林部智史が『まあだだよ』で小椋佳を歌い継ぐ(1)
林部智史のニューアルバム『まあだだよ』。2021年1月20日にリリースされ、全曲が小椋佳の書き下ろしという注目作だ。また、歌手生活50年の小椋自身も同日にラストアルバムと位置づけた『もういいかい』を発表。曲やジャケットまで双方が連動してつくられ、年齢差45歳という異色のコラボレーションとなっている。前編・後編の2回に分けてインタビューをお届けする。
文=藤井利香
Hayashibe’s Voice……①
林部智史と小椋佳は出会うべくして出会った
林部智史はデビュー前から「愛燦燦」など小椋佳の楽曲をよく歌っていたが、実際に小椋本人に会ったのは2018年に長野県で開催されたラジオ番組主催のジョイントライブである。それぞれ1時間ずつステージに立ち、最後のアンコールで2人そろって小椋のヒット曲「さらば青春」を歌ったという。じつは初対面でありながら、小椋のほうも林部に対して大きな関心を寄せた。楽屋でモニター越しに流れてきた林部の歌唱に「これ、誰!?」と。ふたりの間に生まれた縁が、今回の作品づくりにつながった。
デビューして、年齢の高い方にもコンサートに来ていただけるようになった頃から、僕の世界観とファンの方に寄り添えるという理由から、どの歌い手さんよりも小椋さんの楽曲をカバーしてきたのではないかと思います。そんな矢先、ジョイントコンサートで小椋さんに初めてお会いしました。
歌い手なら一度は、小椋さんの作品を歌ってみたいと思っていると思いますが、その時は曲をつくってほしいなんて、とても言えません。それでスタッフを通じて、遠まわしに僕の気持ちをお伝えさせていただきました。半年ほど経った頃でしょうか。今回のアルバムに収録されている「愛の儚さ」と「命 活かしましょう」の2曲が届きました。
驚きと同時に感激しました。ちょうどその頃、小椋さんは曲づくりをしていない時期だと、お聞きしていたので、余計に。でも正直、大丈夫かなという思いもありました。とくに「命 活しましょう」は人生をテーマにした歌。30代の僕が歌っていいのかと危惧しました。むしろ、小椋さんが歌われたほうがいいのではと思いました。でも、暗いニュースの多い今だからこそ、あえて30代の僕が歌うことに意味があるのではないかなと、あらためて思っています。
この2曲のあと、1年半ほどの間に少しずつ曲が届いて計8曲もいただくことができました。そして昨年、小椋さんのラストアルバム制作の話を聞き、この8曲で僕もアルバムを一緒に出したいとの意向を伝えたところ、「面白いね」と、いいお返事をいただいて、今回の作品『まあだだよ』の制作に至りました。
Q ファーストアルバムから50周年をもって歌手活動に幕を閉じる決意をされました。1月20日に発売されたアルバム『もういいかい』は遺作ともいえる作品とのことですが、どのような思いで制作されましたか? このアルバムには新曲と既発曲が収録されていますが、収録作品全体を通じて伝えたいメッセージ、思いを教えてください。
小椋 今年1月に喜寿を迎えました。気力体力ともに衰えてきているのを日々感じています。2014年の生前葬コンサートの直後に死んでしまえばよかったのですが、その後も何となく生き延びてしまった。ただ正直歌を創るのも、歌うのもしんどくなってきて、そろそろケリを付けておこうと思いました。歌創りは座ってできる作業なのでまだ良いのですが、歌うことについては体力的にも気力的にもかなり厳しい状況です。
昔だったら歌っている自分の歌を聴いて自分の声に酔えたのですが、今は自分で歌っていても思うように表現できず、途中で辞めたくなることもしばしば。最後のアルバムは、前作『闌<TAKENAWA>』から7年経ち、ここ数年で提供した楽曲も溜まってきたということと、前作では形にならなかったテーマなどがあり、新曲をいくつか書こうと思ったことがきっかけです。
黒澤明監督の最後の作品が『まあだだよ』だったので、僕のラストアルバムは『もういいかい』にしようという構想は数年前からイメージしていました。タイトルは『もういいかい』としていますが、それでも与えられた命には限りがあるけれど、生きている以上は一生懸命生きてみよう、という私のメッセージ(遺言)を、アルバムを通して感じていただければうれしいです。
Hayashibe’s Voice……②
もういいかい? まあだだよ。小椋作品と向き合う
小椋佳は歌手生活最後のアルバムのタイトルについて、大好きな映画界の巨匠・黒澤明監督の最後の作品が『まあだだよ』だったので、何年も前から『もういいかい』にしたいと考えていたそうだ。これに呼応するように、林部智史は自身のアルバム名を『まあだだよ』というタイトルにしたいと思った。“まあだだよ”のない、“もういいかい”は寂しいと。林部と小椋のアルバムには、重いテーマの曲も多いが、遊び心のあるネーミングが興味と強い印象を与えている。
そして、双方のアルバムに共通して収録されているのが「ラピスラズリの涙」と「僕の憧れそして人生」の2曲だ。ともにリード曲となっている「ラピスラズリの涙」は、現時点でのそれぞれの解釈によって歌われているという。突然理由もわからず命を絶ってしまった小説家・芥川龍之介の、お相手の女性が抱いたであろう虚しさ、寂しさ。詞に描かれたその虚無的な感情は、小椋にとって若い頃からのテーマだった。ちなみに、小椋は林部が歌う「ラピスラズリの涙」を期待以上の出来と称賛している。
小椋さんがご自身のアルバムに「ラピスラズリの涙」を収録されると聞いて、急きょお願いし、レコーディングの様子を拝見させていただきました。自分なりに詞を理解したうえでレコーディングにうかがいました。
僕は小椋さんよりキーを2音上げていますが、これは男性と女性くらいの違いがあるのですが、その時思ったのは「ラピスラズリの涙」は女性の歌なので、僕のキーのほうが歌詞の世界を反映しやすいのではないかということです。もちろん歌の重み、深みという点では小椋さんにかないませんけど、より「私」という一人称を大事にできる歌として、小椋さんとはまた違うアレンジ作品になればいいと思いました。
「ラピスラズリの涙」は、いただいた中でもっとも小椋さんの熱意を感じた楽曲です。小椋さんから作品が届く時には、音源であるデモと歌詞だけで楽譜がありません。楽譜に忠実に歌ってください、というよりも、“自由に”というか、歌い手の解釈で歌ってもいい、ということだと思いましたが、唯一、この曲に関してはこう歌ってほしいというリクエストがたくさんありました。なかでもBメロの“あなたの心が いつか侵された”というところでは、小椋さんの解釈、メロディーが、もともと僕の頭の中にはなかったので、音が取れずに苦戦しましたね。
僕の歌い方では、「サビにつながっていかない」と指摘されました。“突然あなたが この世から消えて”という部分に生かされないと言われました。何度かやりとりをして落ち着きましたが、そのあたりは小椋さんのこだわりを強く感じた部分です。ただ、僕としてはもちろんそのメロディーも大切にしながら、違いは出るものだとも思っているので、全体としてより女性側に立って歌えればいいなと考えています。
小椋さんの歌う「ラピスラズリの涙」に対する印象は、これぞ語りです。僕はデビュー以来ずっと語るように歌うというのが理想だと思ってきましたが、小椋さんの歌を聴くとまだ自分は語れていない、歌っているなと感じます。この曲のリズムはワルツですが、ジャンルとして難しい楽曲だと感じていて、歌謡曲、またシャンソンでもいけそうです。だから今後、年を重ねながら語れるように歌いこなしていきたい、そんな思いもあります。
「僕の憧れそして人生」は、小椋さんのアルバムに収録されている「俺は本当に生きているだろうか」という曲と連動しています。小椋さんの詞は人と向き合い、自分を敵として戦う、そんなイメージのものがとても多い。この曲はその代表的なもので、僕自身とても感情移入できます。歌詞としては普通、使わないような言葉がたくさん並んでいます。“自堕落な奴 だらしない奴”に続いて、“こ奴こそが一生の敵”という歌詞がサビの頭ですからね。小椋さんしか書けない世界観です。それが味となり、もっとも小椋さんらしさを感じる曲ではないかと思っています。
でも、“僕”という一人称を昔からサラリと歌う小椋さんらしく、ストレートな言葉が並んでいても、あまり重くならず、失礼ながらどこか可愛らしさを感じます。「僕でよければ」という曲もアルバムに入っていますが、これは僕のキャラにすごく合っていて歌いやすい。アレンジもとても気に入っています。
Q 林部さんのアルバム『まあだだよ』は、全曲が小椋さんによる書き下ろし作品です。小椋さんのアルバム『もういいかい』に収録される「ラピスラズリの涙」「僕の憧れそして人生」の2曲を含む新曲8曲が収録されています。制作時の苦労や、作品への思い入れなど様々な思いがあるかと思いますが、完成した『まあだだよ』の作品としての感想・印象はいかがですか?
小椋 林部智史さんとは2018年にあるラジオ放送局主催のコンサートでご一緒しました。楽屋のモニター越しに響き良い歌声が聴こえてきて、「これ誰?」と。それが林部さんでした。そのご縁がきっかけで新曲のご依頼があり、当初は1、2曲お渡しするということだったのですが、書いていくうちにアルバムができるくらいの曲数になってしまいました。林部さんの声に惹かれていたので、苦しいながらも創作中は充実した時間を過ごすことができました。
「ラピスラズリの涙」は「謂れなき不安」に襲われ自殺してしまった芥川龍之介のお相手・文(ふみ)さんの心情に思いを寄せて書きました。青春時代から自分の根っこにあるのが人生の虚しさ、寂しさ。他人からはまったく理解されないことでも、本人には自殺の引き金になるくらい重大事だったりする。それを理解できなかったもどかしさ、悔しさを抱く女性の哀しみを曲にしたのが「ラピスラズリの涙」です。
林部さんならこの虚無的な感情を上手く表現できるはずという期待を込めてお渡ししました。結果は期待以上で、私の妻は「林部さんの歌のほうが胸に響く」と言っています。
アルバム『まあだだよ』から
リード曲「ラピスラズリの涙」MV
2021年1月20日発売
小椋佳が託した想いを歌い継ぐ
林部智史『まあだだよ』
【デラックス盤(CD+DVD)】
【収録曲】
CD
01「ラピスラズリの涙」
02「僕でよければ」
03「愛の儚さ」
04「僕の憧れそして人生」
05「微笑み」
06「命 活かしましょう」
07「ひとかどの」
08「慈しむ人 美しい人」
※ボーナストラック
09「まあだだよ」
DVD
<Music Video>
・ラピスラズリの涙
<Studio Live>
・「まあだだよ」スタジオライブ
01「ラピスラズリの涙」
02「僕でよければ」
03「愛の儚さ」
04「僕の憧れそして人生」
05「微笑み」
06「命 活かしましょう」
07「ひとかどの」
08「慈しむ人 美しい人」
【通常盤(CD)】
【収録曲】
01「ラピスラズリの涙」
02「僕でよければ」
03「愛の儚さ」
04「僕の憧れそして人生」
05「微笑み」
06「命 活かしましょう」
07「ひとかどの」
08「慈しむ人 美しい人」
小椋佳が林部智史のために全曲を書き下ろした新曲を収録したアルバム『まあだだよ』。歌手生活に幕引きすることを決めた小椋が、次世代を担う林部に託した作品が収められている。デラックス盤に収録されるボーナストラックの「まあだだよ」は林部が作詞・作曲した作品。
「小椋さんに、僕のほうからこんな曲をとリクエストしたことはないのですが、『慈しむ人 美しい人』だけは、昨年春に広島の嚴島神社で行うはずだったコンサートの奉納曲として依頼した作品です。残念ながらコンサートはコロナ禍で中止されてしまいましたが、いつかあらためて現地で歌うことができたらと思っています」(林部)
2021年1月12日発売
遺作ともいうべきラストアルバム
小椋佳『もういいかい』
【収録曲】
01「開幕の歌」
02「ラピスラズリの涙」
※2022年秋公開予定 映画「斜陽」主題歌
03「生きろ」
※2021年春公開予定 ドキュメンタリー映画「生きろ 島田叡」主題歌
04「僕の憧れそして人生」
05「俺は本当に生きてるだろうか」
06「笑ってみよう
07「花、闌の時」
※2018年公開 東映「北の桜守」主題歌
08「朝まだき」
09「老いの願い」
※2019年公開 映画「山中静夫氏の尊厳死」主題歌
10「置手紙」
11「もういいかい」
12「山河」
※リアレンジバージョン
13「SO-LONG GOOD-BYE」
1971年1月15日にリリースされた小椋佳のファーストアルバム『青春~砂漠の少年~』から50年。歌手引退を決めた音楽界のレジェンドによるラストアルバム。2014年に行った「生前葬コンサート」開催時にリリースしたアルバム『闌<TAKENAWA>』(2013年12月発売)以来のアルバム作品でもある。
アルバム『もういいかい』
作品から感じた壮大な世界
by 林部智史
僕が聴いて率直に思ったのは、1曲目の「開幕の歌」をはじめ、ほぼ生声で歌っている楽曲が多いなということです。普通は、もっとリバーブ(残響)やエコー(反響)などのエフェクトをかけたりするものですが、あえてかけずに今の自分の声で伝えたいというメッセージを受け取りました。アルバム全体の構成はひとつのコンサートの流れとして楽しめて、構成も人生を締めくくるように考えられています。今までの作品よりも、より壮大なものに仕上がっている。会話の中に黒澤明監督のお名前をいつも出されるのですが、人生を語るうえで、いくつもの映画を集めて大作映画を完成させたい、そんなことを意識されたのかなとも思いました。
Profile
林部智史(はやしべ・さとし)
1988年5月7日、山形県生まれ。2016年2月24日、「あいたい」でメジャーデビュー。“今、もっとも泣ける歌”として口コミで広がり、発売後4カ月で有線全国ランキング1位を獲得。2016年末には、「第58 回輝く ! 日本レコード大賞 新人賞」「第49回日本有線大賞 新人賞」を受賞。2018年1月、ファーストアルバム『Ⅰ(ファースト)』を、同年10月に、初のカバーアルバム『カタリベ1』リリース。また同年秋から、“はやしべさとし”として、日本の唱歌や童謡、美しい調べを歌い継ぐ叙情歌コンサートもスタート。2019年3月に、初の叙情歌アルバム『琴線歌~ はやしべさとし 叙情歌を道づれに~』発表。2019年8月、5枚目となるシングルとして、岸洋子の作品をカバーした「希望」をリリース。2020年7月、セカンドアルバム『Ⅱ(セカンド)』をリリース。2021年1月、小椋佳が全曲書き下ろしたアルバム『まあだだよ』を発売。
小椋佳(おぐら・けい)
1944年1月18日、東京都生まれ。1967年、東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。1993年退職。1994年、東京大学法学部に再入学。文学部思想文化学科に進み、哲学専攻にて2000年大学院修士号取得。この間、1971年に初アルバム『青春~砂漠の少年~』を発表。1972年、3作目のアルバム『彷徨』が100万枚のセールスを記録。1976年10月、NHKホールでファーストコンサートを開催。ソングライターとして、布施明、中村雅俊、堀内孝雄、美空ひばりら、多数のアーティストへも作品を提供してきた。「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」「夢芝居」「愛しき日々」「愛燦燦」などヒット曲多数。作詩作曲・歌手活動の他、執筆活動や、アルゴミュージカルなど舞台創造も重ねる。1998年以降、歌と語らいで綴る公演を「歌談の会」と称し、年間を通して全国各地にて開催。2014年9月、東京・NHKホールにて、それまでにつくってきた2000曲以上の作品から自身が歌いたい100曲を、25曲ずつ4日間で歌う「生前葬コンサート」を開催。2021年、ラストアルバム『もういいかい』をリリース。