福田こうへいが東京公演で魂のステージ。歌で元気を! 亡き親父の分までステージに立つ!
コンサートツアー真っ只中の福田こうへいが6月5日、東京・渋谷のLINE CUBE SHIBUYAで東京公演を行い、観客に元気を与えた。
ファンの近くで生歌を届けることをモットーとしている福田こうへいは、毎年のコンサートツアーを大切にしている。高齢のファンが遠方の会場まで行くのが難しいという事情を考慮し、「ならば私がお近くまで出かけます」と全国各地を回るが、都心の東京公演では昼夜2公演行われ、昼公演では3階までびっしりとファンで埋めつくされた。
開演のブザーがなり、会場が暗くなると、福田の登場を待ちわびるファンの「こうへいさ~ん!」という声が響く。
昨年のヒット曲「天空の城」から福田のコンサートが始まると、「お越しいただいたお客様を元気にしてお帰りいただけるよう命をかけまして頑張りたいと思います。今年もあっという間に半年が経ってしまいましたが、今日という一日を精いっぱい頑張って歌っまいります」と観客に呼びかける。
“福田クリニック”と呼ばれるほど、福田の歌声に元気をもらう人は多い。「癌が消えました」という手紙もこれまでに7通もらっているそうだが、福田の歌声、ステージパフォーマンスが生きる力を与えているのは間違いない。
福田はオリジナル曲を中心に前半のプログラムを組んだ。普段、ほとんどテレビなどでは歌うことがない「雨の影法師」などのカップリング曲、ロングヒット曲「母ちゃんの浜唄」などで観客を惹きつける。
また今年1月にリリースした「庄内しぐれ酒」のカップリング曲「親友(とも)よ」では、福田のこれまでのシングルにはなかった歌謡曲テイストのバラードを聴かせ、前半の最後に新曲を熱唱した。
「ド演歌が好きなんです」という福田だが、亡くなった担当ディレクターがこういう曲もどうかと提案したのが、「親友(とも)よ」だった。「“ともよ”ってどうよ、って言われたんですが、最初は『と・も・子…』って聞こえた」と観客を笑わせていた。『と・も・子…』は吉幾三の楽曲。女に愛想を尽かされた男の未練の歌だ。
一方、「庄内しぐれ酒」は望郷演歌。離れた故郷に想いを馳せながらも決して帰りはしない男の意地が歌われている。
岩手県出身で民謡歌手から演歌歌手へとなった福田は、「岩手と言えば、『こうへい』か『しょうへい(大谷翔平)』。どちらも二刀流。身長も同じです」と上げ底靴を見せて観客の笑いを誘っていたが、北島三郎から望郷演歌が似合うと評価されたこともある福田は、哀愁たっぷりに歌上げた。
福田こうへいコンサート2024の後半は民謡、ヒット曲、カバー曲が織り交ぜられた。
民謡歌手・福田岩月を父に持ち、民謡日本一を決める大会のひとつ「日本民謡フェスティバル」(2012年度)でグランプリを獲得した福田こうへい。亡き父が歌うはずだった演歌「南部蝉しぐれ」で演歌歌手としてデビューし、現在の姿がある。
「もし親父が生きていたら、(私は)民謡歌手とサラリーマンと、実家の農業をやっていたと思います」
福田は「40代、50代の民謡歌手が少なくなっています。私が民謡を歌い継ぐことで、若い世代へ引き継げればいいなと思います」と、父・岩月が生前歌っていた民謡の中でも、最近、歌われることが少なくなった民謡を披露し、デビュー曲「南部蝉しぐれ」で後半の山場をつくると、「うそ」や「雨の御堂筋」などの名曲をカバーした。
福田が歌うカバー曲と言えば、2013年の『響』から始まる漢字一文字シリーズのアルバムが人気だが、カバー曲も自分の歌にしてしまうのが福田の魅力。美空ひばりの「人生一路」を力いっぱい歌うと、「はあ、はあ」と大きく息を切らせた。実際には息を切らせる真似をし、それくらい力強く歌ったというアピールでもあるが、「歌で元気を差し上げられることが幸せです。親父の分までステージに立たせていただいています」と訴えた。
福田こうへいのステージは実際に見て“体感”してこそ価値がある。「話が長いと言われます」と自虐していたが、軽妙なトークでも観客の心を和ませ、魂を込めた歌声でハートをつかむ。
大漁旗が振られる中、福田は青森・大間町でマグロ漁を営む漁師の生き様を歌った「一番マグロの謳」など海を舞台とした作品でフィナーレを迎える。時に拳を突き上げながら全身全霊で熱唱すると、アンコールでは大太鼓を力いっぱい叩き、ファンに元気を贈った。
福田こうへいコンサート2024 スケジュール
和装や華やかな赤いジャケット姿など衣裳でも楽しませた「福田こうへいコンサート2024」は引き続き全国で展開される。
詳細は「福田こうへい公式HP」へ。