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水前寺清子、大江裕

水前寺清子がバースデー&新曲発表会で、恩師・星野哲郎氏の遺作「男のいのち」を披露。60周年を歌手仲間も祝福し、「これからもチータらしく!」

デビュー60周年を迎えた水前寺清子が10月15日、東京・港区のマリーグラン赤坂でバースデー&新曲発表会を開催し、満席となるファン100名を前に、恩師・星野哲郎氏の遺作「男のいのち」などを披露すると、会場からは愛称である「チータっ!」の掛け声が飛んだ。

また、発表会には北島三郎ほか歌手仲間からお祝いメッセージが寄せられたほか、大江裕がバースデーケーキを持って登場。水前寺といっしょに「涙を抱いた渡り鳥」などを歌った。

歌手だけではなく、俳優としての顔を持つ水前寺は発表会のあと、女優デビュー作であり大ヒットドラマ『ありがとう』についても触れ、恋人役だった石坂浩二とは現実にも「嫁になるんじゃないか」と期待したことを告白、ドキっとさせた。

水前寺清子

『デビュー60周年記念 「援歌の真髄」~男のいのち~』のジャケット写真でも着用した着流し姿で登場した水前寺清子。この着物はデビュー時に着用した着流しと同じデザインだった。

NHK紅白歌合戦は夢の夢の夢

熊本県出身の水前寺清子は1960年、コロムビア歌謡コンクールに出場し、作詞家・星野哲郎氏にスカウトされると、1964年10月15日、クラウンレコードより「涙を抱いた渡り鳥」でデビューした。

「7曲か8曲、レコーディングもしましたが、『まだ若い』とかいろいろ言われて、なかなかデビューできませんでした。『もう父ちゃんいいよ』って言うんですが、(星野氏の自宅へ行って)『うちの民子(本名:林田民子)をどうしてくれるんだ』って泣くんですよ」

水前寺清子

「歌手にしてやりたい」という思いから、苦しい生活の中でも水前寺に音楽を続けさせてきた父親と、星野氏の執念が実ったのが1964年だった。東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業するなど日本中が湧いていた時代だった。

デビュー曲がヒットした水前寺は翌年、『NHK紅白歌合戦』に初出場すると、1986年まで22回連続で出場した。また、この間、紅組の司会を務める活躍も見せた。

「紅白で歌えるなんで夢の夢の夢でした。あのステージを踏めるとも思っていないし、歌えるとも思っていなかった。初出場が決まったときも、『これは夢だな。あ~あ、また家に帰って泣かなきゃダメだな』。そんな感じでした」

「私もあなたもこの道を歩くしかない」

水前寺の代表曲はたくさんあるが、絶対に外せないのが、1968年にリリースされた「三百六十五歩のマーチ」だ。当時、レコードの売上が約100万枚を記録した。

水前寺清子

片岡惠介 日本クラウン代表取締役は、水前寺清子に「これからも国民の皆様に歌声を通して元気を届けてください」と望んだ。

祝福に訪れた日本クラウン代表取締役の片岡惠介氏は、「弊社は1963年に創立し、当時は経営的にも苦しい状況でしたが、救世主のおひとりが水前寺清子さんです。『三百六十五歩のマーチ』は100万枚売れ、以来、60年にわたり弊社を支えていただいています」と感謝していたが、同曲は翌1969年、選抜高校野球の入場曲に起用されるなど、応援歌として今なお愛される作品となっている。

「お父ちゃん、お母ちゃん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう! そんな思いでした。デビュー時は19歳の乙女でしたが(苦笑)、着流しを着て、男の姿になりました。芸能界では初めてのことでしたので、むしろ『やったな』と思いました。1番になれるよう頑張ろうと思いましたね。ただ、こんなにも長く歌っているとは思っていませんでした。『三百六十五歩のマーチ』を歌うと、まだまだチータをやらないといけないなと思います」

水前寺清子

ファンミーティングのあとに行われた「水前寺清子バースデー&デビュー60周年記念新曲発表会」。手拍子と“チータっ”の掛け声でファンが盛り上がる中、デビュー曲「涙を抱いた渡り鳥」を歌いながら登場した水前寺には、日本クラウン所属の後輩歌手・美川憲一、瀬川瑛子、鳥羽一郎、三山ひろし、純烈からお祝いメッセージが届いた。

三山ひろし

三山ひろし

純烈

純烈

鳥羽一郎

鳥羽一郎

瀬川瑛子

瀬川瑛子

プライベートでも仲がよく、水前寺の翌年にデビューし、現在78歳・デビュー60周年の美川は「これからもずっと元気を与え続けてください。頼んだわよ」とエールを贈った。

美川憲一

美川憲一

水前寺は後輩歌手からの思い出話に、「あまりいい思い出じゃないんじゃないの」と笑わせつつ、「クラウンレコードでいっしょになったみんなは本当に優しくて、クラウンレコードの歌い手になって良かったなと思っています」と応えた。

北島三郎

北島三郎と水前寺清子とは、「チータ」「お兄ちゃん」と呼び合う仲だ。

また、1962年に日本コロムビアからデビューし、1963年に日本クラウン設立と同時に同社へ移籍した北島三郎もビデオメッセージを寄せた。

「チータ、60年おめでとうございます。お互い年取るわなあ」と話し始めた北島は、「大野穣、林田民子として一緒に歌手を目指した時代がほんのいっときありましたな。そして、ちょっと先に俺が(日本コロムビアを)出ちゃった。クラウンができあがってすぐに。あなたもお師匠の星野先生のお力で、本当はコロムビアから出る予定だったのが、クラウンから出発した。あれから60年だよなあ。時代の流れは速いけど、元気でよかった。まあね、私もあなたもこの道を歩くしかないんです。お互いにもう少し頑張ってみよう。この道一本で来たんだから。あなたも一本で行きなさい」と、日本クラウン創世記からの戦友に温かい言葉を贈った。

水前寺清子、大江裕

北島三郎からのメッセージが流れると、ここで愛弟子の大江裕がバースデーケーキの乗ったワゴンを押ながら登場し、10月9日に79歳となった水前寺清子を祝福した。

『デビュー60周年記念 援歌の真髄~男のいのち~』

「兄弟みたいな関係です…。泣かせないでよ、ここで」

北島の言葉に涙する水前寺は、デビュー記念日に発売となった2枚組全30曲入りアルバム『デビュー60周年記念 援歌の真髄~男のいのち~』から新曲「男のいのち」を披露した。

叶弦大

作曲家 叶弦大氏

作詞は亡き恩師・星野哲郎氏の遺作。作曲は水前寺のヒット曲「いっぽんどっこの唄」「ありがとうの歌」の作曲家としても知られる叶弦大氏だ。

「『男のいのち』は20年ほど経つかな。ディスカッションしながら星野先生とつくった詞だったよね。これをいつチータに歌わせようかと言ってたんだけど、それから20年近くが経っちゃって、今回の60周年記念につくらせて(作曲させて)いただきました。まだまだ元気な姿を大衆の皆さんに見せてあげながら、元気に頑張って歌っていってください」

水前寺清子

星野哲郎氏のご子息である有近真澄氏は、水前寺清子を天使にたとえた。

叶氏がビデオメッセージを通じて作品の成り立ちを明かすと、星野氏のご子息 有近真澄氏(紙の舟 代表取締役社長)が登壇し、「父である星野哲郎は作詞人生の大半を、大事な時間を水前寺さんと歩いてきました」とあいさつした。

「私は物心がつくころから水前寺さんをテレビで拝見してきました。ずっと天才だと思ってきましたが、今日、あらためてファンの方の声援を聞いて、じつは”天使“なんだなと思いました。人の気持ちを元気にしてくれるのは本当にすごい才能。心に財産を与えてくださるパワーに驚きました。これからもずっと長く活動をされていかれると、星野も思っていると思います。チータさん、よろしくお願いします」

水前寺清子

水前寺清子

体調が本調子ではなく、また腰痛と背中に痛みを抱えている水前寺は、「皆さんの前で飛んだり跳ねたりしたいんですが、今日はどうしてもそれができなくて。さっきまでは『なんとか最後までは』と思っていたんですが、皆さんの優しいお顔をみていたらダメでした。本当にごめんなさい」と詫びつつ、椅子に腰掛けて「男のいのち」を、時に涙を見せながら歌った。

「チータっ!」「チ~タ~」の掛け声とともに大きな拍手に包まれた水前寺清子が、「先生の愛、皆様の愛、そして今日、私を支えてくださった人の愛。本当にありがたいと思っています」と感謝を述べると、大ヒットテレビドラマ「ありがとう」の主題歌「ありがとうの歌」のイントロが流れてきた。

観客の手拍子に併せて水前寺が“さわやかに”に歌声を聴かせると、続いて1966年のミリオンセラー「いっぽんどっこの唄」を歌って会場を盛り上げた。

チータに聞こえた恩師・星野哲郎の声

晴れの日に、最後まで立ってステージを務めたかったという思いが強い水前寺は、「あ~あ、ダメだった。頑張れると思ったんですが、やっぱり痛かった(苦笑)」と悔しがっていた。だが、生でヒット曲を聴いたファンは大喜びだった。

「まだまだ、頑張って頑張って頑張って歌っていきたいと思います」

水前寺清子、大江裕

水前寺清子、大江裕

気丈に振る舞う水前寺の前に、大江裕が再登場した。大江は発表会の途中、サプライズでバースデーケーキを届け、「ハッピーバースデートゥーユー」の歌で水前寺を祝福していたが、こんな夢を持っていた。

「一生に一度でいい。チータの歌を一緒に歌ってみたい」

大江の出身地・大阪府岸和田のお祭りソングといえば、水前寺清子が歌う「岸和田音頭」だ。この音頭を聞いて育った大江の夢だった。

大江は自身のカバーアルバムでも水前寺の曲を歌っているが、ステージでは水前寺のデビュー曲「涙を抱いた渡り鳥」をいっしょに楽しんだ。

水前寺清子、大江裕

そして、ラストはやはり「三百六十五歩のマーチ」。大江に支えながらも椅子から立ち上がった水前寺は、ファンと合唱しながら国民的応援歌を届けた。

「声は出ない。腰は痛い。でも、皆さんの温かい声が胸にドンと来て涙が出てしまいました。”水前寺清子“はなんて幸せなんだと思います。きっと星野先生は『チータ、いいか。今日みたいにお前の回りにはたくさんの素敵な人がいっぱいいるんだぞ。何があっても皆さんの顔を思い出して、一生懸命頑張れ』とおっしゃっていてくれるように思います。皆さんの前で誕生日を祝えたこと。ずっと忘れないように頑張って歌っていきます」

水前寺清子、三善英二、松村和子、大江裕

会場には三善英史や松村和子も姿を見せていた。水前寺清子は「仲よくさせていただいているお友達にも来ていただきました」と感謝した。

これからもチータらしく

発表会終了後、ファンひとりひとりと絆を深めた水前寺は、無事、発表会を終えた安堵もあり、「60年? 誰が?」ととぼけた。

「おかしいなあ 40年ぐらいでしょ? えっ!? デビュー曲がいきなり大ヒット? そうなんですか! 私のファンには女性が多いでしょ。なぜなの?」

水前寺清子

軽口が止まらない水前寺だったが、「チータっ!」の掛け声が届くかぎり歌っていきたいと語った。

「60年はあっという間でした。いつも『デビューして○年ですね』と言われると、『もうそんなになりますか?』とお返事しますが、『やったな、頑張ったな』と心の中で思う気持ちがあるのも嘘ではありません。少し前に“コンコン”して…。今日はまだ具合も悪かったんですが、皆さんに元気をもらって歌うことができました。父と母からはいつも『感謝を忘れないように』と言われていましたが、今、両親と兄、姉が生きていたら、すごく喜んでくれただろうなと思います」

そして、「これからもチータらしく歌っていきたい」と結んだ。

「チータと呼ばれるとうれしいですね。本当に幸せな歌い手です。いつも考えることがあります。なぜ、こんなにも長くチータって呼んでもらえるのかと。チータらしく元気に! それを心に刻んで、これからもチータと呼んでいただけるように、呼んでいただけるかぎり歌っていきます」

 

もしかしたら石坂浩二と結婚していた!?

女優としても活躍したのが水前寺清子だ。1970年にスタートしたTBSドラマ『ありがとう』では初出演にして主役を演じた。このドラマでは石坂浩二の恋人役を演じ、民放のドラマ史上最高視聴率56.3%を記録。私生活での二人の恋の行方にも注目が集まった。

「お声がけいただいたときは『誰がですか?』って。歌い手がドラマに出るなんて思いもしなかったですから。でも、石坂浩二さんの恋人役と聞き、こんないい話はどこにある? と思いました。もしかしたら嫁になるかもしれないと思ったことは多々ありました(笑)」

 


2024年10月15日発売
水前寺清子
『デビュー60周年記念 「援歌の真髄」~男のいのち~』
水前寺清子

日本クラウン CRCN-41503-04 ¥4,500(税込)

60年間芸能・歌謡界を牽引してきたチータの60周年記念アルバム! このアルバムのために書き下ろしされた新曲「男のいのち」「チータのcha cha cha」を含む全30曲のベスト盤。

収録曲
Disc1
1.涙を抱いた渡り鳥
2.天国の近く
3.ゆさぶりどっこの唄
4.いっぽんどっこの唄
5.どうどうどっこの唄
6.みそこなっちゃいけないよ
7.にんげんどっこの唄
8.ああ 男なら 男なら
9.鬼面児
10.おんな富士
11.自慢じゃないが女だよ
12.おんなの街道
13.日本人だね演歌だね
14.運否天賦で行こうじゃないか
15.男のいのち(※)

Disc2
1.いつでも君は
2.三百六十五歩のマーチ
3.友達の唄
4.真実一路のマーチ
5.ありがとうの歌
6.だめでもともと
7.青空を見たかい
8.大逆転のマーチ
9.祭りになればいい
10.かあさん
11.テネシー・ワルツ
12.ブンブンビート阿波踊り
13.涙をふいて
14.春雷
15.チータのcha cha cha(※)

(※)は新曲

【Amazon】水前寺清子 デビュー60周年記念「援歌の真髄」~男のいのち~

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「三六五歩のマーチ」
「いっぽんどっこの唄」
「ありがとうの唄」
「涙を抱いた渡り鳥」

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