加納ひろし、令和の時代に新たな一歩を印す

会社員から一念発起。歌手になる夢をかなえ、1976年に「小野満 & スイングビーバーズ」の専属歌手となった加納ひろし。その後出会った作詞家・荒木とよひさ氏のもとで、数々の教えや作品を授かり、歌の道を歩いてきた。
今年で歌手生活42年目を迎え、その幸せを噛みしめていたさなか、加納はまた大切な作品にめぐり合った。

 

師匠の思いを胸に……
代表曲「銀座」のストーリーを引き継ぐ勝負作

 

30歳を過ぎた頃に、加納ひろしは営業先の北海道で作詞家・荒木とよひさ氏と偶然出会い、その後結ばれた師弟関係は今も続いている。

加納の新作「ふたたびのめぐり逢い」は、その師弟愛から生まれた作品である。荒木氏が加納のために書き下ろしたこの作品は、その制作過程においても荒木氏の発案で加納の代表曲である「銀座」の流れを汲む世界観にまとまり、令和の時代に打って出る勝負曲として仕上がった。

荒木氏がこれまで手がけた作品には、銀座を舞台にした楽曲がいくつかある。五木ひろしの「そしてめぐり逢い」も、そのうちの一曲だ。

今回、加納の新曲を制作するにあたって、荒木氏からは「『銀座』のストーリーを引き継いだ作品を仕上げる」と知らされていたという。

レコーディングに際して、師匠からの歌唱アドバイスは一切なかった。これまでも荒木氏から歌唱について注文を受けたことはなく、その代わりに常日頃言われ続けてきたのは「多くの本を読みなさい。たくさん、映画を観なさい」だった。

読書や映画鑑賞を通じて自らの感性を磨き、己の内面を豊かにすることで、その人生観が歌に表れるというのが師の教えだった。加納はその教えを守り、研鑽を続けてきた。

「僕は、本当に荒木先生にめぐり逢えて幸運だと思っています。なんで先生がここまでよくしてくださったのか、正直わかりません。弟子入りしてからの僕の成長を認めてくださったのか……。僕は本当に恵まれていると思います。余談になりますが、若い頃には先生から『もし歌を辞めるようなことになったら俺のマネージャーになれ』と言われたことがあって、その時は先生から信用されているんだとうれしく思いました。でも、最近は『この年まで続けてきたんだ、この先も歌い続けなさい。人生を貫くことだ』とおっしゃっていただきました。僕のこれまでを、一途に続けてきたところを認めてくださったのかなと」

新曲「ふたたびのめぐり逢い」は、どこか昭和チックな雰囲気を残しつつも決して古臭さはなく、むしろ新鮮な印象を強く残す楽曲だ。

「この作品を大切に歌っていきたいと思っています。これからも聴く人の心に染み入る歌を歌い続けていきます。歌を通じてみんなが幸せな気持ちになれることが一番ですから……」

昨今のコロナ禍によって活動の場が制限されてしまってはいるが、その言葉は加納ひろしの生涯現役宣言でもあり、この新曲に懸ける思いを表す言葉である。

 


2020年9月16日発売
切なさ、やさしさに包まれるメロディー
加納ひろし「ふたたびのめぐり逢い」

「ふたたびのめぐり逢い」  
作詞/荒木とよひさ 作曲/田尾将実 編曲/鈴木 豪  
c/w「心に雨が・・・」  
作詞/小倉紅実 作曲/野々真結 編曲/鈴木 豪  
テイチクエンタテインメント TECA-20055 ¥1,227+税

表題曲「ふたたびのめぐり逢い」は、師匠・荒木とよひさ氏が加納の代表曲「銀座」の世界観を令和の時代に合わせて書き下ろした、いわば続編的なラブストーリー。「田尾先生からのメロディーを受けて、荒木先生が歌詞を書いてくださいました。仮歌のデモを聴いて、素晴らしい作品に出合い感激しました」(加納)。歌詞は悲しさと寂しさに満ち溢れているが、楽曲全体の印象は優しい気持ちに包まれる秀逸な作品だ。カラオケで歌う際には「人それぞれに人生があるので、ご自身の気持ち、優しさや切なさを込めて歌っていただければと思います」(加納)。カップリングの「心に雨が・・・」は、北海道旭川市在住の小倉紅実氏の詞に加納自身が曲を付けた楽曲(野々真結はペンネーム)。師匠・荒木氏のお墨付きを得て晴れてカップリングに採用された。石原裕次郎の世界観を彷彿とさせる仕上がりの作品。

 


Profile
加納ひろし(かのう・ひろし)
8月21日、広島県生まれ。本名、事崎正司(ことざき・まさし)。高校生当時、陸上のハイジャンプ選手として活躍し、インターハイで9位の成績を残す。スポーツ特待生として数多くの大学から勧誘を受けたが、歌手志望であることを両親に打ち明け、当初は反対されるも「一年間の期限付き」で上京を許され、故・米山正夫氏が主宰する歌謡学院に入門。1978年、日本コロムビアから「燃える赤ヘル僕らのカープ」を本名の事崎正司名でリリース。小野満とスイングビーバーズの専属歌手として2年間活動。1988年に作詞家・荒木とよひさ氏の門を叩き「嘉納ひろし」と改名し再デビュー。1991年リリースの「銀座」が30万枚のセールスを記録。2001年「加納ひろし」に表記名を改める。「野々真結」名で作曲活動も進めており、自身の歌唱のみならず他のアーティストへの楽曲提供も行っている。