「季節に寄せて・娘へ」を歌ったら、ご年配の方々がご自分の娘とか孫のことを思い出して涙を流してくださったんです。イベントの主催者として私を呼んだのが長岡だったんですけど、『この曲のCD、いまないんですよね。再販できないんですか』って言ってくれて」
「季節に寄せて・娘へ」は、20年以上前にキングレコードから発売された「歴史の声が聞こえる」のカップリング曲だった。嫁ぐ娘への思いが歌われている。
長岡が「再販しましょうよ。お金は私が出しますから」とまで言ってくれたので、最初はメジャー盤のつもりでなく、富山に住むムロマサノリに「レコード会社を探しているんだけど」と電話で相談したのだという。こうしてムロから紹介されたのが、テイチクレコード第一制作部の磯田繁男、ちょうど一年前の12月のことだった。
「これまで何枚もCDを出してきましたが、これまではすべて“P盤”とか“カタログ盤”と言われているものだったんです。できたCDをある程度の枚数買い取らなければならなかったり、レコード店の店頭にCDが並ばず注文して取り寄せなければ買えなかったり。でも、今回は正真正銘のメジャー盤、私にとって生まれて初めてのことなんです。再デビューのつもりで頑張ります。年齢的には結構きついですけど、がむしゃらに。私は前向きな性格なので、辛いこともいいふうに捉えて頑張れます。パワーだけは負けない。ここで私が売れなければ、磯田さんに恩返しができないですからね」
99%無理か? いや1%の可能性がある
久しぶりのレコーディングは、伍代に大きな緊張とプレッシャーをもたらした。失敗してやり直しばかりで迷惑をかけないようにと、集中して真剣に歌った。先に収録した「心のままにあれ」は、強い思い入れもあったので、わりと早めにOKが出たという。問題は「季節に寄せて・娘へ」のほうだった。
「音の使い方が激しくて、半音を動かしたりするようなところがある曲で。以前、レコーディングしたときも、結構時間がかかりました。だから普段のショーではあまり歌ってこなかったんですが、歌い始めたら、難しさが蘇ってきたんですよね。途中でミキサーから『ヘッドフォンを片方外して歌ってみてください』と言われて。しっかり聴きながら歌いたいのにと思いながらもそうしてみたら、すごく集中できてレコーディングがどんどん進んだんです。煮詰まりすぎて、他の日に録り直しの可能性もあったくらいなのに」
「季節に寄せて・娘へ」の詞を書いた作詞家・吉田里美は、伍代の妻である。当時のプロデューサーが作曲家の山口順一郎に歌詞を渡すときに「完璧だから」と言い添えたため、山口は一字一句削ることなく曲をつけたそうである。
「娘が生まれたときに、カミさんが想いを襖に殴り書きしたものなんです。私がそれを見て『これを歌の詞に直してくれないか』って頼みました。『え? これを?』って、驚きながら詞を書いてくれたんですよね。普通は曲をつけるときに、削られるところがあるはずなんだけどけど、『完璧だから』の一言で、長い曲ができちゃった(笑)。娘はいま31歳ですが、生まれたときに、彼女が嫁ぐときのことを考えて書くというのも、作詞家の感覚はちょっと変わっていますよね」
奇跡はいつ起きるかわからない。夢を諦めずに歌い続けることが辛くなって、心を捨てて生きていけたらどんなに楽だろうと思ったことが何度もあったという。たまたま普段ならめったに歌わない曲を歌ったことがキーパーソンとの出会いにつながり、メジャーデビューの夢を叶えられた。「心のままにあれ」という楽曲が奇跡なのだと、伍代は話す。
「作詞、作曲、アレンジ、すべて思い通りの曲ができたこと。この奇跡の曲が売れないわけないだろうって思うんですよね。“思い上がりだ”って言う方もいると思いますけど、自分がそう思わなければ叶うわけがない。これが最後の勝負だと言った以上は、紅白歌合戦を狙いたいですね。そのくらいの気持でいます。99%無理だとして、残り1%の可能性をいかに増やしていくか。さらなる奇跡は充分にありうることですよね。私もそうですが、みなさんもこの歌を自分の人生に当てはめて聴いてみてください。この曲がカラオケのレパートリーの一曲にとどまらず、みなさんのパートナー的な存在にしていただけたらうれしいなと思います」
(文=夏見幸恵)
2021年12月15日発売
テイチク移籍第1弾
伍代健人「心のままにあれ」
伍代健人のテイチク移籍第1弾シングル「心のままにあれ」は、人生をテーマにしたスケールの大きなロックバラードだ。これまでの人生を振り返って“心のままに生きよう”と自分自身に語りかける人生の応援歌となっている。カップリング曲の「季節に寄せて・娘へ」は、過去にリリースした作品のカップリングだった曲。演歌歌手やものまね芸人として活動してきた吾代健十が、“伍代健人”に名前を改めて、新しいスタートを切った。ものまねステージでも定評のあった伍代の歌唱力を、存分に堪能できる一枚である。
profile
伍代健人(ごだい・けんと)
1959年7月6日、鹿児島県生まれ。1976年、 日本テレビ系列のオーディション番組『スターに挑戦!』でチャンピオン獲得。後に東芝EMIより「身の上ばなし/あなたとお酒で」でレコードデビュー(大ケンサク名義)。その後、“ざ・KENT”を結成し、キングレコードより「愛♡結婚 / Good Luck Friends」を発売。1986年、こまどり姉妹に師事し、“吾代健十”に改名。前歌や司会、礼儀作法などを11年間学び独立する。以降、「歴史の声が聞こえる/季節に寄せて・娘へ」「伊豆湯の町ブルース」「男の事情」「あんたが一番/こだわり」などをリリース。2021年12月、テイチクへ移籍し、伍代健人に改名。移籍第1弾シングル「心のままにあれ」をリリース。特技はものまね。ものまねタレントとしても活躍しており、森田健作、沢田研二、長渕剛、松山千春、福山雅治、千昌夫、美空ひばり、八代亜紀ほかレパートリー多数。