明弥音が待望の新曲「世忘れ唄を」をリリース。母の死と作品の重ね合わせ。荒木とよひさ氏が書き下ろし
明弥音(あやね)が9月27日、待望の新曲「世忘れ唄を」をリリースし、同日、東京・台東区の東天紅で開催された「塩ちゃんバンド 熱狂Live!!」に歌仲間としてゲスト出演。観客の前で新曲を初披露した。塩ちゃんバンドは、夢レコードの音楽プロデューサー 塩入二郎氏が率いるエレキインスト・バンド。明弥音の新曲をプロデューサーとして手がけた。
新曲「世忘れ唄を」は明弥音にとって待望の新曲だった。遠藤実歌謡塾で歌を学んだ明弥音は講師資格を取得し、横浜や池袋などで歌唱講師を務めている。また2014年には日舞の名取となり、紫翠流明弥音(あやね)として襲名した。そんな明弥音が「自ら歌ってみたい」と願い、デビューしたのは2016年。作曲家 岡千秋氏の支えもあり、「竹取哀恋歌」でデビューした。
塩入プロデューサーは、「『世忘れ唄を』をつくるのに約1年かかりました」と明かす。
「荒木とよひさ先生に作詞を依頼しました。認知症になってしまった高齢の母親がテーマの作品ですが、荒木先生は“ボケたお母さ”んのことを“世忘れ人“と表現してつくってくださいました。そして、今回は作曲もお願いしました。演歌っぽくない、(かぐや姫の)『神田川』を彷彿とさせるメロディです。アレンジは、”サウンドマジック”と呼ばれる若草恵先生にお願いしました」
和歌山県出身の明弥音は、いつか母の歌を歌ってみたいと思っていたという。19歳のときに最愛の父が亡くなってしまい、以後、女手一つで子どもたちを育ててくれた母への感謝の気持ちが強かったのだ。
「母はみかん山で忙しく働いていました。ですから雨になるとうれしかったですね。仕事が休みになって、母が家にいるからです。母が亡くなったという知らせが届いたのは、荒木先生にお会いするために名古屋へ向かうお約束の日でした。でも、お通夜は翌日に行うとのことだったので、お約束通り荒木先生にお目にかかり、母をテーマにした作品を歌いたいことや、亡くなった母のことをお話しさせていただきました。その後、名古屋から和歌山へ向かいました」
明弥音の母は晩年、入院しており、頻繁に会うことはできなかった。和歌山にいる母。東京にいる自分。コロナ禍で面会にも制限があった。亡くなる少し前。わずか15分の面会時間だったが、母に会うことができた。明弥音は「ありがとう、ありがとう」と感謝の気持ちを伝えるので精いっぱいだったが、それが母との最後の機会となった。
明弥音は荒木氏に、働き者だった母の背中が晩年は小さく見えたこと。縁側での母と交わした思い出などを話した。認知症にはならず、98歳まで生きた明弥音の母だったが、荒木氏は頑張り屋だった明弥音の母をモチーフに、現代社会が抱える問題をも組み込み、架空だけれど普遍的な物語をつくりあげた。
「素敵な詩を書いていただきました。聴いてください。『世忘れ唄を』」
陽だまりの縁側に 小さくなったお母さん♪
世忘れ人になってもいいの♪
明弥音が新曲「世忘れ唄を」を披露すると、塩入プロデューサーは「この作品をずっと歌いつづけていただきたいなと思います」と、明弥音にエールを送った。