【読むトークライブ】西寄ひがしのラジオマニア~人との深さを大切にして~
“今世紀最後の歌謡ショー司会者!”として知られる西寄ひがし。氷川きよしコンサートツアーの専属司会を務めるほか、田川寿美や水森かおり等のコンサートでもステージを進行し盛り上げる。その一方で、トークライブの開催やラジオ番組のパーソナリティーを務めており、今風に言えば“三刀流”の活躍を見せる。そんな西寄の原点はラジオから流れてくる演歌・歌謡曲にあった。
西寄ひがしのルーツはラジオ
母親が事務の仕事をしていましたが、自宅がその事務所の2階にありました。事務所では母親が朝から晩まで、地元のAMラジオを聴きながら仕事をしていましたから、ラジオから流れてくる流行歌を聴いて育ちました。昭和48年生まれですが、当時の歌番組はアイドルの曲から演歌までがかかっていたので、昭和50年代初め頃の流行歌は全部聴いていました。
童謡など子ども向けの音楽には興味がなかったですね。“チーチーパッパ♪”(雀の学校)とか、子どもの頃は「何が楽しんだろう」と思っていました(笑)。
「忙しいからあっちへ行ってらっしゃい」
母親が忙しい時は、買い与えられた赤いテープレコーダーで、「津軽海峡・冬景色」や「カナダからの手紙」などを繰り返し聴いていました。音楽を聴くことが一人遊びでした。それが今の仕事のルーツ、原点になっています。
4歳の時の誕生日プレゼントは松山千春さんの「季節の中で」。自宅の前にレコード店があって、商品を陳列したベスト10がつくってありました。その時の1位が「季節の中で」だったんです。誕生日プレゼントに「あれがほしい」とおねだりしました。
あいにく商品は売り切れていました。でも、ディスプレイされている見本盤でもいいのでほしいと、その場で横になってだだをこねるわけです。「ホコリだらけだよ」。お店の人がそう言いながら、脚立に乗って見本盤をとって譲ってくれました。当時、男の子の間で流行っていた超合金のフィギュアなどにはまったく興味がなくて、友だちと鬼ごっこをしたり、廃材を集めて秘密基地をつくって遊んだりしても、心の中では「早く帰ってレコードを聴きたいな」って(笑)。そんな子どもでした。
小学生になると、ラジカセを買ってもらいました。当時、ラジオでは電リク(電話リクエスト)が盛んでした。土曜日午後の生放送番組に聴きたい曲をリクエストしました。電話がつながってチェッカーズの曲をオンエアしてもらった時はうれしかったあ。より一層、ラジオの魅力に取り付かれましたね。ラジオ番組は大勢のリスナーに向けて放送されていますが、自分のためだけに放送してくれているような身近な存在に感じて、ラジオがますます好きになりました。
本物の世界への憧れ
地元放送局の公開放送にも行くようになりました。デパートの催事場や、地元の商店街から放送するというと、中継車がやって来て放送の準備をしているところから見ていました。
「どうしたの? 僕。好きなの?」
「好きなんです。マイクありますか?」
技術の人が声をかけてくれて、ジュラルミンケースに入ったマイクを見せてくれました。
「わあ。触ってもいいですか?」
「いいよ。でも、落とすなよ」
「はい!」
テレビの歌番組も好きでよく観ていたので、歌手の人が使っているマイクにものすごく興味がありました。歌番組を観たり聴いたりするのも好きでしたが、テレビで言えば、箱の中の世界にも興味があり、そのひとつがマイクでした。
最初はマジックペンや縄跳びのグリップをマイク代わりにして、自宅で遊んでいました。高価なマイクなんて買えませんから。でも、小学校高学年になると本物がほしくなるわけです。普通のカラオケマイクじゃなく、テレビで見るマイクがほしいと。だいたいどの歌番組でも同じようなマイクを使っていることはわかりましたが、当時はネットで簡単に調べられる時代ではありません。それでもいろいろ調べて、アメリカにSHURE(シュア)というメーカーがあるようだ。あのマイクはSM58(世界でもっとも有名なボーカル用ダイナミックマイク)というマイクだと知るわけです。
じつは、お祭りでよく歌っているような、どこの地方にもよくいるのど自慢の子どもでした。当時、地元の大分・中津市には1000人規模のカラオケ同好会が6~8つありました。近所の歌好きのおじいちゃんに、その中のひとつに入れられて、発表会や大会に出て歌っていました。
ある時、文化会館で開催された大会に出場したら、憧れのマイクがあったんですよ。「これだ!」って。誰ともすぐに親しくなれる性格もあって、ホールの音響さんとも仲良くなってマイクや音響設備を見せてもらっていましたね。
マイクを抱きしめて
歌の方ですか? 「ちびっこ歌合戦」のような番組を観ると、出場している子どものレベルとの差を思い知らされました。当時で言えば、水森かおりさんや島津亜矢さんが全国のメジャーちびっ子として歌っていました。あんなのを見ると、“無理無理無理”ってなりますよ(笑)。そういったこともあり、裏方の仕事である音響に興味が湧いていきました。
中学生になると、学校の許可をもらってアルバイトを始めました。マイクを買うためです。おもちゃじゃないので、1本7万円ぐらいしました。母親に相談したら、「あんた、バカなことを言いなさんな」とあきれられましたが、アルバイト代から少しずつ返済することを条件に、まあ、いくらかは出してもらいましたが、中学生1年か2年の時に、本物のマイクを手に入れました。もううれしくて、マイクを抱いて寝ていましたね(笑)。
相変わらずラジオは好きでした。受験勉強とは名ばかりで、夕飯を食べて7時頃から自分の部屋へ行ってラジオを聴くわけです。明け方3時ぐらいまで聴いていましたね。親はすごく勉強していたと思っていたかもしれませんが、まったくしていませんでした(笑)。
深夜に聴いていたのは『オールナイトニッポン』でした。何年か前に帰省した時、当時の参考書や数学の教科書が出てきたのですが、中を見たら余白にびっしりネタが書いてありました。数式じゃなくて全部ネタ。余白がネタで真っ黒でした(笑)。
今でもラジオが好きで、ここ10年ぐらいはもっと好きになっていますが、ラジオを聴いて育ったことが今の司会業やトークライブでのしゃべりにつながっていると思います。
音響マンとしてウーパールーパーのツアーに!?
高校を卒業した18歳の時に大分から上京して、音響を手がける会社に就職しました。大分の音響会社でアルバイトをしていたこともあり、高校の時に内定をいただいていました。通常は、音響の専門学校に2年間通ってから新卒として就職しますが、僕の場合は経験者・中途採用みたいな形で内定をいただきました。
ところが、音響技術スタッフとして働き始めますが、海外アーティストのツアーばかりを担当させられました。
「あなたは演歌・歌謡曲が好きかもしれないけど、音響マンとしては音楽のジャンルが偏っちゃいけない。どんなジャンルの音楽でもミキシングができないとダメだから」
でも洋楽はまったく知らないし、苦手でした。
「来週はシンディ・ローパーのツアーだからな」と言う先輩の声を聞いて、「ウーパールーパーのツアーですか?」。本当にそんなレベルでした。
ジェイムス・ブラウンやシカゴ、テンプテーションズ、M.C.ハマーといった、今振り返ると錚々たる方のツアーに参加させていただいていたのですが、洋楽は音圧が強くて、ずっと耳を押さえているほどでした(笑)。
「音響の人間が耳をふさいでちゃまずいだろ。見えないところでやるか、耳栓しておけ!」
そんなふうに注意されました。
幻となった演歌ツアーでのミキサー・デビューへの道
でも、本当にとてもいい会社なんです。今もお付き合いさせていただいていますが、じつは当時、海外アーティストのツアーで修行を積んだあとに、演歌・歌謡曲のコンサートの担当にするという話を進めてくださっていたんです。石川さゆりさんのコンサートツアーでミキサー・デビューさせる予定だったと、あとで知りました。
すごいですよね。幼少の時に夢中で聴いていた「津軽海峡・冬景色」。その国民的名曲を歌う石川さんのコンサートで音響を担当することができるなんて!
ところが、そんなことを知らない僕は、「英語の歌なんてさっぱりわからないし、演歌・歌謡曲が好きなんですよ」と、いろんなところで話していました。そうしたところ、たまたま森進一さんの事務所の方から「付き人をやらないか」とお誘いを受けました。上京して3年目の頃です。
音響会社の会長や上層部の方に呼び出されました。
「石川さゆりさんのツアーを当社で担当することになった。念願の演歌ツアーで、ミキサーとしてデビューさせることにした・・・」
「僕、辞めたいんですけど」
会長さんたちはズルッですよ。この話を聞いた時には、すでに森さんの事務所へ入ることを決めていました。結局、音響会社と森さんの事務所とが話し合ってくださって、音響会社を円満に退社させていただくことになりました。
「来月から司会をやってみないか」
森さんの事務所では、まずは付き人として頑張って現場マネージャーとなり、やがてチーフマネージャーになるという自分なりのプランを立てていました。でも、こんな性格ですから、付き人時代から森さんにずっと話しかけて、しゃべっていました。
ある年の年末、会社の忘年会をすることになりました。いちばんの若手ということもあり、僕が幹事と司会の真似事をしたところ、森さんが面白いと言ってくださいました。
「来月から司会をやってみないか」
来月からと言われても、まだ22歳の若造ですよ。びっくりしました。
司会の経験はまったくありません。ただ、小さい時から歌謡ショーが好きでずっと見てきたので、鳥羽一郎さんの司会の方はこんな時にこういう話をしていたなとか、高田みづえさんの時はこうだったなということが全部頭の中に入っていました。
「司会業は勉強だよ。いずれチーフマネージャーに昇格した時に、表舞台に出る人の気持ちがわかっていた方がいいと思う」
そんなふうにも言っていただき、「ダメならクビになるだけ」と、森さんのコンサートツアーの司会を務めさせていただくことになりました。
氷川きよしの専属司会者へ
森進一のコンサートで司会を務めるというのは大抜擢だったが、こうして司会者・西寄ひがしが誕生した。当初は森進一の事務所に所属しながらの司会業だったが、やがて他の歌手のステージでの司会や、レコード会社のリリースイベントの司会などの依頼が増えてくるようになり、約2年後、西寄は歌謡ショーの司会者として独立することになる。
森さんのところを退社して、たまたま大泉逸郎さんの司会を担当させていただいていました。大泉さんの「孫」がヒットしていた頃で、コンサートの営業を担当していたのが、現在の所属先である長良グループでした。
2000年2月に氷川きよしさんがデビューされて、若い司会者を探しているということでした。
「年齢が高いと、氷川さんもしゃべりづらいだろうから、歌謡ショーの司会で若手はいないのか?」
「そういえば、今、うちの営業でよく来ている西寄というのが若いですよ」
縁あって2001年7月、中野サンプラザで行われた「氷川きよし チャレンジステージ」で初めて、司会者として氷川さんとご一緒させていただくことになりました。僕と氷川さんは4歳違い。僕が4つ上です。(氷川さんの専属司会者として)もう20年以上ですね。
独立して初めての専属司会の仕事でした。氷川さんとはお互いに真っ白な状態で始めることができました。自然とこうしましょうと。もちろん昔と今とではやり方は違いますが、事前に決め事はあまりしないですね。
最初の1~2年は構成・演出の先生が丁寧に書いてくださった台本がありました。でも、2年目からなくなりました。氷川さん自身がどう思われているかわかりませんが、だいたい思っていることが同じなんですよ。同じ事を話したり。ですから、ある時から台本に、“下手から西寄登場。楽しい語らいなどがあって次の曲紹介”って書かれていました(笑)。台本通りやらないものだから、先生が台本を書く気力をなくされたんでしょうね。
『西寄ひがしの演歌特選市場』
50歳を目前にして、今、ものすごく楽しい。もし戻れるならいつの時代に戻りたいですか、という質問をよく受けますが、僕は戻りたくない。明日、明後日、その先のほうが楽しみです。ある時期、多少つらいことがあっても、あの時期があるから今があると思います。音響技術の仕事も嫌いで辞めたわけではないですし、今もマイクが大好きです。
現在、2つのラジオ番組のパーソナリティーを担当させていただいていますが、自分で収録して、完パケで番組を納品しています。
今年5月からスタートした、さっぽろ村ラジオの『西寄ひがしの演歌特選市場』(毎週木曜日朝7:00~7:58/7月からFMはつかいちでも放送)もそのひとつです。57分57秒で番組をつくらないといけないんですが、台本は一切ありません。自宅の音響装置の前で、今日は何をしゃべろうかなと考えながら収録を始めます。
できるだけたくさんの曲をかけたいので、8~9曲ご紹介するのですが、リクエストを読んだり、その曲にまつわる自分の思い出などをお話しします。実際に関わらせていただいている歌手の方も多いので、いろんなエピソードをお話しして。曲は基本フルでかけますが、最後の曲だけはエンディング扱いにさせていただいて、番組を57分57秒ぴったりに調整します。
技術からパーソナリティーまでをこなすラジオ番組の制作は本当に楽しいですね。ジングル(番組のコーナー切り替わりなどに挿入される短い音楽など)もつくりすぎちゃって(笑)。今、10ジングルぐらいあります。番組の内容より、「ちょっとこっちのマイクのほうが良かったか」とか。音質のほうが気になっているかも(笑)。
さっぽろ村ラジオさんとのご縁はSNSでした。毎週月曜日の朝に、故郷・大分のNOAS FMさんで『西寄ひがしのただいま! 中津!』という番組をレギュラーで担当させていただいていますが、こちらは番組の編成上、演歌・歌謡曲をあまり流せないこともあり、SNSで「演歌・歌謡曲に特化したラジオがやりたい」と発信したところ、声をかけてくださったんです。
最初は30分枠の番組予定でした。そこでデモをつくってお送りしたところお返事がありました。
「すみません・・・」
(ああ、ダメだったか・・・)
「1時間番組にしてもらえませんか」
こちらとしては願ったり叶ったりでした(笑)。
人との深さを大切にして
不思議なことに、僕の人生には点と点が線になるようなことがすごく多い。ご先祖様がリモコンで操作でもしているのか、導かれるような形で物事が決まっていきます。「ええーっ」って鳥肌が立つようなこともあります。母親は「偶然よ」と言いますが(笑)。
トークライブやラジオでのお話は、実際にあったことを話しています。変に演出しないほうが面白いと思うんです。友だちに話すと、「ここをこうしたほうがもっと面白いんじゃないか」と言われることもありますが、僕はそうしたくない。本当にあった話をするほうがリアルだし、いちばん面白いと思っています。
スマホのメモ帳アプリに日常の出来事をメモしています。その数は年間300~400ぐらいになります。
大阪の天王寺駅でのことでした。ハロウィンの頃で、お巡りさんが台の上に乗って監視しているわけです。そこに顔にヒビが入って、口からは血が流れていて、唇が真っ黒なゴスロリの女性二人がやって来ました。お巡りさんが一瞬ひるむのがわかりました。
「すみません。あべのハルカスはどこですか?」
ゴスロリの女性がものすごく礼儀正しくお巡りさんに道を訪ねていて、お巡りさんの説明を聞いた二人は、「ありがとうございました!」と去っていたんですが、そのお巡りさんが小さな声で「怖かった~」って。
あのお巡りさんにこの国は守れるのかなと不安になりましたが(笑)、そんな日常の出来事がメモされています。
いつもものすごくアンテナを張っているわけではありません。でも、日常の街の声が聞こえるのってすごく楽しいですね。
コロナ禍になり世の中が自粛・自粛となる前。2019年1月から翌2020年の1月まで約一年間、全国47都道府県を回って、ラジオ番組に出演しました。「西寄ひがし ラジオふれあい全国行脚~出演依頼は一度もないがお願いしたら出させてくれた~」ということで、自分勝手に押しかけていって、AM全47局を含む58局、85番組に出演させていただきました。
この時の全国行脚も自分の血肉になっています。縁もゆかりもなかったラジオ番組に、僕がつくったジングルが今も流れていたり(笑)。でも、この行脚が縁となって、今もつながっている方がいらっしゃいますし、ラジオで僕のことを知ってくださった方もいます。
メディアの大きさも重要だと思います。でも、今の僕は大きさではなく、人数ではなく、深さを大切にしたいと思っています。トークライブでのファンの方や、ラジオのリスナーの方との深さを大事にしながら歩んでゆきたい。そして、演歌・歌謡曲の良さをこれからも継承していけるといいですね。
まるでラジオから飛び出してきたように、あふれるように言葉が飛び出してくる西寄ひがし。音響マンからキャリアをスタートし、司会業、トークライブへと活動の幅を広げ、近年ではラジオ番組のパーソナリティーを務め、氷川きよしの劇場公演のお芝居には俳優として立っている。点と点が線となり、気づけば三刀流から四刀流へ。しかしすべての原点はラジオにあった。無類のラジオ好きで、「話術の最高峰はラジオにある」という想いを胸に、西寄ひがしは今日も元気にスマイル、スマイル!
西寄ひがし レギュラーラジオ番組放送中!
NOSA FM 毎週月曜日7:30~8:00
※毎週土曜日7:30~8:00(再放送)
「西寄ひがしのただいま! 中津!」さっぽろ村ラジオ 毎週木曜日7:00~7:58
FMはつかいち 毎週土曜日9:00~9:58
「西寄ひがしの演歌特選市場」※「西寄ひがしのただいま! 中津!」および「西寄ひがしの演歌特選市場」はインターネットを通じて全国どこででも同時刻にパソコン、タブレット、スマホを使って聴くことができます。全国のコミュニティFMを聴くことができるListenRadio(リスラジ)がオススメです。
Profile
西寄ひがし(にしより・ひがし)
11月7日、大分県生まれ。幼少の時からラジオを聴いて育ち、18歳の時に上京。音響技術スタッフとして「日本レコード大賞」や「欽ちゃんの仮装大賞」、川中美幸、森進一などのツアーに参加。また海外アーティストのツアーにも参加し、音響技術を学ぶ。その後、森進一の付き人となり、22歳の時、森進一のコンサートツアーの司会者に抜擢される。2001年7月からは氷川きよしの専属司会者となる一方で、水森かおりなど他の歌手の司会、トークライブの開催、ラジオパーソナリティー、俳優など活動の幅を広げている。レギュラーラジオ番組「西寄ひがしのただいま! 中津!」(NOSA FM 毎週月曜日7:30~8:00 ※毎週土曜日7:30~8:00 再放送)、「西寄ひがしの演歌特選市場」(さっぽろ村ラジオ 毎週木曜日7:00~7:58/FMはつかいち 毎週土曜日9:00~9:58)ではパーソナリティーを務めるほか、ラジオ番組の制作も自身で行う。
西寄ひがし公式HP
西寄ひがし公式ブログ
西寄ひがしTwitter
INFORMATION
「氷川きよし特別公演」
第一部
ケイト・シモンの舞踏会~時間旅行でボンジュール
【あらすじ】
歌手を目指している子門慧音(しもん・けいと)(氷川きよし)は病気の母親に代わり、家計を支えるためアルバイトに明け暮れていた。そんなある日、入院中の母親が亡くなってしまう。落ち込む慧音に、母の形見であるフランス製の砂時計が目に入る。「時を戻せたらどんなにいいか・・・」そんなことを思いながら、慧音は砂時計をひっくり返す。すると、時空が歪み始め、なんと18世紀フランスにタイムスリップしていたのだった・・・。
第二部
氷川きよしコンサート 2022
【みどころ】
往年のヒット曲満載の演歌から、最新のロック&ポップスまで劇場版特別セットリストで氷川きよしの歌声が届けられる。
大阪公演
2022年7月23日(土)~8月5日(金)
会場:新歌舞伎座
開演時間:11:00/16:00
チケット一般発売:6月13日(月)~
料金(税込):
プレミアムきよシート(オリジナルチケット・グッズ付・1階前方2列以内確約) 30,000円
きよシート(オリジナルグッズ付・1階前方8列目までの正面)20,500円
S席(1階・2階正面前方 ※特別席除く)16,500円
A席(2階左右及び正面後方・車椅子スペース)10,000円
B席(3階)6,500円
特別席(2階最前列)18,500円
問い合わせ:新歌舞伎座テレホン予約センター 06-7730-2222(10:00~16:00)
公式サイト:
https://www.shinkabukiza.co.jp/perf_info/20220723.html
企画・監修:神林義弘
制作:新歌舞伎座・長良プロダクション
制作協力:明治座
第一部 ケイト・シモンの舞踏会~時間旅行でボンジュール~
作・演出:堤泰之
出演:氷川きよし、彩輝なお、山崎銀之丞、曽我廼家寛太郎、なだぎ武・星田英利(Wキャスト)、西寄ひがし 他
第二部 氷川きよしコンサート2022 in 新歌舞伎座
福岡公演
2022年8月15日(月)~8月27日(土)
会場:博多座
開演時間:11:00/16:00
チケット一般発売:6月25日(土)~
料金(税込):
プレミアムきよシート(オリジナルチケット・グッズ付・1階前方2列以内確約)30,000円
きよシート(オリジナルグッズ付・1階前方7列目までの正面)20,500円
A席(1階・2階正面前方)16,500円
B席(2階左右・正面後方)10,000円
C席(3階)6,500円
問い合わせ:博多座電話予約センター 092-263-5555
公式サイト:
https://www.hakataza.co.jp/lineup/202208/hikawa/index.php?tab=tab-01
企画・監修:神林義弘
制作:明治座・長良プロダクション
製作:博多座
第一部 ケイト・シモンの舞踏会~時間旅行でボンジュール~
作・演出:堤泰之
出演:氷川きよし、彩輝なお、山崎銀之丞、曽我廼家寛太郎、なだぎ武・星田英利(Wキャスト)、西寄ひがし 他
第二部 氷川きよしコンサート2022 in 博多座
愛知公演
2022年9月5日(月)~9月15日(木)
会場:御園座
開演時間:11:00/16:00
チケット一般発売:7月19日(火)~
料金(税込):
プレミアムきよシート30,000円
きよシート20,500円
S席16,500円
A席10,000円
B席6,500円
問い合わせ:御園座チケットセンター 052-308-8899(10:00~16:00)
公式サイト:
https://www.misonoza.co.jp
企画・監修:神林義弘
制作:新歌舞伎座・長良プロダクション
制作協力:明治座
製作:御園座・中日新聞
第一部 ケイト・シモンの舞踏会~時間旅行でボンジュール~
作・演出:堤泰之
出演:氷川きよし、彩輝なお、山崎銀之丞、曽我廼家寛太郎、星田英利、西寄ひがし 他
第二部 氷川きよしコンサート2022 in 御園座