椎名佐千子が20周年記念コンサートで「ありがとう!!」と感情を爆発。歌唱力&表現力ともに20年の成長をみせる!
20周年の成長した姿をみせる
デビュー20周年の椎名佐千子が11月4日、東京・中野区の「なかのZERO大ホール」で記念コンサートを開催。コロナ禍によりソーシャルディスタンスを確保しながらの有観客コンサートとなったが、詰めかけた約600名のファンとともに喜びを共有し、「ありがとう!!」と感情を爆発させた。
椎名は2002年、「御意見無用の人生だ」でデビュー。ブーツに袴という“ハイカラさん”スタイルで歌い、南 流石(さすが)の振付よるキッズダンサーとのダンスでも話題になり、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞した。
「椎名佐千子20周年記念コンサート」の記念すべき最初の曲は、もちろんデビュー曲だ。15名のキッズダンサーたちと息の合ったダンスを披露し、デビュー当時を再現した演出で楽しませると、2003年のセカンドシングル「海の男に惚れちゃった」へ歌い継ぐ。そして近年のヒット作品から「哀愁・・・日本海」(2015年)、「漁火街道」(2019年)、「丹後なみだ駅」(2020年)を迫力ある歌唱力でホールに響かせた。
一気に5曲を歌った椎名は、「ご挨拶代わりに、私のオリジナル曲をずら~っとお聴きいただきました。今日この日を楽しみに、そして緊張感いっぱいに迎えました」と挨拶。「幕が開く前は、今までにないぐらいの緊張感でいっぱい。泣きそうでしたけど、皆さんのお顔を拝見すると力が沸いてきました」と笑顔を見せた。
また、「デビュー当時を振り返ってみますと、ブーツを履いて、袴姿で歌っていました」と、当時の思い出も。仁井谷俊也が作詞し、師事していた鈴木淳が作曲してくれたデビュー曲「御意見無用の人生だ」には、“やると決めたらまっしぐら”という歌詞がある。椎名は当時、歌詞を引用した「まっしぐらキャンペーン」を実施し、ハイカラさん姿で全国各地を行脚したという。
「『卒業おめでとうございます』と、よく声をかけられました(笑)」
だが、「デビューと同時に全国隅々までくまなく回らせていただき、たくさんの方々とのご縁をいただきました。そのご縁が今日につながったような気がします」と、人と人とのつながりに感謝していた。
「デビューした時は19歳。あれから20年経ちまして、ちょうどいい!! 年齢になってきました(笑)。今日は少しでも成長した姿を見せできるよう最後まで精いっぱい歌ってまいります」
大きな拍手に包まれながら椎名は、「ソーラン鴎唄」(2017年)、サードシングル「泣きむし海峡」(2003年)、「早春慕情 アコースティックver」(2021年)の3曲を歌う。
「この20年のなかでは楽しいことがたくさんありましたが、ちょっと壁にぶつかった時期。歌手としてなかなか理想通りにいかない時期もありました。人間関係でちょっぴり悩んだこともありました。そんな時に背中を押してくれた曲です」
「早春慕情」は2014年の作品だが、デビュー20周年記念曲「潮騒みなと」に収録したアコースティック・バージョンで聴かせた。
その20周年記念曲「潮騒みなと」は今年2月に発売し、オリコン歌謡曲・演歌チャートで自身初の初登場1位を獲得。8月には「潮騒みなと~感謝編~」のリリースにつながった。
森田いづみが作詞し、岡千秋が作曲した同曲のサビには、“きっときっと帰ること 信じてる”という言葉がある。
「最初に歌詞を見た時に、“きっときっと帰ること 信じてる”というフレーズが目に、そして心に飛び込んできました。この歌は離れていった男性をずっと一途に待っている女性の歌なんです。でも、コロナ禍でなかなか皆さんの前で歌えない日々が続くなか、サビの部分を歌う度に、きっとまた皆さんの前で歌える日がやってくる。そう信じて、(テレビなどで)歌ってきました。今日、またひとつ願いが叶います」
▲(C)ヒダキトモコ
椎名は「熱い心でお届けします」と、「潮騒みなと」を“応援歌”としても届けると、第一部の最後は、悲しいさだめを演じながら歌い、喝采を受けた。
ステージが暗転するとスクリーンに紙芝居が映し出された。「昔、昔、働き者で歌好きの佐千兵という若者がいました」。語り部・椎名が椎名版「鶴の恩返し」の物語を聞かせていく。鶴を模した純白の羽織姿でステージに現れた椎名は、島津亜矢が歌った民話「鶴の恩返し」を題材にした悲しい歌「日本の昔話『鶴女房』より おつう」を歌った。
あたなの温もり ずっと ずっと 感じていたい
第二部は助六太鼓とドラムによるセッションで幕が開いた。和と洋を融合させ、肩を大胆に露出したニュー着物姿で登場した椎名は、「女の華祭り」「酔歌(ソーラン節入り)」を披露し、助六太鼓の今泉 光とともに迫力ある長胴太鼓や締太鼓を演奏してみせた。「女の華祭り」は2010年、デビュー10作目のシングルとして、それまでの着物姿からドレス姿に変えて歌ったアップテンポの曲だった。
▲(C)ヒダキトモコ
再びスクリーンに花の写真が映し出されると、椎名が語る。コロナ禍で仕事が延期や中止になるなか、「落ち込んだ私の心を支えてくれたのが道端に咲いた一輪の花でした」という。以来、毎日、写真を撮ってブログで紹介。自粛期間中に400種類の花を見つけて撮ってきたと明かす。
「自分の身の回りにこれほど多くの植物があるのに気づかずに過ごして来ましたが、道端に咲く名前も知らない草花、その一つひとつが愛おしくなって」
深紅のドレスをまとった椎名は、喜納昌吉の世界的大ヒット曲「花~すべての人の心に花を~」を愛おしく歌い届けた。
20年間たくさんの歌を歌ってきた。椎名は「その一曲一曲にいろんな思いを感じながら歌わせていただいてきました」と話す。そんな歌手生活のなかで、ひとつの夢があると告白する。それは座長公演の実現だ。
「歌とお芝居を届けたい。その夢に向かって進んでいるところです」
椎名はちあきなおみの「ねぇあんた」とアメリカ民謡の「朝日のあたる家」を、時に台詞のように語りながら歌うと、表現力の広さを見せつけた。
「自粛中、最初は不安で不安でこの先どうなってしまうんだろう。いつになったら歌えるんだろう。またお客さんの前に歌える日が来るんだろうか? 日々、そんな不安な気持ちで過ごしていました」
20周年コンサートがいよいよ終盤を迎えた時、ステージに置かれたスツールに腰掛けた椎名がしみじみと語り出す。
「でも、自粛中にいつも『頑張って』『負けないで』『応援しているからね』。そんな声援をいただいて、いつも背中を押してくださったのはファンの皆さんでした。あらためて気づいたんです。今までステージで歌わせていただいていたのは、当たり前じゃないんだな。歌える場所があって、目の前で聴いてくださるお客様がいらっしゃるから、歌手でいられるんだなって。しみじみ強く思いました」
椎名はこの思いを形にしたいと願った。そして、初めての作詞に挑戦した。
「未熟な詞なんですが、私の感じたありのままの思いをぎゅっと歌詞に詰め込んでいます。未熟なギターなんですが、精いっぱい弾いて歌います」
自身初の作詞曲「おなじ空の下」(「潮騒みなと~感謝編~」に収録)の手書きの歌詞がスクリーンに映し出され、椎名が弾き語りで「あなたが側にいてくれて はじめて 私になれた あたなの温もり ずっと ずっと 感じていたい」(「おなじ空の下」歌詞より)と歌うと、涙するファンも・・・。
ファンとの時間は名残惜しかったが、「最後は元気に歌い終わりたいと思います」と椎名。「潮騒みなと~感謝編~」に収録されたサンバのリズムに元気がもらえる「佐千子のしあわせ数え歌」をキッズダンサー15名とともに歌うと、観客もサビの振り付けで参加した。
全17曲を歌いきった椎名佐千子は、「また必ずお会いしましょう。お元気で」と声高く叫んだ。
なお、この公演の模様は来年3月、DVDおよびライブCDとして発売予定だ。会場に足を運べなかったファンや、もう一度、あの感動を蘇らせたい人にはうれしいニュースだろう。