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滝あつし

「やったらよろしい」 浜村淳の一言で封印した夢が動いた。滝あつしが「おとこ人生夢街道」で還暦デビュー!

関西芸能界の重鎮・浜村淳を長年裏方として支え続け、現在は芸能プロダクション「一丁目一番地株式会社」の社長を務める谷村淳司氏。エンターテインメントの表と裏を知り尽くした男が、還暦を迎えた今年、徳間ジャパンコミュニケーションズより「滝あつし」として「おとこ人生夢街道」でデビューを果たした。

なぜ彼は60歳で、自らマイクを握り、表舞台に立つ決断を下したのか。そこには、一度は心の奥底に仕舞い込んだ夢と、奇跡のような出会い、そして恩師とも呼べる浜村淳からの背中を押す一言があった。

夢を諦めかけた私を救った”近鉄特急の奇跡”

若い頃、私は「歌手になりたい」という熱い夢を抱いていました。でも、現実はそう甘くありません。私は郵便局員として働きながら、心のどこかでチャンスを窺う日々を送っていました。

転機が訪れたのは20代半ば。あるカラオケ大会に出場した時のことです。なんと小学校4年生の時に転校していった友人と、15~16年ぶりに偶然の再会を果たしたのです。彼はゲスト出演していた演歌歌手の事務所で働いていました。

実はその少し前、私はある方のご縁で「昭和プロダクション」を紹介していただいたことがありました。夢への第一歩だと胸を躍らせましたが、「今の安定した公務員の生活を捨てることはない。趣味に留めておいたほうがいい」と諭され、一度は離職を思い留まりました。しかし、その後、その友人が事務所を辞めると聞いた時、私はついに郵便局を辞め、彼の後任スタッフとして芸能の世界へ飛び込んだのです。

ところが、入った事務所での仕事は、歌手になるきっかけを掴むにはあまりにも遠いものでした。与えられた業務をこなす日々に「ここで長居しても、自分の立ち位置は変わらない」と判断し、わずか3ヶ月で退職。結果、アルバイト生活へと転落してしまったのです。

夢破れ、失意のどん底にあったある日。大阪から奈良へ向かう近鉄特急の車内で、信じられない出来事が起きました。なんと、隣の席に座っていたのが、以前紹介していただいた昭和プロダクションの創業者・遠山新治社長だったのです。事情を打ち明けると、社長は「困ったら相談に来い」と力強く言ってくださいました。そしてしばらくして、昭和プロダクションから「歌手として雇うことはできないが、欠員が出たから、スタッフとしてうちで働かないか」と連絡が入ったのです。まるでドラマのような、まさに人生のレールが切り替わった瞬間でした。

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浜村淳のマネージャーとして生きてきた

1995年、私は昭和プロダクションのスタッフとして入社しました。最初に任されたのは、東京から関西公演に来る歌手のバックバンドを手配・運営するマネージャーです。天童よしみさん、八代亜紀さん、中村美律子さんのほか、森進一さんや中条きよしさんなど、大スターの現場でバンドを取り仕切りました。

そして入社して1年後、私は関西の至宝・浜村淳さんのマネージャーに就任しました。当初は2人体制のサブでしたが、やがて単独で担当することになりました。

私自身が歌手志望だったこともあり、タレントがステージに立つ前の不安や、現場に求める空気感、いわゆる「タレント心理」がわかりました。マネジメント側とタレント側の両方の気持ちが理解できました。

当時の浜村さんは超売れっ子。目の回るような忙しさでした。朝は早く、飲みやゴルフといった付き合いは一切しない。仕事一筋で、ご自身に厳しい、まさに本物のプロフェッショナルでした。

そんな凄まじい現場で準備を整え、最高の環境を作ることに命を懸ける毎日。入社して2、3年は「いつか自分も歌を」という思いもありましたが、多忙を極める浜村さんの背中を見ているうちに、私の歌手への夢は、いつしか心の奥底の「箱」の中に仕舞い込まれていきました。

結果として、私は人生のほとんどを裏方として費やしました。昭和プロダクションでは代表まで務めさせていただき、2023年には新会社「一丁目一番地」を設立。浜村さんも一緒に移籍してくださり、私は引き続き、タレントや社員の人生を背負う経営者として走り続けていました。

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「CDを出せという話ですか?」

仕舞い込んだはずの「箱」の蓋が開いたのは、2025年の夏。徳間ジャパンコミュニケーションズの濱崎真次さんとの出会いがきっかけでした。濱崎さんは制作宣伝本部第二制作部長として全体を管理しつつ、松前ひろ子さんや金沢明子さん、沖田真早美さん、葵かを里さんなどのアーティストを担当されている方です。

ある仕事のミーティング後、流れでご一緒したカラオケで、私は鏡五郎さんの「男ごころ」を歌いました。すると、濱崎さんから思いがけずCDデビューの話が持ち上がったのです。

長年、芸能の世界で生きてきましたから、自費出版などでCDデビューしようと思えばルートはありました。しかし、そういう手段を使ってまで歌手になりたいとは思っていませんでした。それが今回、第一線で活躍する濱崎さんから直接お声をかけていただいたことで、封印していた気持ちが大きく傾いたのです。

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後日、より詳しい打ち合わせの機会を持つことになりました。その日は、いつものように浜村さんの仕事に付き添い、車でご自宅へお送りしました。

自宅へ到着した時、いつものように浜村さんから「このあと、仕事?」と予定を聞かれたので、「東京から来るレコード会社の方と打ち合わせがあるんです」とだけ答えました。

すると、浜村さんは私の顔を見て、こう言ったのです。

「社長に、CDを出せという話ですか?」

驚きました。これまでデビューの話が来ていることなど一切相談も報告もしていなかったのに、浜村さんは一瞬で私の胸の内を見抜いたのです。

実は、浜村さんの解説で届けられる映画音楽コンサートの地方公演では、私が「男はつらいよ」を歌っていました。有名な寅さん啖呵売(口上)を浜村さんがおっしゃり、私が歌う。浜村さんが「私生まれも育ちも葛飾柴又です・・・」とあの有名なセリフを言うために私が駆り出されただけのような気もしますが、私がかつて歌手を志していたことを覚えていてくださっていたのでしょう。

そして、浜村さんは静かに「やったらよろしい」と、私の背中を押してくれました。この一言で、私の腹は決まりました。ちなみに、家族には事後報告でした。

デビュー曲の制作にあたり、私は濱崎さんにこれまでの生い立ちや、郵便局時代からの紆余曲折、裏方としての泥臭い日々をお話ししました。「人生をテーマに歌いたい」と。

やがて、作詞家の麻こよみ先生から上がってきた歌詞を一読した時、私は思わず涙を流しました。《体を屈めて 前に出る》《愚痴をこぼせば 心が寒い》。そこには私自身の辛苦と喜びが、見事に織り込まれていたからです。

さらに、岡千秋先生からのデモテープを聴き、私は鳥肌が立ちました。夢を追う男の真っ直ぐな生き様が、王道の演歌として命を吹き込まれていたのです。

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「滝あつし」の誕生。私の夢街道は続く

「おとこ人生夢街道」は、作詞・麻こよみ、作曲・岡千秋、編曲・南郷達也という演歌・歌謡界の黄金トリオによる書き下ろし。裏方として数え切れない苦労を飲み込み、奔走してきた滝(谷村)自身の真っ直ぐな生き様が描かれている。《人の情けが 心に沁みる》という感謝を胸に、セカンドステージを歩む、同世代の背中を力強く押してくれる王道演歌となっている。

いざ、自分の歌として初めてレコーディングスタジオに入った時、私は緊張し、肩に力が入ってしまいました。

録音された自分の歌を聴き、「もっとやれたはずだ」と悔しさが込み上げました。カラオケ大会などで「お金を払って歌うこと」と、プロ歌手として「お金をもらって歌うこと」の決定的な格の違い、プロの壁の分厚さを、還暦にして改めて痛感させられました。

カップリングには、吉幾三さんの作品から「通天閣」をカバーすることになりましたが、この曲には端唄的なパートがあります。ここが難関でした。私は年末の押し迫った時期に、ヒット曲「はぐれコキリコ」で知られ、民謡協会民謡名人位でもある成世昌平さんのご自宅へ足を運び、表現の指導を乞いました。

こうして、私は還暦の新人演歌歌手としてデビューすることになりました。今回のデビューを通じて、同世代の皆様に伝えたいことがあります。

人生100年と言われる今の時代、定年や還暦は決して「終点」ではありません。若い頃に諦めた夢、心の奥の箱に仕舞い込んだ情熱は、いつ開けてもいいのです。本気で挑めば、人生の第二幕はいくらでも熱く、豊かなものになります。

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緊張で迎えた発表パーティー。芸名・滝あつしの由来とは?

滝あつしのボーカルは決して技巧派ではない。しかし、採点カラオケで満点を目指す技術や小手先の表現では絶対に誤魔化すことのできない、60年分の年輪が刻まれている。真っ直ぐで、朴訥(ぼくとつ)としたその歌い回しは、綺麗にパッケージされた昨今の音楽にはない、体温のような温もりがある。

デビュー日前日の4月21日、大阪市内のホテルで、デビュー曲「おとこ人生夢街道」の発表パーティーを開催させていただきました。司会は水谷ひろしさん、特別ゲストには浜村淳さんをお迎えしました。

これまで裏方として数え切れないほどのステージを見てきましたが、いざ自分が主役として長時間のステージに一人で立つのは初めての経験でした。そのため、出だしの数曲は自分でも驚くほど緊張してしまいました。ガチガチになっている私の緊張感は、どうやら客席のお客様にもそのまま伝わってしまっていたようです。

何曲か歌ううちにようやく場の空気にも慣れ、ペースを取り戻すことができましたが、お客様に気を揉ませてしまったことは反省点です。これからは最初から変な緊張をせず、皆様にしっかりと思いが伝わる歌を歌っていきたいと強く心に刻みました。

この日のステージのハイライトは、特別ゲストとして駆けつけてくださった浜村淳さんとのトークです。

「滝あつし」という芸名は浜村さんが名付けてくださいました。本名の「谷村淳司(じゅんじ)」は「あつし」と読めなくもないため、浜村さんからは長年「谷村あつし」と呼ばれており、下の名前は平仮名で「あつし」にしました。しかし、苗字の「滝」の由来は、知らされていませんでした。

私はここで、ずっと気になっていた「滝あつし」という芸名の由来について尋ねてみました。

浜村さんから返ってきた答えは、なんと直感。「あつし」という名前に続く流れや、言葉の響きから、パッと直感で閃いたのだとおっしゃるのです。

浜村さんから第一候補として「滝あつし」というお名前をいただいた時、私が「念のため、もう一つ候補をいただけませんか」とお願いしたところ、第二候補として「華城(かじょう)あつし」という名前も考えてくださっていました。どちらも姓名判断で大吉の素晴らしい名前でした。ただ、「華城」は「かじょう」とも「はなしろ」とも読めてしまうため、誰にでも一度で覚えていただけるよう、「滝あつし」を芸名に選ばせていただいていたのですが、由来は直感でした(苦笑)。

私の持ち歌はまだ2曲しかないため、発表会では先輩方のヒット曲をカバーし、全13曲を歌わせていただきました。無事にプログラムを終え、最後にお客様をお見送りした時、皆様の温かい笑顔に触れ、私自身もようやく心からの笑顔を浮かべることができました。

翌日は再びマネージャーに。恩師からの思いがけない言葉

夢のようなステージの余韻に浸る間もなく、翌日(デビュー日!)にはいつものように浜村さんのマネージャーとしての日常が待っていました。

朝、仕事の現場で浜村さんに「昨日は本当にありがとうございました」とお礼を伝えると、思わぬ言葉が返ってきました。

「こんだけできると思えへんかった、びっくりした。想像以上によくやりなはった」と、もったいないほどのお褒めの言葉もいただいたのです。長年仕え、私の夢を後押ししてくださった恩師からのこの一言は、何よりの労いであり、歌手として歩み出すための大きな自信につながりました。

座右の銘は「為せばな成る 為さねば成らぬ何事も」です。これから私は、会社を背負う社長と歌手の二刀流、いや、自ら自分を売り込む営業マンも兼ねた「三刀流」で頑張っていくつもりです。

歌手としての第一の目標は、300人規模の会場で単独コンサートを開くこと。還暦を機にマイクを握った、不器用な男の「夢街道」。私の人生のセカンドステージが始まりました。

 


2026年4月22日発売
還暦デビューシングル
滝あつし「おとこ人生夢街道」

滝あつし

「おとこ人生夢街道」
作詞/麻こよみ 作曲/岡 千秋 編曲/南郷達也
c/w「通天閣」
作詞・作曲/吉 幾三 編曲/池多孝春
題字:浜村淳
徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-91690 ¥1,550(税込)

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